第25話 木漏れ日の中で
思いがけぬ返事に、言葉が詰まる。
(王宮? 押しかけ強盗なら、こんなに大胆不敵な嘘はつかないはず……)
そうは思うものの「王宮からの使い」に対して、どう対応するのが正解なのかは見当もつかない。キャロライナを見ると、やはり「わからないわ」というようにかぶりを振っていた。ノエルはきょとんとしている。
無視をするわけにはいかない、とチェリーが腹をくくって返事をしようとしたところで、ドアの外側で「私だよ」と使者へ話しかけるバーナードの声が聞こえた。
ほっとしつつ、ひとまずドアを開ける。
よそ行きのジャケット姿のバーナードが、羽根つきの帽子をかぶった、妙に時代がかった衣装の使者と向き合っていた。
ちらっとチェリーに視線をくれてから、手紙を受け取り、その場で開封して中の便箋に目をすべらせる。
みるみる間に、眉間にシワが寄り、難しい表情になった。
「この件、返事は」
バーナードが問いかければ、即座に使者が答える。
「出席以外の返答は認めない、と。私の役目は、その招待状を子爵にお渡しすることです」
大仰な仕草で礼をして「それでは。見送りは結構です」と言って、使者は去って行く。
いまにも呼び止めたそうにしていたバーナードであったが、言葉を飲み込んで黙り込んだ。
(王宮からの招待状……、必ず来なさいという意味よね、あの会話は)
張り詰めた表情を見ていると、不安が胸に押し寄せてくる。
バーナードは、チェリーの視線に気づくと「心配ないよ」と言って、こわばった顔に無理やりのような笑みを浮かべた。つくりものの笑顔だ、とすぐにわかる。
「心配しかないですね……。何かその、良くない知らせですか?」
はらはらと気を使ったまま、黙っていることが到底できず、チェリーは率直に尋ねた。知りたがりと煙たがられても、知らないままでいるよりよほど良い。
ふっと、バーナードの顔から険しさが消えた。自分が怖い顔をしていることに、そのとき初めて気づいたように、苦笑した。
「悪い知らせではないんだ。そうだな、出かける前に話そうか」
口を挟まずに佇んでいたキャロライナは「私はただのドアです。お気になさらず」と戸板に張り付き、ノエルも真似して同じ仕草をしたが、バーナードは「少し庭を歩いてくる」と言って、チェリーに手を差し出した。
チェリーがためらいを見せると、強引さを感じさせない、軽い仕草で手を取った。
「エスコートされることに、慣れてみない?」
バーナードの大きな手と重なっているチェリーの手は、日々の作業でひび割れて荒れている。
(もう少しきれいな手だったら、喜んでと言えるんですが)
恥ずかしさに手をひこうとすると、バーナードは離すまいとするように手に軽く力を込めた。
「まず俺が慣れるべきだな。実は作法に詳しくない。一緒に練習しようか」
「これは練習ですか?」
「今後に向けて」
そんなことを言いながら、「手はここに」と自分の腕へと誘導する。直接手と手が触れ合わないことにほっとしつつも、チェリーはおそるおそるバーナードの腕に手を添えた。
二人で、伸びた草と色とりどりの花が足元にせりだして来ている
爽やかな風が、バーナードのやわらかそうな髪を揺らした。
「この一ヶ月、ずっと考えていたことがあって……。戦争によって
バーナードが話しだしたところで、木陰に差し掛かった。日差しが和らぐ。チェリーは、まだらな光を浴びているバーナードの横顔を見上げた。遠くを見るまなざしをしていた。
「現に起きた戦争は、起きなかったことにはできない。分岐点まで時間を戻すことはできなくて、世界は戦後のこの形で未来へと続いていく。そのときに、もうどこにもない失われた時代、過去へ執着することこそが、あるべき現実を歪める行為になるんじゃないだろうか」
一ヶ月前、チェリーが投げかけた問いに対する、彼の答えだった。
混乱を逆手に取ったように、貴族の家に入り込んだ平民を、本当に「妻」として良いのかと。
世界がこれほどぐちゃぐちゃでなければ、決して会うことはなかった。
(ラモーナ姉さんも、そうなのよね。出会うことのないひとと出会って、現に生まれたノエルがいて、なかったことになんかできない。二人きりで生活していたときは、もうだめかもって思っていたけど)
ノエルの小さな手を握りしめて、この家へ来たとき、チェリーは未来がどんな色をしているかなんてまったく想像もしていなかった。暗闇の先に、世界が続いているということすら、考えることができなかった。
いまは、信じられる。自分がこの先も生きて、幸せを望んでも良いということを。
胸がいっぱいで、言葉も出てこないで黙り込んでしまったチェリーに目を向けると、緑陰を背にして降り注ぐ光の中で、バーナードはしっかりとした口ぶりで告げた。
「いま俺と君が生きているこの世界は、歪んでなんかいないんだ。ぐちゃぐちゃでルールのわからないゲームみたいに見えたとしても、その中で誰しも配られたカードで戦うしかないとしたら、俺の手元にはいま最高のカードがある。一ヶ月の間、ずっとそう思っていた」
たとえがカードゲームじゃだめかな? と小声で尋ねられて、チェリーは大丈夫です、わかりやすいですと答えた。
顔を見合わせたら、お互いに笑ってしまった。
バーナードは仕切り直すように居住まいを正し、話を続けた。
「初めて会ったその日の、それより前から俺は信じていた。それで、まずは会ったらプロポーズをしないとと気だけが
ジャケットのポケットから見覚えのある指輪を取り出し、「おっと」と言ってその場に片膝をついて
チェリーは焦って「出かける前なんですから、汚れたら困ります」と口走ってしまい、バーナードの苦笑を誘った。
「よし、ここから三秒だ。チェリーさん、結婚を『本当』にしませんか?」
「はいっ」
即座に返事をすると、バーナードは素早く立ち上がった。そのまま、チェリーの体に腕を伸ばし、優しく抱き寄せる。
「三秒の前に、一ヶ月待ったけど、君は大丈夫? 汚れが気になっただけじゃない?」
笑いを含んだ声が頭上から降ってきて、チェリーは胸元に額を押し付けながら「すみません」と謝った。
バーナードは、体を離すとチェリーの顔をのぞきこむように体を傾けて、「手を」と囁く。
「……手が荒れていて。びっくりされるんじゃないかと。指輪をするような手じゃないんです」
ためらいながら、チェリーは手を差し出した。
その手を取って、バーナードはさりげない調子で言う。
「今日買う物リストに、肌荒れ用のクリームを足しておこう。気が付かなくてごめん」
「そんな、もったいないです。また荒れるんですから」
「自分にかけるお金を、もったいないと思う必要はないよ。思わないですむように、俺も稼ぐさ。ハンモックで寝る時間を少々削ってでも。いまより少し、忙しくなるかもしれないけど」
チェリーの指に指輪をはめて、バーナードはもう片方の手も重ねた。
「この指輪に関しては、安物でごめんとは言わないでおく。錆びつくかもしれないけど、そのときは引き出しの奥にでも入れておいて。親切なひとにお世話になったおかげで、思い入れがある指輪だから」
引き出しの中は、すでに何にも代えがたい手紙とブレスレットの場所となっている。そこにいつかこの指輪を加えるのは、とても良い案のようにチェリーにも思われた。
そのとき、ふと今日バーナードが受け取っていた「手紙」を思い出す。
「そういえば、王宮からの招待状は、なんのご用件だったんですか?」
すっかり忘れていたらしく、バーナードは「あったな、そういえば」と言いながら胸ポケットから見るからに風格のある封筒を取り出した。
便箋を開きながら、チェリーに見せて説明をする。
「戦勝記念パーティーをするので、夫婦同伴で来るように、という内容だ。欠席は認めないという厳命つき。『妻』へのプロポーズもまだなのに? って思ったけど、今日出先でする予定だったから、少し順番を変えた……」
「私も出席なんですか? 会場は、宮廷のホール!? そ、そんな、私、何もわからない……!」
お城でのパーティーなんて、途方もなさすぎて想像もつかない。
その反応を予期していたように、バーナードは「大丈夫、大丈夫。あと十日ある」と便箋をたたみながら言った。
「十日って、近すぎませんか!?」
「俺もそう思うけど、戦後の景気づけで何かしようと、突然決まったんじゃないかな。出席できそうなメンツは全員強制参加だと思う。チャリティーで寄付でも募る気かも。ということで、忙しくなる。今日は出先で上から下まで全部、揃えよう。ドレスが必要だ」
言い終えてから、もう一度便箋を開く。一瞬、眉間にしわが寄った。
すぐに便箋を封筒に入れ、「時間が無い」とてきぱきと言いいながら、歩き出した。
(プロポーズの余韻も三秒! 浸る間もない!)
ぐずぐずしていられないというのは、チェリーも重々承知しており、すぐに後に続いた。「あ」と声を上げたバーナードが腕を差し出し、すっかり「エスコートされること」を忘れていたチェリーも「あ」と声を上げた。
のんびりとデートに買い物とはいかないらしい、とドキドキしながらも、胸の中は未来を思って幸福感でいっぱいだった。
チェリーはバーナードの腕にそっと手を絡ませて、明るい青空をまぶしく見上げた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます