天使なんかじゃない 6

 ガレージの前には旧型車が、2サイクル空冷エンジンのバタつく音をたてて停車している。


 窓の外にその昭和三十年代の軽自動車は、小柄ながらふくよかなスバル360のボディーの曲線で構成されたフォルムと丸い目のヘッドライトそれそのものなのだが、レストア個体なのか、あるいは復刻モデルなのか、新車同然というよりも、新車特有の輝きをもっていて令和の景色には浮いている。


 それ以上に奇妙なのは、画面モニターのサーモグラフィーにそれが直径約三メートルの ──おそらく真球の── 光体として映っていることだった。


 高川は、偏光グラスをはずし、もう一度カーテンの隙間からその車をうかがう。


 だが肉眼では、やはりスバル360だ。しっかりと青白い排気ガスを草刈機のようなサイクルで噴いている。


 反射をカットする偏光グラスの眼鏡ごしに、助手席のドアガラスの内側を見てやろうと彼は、二〇九号の窓枠にかじりつくが、二階から見下ろす角度の制限からボンネットが邪魔で、手元から腰しか見えない。が、どうもそれは上が黒っぽく、下はストライプにみえる。


「昭和の漫才師か……?」


 郷田のありがたさを痛感した。奴ならこんなとき、どんな軽口を叩いてくれるだろう。






 しかし、フォーマルのなかでもフォーマルなその服装と、大昔の大衆車というその組み合わせだけでも異常なのに、メガネをはずしサーモでまたモニター上で確認しても、内燃式の自動車であれば最大の熱源のエンジン部とマフラー部を中心に外に向かうって温度を下げる熱分布のグラデーションもなく、そのモニター上の球体の表面温度は均一に現在気温よりわずかに低い


 ──なのに肉眼では、濛濛もうもうと白い排気を噴きながら、ガレージ一帯を煙らせてスバル360は、バックしてガレージに半分ほど尻を収めている。



 機器のバグでないのなら、目の前で、物理的にありえないことが起きている。


 高川は、再び偏光グラスをかけ、カーテン隙間の窓へとかじりつき、そのスバルを正面から、頭の位置をなんとか変えつつ苦心すると、運転席のには細身の長身が、そして助手席にはずんぐりとした小柄な人影を視認できた。ふたりは揃いの燕尾服に、大きなラメ入りの蝶ネクタイを締め、降りきる電動のシャッターのむこうへと消えた。



 高川は、窓にもたれた。


 自分が見たありのままを報告をしたところで、客観的な証拠がなければ、到底とりあってもらえない。最悪の場合、──それでもましな処分方法だが── 公安部からは追い出されるだろう。


 それでも、こんな物理的にありえないことを、各種のセンサーカメラが記録していることに安堵した。




 心をおちつけようと、ペットボトルの口を切って彼は中身を一気に飲む。


 ふう。と彼がひといきをついて、そういえばと子猫の姿を室内にさがし、見渡すと、それは廊下と玄関のあいだの床を前足でさぐるような仕草をし、床の匂いをかいでうろうろしている。


 ──帰りたいのかな。


 高川はそう思った。が、相棒シゲが帰ってくる前に監視位置ここを離れるわけにはいかず、とりあえず、


「もうすこし待っててくれな」


 そう声をかけ、先ほどの一件を、正常に録画できているかを確認しようとマウスを操作し、ハードディスクの回る音を待つうちに、妙な静けさがある玄関のほうに目をやり、二度見した。



 子猫が、後ろ足と前足を横一列にそろえて、床に尻を押し付け、目を細める。


 ──それは、尿。


 高川にもそれが、天使のラッパであることは直感できた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る