第2話

 ***


 横浜駅から電車に揺られ数駅。ここに引っ越してから初めて、港街らしい横浜に来た気がする。

「横浜開港資料館」と書かれた建物は、入口の大きなランプが重厚さを醸していた。大学で「横浜史」の学ぶことになり、休日返上でレポートを書きに来たのだ。正直、県外から来た私にとって、現代の横浜のオススメスポットの方が歴史よりも興味があるが、単位を人質に取られては仕方ない。内部の展示を一通り見て、軽くメモをしていく。パンフレットを一部貰って、出口に向かった。

 資料館を出ると、前には豪華客船が港に鎮座していた。海特有の潮風が頬を撫でる。誘われるように柵から海を覗き込んでも、そこには黒い海と白い泡があるだけだ。視線を上げると、一枚のチラシが目に入ってきた。

【六月二日、横浜開港祭! 花火大会、開催】

 そういえば、山下公園に続く道は多くのカップルが流れていくし、ちらほらと浴衣姿の女性もいる。腕時計を確認すれば、あと三十分ほどで花火大会が始まるらしい。折角の機会だから、少しだけ見ていこうと人の波に乗った。

 港に沿って歩いていくと、赤レンガ倉庫の手前に「象の鼻パーク」と書かれた三角形の建物があった。建物を囲む若い芝生には、多くの人が時計を気にしながら座っている。一人分程度空いた柔らかい芝生にそっと腰かけた。

 ピュウ……パンッ!

 口笛のような細い音と、軽やかに爆ぜる音がして振り仰げば、試し打ちであろう小さな花火が赤レンガの上にあがった。肌寒い風が首元をなぞる。天気予報では快晴と言っていたが、海風は予想していたよりもずっと冷たい。芝の上で、丸くなるように体育座りをした。

 ドンッ‼ パンパン‼

 極彩色の花が、空を飾る。赤レンガを覆うように降ってくるもの。恋人たちを祝うような、可愛らしいハート型。グラデーションを伴いながら、開花するもの。花火が零れ落ちるように咲いて、海を染めていく。花火が一発、また一発と上がるたびに、感嘆の声が沸いた。

「きれい……」

 見物客の拍手に、私の言葉は掻き消された。打ち上げの第一幕が終わったようで、煙が風に流されるのをぼんやりと見つめる。感想を言い合う人たちの中で、黙っているしか出来ないのがもどかしくて意識を逸らすようにSNSを開けば、何人かが「開港祭に来ている」という書き込みをしていた。友人と、ゼミ生と、恋人と……花火を背景にして撮られた二人のピース写真。同じ場所に私もいるはずなのに、まるで違う世界の話に思えた。

 ──私、一人で何してるんだろう?

 携帯の画面を消して、青臭い芝生から腰を上げる。「桜木町駅」と書かれた札を見つけ、その指示に従って足を進めた。歩道橋へ続くレンガ調の階段を上っていくと、前から階段を降りてきていた人とぶつかった。ヒールで靴擦れした足首が痛む。

「あ……」

 謝ろうと口を開いたが、その人は忙しない様子で走っていった。出かけた言葉を飲み込んで階段を上りきると、環状道路のような歩道橋に出た。桜木町駅方面は左周りらしく、警備員の「止まらないで歩いてください」という注意のまま円をなぞっていく。花火大会後の混雑を避けるために早く帰宅するのか、まだ花火は終わっていないにも関わらず多くの人が歩いている。

「あのふわふわ浮いてる花火、不思議だったね!」

「くま型の花火も可愛かったぁ」

 たまたま聞こえてきた花火の感想に思わず頷く。でも、私はその人達の会話に入ることは当然出来なくて……心に浮かんだ言葉を、感情を、押し殺すように一人下を向いた。その時、また肩に軽い衝撃が走った。どうせ流されるのにと嘲笑しながら、小さな声で「ごめんなさい」と呟く。

「気にしなくていい、お嬢さん。足を止めている僕が悪いのだからね」

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