第2話 俺と子猫と木陰さん

 その日、高校に入学したばかりの俺は、学校帰りにばあちゃんの入っている老人ホームに顔を出した。

 その帰り道。


「小雨の予報だったのに、けっこう降ってるなぁ。うー、さぶさぶ。早く帰って、ヤミ様の配信聞きながらスト6やろうっと」


 肌寒い春の雨に降られながら、愛用の緑色の傘を差しながら家路を急いでいると、


 ミャァ……ミャア……。


 通りかかった公園から、雨の音に交じってかすかな鳴き声のようなものが聞こえてきた。


「そこの公園から……か? 気のせい、じゃないよな……?」


 少し気になった俺は、足を止めて耳を澄ませる。

 すると、


 ミャァ……ミャア……。


 雨音にかき消されそうになりながらも、か細い鳴き声がたしかに聞こえてきた。


「これって子猫の鳴き声……だよな?」


 俺は心配が半分、興味本位が半分で声のする方へと歩き出した。


 公園入口のU字柵(なんて名前だっけ?)を通り抜け、奥にある大きな藤の木の下に行くと、


「やっぱり、捨て猫だ」


 タオルの入った箱の中に子猫がいた。

 全身真っ黒の黒猫の子猫だ。


 生まれたばかりじゃなく、少し育った感じの黒猫だが、成猫というにはまだまだ小さい。


 ミャァ……ミャア……。


 小さな黒猫は必死な様子で鳴きながら、透きとおった緑色の瞳で俺を見上げてきた。

 いたいけな瞳とバッチリ目が合ってしまう。


「うっ、そんな目で見るなよ……」


 俺が何かしてやれるかどうかは別として、このまま無視して立ち去るのはさすがに人として気が引けた。


 俺はその場にしゃがみこむと、黒猫を傘に入れてあげながら、頭をそっと優しく撫でてあげる。


 なでなで……。

 ごろごろ、ごろごろ、ミャァ。


 子猫はかなり人に懐いているようで、頭を撫でても警戒するそぶりは見せなかった。

 それどころかごろごろと喉を鳴らしながら、気持ちよさそうに目を閉じたまま、時折可愛らしい小さな鳴き声を上げる。


 なでなで……。

 ごろごろ、ごろごろ、ミャァ。


 なでなで……。

 ごろごろ、ごろごろ、ミャァ。


 しばらく撫でてあげていると、


「中野くん?」

 背後の頭上から砂糖菓子のように甘く可愛らしい声が降ってきた。


 子猫を撫でていただけで、別に悪いことをしていたわけではないんだけど、いきなり自分の名前を呼ばれたことにドキリとしてしまう。


 慌てて振り向きながら立ち上がると、そこには1人の女の子がいた。

 俺が通う白陵台高校の女子用ブレザー制服、それも真新しい制服を着た美少女だ。


 その顔には見覚えがあった。


「あ……えっと、木陰さん」

 1年生美少女ツートップと呼ばれている木陰美月さん。


 雨の中、落ちついた青色の傘を差す物静かな黒髪清楚系美少女は、ただ立っているだけでドラマの1シーンかと思うほどだ。


「えっと、あの、こんにちは……」

「あ、うん。こんにちは……」


「……」

「……」


 会話、しゅーりょー。


 男子が苦手らしく、男子とはほとんど会話しない木陰さんと。


 突然の事態に完全にあがってしまって思考がホワイトアウト。

 何を言えばいいかさっぱり言葉が出てこないへっぽこモブ男子Aな俺。


 取り合わせは水と油ってくらいに壊滅的で、会話など続くはずもなかった。

 偶然交わりかけた2つの矢印は、しかし交わることなく離れかけたのだが――。


「それって、もしかしてこの子猫のご飯?」


 俺は木陰さんが、小さなビニール袋を手に持っていることに気が付いた。

 ビニール袋の中には、パッケージに猫の絵が描かれた小袋が見え隠れしている。


 とくれば、木陰さんがここにいる理由にも察しが付く。


「は、はい。帰りに声が聞こえて見に来たらどうしても放って置けなくて、ご飯だけでもって思ったんです。……あの、中野くんもその子のことが気になったんですよね?」


「うん。俺も鳴き声が聞こえたから何かなって思ってさ。ふらふらって来たらこの子猫がいて、目が合ったら何もしないではいられなくて、つい撫でちゃったというか」


 気が付いたら普通に話せてしまっていた。

 女子と話すのに不馴れな俺にしては珍しい──ってそうか、子猫という共通の話題と動機があるからだ。


 木陰さんも男子と話すのは苦手らしいけど、同じように強い動機があるから話せるのかなと、なんとなく思った。

 これは俺の勝手な感想だけど。


「それ、わかります。わたしも何かできないかなって思って、とりあえずコンビニに猫用のご飯を買いに行ったんです」


 木陰さんはキラキラ女の子グループでフランクに話している時とは違って、よそよそしさと距離感を感じさせる「ですます調」だ。

 本当に男子が苦手なんだろう。


 俺もそれに合わせた方がいいのかなと思ったけれど、2人ともそれだと本当に見ず知らずの他人同士の会話になりそうだったので、俺は普通に話すことにする。


「わっ、木陰さん優しいんだね」

「ぜ、全然そういうわけじゃ、ないんですけど……」


 木陰さんが恥ずかしそうにはにかんだ。

 もじもじしながら上目遣いで見上げてくるのが、か、可愛い……じゃなくてだな!

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