エピソード2

第14話 赤毛の奥様はやり手

「ミンスパイとミートパイか……。気にしたことなかったな」

「気にしたことが、ない?」


 不思議そうに首を傾げられて、チェリーはそのまま聞き返してしまった。

 なぜ質問されているかもわかっていないだろうに、相手は律儀に頷いて答える。


「どっちも好きだけど、ミンスパイってひき肉が入ってることもありますよね? 実質ミートパイっていうか。家で出されたものを食べる分には、いちいち名前まで気にしてなかったな……。懐かしいな、パイの得意な料理人がいて、昔はずいぶん作ってもらった」


 ふわっと笑った顔が、子犬を思わせる人懐こさだった。ノエルのような子どもを相手にしているような錯覚に陥り、チェリーはドキッとして視線をそらした。


(気にしていないパターンだった! この方、バーナードさん本人なんだから、どっちがじゃなくて「お好きな食べ物はなんですか」って、いっそストレートに聞けば良かった!)


 今さらそれを聞くには、超えなければならない難関がある。なぜそれを知りたいのか。つまり、自分がどこの誰で彼にとって何かを、伝えなければならない。

 このタイミングでそれを口にするのは、勇気がいるのだ。まだ覚悟がついていない。

 バーナードは、にこにことしたまま続けた。


「もしかして、今日の晩ごはんを悩んでいるんですか? 俺が決めていいの? どうしよう、すごくお腹空いてきたな。お腹空いているのはいつもなんですけどね、故郷に帰ってきて最初に食べるならやっぱり、あれかなぁ……」


? ってなんですか?」


 そこは詳しく知りたいです、と聞こうとしたところで、横合いから突っ込んできた男がどかんとバーナードに体当たりをした。


「おまえ、バーナードか!? バーナードだろ! うわ~、よく無事だったな! 戦争行ったら一番最初に死にそうな顔してるくせに、頑張ったなぁ……。手足も全部揃って帰ってくるとは。本物だよな? 幽霊って奴じゃねえよな?」


 同年代くらいの、農夫風の身なりをした青年であった。バーナードは「あはは、本物だよ」と笑いながら、青年の背に腕を回した。


「ただいま。ジェドこそ、生きていてくれて嬉しいよ。またよろしく」


 知り合いらしく、チェリーと話すときよりも砕けた口調になる。肩にうずめた横顔には本当に優しい微笑みが浮かんでいて、チェリーは傍で見ていただけなのに、またもやドキドキとして落ち着かない気分になってきた。

 ジェドと呼ばれた青年は、左足の膝から下がないようだ。杖をついている。バーナードは背にまわした腕で相手の体重を受け止めて支え、「会えて良かった」と繰り返した。


「俺も良かったよぉ……。バーナードが生きてて良かったよぉ……! ああ、そうだ、お前な! 女房と子どもがいただなんて、いつの間に? 赤毛の若奥様がアストン家を仕切っているって聞いて、びっくりしたぞ! ずいぶんなやり手らしいじゃないか!」


 びくっと肩を震わせて、チェリーはその場で一歩後退した。

 藪から棒に、自分の話題が飛び出したことに、おののく。


「子ども? 妻はいるけど、子ども? 初耳だな」


 不思議そうな顔をしたバーナードを見ていられず、さらに一歩後退。

 ジェドは大笑いをしながら、ばしばしとバーナードの背を叩いた。


「そりゃ、やることやってりゃ子どもはできるだろうって! お前がいない間に生まれたんだろ! 帰ったら育った息子がいて、『このひと誰?』なんて聞いてくるんだろうな。ダディだよはじめまして~! ……あれ? でも子どもは四歳くらいって聞いたかな。お前が行く前に生まれていないと計算が合わないような」


 ん? と首を傾げるジェド。その顔に、「あれ、これまずいんじゃ?」と察した気まずさが露骨に浮かぶ。

 バーナードは特に表情を変えることなく「なるほどなぁ」とのんびり呟いていた。


「俺の妻には子どもがいるのか」


 ジェドが焦りのままに「いやいやいや? いやいやいや俺の勘違いだったかも!」とフォローをするが、空気はどんどん妙なものになっていく。


(ヘンリエット様、ノエルのこと、説明なさっていないのですね……!)


 この期に及んで、その大前提に触れていないとは、とチェリーは気が遠くなりかけた。

 しかし、ヘンリエットを責める気持ちはない。なぜなら、手紙のやりとりがあったにもかかわらず、そこに触れなかったのはチェリーも同じだからだ。

 その後もジェドが何か言っているのが聞こえたが、内容まで聞いていられない。

 チェリーはくるりと背を向けた。

 そっと立ち去ろうとしたところ、背後から「ありがとう!」というバーナードの爽やかな声が聞こえてきた。

 振り返ることもできぬまま、走ってその場から逃げ出した。


 チェリーはこれまで、父親やノエルといった家族以外の男性と話した経験がほとんどない。

 今日に限って、なぜ自分からあの場にいた彼に話しかけたのかもわからなかった。困ってそうに見えたからとはいえ、「妻」に義理立てをする彼からすると、チェリーは妙な女に見えたのではないだろうか。


「結局、好きなもの聞けなかったし! バーナードさん、『あれ』って何なの!? 言いかけたならせめて最後まで教えてよ……!」


 逃げた自分が悪いので、ぼやきは完全に八つ当たりだ。

 後悔を抱えながら走り続け、屋敷へと帰り着く。足が慣れた道を勝手に進み、他に帰る場所もないので、チェリーは当然屋敷に帰るのだ。

 ほどなくして、チェリーが市場に置き去りにしてきたバーナードもまた、屋敷へとたどり着いた気配があった。


 兄様ー、とキャロライナが彼を呼ぶ声が聞こえた。玄関ホールに出迎えに出ているようだった。

 チェリーも、自分もそこに行くべきだと思ったのだが、足が抵抗してその場から動けなかった。逃げた手前、合わせる顔がない。


(やり手の若奥様とか、子どもがいるとか、そうなんだけど、説明が難しい……。どうにか奥様と、キャロライナさんが先に少しでも話してくれないかしら……!)


 そこまで考えて、人任せにしている場合ではないと、自分で自分をたしなめる。

 きっかけがどうであれ、チェリーは一年以上もこの屋敷で暮らしているのだ。長い勤めを終えてようやく我が家に帰り着いた「夫」に、自分で説明くらいできなくてどうする。

 まったく面識がないわけではなく、偶然とはいえ一度会っているのだ。しかも彼は「妻」のチェリーにお土産まで用意しようとしていた。

 目を瞑れば、あのときの笑顔が浮かんでくる。

 

 くしゃくしゃの金髪の、子どもみたいに笑う……。


 思い出しただけで、チェリーは頭を抱えてしまった。具体的にどうとは言えないのだが、想像していた「夫」とは違った。几帳面そうな文字と、無駄のない文章の印象のせいかもしれない。てっきり、ヘンリエットのような毅然とした男性が現れると思い込んでいたのだ。


「あんなに子犬っぽいひとだなんて、思わないじゃない」


 口に出して呟いてみてから、年上の男性にあんまりだ、と思い直す。

 焦りすぎたせいで、よく見なかっただけかもしれない。

 もう一度顔を合わせてみたら、また印象が変わるかもしれない。


 その好奇心に負けて、そっとキッチンを抜け出し、玄関ホールに向かった。

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