名前はまだない 2



 室内では、カーテンをひいた窓際で、若い男が『龍が如く』をプレイしていた。


 チャイムが鳴り、


「……誰だ?」


 若い男は、偏光グラスの眼鏡をガラステーブルの上に置き、無造作に置いてあった自動拳銃Glock19 *1 をその手にし、人差し指をトリガーガードにおいてスライドを引き、音をたてないようゆっくり戻して初弾を装填した。


 そして訪問者を見張る玄関のカメラモニターに目をやるが、チャイムとおなじ目線の高さには誰もいない。いたずらか、置き配か、あるいは子供か襲撃か。


 若い男は拳銃を手に、立ちあがると背中を壁につけ、再びチャイムを鳴らすモニターに目をやったが、


「……」


 やはり誰も映っていない

 

 男はC.A.R.した銃口をドアに向けながら音もなく、腰も低く素早く、離れた脱衣所まで駆けて、わずかに顔を出し、


 「どちらさまですかあ」と、呑気そうな声を戸外にかけた。


 すると、


「ニャア」


 とドアの向こうで、なき声がした。


「ネコ?」


 ドアにキーチェーンをかけたまま、玄関に隙間をあけると、あしもとをすり抜ける白黒のハチワレがあり、男はあわてて足をどかし、


「ありゃ、ありゃりゃ、はいってきちゃうのね」


 ふりかえると、その猫は自分を見あげて、廊下に座っている。


 そしてやにわに口をひらき、


ニャッ ニャウ アウヴー高川、おれだ。吉備津だ


 と、ないた。






 その若い男、メンズロングで犬顔な、どちらかといえば優男の彼がTシャツとスキニーパンツというこんなラフな格好でマンションの二〇九号室にいる以上、誰の目にこれが勤務中の警察官だと思えよう。


 だが、警察は警察でも、警視庁公安部の機動捜査隊 特別班に所属するこの巡査長、高川優二たかがわ ゆうじは、官品の拳銃をそのデリケートなトリガーに気をつけてジーンズと腹のあいだにねじこむと、こちらも大切な預かりものを扱うように、仔猫のやわらかい腹を両手でかかえ上げ、


ニャウアウアアーニャウニャウナウ外星人にこんな姿にされちまったが、ナウナーナウアウアアンようやく記憶がもどってきたぜ。 ンナッ? ンナアア〜オ、ンナアア〜オ!あ? なにをする、やめろ!離せー、話せばわかるー!


 手足をじたばたさせるその猫の尻を、ドアの外へと優しく送り出し、


「いきなり猫語ではなしかけられてもね、おにいさんわかんないよ。もうお昼だしね、お母ちゃんとこにお帰りね」


 と、ドアを内側から閉めた。


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