2-1 伯爵令嬢には荷が重すぎる

 ヴァルターとの二度目の・・・・初対面・・・を終えたアデリナは、大いに戸惑っていた。


 今日垣間見た彼の姿が嘘ではないとしたら、アデリナは回帰前に間違った行動をしていたのかもしれない。

 振り返れば、彼が歩み寄ってくれることを期待するばかりで、後ずさりしかしていなかった。


 あの態度がそもそもの間違いだったのだろうか。


(いいえ! ……それでも、あの頃の私は十六歳の小娘だったのよ。ヴァルター様が歩み寄るのが当然だわ)


 四歳も年上で、しかも身分の高い男性に対し、未熟なアデリナができたことなどたかが知れていた。

 それこそ、波瀾万丈の二十八年を生き抜いた成熟した女性のアデリナだから、彼の変化を引き出せたのだ。


 結局、二度目の初対面も彼は冷たかった。

 彼は意図的にアデリナと親密にならないようにしたいらしい。

 そうであるのなら、回帰前のアデリナが彼の冷たい態度を真に受けても仕方がないと思う。

 アデリナのほうに色々と察する力が身についてしまったために、結局彼を心から嫌うことも、憎むこともできなくなっていた。


「そういうところもずるいのよ!」


 回帰してから一週間。アデリナにできることは本当に、枕に拳を打ち込んでストレスを発散させることくらいしかない。


「自己中心! 無責任、ダメ夫! ……やっぱり全部ヴァルター様が悪い!」


 憎むことはなくても、憤りはある。

 この感情のほぼすべては、今のヴァルターに対してではなく、三十二歳のヴァルターに対して向けられていた。


「私にとんでもない役割を押しつけないで!」


 とはいえ、いつまでも行き当たりばったりでいても仕方がない。

 ヴァルターとの再会で、自分が置かれた状況は把握できたと言える。


 アデリナは立ち上がり、ライティングビューローの前に座る。


「まずは私にできることを考えなければ」


 望んでいないにもかかわらず、勝手に任命されてしまった役割を仮に「守人」と称することに決めた。

 管理せず、一度目の同じ道程を進めばまた回帰してしまう。


 政治的な力を少しも持たないアデリナにできることは限られているけれど、なにもせずに傍観していて一度目よりもよい未来へ辿り着く想像ができない。


「とにかくヴァルター様が闇属性に囚われることを阻止しなければ! そう、彼が善人であったのなら……こんな事態になっていなかったのよ」


 回帰前の破滅の原因は、まさにそれである。

 闇属性に囚われると、聖トリュエステ国に異端扱いされ明るい未来は望めない。


(セラフィーナ様がご存命なら、ヴァルター様は……)


 闇落ちの発端はセラフィーナの死だ。それを阻止しなければ始まらない。

 そしてセラフィーナが存命であれば、ヴァルターが時戻しの魔法を研究することはなく、最終的によりよい未来へたどり着けなくてもやり直しはできないのだ。


 大きな改変が、その後の歴史にどんな影響をもたらすのかは未知数だが、回避できなければ確実に悪い方向へと進むとわかっているのだから、どうにかして止めるべきだ。


「そう言えば、セラフィーナ様付きの侍女の募集があったような……。私が応募してみたらどうかしら?」


 セラフィーナに仕える者は常に募集しているみたいだった。

 常に……というのは、応募する者が少ないからだ。

 異母兄との確執のせいで彼女に仕えることを遠慮する者が多い。王女であるにもかかわらず、側仕えは最低限だという。


(侍女になったら……私まで殺されてしまうかもしれない……それでも……)


 できることならば逃げたいが、それではヴァルターに時戻しをされて無限の繰り返しに陥るだけだ。


「時戻しの魔法を研究する以前にヴァルター様にお亡くなりになっていただく……という案も一応あるのだけれど……無理だもの」


 アデリナは本気で彼への思慕を捨てたいと思っていた。

 そして、今のところ捨てられていないため、ヴァルターが破滅するように仕向けることなど絶対にできない。


 それなりに善良な人間であると自覚しているアデリナは、回帰前に味方だった人間が不幸になる未来を望めないのだった。


 一方で、やや幼い言動をする今のヴァルターを好きかと問われると、そうでもない気がしている。


(今なら……消えてしまった三十二歳のヴァルター様を過去の思い出にできる気がする。私は……優しくて誠実で平凡な相手と恋がしたい……)


 そう自分に言い聞かせ、アデリナはこれからの方針を整理する。


 一つ、セラフィーナの死を回避すること。

 二つ、とにかくヴァルターには善人になってもらうこと。

 三つ、セラフィーナとヴァルター……二人の恒久的な安全を確保し、それが叶ったら新しい恋をすること。


「よく考えたら、ヴァルター様は私のことなんて好きじゃないんだからご自身の立場がしっかりとしたものになれば、婚約だって解消できるわ」


 瀕死の重傷を負ったときに「愛……」というささやきが聞こえた気がするが、動揺している彼の言葉を信じるのは馬鹿馬鹿しい。

 第一、彼は無責任にも記憶を失ったのだから、万に一つ、その感情があったとしてももう戻ってくることはない。


(逆ならいいのに! 信じられないわ)


 ヴァルターが記憶を保っていたら、少なくともセラフィーナの暗殺の阻止は簡単だったはずだ。


 どのような道を進んでも、ヴァルターは自らの保身のために必ず王太子カールを排除するだろう。

 その時点で、ヴァルターにはアデリナを妻に迎えなければならない理由がなくなる。

 回帰前の世界では、その頃アデリナも家族を失い、傷を舐め合うように寄り添い、結果として夫婦となった。

 けれどもし、アデリナやヴァルターが肉親を失わなければ、王命によって結ばれた婚約などどうにでもなる。


「ダメ夫のせいで苦労させられるんだから……私に都合のいい未来を望んだって罰は当たらないわ」


 アデリナはそう信じ、セラフィーナ付きの侍女採用に向けて動き出した。


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