第二話

天使なんかじゃない

天使なんかじゃない 1

 浦安市 舞浜四丁目にあるマンション和泉は、低層階からもディズニーの海とプロメテウス火山が見える好立地が売りなのだが、西側の角部屋にあたる209号は、昼間からレースのカーテンを全面にひいてその眺望を台無しにしている。


 そのカーテンは民生品ながら遮熱加工が施してあり、スマートフォン用の簡易サーモグラフィーアプリが出まわっている昨今では、彼ら警視庁公安部の捜査員も監視拠点を設置する際にはまずホームセンターへ買い出しに行く馴染みの品である。


 そしてこの部屋でも、そのレースのカーテンに隠れ、望遠カメラと郷田茂ごうだ しげる巡査が、向かいの白い豪邸を監視している。


 班長の吉備津の逮捕から三年。本業の非合法活動イリーガルからは外され、再訓練のあと、閑職だった彼ら新生別班第五部に与えられた任務は、このマンション和泉の向いにある一軒家の監視だった。


 窓から望む手入れの行き届いた庭とガレージ付きの豪邸は、外車好きの外科医が勤務先で急死してから人の手を二転三転し、現在は中国の富裕層向け別荘としてマレーシアに籍をおく不動産会社のもとに落ち着いている。そして目下、ドバイより帰国した日本人が一カ月前から居住、と資料にある。





 209号室のリビングで、ガラステーブルを震わせてiPhoneのアラームが鳴った。交代時間が来たことに郷田は偏光レンズの眼鏡を外し、チェアのうえで伸びをする。


 同じく私服の高川優二巡査は、プレイ中のゲームにポーズをかけ、


「おっし、交代な。ちょっと待ってくれよ。……よしセーブした」


 と、大柄な郷田シゲと入れ替わりに、窓際に置いたキャンピング用アウトドアチェアに腰かける。そして偏光眼鏡をかけ、カーテン越しの邸宅を覗いた。これがあれば昼間でも向こう側の室内は丸見えになる。


「変化あった?」


「ないね」


 郷田は答えて、んんー、とまた大きく背伸びをした。手がほぼ天井に着いている。公安捜査員らしからぬ目立って大柄な男だ。


「この一時間で、Uberが一件。写真は撮ってある」


「品数は」


「三袋。ありゃ丼物か汁物だな。熱源はあった」


「人数も変化なしだな。だがもういい加減あっちも糞詰まりだろう」


「そして……こっちも変わらずだ」


 郷田の太い指が高川の脇からマウスをすっぽりかくしてクリックし、PC上のカメラモニターを赤外線画像サーモグラフィーに切り替える。すると暖房でも入れてあるのか二階中央の窓に一部屋だけ、外壁温度よりも際立って赤く映る一室がある。


 高川は、偏光レンズの眼鏡で、カーテンの隙間から向かいの邸宅を見るが、その部屋の窓には今日も遮光カーテンがひいてある。こちら同様、室内が見えない。


 手元へとテーブルから私用のiPhoneを引き寄せ、彼の指は天気アプリをひらいた。浦安の現在気温は、二十五度とある。


「この夏日に、やっぱりあの部屋だけはまだ暖房か」



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