3-1 明るい未来のために、侍女になります

 三日後。アデリナは女性用の乗馬服を着て再び青の館を訪れた。

 試験科目だけは事前に知らされているから、なにも不安はない。


(まぁ……回帰前の私だったら結構厳しかったかもしれないけれど)


 回帰前のアデリナも、伯爵家の一人娘として、どんな夫を婿にしてもやっていけるようにと両親から厳しく育てられてきたのだが、所詮は小娘だ。

 婿を取って伯爵家を守るために必要な勉学と、王妃として必要な勉学は違う。

 ヴァルターと結婚してからは随分と苦労したものだった。


 だからこそ、二十八歳までの努力を加えれば、自分に受からないのならどの令嬢でも無理だと思える。


(時属性だから護身術も問題ないわ)


 時属性は物質の時を停止させる力である。

 ただし、アデリナの中で「時属性」という言葉はすでに本質を表していない言葉に成り下がっていた。


(時を戻す力……実際には闇属性だったわけだから)


 回帰前のヴァルターは、研究内容の詳細をアデリナには語らず、資料は時戻しによって消失してしまったので、確証はない。

 おそらくは、ヴァルターは闇属性の魔力により世界をまるごと分解し、指定した日と寸分違わぬ状態に再構築したのだ。

 そして、アデリナの記憶だけが時属性の魔法によって保護されこの状況になってしまっていた。


 アデリナの「停止」よりも、ヴァルターの「破壊と再構築」のほうが、よほど時間を操れているのだった。


(とにかく、時属性は最強の盾なんだから)


 そう言いながら、城が陥落寸前だった回帰直前、不意打ちを食らい、魔法の発動が間に合わなかったのだからあまり説得力がなかった。


 それでも、戦闘訓練などあらかじめ指定されている短い時間、身を守るのは得意だ。

 それこそ本気になったときのヴァルターには負けてしまうはずだが、今の彼は自分の能力を隠している。

 誰が相手でもアデリナを倒すことはできないだろう。


 自信満々で三日前と同じサロンに入る。

 この日、軍人であるヴァルターは職務があり不在だった。

 部屋の中にはセラフィーナとその護衛と思われる女性軍人、そして年嵩のメイドがいた。


「ようこそクラルヴァイン伯爵令嬢。……今日は頑張ってくださいね」


「はい、全力を尽くします。王女殿下」


「ではさっそく筆記試験から始めましょう」


 先日はなかった、物書きにちょうどよさそうな机と椅子が運び込まれている。

 アデリナがそこに座ると、さっそくセラフィーナが問題用紙の束を差し出してきた。


「時間は一時間半でお願いね? 全科目で八割以上が合格点です」


「はい」


 一枚目が語学、二枚目、三枚目が数術、四枚目以降が歴史――。休憩を取らず、複数の科目の時間配分を自ら考えて解いていく方式だった。


「それでは始めてください」


 懐中時計を手にしている年嵩のメイドが試験の始まりを告げた。

 アデリナは素直に一ページ目の語学から取り組む。


(な、なにこれ? ……本当に採用する気があるの?)


 いきなり隣国の言葉を完璧に話せなければわからないくらいの難易度だった。


 侍女というのは、一般的な使用人とは少し違う。

 高貴な貴婦人の側近――話し相手という位置づけだ。

 主人のお世話もするが、一緒に出かけたり、お茶を楽しんだり、ドレス選びを手伝ったりとその職務は多岐に亘る。

 話し相手として対等でいるためには主人と同程度の教養が必須だった。

 けれど、アデリナが今解いている問題は、外交官採用試験くらいの難易度だ。

 九割は正解できる自信があるのだが、一般的な令嬢が家庭教師から習う範囲ではない。

 王族だって、隣国からの客人を招くときには通訳として外交官をそばに置く。ここまでの能力は必要ないはずだった。


「どうかしたのかしら、クラルヴァイン伯爵令嬢」


「い……いいえ……」


「まさか、お兄様の婚約者であるあなたが、この程度の問題を解けないはずはありませんよね?」


 にっこりとほほえむセラフィーナ。

 三日前と同じ笑顔のはずだが、なぜかゾクリと悪寒がした。


「え……?」


「あなたのような平凡なお方が……女神と呼ばれているわたくしに仕え、恐れ多くもその兄でもある第二王子を婿に迎えるのでしょう? せめて……賢くないと……ね?」


 今の言い方には、完全に悪意が含まれている。


(う……嘘でしょう? これが女神……なの?)


 アデリナは今、わかりやすく見下されているのだ。

 回帰前から前回の対面まで、一切疑っていなかった女神のイメージが崩壊してしまった。

 あまりの衝撃で、ペンを動かす手が止まる。


(まさか、セラフィーナ様の性格が……こんなに悪いだなんて)


 思い返すと、彼女はアデリナのことをずっと「クラルヴァイン伯爵令嬢」と呼んでいた。

 兄の婚約者に対し、あまりに他人行儀ではないだろうか。


 セラフィーナに仕える者が極端に少ないのは、ヴァルターのせいではなく、彼女自身が進んで候補者に嫌がらせをした結果なのかもしれない。


(とんでもない小姑じゃない! ……もう帰りたい。なんで私、この人たちのために苦労しなきゃならないのよ)


 婚約者に冷たいヴァルター。

 未来の義姉に嫌がらせをしてくるセラフィーナ。


 なぜか二人を守ろうとしているアデリナ――とにかく理不尽だった。


 普通ならここで帰っても許されるだろうし、おそらくセラフィーナも帰ってほしいと思ってやっているのだ。


(でも! 私は屈しないわ。……セラフィーナ様に負けてなるものか!)


 アデリナには退路がなかった。

 半年後に訪れるセラフィーナ暗殺を阻止しなければ、ヴァルターが闇属性に囚われ、また回帰してしまうかもしれない。

 計画は、セラフィーナの性格がいいか悪いかで変更できるものではない。


 そして、かつて王妃だった記憶を持っているアデリナのプライドは高かった。元来負けず嫌いでもあり、闘争心に火がついたのだ。


「あらあら震えてしまって……お帰りになってもいいのよ?」


 彼女は一つ勘違いをしていた。

 十二年という長いあいだ、もっと強烈な人物ヴァルターをそばで支え続けたアデリナだから、憤ることはあっても、傷つき心が折れることはないのだ。


「恐れながら王女殿下。……試験中ですからお静かに願います」


「そうでしたわね。せいぜい悪あがきをなさって」


 セラフィーナはどこからか扇子を取り出して口もとを隠す。

 表情がすべて見えなくても嘲笑っているのがわかった。

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