4-1 女神の侍女になりました
それはセラフィーナ暗殺事件から一年後の出来事。
この日、第二王子派の面々は拠点としている南の砦で会議を開いていた。
ヴァルターの所領と隣接しているオストヴァルト王国の南部は、今から百年ほど前に併合された地域だ。
古くからのオストヴァルト貴族たちとはあからさまな格差がある。
例えば、南部貴族は大臣などの要職には採用されないだとか、北側の大貴族にだけ有利な税制度になっているだとか……。
ヴァルターはセラフィーナが暗殺される以前から、カールとの対立を見越して南部貴族たちと秘かに盟約を結んでいた。
ヴァルターが国王となった暁には、すべての格差を是正するという約束で、協力を得ているのだ。
成功すれば不平等が解消されるだけではなく、大貴族に代わり新しいオストヴァルト王国の重要な役職を南部貴族たちが担うことになる。
第二王子派の士気は高かった。
アデリナは、父エトヴィンと一緒にヴァルターの秘書官を務めている。
重要な会議には必ず出席し、議事録をとっていた。
「思った以上に手こずっているな……」
ヴァルターが戦況報告を聞きながら、つぶやいた。
セラフィーナの死以降、一人で大軍に匹敵するほどの力を解放したヴァルターだが、その身一つではすべての戦場に赴くことはできないのだ。
そして、敵であるカールも決して弱い相手ではなかった。
カールは今、圧倒的な火属性の魔力を誇示することで、実質的な国王となっていた。
「どうやらあちらは『血染めの薔薇』を使っているようです」
臣の一人、コルネリウス・ランセルからの報告が上がると、室内がざわめいた。
「血塗られた……悪魔の力ではないか!」
「いつからそんなものを。あの王子の異様な強さは偽物だったということか」
ヴァルターは軽く手を掲げ、臣たちへ落ち着くようにと促す。
血染めの薔薇は、魔力を増幅させる効果を持つ石だった。
見た目は鮮やかな赤い宝石だが、鉱物ではない。
魔力を持つ者の心臓から流れる新鮮な血が材料となっているのだ。
当然、そんなものを作るのは違法であり、たとえ王族であっても許される行為ではない。
「闇属性の第二王子か……血染めの薔薇の王太子か。この国は誰が次の国王となっても地獄だな」
「ヴァルター様!」
ヴァルターが自嘲気味に笑うものだから、アデリナはつい大声を出していた。
闇属性は聖トリュエステ国から異端扱いされている力ではあるが、少なくともヴァルターは理性を保って使用している。
それに、望んで得た力ではない。
オストヴァルトの民も、ほとんどの者がトリュエステ教を信仰している。
信仰心はあまりないアデリナだが、一応教義くらいは覚えていた。
トリュエステ教では、人がその生まれによって差別されることがあってはならないのだという。
だとしたら、自分で選ぶことができない魔力属性でその者を差別するなんて矛盾していた。
ヴァルターが非難される正当な理由はないとアデリナは信じている。
一方で血染めの薔薇は、人の命を材料にして己の欲望を満たすために作られるものだ。
作る者も使う者も、間違いなく罪であることを自覚している。
ヴァルターとカール。二人の王子を同列に扱っていいはずがない。
「冗談だ、許せ。アデリナは最近、私に厳しいな」
「士気に関わりますからご注意ください」
「わかった」
相変わらずヴァルターは笑みを浮かべたままだ。
けれど、アデリナはその笑みが嫌いだった。少なくともセラフィーナを失う前の彼はアデリナにほほえみかけることなどなかったし、冗談なんて一切言わない人だった。
温和になった、アデリナに関心を向けてくれるようになった――そんなふうには到底感じられない。
どこか壊れて、彼がどんどんと悪い方向に変わっている予感がして、胸が苦しい。
二人の会話が終わったところで、コルネリウスが再び口を開いた。
「ヴァルター殿下。この事実を広めるとともに、都周辺にあるはずの血染めの薔薇製造の拠点を潰すための策を検討せねばなりません」
血染めの薔薇は簡単に作れるものではない。
贄となるほうも一定以上の魔力を有していなければならないが、作り手にはそれ以上の能力が求められる。
血を精製するための大規模な施設が必要で、どこかに拠点があるはずだった。
そこを潰せば、しばらくのあいだ血染めの薔薇は供給できなくなり、敵戦力をそぐことに繋がる。
「そうだな。調査は引き続きコルネリウスに任せる。……拠点を見つけ次第、私が直接潜入部隊の指揮を執る」
拠点があるのはもちろん敵の支配地域で、おそらく簡単には奪われない都周辺だと予想できる。敵が悪魔の力頼みで戦略を組み立てているのだとしたら、もちろん守備は堅いだろう。
ヴァルターは自ら敵陣への潜入と破壊工作を行うつもりらしい。
「殿下は最近、お力を使いすぎではありませんか? 総大将がそのような役割を担う必要はございません」
コルネリウスが不安げな表情を浮かべる。
「敵の懐にもぐり込むのだろう? ……ほかの者では難しい」
それは本来彼ではなく、隠密部隊とか工作員とか……そういう者が担うべき役割だ。
けれど闇属性に支配されて以降のヴァルターは、総大将でありながらも自分を兵器として扱い続けるようになった。
ボロボロになっていくヴァルターを見ていられないときがある。
結局、ヴァルターの圧倒的な魔力に依存している状態の第二王子派の中に、代替案を出せる者はいないのだった。
血染めの薔薇の供給源を断ち、カールの悪行を暴く。
これは、現王家を断罪する正当性を得るための作戦でもあった。
その後も様々な議題が持ち上がり、やがて会議が終了した。
自室へと向かうヴァルターに、アデリナはつき従う。
部屋に着いたところで、ヴァルターが脱いだ上着を受け取る。
(最近、婚約者であることを忘れそう……)
今は戦時中ということもあり、社交もなければ、街でデートをすることもない。
以前よりも一緒にいる機会は格段に増えたが、本当に彼に仕える秘書官になっただけだった。
国王も敵となっている状況であるため、ヴァルターとアデリナの婚約はどちらかが解消しようとするだけで、すんなり叶うだろう。
二人ともその話をしないまま、いつの間にか彼の臣になっていた。
彼を好きかどうか、アデリナ自身にもよくわかっていなかった。
ただ、セラフィーナを失って以降の彼を見ていられず、どうにか立ち直ってほしいと願ってはいた。
そしてセラフィーナを暗殺したと思われる王太子カールには、アデリナ自身が強い嫌悪感を抱いていて、どう考えてもあちらの陣営に加わる自分が想像できないのだった。
疲れた様子のヴァルターが、ソファに深く腰を下ろす。
闇属性を解放してからの彼は、有り余る魔力を抑え込むのに苦労しているみたいだ。
おそらく、今も苦痛に苛まれているのだろう。
「ヴァルター様、おぐしが乱れて……」
アデリナは無意識に手を伸ばし、一年前に闇色に染まった彼の髪にそっと触れた。
「……あっ!」
けれど次の瞬間、バチッと小さな衝撃が身体に走った。
痛みを感じた指先を見ると、猫に引っ掻かれた程度ではあるものの、切り傷ができていた。
「す……すまない! 一年経ってもまだ制御できないとは」
ヴァルターが手を伸ばす。けれど怪我を負った右手に触れる前に、その動きは止まってしまった。
また触れて、同じ現象が起こることを危惧したのだろう。
「大した傷ではありません。お気になさらないでください」
「……私には、君が怪我をしても治してやれる力がない。もう……壊すことしかできなくなってしまったんだ」
アデリナは右手の拳をギュッと握り、わずかに流れる血を隠す。
代わりに左手でヴァルターに触れた。
ここでアデリナが怖がる素振りを見せたら、壊すことしかできないと言った彼の言葉を肯定してしまうみたいだ。
彼がどこか遠く――セラフィーナと同じ場所に行ってしまうのではないかという不安感が拭えず、アデリナは必死だった。
今度は弾かれず、きちんと彼に触れられた。
「そんなことはございません。……私はあなたに……守られています」
「……そう、だろうか……」
今の言葉が正しかったのか、アデリナにはわからなくなっていた。
ただ妹の
セラフィーナを失ってから、アデリナはずっと間違った選択を続けているのではないかという不安感を抱きながら、それでも進むことをやめられなかった。
立ち止まった瞬間に、破滅が待っていると察していたからだ。
血染めの薔薇で、戦力強化を図った王太子派との争いは、その後二年間続くことになる。
これは、血染めの薔薇の供給源が敵本拠地のオストヴァルト城内地下にあり、最強となったヴァルターといえどもそこへ踏み入ることが、なかなか叶わなかったからだ。
約三年間の内戦の中、アデリナやクラルヴァイン伯爵家の者は、第二王子派の重要人物として敵から命を狙われ続ける立場となった。
両親や、姉のように思っていたメイド――内戦の終盤でアデリナは家族を失ってしまうのだった。
その頃から、アデリナはヴァルターの強さに依存するようになっていった。
いつも、自分が彼を追い詰めているという罪悪感を覚えながら、それでも離れたいとは思わなかった。
カールとバルシュミーデ公爵を討ち、彼らを止められなかった国王にも責任を取らせ、ヴァルターは血塗られた玉座に座ることになった。
のちの調査によって判明したのは、血染めの薔薇の研究や製造を行っていたのは、ヴァルターの父、廃された国王の代からだったという。
王家の強さと威光は、邪悪な力を源にしていたのだ。
即位直後のヴァルターは、闇属性の魔力保有者ではあるものの、血染めの薔薇を秘密裏に製造した悪辣非道な王族を粛正した英雄でもあった。
そのため当初は聖トリュエステ国もヴァルターの存在を黙認していた。
大きなきっかけは、内戦で疲弊しているだろうという予測で、オストヴァルトの西側にある国が領土拡大のために攻め込んできた事件だ。
そのときのヴァルターの方針の苛烈さ、そして完全なる勝利により国力が増した事実に周辺国が警戒を始めた。
複数の国の思惑で、意図的に闇属性が邪悪な力だという部分が強調され始めた。
気がつけばヴァルターは魔王と呼ばれ、周辺国から恐れられる悪しき王になっていたのだった。
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