3-6

 アデリナはセラフィーナのことを苛烈な人だと思っていた。

 兄に近づくアデリナが気に入らず、わざと絶対に受からない難易度の試験を受けさせたという認識だ。


「急におかしいぞ。なんでアデリナに肩入れするんだ?」


「だって健気じゃない。お兄様と親しくなりたくて、こんなにも頑張ったのですから」


(違う!)


 身体が動かないだけでも苦痛だというのに、精神攻撃までされている。回帰後のアデリナはとにかく不遇だった。


「アデリナが私と……親しくなりたい、だと……? セラフィーナに憧れていると言っていたが?」


「鈍感なお兄様! 憧れている者の目じゃなかったわ。どちらかといえば、あれは好敵手に向けるまなざしね。嫌味を言っても立ち向かってくるし……それくらい本気なのよ」


 ヴァルターに対して本気――という意味に聞こえた。


(勝手に決めないで……私は本気だけれど……ヴァルター様を好きだからじゃないわ)


 ただ、未来のために必死なのだ。

 ヴァルターを好きだったかつての自分を否定するつもりはないが、別の恋をする決意も変わらない。


(早く起きなさい、私! ……このダメ兄妹の勘違いを……今すぐ正すのよ……)


 感覚を研ぎ澄ませる。すると自分が横伏せで寝転がり、なにか温かいものを枕にしていることがわかった。

 やはり、額は誰かに触れられている。

 わずかではあるが、ふんわりとした魔力が流れ込んでくる。おそらくは優しい光の魔法だ。


 この魔力だけで、セラフィーナが悪人ではないとわかってしまう。

 慈愛に満ちた、女神の力だ……。


「……王女……殿下……?」


 ようやく瞼が開かれた。

 ソファに座ったセラフィーナの姿が最初に見えてきた。


(やっぱりセラフィーナ様が……治癒魔法を……)


 魔力不足を補う魔法もあったのだ。

 触れられているところがぽかぽかとして、春みたいな優しい魔力が注がれていく。違う属性のはずだが、身体の中で自分のものになっていくのがわかる。


「あら、ようやくお目覚めなのね? 手間のかかる子ですこと!」


 今更不機嫌そうにしても、彼女の本心を聞いてしまったばかりだから、まったく響かなかった。

 ムッとした表情まで可愛らしく見えてくる。


(あれ……? でも、セラフィーナ様の手……私に届いていないような……)


 枕にしているのは誰かの膝で間違いない。ただし、ドレスではなかった。

 そして横を向いているのに、なぜかセラフィーナの顔がよく見えている。

 さらに、先ほどから額に大きな手があてられているのも気になる。


 セラフィーナはローテーブルの先――向かいのソファに座っていて、アデリナの額に手が届くはずがない。


(……こ、この現実を受け入れたくない)


 膝枕の主が誰なのかは普通に考えれば察しがついた。

 光属性の治癒魔法が使われていて、それがセラフィーナでないとしたら、アデリナに膝枕をしている人物は一人しかいなかった。


「アデリナ」


 名を呼ばれた瞬間、羞恥心に苛まれはじめると、急に金縛りが解ける。

 アデリナは勢いよく身を起こし、膝枕をしてくれていた人物から距離を取った。

 慈愛に満ちた、女神の力――という感想は、瞬時に封印する。


(私……膝枕をされながら、こんな視線を向けられていたの?)


 同じソファに座っているのは、これまでになく不機嫌そうなヴァルターだった。

 到底、婚約者を見る目ではない。


「ヴァルター様……。あ、あの……あなたも治癒魔法を……?」


「光属性だからな、一応。セラフィーナにやらせるまでもないから私が行った。……なにか問題でもあるのか?」


「い、いいえ」


 彼が闇に囚われたのは、セラフィーナの死がきっかけだった。

 それまでの半年間、アデリナは時々伯爵邸に訪れるヴァルターと気まずいお茶の時間を過ごしたり、義務として参加する社交の場での同伴を求められたりした。

 彼について、深く踏み込んだことはなかったし、光属性の魔法を使っているところはほぼ見ていない。誰かを癒やす魔法が使えたことすら知らなかった。


(表情は怖いけれど……魔法は優しい……のね……)


 アデリナの知っているヴァルターは、孤独な人だった。

 いくら寄り添おうと思っても、壁があって近づけない。真に誰かに心を許すことのない寂しい人だ。

 彼から放たれる魔力も冷たい夜みたいな印象で、今とは全然違っている。


 今の彼こそが本来の姿ならば、アデリナは長く想いを寄せてきた相手をまったく理解していなかったのだろう。

 それはとても悲しいことだと感じた。


「ヴァルター様、ご迷惑をおかけいたしました」


「セラフィーナが無茶をさせたのが悪い。気にするな」


「わたくしが悪い? いいえ、正当な採用試験よ!」


「……セラフィーナ、少しは反省しろ」


 ヴァルターに釣られてアデリナは正面のソファに座るセラフィーナのほうへ向き直った。


「王女殿下……あの……」


 セラフィーナは優雅な手つきで紅茶をカップまで運び、そしてまた偉そうな態度を取る。


「わたくし、側仕えには名前で呼ぶことを許可しているのだけれど」


 コホン、とわざとらしい咳払いをしてから、彼女は言葉を続けた。


「セラフィーナお姉様……と呼んでもいいわよ。光栄に思いなさい」


「セラフィーナ……お、ねえ……さま?」


 いちいち偉そうな態度だが、だんだんとそれが照れ隠しに見えてくる。

 少し前から意識があり、二人の会話を聞いていた事実を告げたら、セラフィーナはどんな反応をするのだろうか。

 興味があったが、アデリナは兄妹のやり取りを心の中にしまっておくことにした。


「そうよ。いずれ義理の家族となるのだし……わたくしのほうが四つも年上だもの。わたくしがお姉様よ! ……人手不足なのだから、できるだけ早く支度を済ませて青の館で暮らすのよ」


「はい!」


 ひとまず、アデリナはセラフィーナ付きの侍女として城勤めをすることが決まった。

 小さな前進で、大した力を持っていないアデリナがセラフィーナを守り抜くことはきっと難しい。

 それでも立ち止まっている暇はないのだった。


◆あとがき◆

明日からはヴァルターたちと一つ屋根の下で暮らす四章がスタートです。

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