4-3

 挨拶が終わったあとは、与えられた私室で荷物の整理を行う。

 青の館は、ヴァルターたちの母親――二番目の妃が国王から与えられた住まいだ。

 けれど、王妃の住まいは別にあり、ここは本来かつての国王が愛妾を住まわせるために用意した建物だった。


 そういう場所に妃を追いやったのはバルシュミーデ公爵家への配慮にほかならない。

 そして、妃が亡くなって以降は、ヴァルターたちがその「配慮」ごとこの館を引き継いでいるのだ。


 本来正式な王族の住まいではない場所――とはいえ、館そのものはかなり広い。


 エントランスは南向きで、一階にはリビングルームやダイニングルーム、二つのサロンと使用人たちが働く区画がある。

 二階は主人の私的な空間だ。


 中央の階段より東側がヴァルター、西側がセラフィーナの住まいだった。


 アデリナにはセラフィーナの寝室の向かいの部屋が与えられた。

 ゲストルームとして用意されていたものだから、調度品も豪華で、広さも雇われの身としては十分だった。


 馬車から降ろした荷物は、ユーディットとベルントが運んでくれた。

 アデリナは、すぐに必要になるもののみ荷ほどきをして、それらをクローゼットにしまっていく。


 そんなふうに過ごし、あまり侍女としての職務ができないまま、午後になった。


「お茶の時間は私に付き合いなさい。アデリナは紅茶をいれられるかしら?」


 セラフィーナがわざわざアデリナの部屋までやってきて、お茶に誘ってくれる。

 時刻は三時。そろそろ小腹が空いてくる頃だった。


「はい、お任せください」


 メイドに任せてしまうことも多いが、季節や気温に応じて茶葉を選び正しい作法で客人に紅茶を振る舞うことは、貴族の婦人のたしなみの一つでもある。


 アデリナは、リンダに手伝ってもらいながら紅茶とお菓子を用意していく。


(気温が高めだからすっきりとした紅茶にオレンジのスライスを合わせて……)


 初めての仕事だから、アデリナははりきった。

 有能で、信頼できる人間であることを知ってもらわなければ、時戻しの魔法のことなど到底言えないのだ。

 だからこそ、全力で侍女の職務に望むべきだった。


 お茶の席は、セラフィーナの希望で館の前の庭になった。


 回帰前の苦い初対面、そして無茶苦茶な熱光線という嫌な出来事しかない庭だが、これから少しずつ好きになっていけたらいいと感じる。


 アデリナはすべての準備を終えてから、セラフィーナの隣に座った。


「オレンジね……さわやかでいいわ。レモンよりも優しい香りがするから好きよ。ありがとう」


 セラフィーナは砂糖を一杯紅茶に入れたあと、ぐるぐるとかき回してからオレンジのスライスを浮かべ、カップを口もとに運んだ。


(こんなに美しく紅茶を飲む方がいらっしゃるなんて)


 アデリナは綺麗なものが好きだった。

 ヴァルターにも時々見とれていたが、セラフィーナにもやはり見とれてしまう。

 所作の美しさは一朝一夕で身につくものではない。

 時々傲慢に思える態度のセラフィーナだが、勤勉で、少なくとも外向きの顔は王女として完璧な人であることに間違いはない。


「アデリナ」


 セラフィーナの声が急に低くなる。


「はい、どうなさいましたか?」


「この紅茶……熱すぎますわっ!」


 そう言いながら突然立ち上がったセラフィーナ。紅茶のカップをスッと掲げ、アデリナの頭の上でそれをひっくり返した。


 当然、紅茶は頭から顔を伝い、ドレスを汚す。


「え……?」


 熱すぎると言われたのだが、なぜか熱さは感じなかった。ちょうどいい風呂の湯を浴びせられた程度の感覚だ。

 けれど、この春に新調したばかりのドレスに茶色のしみが広がっていくことがショックだった。

 そして、女神とは到底思えない、恐ろしいセラフィーナの表情に圧倒され、アデリナは呆然としていた。


「あぁ……せっかくわたくしの命令をなんでも聞いてくれる侍女が手に入ったと思いましたのに、こんなに無能では意味がないわね」


「……セラフィーナ……さま……?」


 アデリナは、彼女のことを少しは理解した気になっていた。

 採用試験のときの傲慢な態度は、アデリナのためを思ってのもので、「お姉様」と呼んでいいと言ったあのときのセラフィーナこそが本質なのだと信じた。


 けれど、また異様な雰囲気の彼女に戻ってしまった。


(……に、二重人格……? ではないわよね?)


 悪意のある態度にもきちんと意味があると信じていたからこそ、今の彼女がまったくわからなくなった。

 アデリナは滴る紅茶をハンカチで拭うことすらできずに、ただ冷たい瞳の色をじっと見つめた。


「……これはこれは、とんだ女神がいたものだな」


 すると突然、拍手とともに男性の声が響く。

 声のするほうへ視線を向けると、そこには金髪の青年とお付きの者が立っていた。


(王太子カール……殿下)


 アデリナは汚れたドレスのまま立ち上がり、カールの前で低頭した。

 いずれ、戦うことになるはずの男と、回帰後の初対面だった。


「あら、王太子殿下。ご機嫌麗しゅうございます。……青の館へようこそ」


 セラフィーナは座ったまま挨拶をした。

 意外なことに彼女は、自分の異母兄のことを「王太子殿下」と呼んでいるらしい。

 彼女にとってカールは兄ではないのだと呼称だけでわかる。


「そこの者、面を上げて名を名乗れ」


 王太子はセラフィーナを無視して、アデリナに命じた。


「……お初にお目にかかります、王太子殿下。私はクラルヴァイン伯爵家のアデリナと申します。どうぞお見知りおきくださいませ」


 ゆっくりと顔を上げると、不遜な印象のカールの姿が見えた。

 長い金髪で、きつい印象の目をした細身の青年だ。年齢は、ヴァルターよりも二つ上の二十二歳。

 自身が操る火属性に合わせた派手な赤の衣装を好んでまとい、妙な威圧感を放っている。

 もしかしたら、すでに血染めの薔薇の使用を始めているのだろうか。


 値踏みするような視線が不快だった。


「そなたがあの者の婚約者か?」


 あの者――それがヴァルターを指す言葉ということをアデリナは察した。


「はい、恐れ多くもご縁をいただきまして、ヴァルター第二王子殿下を我が伯爵家に迎えることとなりました」


「人柄だけのクラルヴァイン……か。……なるほど、地味でつまらなそうな女だ。大して美しくもないな」


 地味かもしれないが、アデリナは不細工ではない。

 回帰前の公の場ではヴァルターの隣に、そして今はセラフィーナなすぐそばにいるから相対的に下に見えているだけだと信じたい。


(初対面の女性に……なんてことを言うのよ……)


 カールは、火属性の魔法の使い手としては優秀で、強き王になるだろうと言われているが、王太子としての評判はあまりよくない。

 傲慢で、身分の低い者を同じ人間とは思っていないのだろう。

 それはのちに、血染めの薔薇の事件でも証明される事実だった。


 反論も肯定もできないまま、しばらくのあいだ庭を沈黙が支配した。

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