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 セラフィーナの侍女になるためには、いくつかの試験を受けなければならない。

 算術や語学、王家の歴史、諸外国の文化やこの国との関係性を問う筆記試験。

 マナーや趣味などに関する実技試験、そして簡単な護身術がその内容だ。


(王妃だった私に死角はないわ!)


 二十八歳の心を持ち、約九年間王妃としてヴァルターを支えてきたアデリナは自信満々だった。

 それに激動の時代を生きてきたので護身術も得意だ。

 採用試験に落ちることなど、万に一つもあり得ない。


(問題は……お父様とお母様の説得よ!)


 まずはその日の夕食のあと、両親がダイニングルームから去る前に、アデリナは自身の希望を話した。

 ある程度予想はしていたが、二人の表情が曇っていく。


「セラフィーナ王女殿下は確かに素晴らしいお方だが……身分の高い貴族はお近くに侍ることを遠慮しているはずだ。その理由くらい、アデリナならばわかるだろう?」


「お父様の言うとおりよ、アデリナ。城ではクラルヴァイン伯爵家など取るに足らない、無力な存在なの。あなたを守ってあげられないじゃない」


 父・エトヴィンと母・ジークリンデ。二人ともアデリナが侍女として城勤めをすることに反対の様子だ。


(当たり前よね)


 国民に慕われているセラフィーナだが、彼女に仕えると反王太子派であると思われてしまう。

 政治の中枢に近い場所にいる者――つまり高位貴族ほどセラフィーナと関わりを持つことを警戒する。

 光属性の魔力を持っていることから、結婚相手として欲している者は多いというが、侍女になる利点はあまりなく、リスクだけは大変高い。

 結果としてセラフィーナ付きの侍女になりたいと望む者は少なく、なかなか採用が決まらないという。


 そしてクラルヴァイン伯爵家も、ヴァルターとの婚約以前は他家と同様の対応をしていた。

 婚約以前――ではなく、今でも内心では関わりたくないと思っているはずだ。


 そもそも両親は、ヴァルターとアデリナの婚約を喜んではいない。

 断れば国王の不興を買い、受ければ王太子カールに疎まれる。

 王命が出た時点で、どちらに進んでも茨の道なのだ。

 けれど、現在の最高権力者は国王だから、彼からの命令を断るという選択肢がなかった。


 この先に起こることを知らなければ、「適度に逃げ道を用意」するのが賢い選択だった。

 だからセラフィーナと必要以上に親しくなるのは避けるべきであると両親は考えているのだろう。


(でも……私がうまく立ち回らなければ、お父様もお母様も……)


 アデリナがまつりごとに携わるようになるのは、王妃となってからだった。

 一般的な貴族の令嬢ならば政など無縁の世界なのだ。

 けれど、ただの伯爵令嬢に甘んじていたら、いずれ起こるであろう王位継承争いに関わる一連の事件に介入するなんて到底不可能となってしまう。


 アデリナ自身が誰かを従え、政治的権力を持つなんて、今の時点では無理だ。

 だからこそ、未来を変える力を持っている人と直接話ができる立場が必要だった。


(セラフィーナ様とヴァルター様……このお二人に話を聞いてもらえる立場にならなければ、暗殺を防げない)


 セラフィーナに仕え、彼女からの信頼を勝ち取ることができれば自然とヴァルターからの信頼も得られる。

 侍女として、警備の穴を指摘することもできるだろう。


 そのためにも、まずは両親を説得できなければ、先へ進めない。


「お父様、お母様……お二人のご心配の理由は重々承知です」


「だったら!」


 アデリナは顔をしかめる父をしっかりと見据える。


「もはや王命がある時点で、クラルヴァイン伯爵家が王太子カール殿下から重用される未来はありえないのです。それはお父様もご存じでしょう?」


 回帰前、クラルヴァイン伯爵家は結局ヴァルターに味方した。

 ヴァルターを婿に迎える予定だったというのに、平時のときから秘かにカール側への根回しができるほど父は狡猾ではない。

 そしていざ対立となったあとも、ヴァルターが不利になる情報を手みやげにしてカール側につくなんてことはできなかったのだ。


「だから、第二王子派になれと?」


「いいえ、少し違います。……私個人・・・がセラフィーナ様にお仕えする道を選んでも……外部から見たときの伯爵家の印象は変わらないと思うのです」


 伯爵家が完全に第二王子派だと思われるのは危険である。

 アデリナは、政に関わらないただの伯爵令嬢だ。

 未熟な小娘ならばセラフィーナやヴァルターに憧れて、うっかり侍女になりたいと望んでも不自然ではないはずだ。


「それはそうだが」


「お父様……クラルヴァイン伯爵家が第二王子殿下の婿入り先として選ばれたのは、伯爵家が政治権力から遠いからですよね?」


「ああ」


 エトヴィンがしゅんとなる。

 先ほど、ジークリンデからも「クラルヴァイン伯爵家など取るに足らない」と言われていて、事実だが傷ついているのだ。

 アデリナは心の中で父に詫びながら、話を続ける。


「この先、なにか不穏な動きがあっても、私たちはヴァルター様を通してしか情報を得られません。……そして、私たちが必要だと感じる情報を、あの方が教えてくださるとは……正直思えないのです」


「確かに……」


「城内で情報収集は必要ではありませんか?」


 これから半年のあいだ、ヴァルターは定期的に伯爵家に顔を出し、社交の場への同伴も求めてくるはずだ。

 けれど、それはただの義務として行うだけである。

 自身や妹、そして王太子になにか動きがあっても、彼は伯爵家にわざわざ状況を報告することなどしない。


 回帰前、アデリナは当然だがクラルヴァイン伯爵家も常に受け身だった。

 自分たちが関わることができない政争に、ヴァルターが婿入り予定だからという理由で巻き込まれる。毎回事件が発生してからどう動くかを検討するのだが、道を選べたことすらない気がしていた。


 ただ人柄がいいだけでは、この先生き残れない。


「だからってアデリナが出仕する理由にはならないだろう?」


「ではお父様が出仕なさいますか? なにか官職を得るとか……」


 無理だとわかっていて、アデリナはあえて別の案を提示する。


「それこそ、わざと波風を立てる行為だ」


 伯爵家当主のエトヴィンが城でなんらかの役割に就くならば、今よりはっきりと自分の政治的な立場を明言しなければならなくなる。


「だからこそ、私でなければならないのです。私ならば……例えば、そうですね。……婚約者ができて浮かれている小娘……を装っておけば問題ないかと」


「浮かれているようには見えないが」


「ええ、もちろんです」


「アデリナがそこまで考えていたとは……」


 十六歳のアデリナだったらこんなことは考えなかった。

 本来であれば今の時期、冷たい態度の婚約者とどう関係を築いていいのかわからず、困っているだけでなにもしない小娘だったはず。


 父から見てもわかる変化に罪悪感を覚えるが、それでも立ち止まってはいられない。


「今回の婚約がきっかけでしょうか? 私が婿に迎えた方が次期伯爵となるのだとしても、伯爵家を守るのは私しかいないのだと……改めて思ったのです」


 情報収集役として、アデリナが適任である。

 それがアデリナが侍女になる理由だ。

 その理由ならば、二十八歳までの記憶を持ち回帰しているという事実を伏せたままでもそれなりに説得力があった。

 けれど、エトヴィンはすぐに頷いてはくれない。


「お父様! お願いです……」


 アデリナは本気で懇願し、頭を下げた。

 この選択が、自分が取れる最善だと信じている。


「わかった。……やってみなさい。だが、危険を感じたらすぐにやめて伯爵家に戻ってくるんだ。それは約束してくれ」


「そうよ。子供に負担を強いるなんて……本来ならあってはならないことなのですから」


「お父様……お母様。……ありがとうございます」


 これが、破滅を回避するための第一歩だった。

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