第24話 一ヶ月
日々は、またたくまに過ぎた。
バーナードは手始めに、近所の農家と交渉して馬を譲り受けてきた。馬車が使えるようになったのは、生活における大きな変化だった。
とはいえ、何かと入り用とのことで、バーナードひとりで街へ出かけることも多く、屋敷は不在がちであった。
没落しきった現在のアストン子爵家に、収入につながる領地はほとんど無いが、無事に帰還したバーナードは今後ヘンリエットの実家の伯爵家を継ぐ見通しとのこと。後継者を失って存続の危機に陥っている血縁は他にもいる可能性があるので、予想外の遠縁から声がかかるかもしれない、ということ。いまは顔つなぎや手続きでかなり忙しくなっており、今後は領地の視察や議会出席のためにさらに屋敷を空けるであろうこと。
現在の状況を、バーナードはチェリーに対して噛み砕いて教えてくれた。
「財産や爵位を相続するといっても、戦前・戦中に法律がずいぶん変わっているから、手放しで歓迎できる話ではないんだ。国家の予算を確保するにあたり、貴族や上流階級の資産は格好のターゲットにされている。相続税の税率が跳ね上がったのと、土地税が新設された影響で、短い間隔で代替わりがあって相続が連続して発生すると、もれなく税金が払いきれず没落するくらいだよ。アストン家も、直接のきっかけはそれだ。博打好きの浪費家がいたわけじゃない」
最後のひとことは、苦笑交じりに付け加えられた。
「奥様を見ていればわかります。とても厳格な方ですし、現実的な判断もなさっています。あの方がいても立ち行かなくなる事態があったのであれば、相応の事情があったのだと思います」
こうして、それぞれ忙しく過ごしていることもあり、同じ屋敷で暮らしていても思った以上に顔を合わせない。
そんな中にあって、バーナードから一日予定を合わせて、一緒に出かけようという申し出が数日前にあった。身の回りのものを買い揃えるために、街へ行こうとのお誘いである。
市内の中心部は活気を取り戻しつつあるからと「何か美味しいものがあるかもしれないよ」というのがバーナードの誘い文句であった。
(そろそろ一ヶ月なんですよね……)
二人の仲を気にしているキャロライナには「夫婦になるまでのお試しで、まずは同居一ヶ月様子見期間中です」と隠さずに伝えてある。
その上で、出かける前の日の晩、夕食時に「明日は、二人で街に出かけます」と不在の念押しをすると、寝る前にチェリーの部屋を尋ねてきたキャロライナは目を輝かせて「プロポーズじゃない?」と言い出した。
約束の一ヶ月、二人の間で取り立てて大きな問題は起きていなかった。
しいて言えば、「もう少し一緒にいたい」という気持ちがチェリーの中で日々大きくなってきて、屋敷に帰ってきたと聞けば何をおいても急いで出迎えるので苦笑させてしまうし、「手伝うよ」とキッチンや畑に気軽に姿を見せられると、それだけでドキドキして胸がいっぱいになってしまうのだった。
それがチェリーにとっては問題であって、正直にキャロライナに説明してみたところ、涙が出るほど笑われた。「たしかに大問題ね」というコメント付きで。
笑うだけ笑ったキャロライナは、実にすっきりとした顔をして「チェリーさんが本当のお義姉様になる日も近いわ」と言い残し、部屋へと帰って行った。
閉まったドアを見つめて、チェリーはしばらくの間、立ち尽くした。
(ラモーナ姉さま、キャロライナさんが私の妹になってくれるんですって。私に『お義姉様』がつとまると思う?)
華やかで美しかった亡き姉を思い出して、本当に小さな声で、習い覚えた歌を久しぶりに口ずさんでみた。
ベッドの中で、少しだけ泣いた。
明けて、翌日。
* * *
朝食を終えて、片付けをと言い出したチェリーに対しキャロライナが「私がやっておきますので、お着替えを。出かけるのでしょう?」と騒ぎ立てた。
これにはヘンリエットも同意で、チェリーはひとまず部屋に引っ込んで準備をすることにした。
外出着といっても、新しいものは何もない。普段は、ヘンリエットから譲り受けた服を手直しして着ている。その日のために用意した衣装も古着で、緑の濃淡の格子縞プリントのワンピースだった。
ヘンリエットは型が古いのを気にしていたが、チェリーは一人で着替えやすいように自分で手を加えていて、十分だと気に入っている。
髪を編み込んで頭に巻き付けて整え、引き出しから取り出したブレスレットを手首に、玄関ホールに向かった。
バーナードの姿はなかったが、先に外に出て馬車の準備をしているのだろう。
待っていたのはキャロライナとノエルで「いってらっしゃい」と、満面の笑みで送り出そうとしてくれる。
照れて表情に困りながら、チェリーは「お買い物に行くだけなのに」と言った。キャロライナはにこにこと笑って頷く。
「遅くなっても、不測の事態で一晩帰って来れなくても私たち、全然構わないわ。チェリーさん、たくさんお料理作り置きしてくださっていたでしょう?」
「作り置きはビスケットとスープくらいよ。あとはあまり……」
思わず細々と注意事項を伝えそうになったチェリーに対し、キャロライナは「とにかく、早く行って」と急かして、ノエルとドアへ走り出す。
危ないわよ、と声をかけたそのとき。
ガンガンガン、とノックの音が響いた。
滅多にない、外からの来客だった。
何かしら? と不安そうな顔になったキャロライナを前にして、チェリーは足早に「私が」とドアに近づく。
「どなたですか?」
ドアの外の人物は、威厳に満ちた声で高らかに告げた。
「王宮からの使いです。バーナード・アストン子爵宛の手紙をお持ちしました」
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