名前はまだない 3

 マンションの南側角部屋に位置する長嶺家のリビングにも、その仔猫のなき声は届いている。


 三女のはるながランドセルをソファーにおろすなり、興奮した様子で母親のイーディスに、「あのこ、うちで飼おうよ!」と勧めるのも無理はない。長嶺家ではペルシアンの白猫を看取ってから、久しく猫のなき声を聴いていない。




 母は、億劫そうに、


「やっと心おきなく旅行ができるようになったって言うのにね。誰に似たんだか。何でまた猫なんか飼いたがるかね……」


 と、雑誌から横目をはなし、三女に言ったが、長女のエリンがガリガリ君を口にくわえて「ひいじゃない。うひもまはあかるふなるひ」と言いながらリビングにでてくると、


「充分にウチは賑やかよ……」


 まぶたをチベットスナギツネのように母は平たくした。



 すると案じた通り、はるなが「おねーちゃん!それあたしんだってばー‼︎」と彼女の周りをジャンプしてまわり、百七十センチはある身長をした姉のかかげたガリガリ君は天井近く、まだ小学三年には絶望的に届かない。


「はるな、これはね、あの猫を飼うの賄賂! 先行投資よ、先行投資せんこーとーし!」



「なんで投票することになってんのよ」とつぶやきながらイーディスは、雑誌のページをめくる。


 亭主の将人は、まだ会社だが、飼うに投票権を行使するに決まっている。


 頼みの綱のしっかり者、高校二年になった次女のひえいがどちらに投票するかは未知数にしても、反対票は最大で二票。駄目だ。あいつはやはり役に立たない。いずれにしても勝ち目はない。イーディスはため息をついた。


「とりあえず。はるな、ご近所迷惑だからアンタ、あのネコ、ここにつれてきなさい」


「やったあ!」


 そして母は、妹と片手ハイタッチをするエリンにも、ペルシアンで使っていた猫トイレとキャットタワーの蔵出しおよび砂とアイスの買い出しに、ホームセンター経由のトランクルーム行きを命じ、雑誌のページをめくった。


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