第2話

『あれはボツだね……』


 ダンディーな低い声が俺の耳元でそう囁いた。

 作家にとって一番言ってはいけないであろう言葉である「ボツ」という言葉をサラッと言ってのけるのは、飛鳥淳あすかじゅんというボクが所属している出版社の編集長だ。

 声は低めの囁くようなダンディーボイス。声優で言えば速●奨のような声が脳内にグサリと突き刺さる。


「………ま、マジですか?」

『ああ……、マジだね……』


 あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…………

 ボクはその場で突っ伏して叫んでしまいそうな衝動に駆られてしまう。

 結構な自信作だったのだが、まさかのボツ……。

 しかも、今回は恋愛を織り交ぜた「異世界ラブコメファンタジー」というある意味ド定番で攻めたというのに何がいけなかったというのか……。


「あ、あの……総評をいただいても?」

『まず、君、女の子と付き合ったことはある?』

「……………え?」

『いや、だから、君は女の子とお付き合いをしたことはある?』

「も、もちろんありますよ!」

『そうなんだ……。今は?』

「い、今は………。付き合っている人はいません」

『女性の知り合いは?』

「………皆無……ですね」

『だろうね……』


 何だか、あっさりとバカにされたような気しかしない。

 一体、女性の知り合いがいないのが、何が問題だというのか?

 ボクにとってはそんなこと、小説に反映されるわけがないじゃないか! と言いのけてやりたいところだったが、相手は敏腕編集長。さすがに無茶苦茶な返答をしたところで、出版社そのものから出禁にされようものなら、ボクの今後の生活にも大きく影響が出てきてしまう。


「えっと……女性の知り合いがいないのが、どういった点で問題なんでしょう?」

『うーん。まあ、簡単に言うと経験値かな……』

「経験値?」

『そう。経験値、だね』


 経験値……。別にボクはこれまでも彼女がいたわけだから、経験がないわけではない。

 そりゃ、高校生だったから、普通に健全なデートをしてきたくらいなんだけれど……。

 まあ、とどのつまり、ボクは童貞を捨てていない!

 いや、だからと言ってそんなことが経験値になるのかは知らないけれど……。

 ボクがそんなことを考えていると、


『お付き合いがお子様レベルなんだよね』

「ぐはっ!」


 編集長相手にさすがにこの返しはまずいが、突飛的な言葉にボクは思わず言葉に出てしまった。

 飛鳥編集長はそんなことを気にも留めず、そのまま言葉を続ける。


『ラブコメと言っているけれども、さすがに名ばかりなんだよね。これを帯で告知して、読んだ読者がどう思うだろうね……?』

「爽やかな恋愛モノって感じですかね」

『本気でそう思っているのかい? それならば、滑稽だよね』


 滑稽とまで言われてしまった。

 そこまでボクの恋愛モノはズレているのだろうか?


『この作品、単なるファンタジーとしてはそこそこの内容かもしれないけれど、ラブコメ感は全くないよね』

「全くですか?!」

『うん。全くないよ』

「そ、そうですか……」


 さすがに深いため息をいてしまった。

 そっかぁ、ボクの作品ってラブコメ感が皆無だったのか……。

 てか、そもそもラブコメだって、他の知り合いの作家の作品を読んで、知識的にはそれなりにあったつもりだったのに、それが皆無とバッサリと否定されるとなかなか心に突き刺さるものがあるなぁ……。


『楓くんはもっと女性と触れ合いを持つべきだよね』

「は、はぁ……」

『今の担当って確か、五十嵐くんだよね?』

「あ、はい! 本当に五十嵐くんは凄い人材ですよね!」

『そうだね。だから、君の担当を変えることにしたよ』

「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」

『彼は昨日付で、結城水脈ゆうきみお先生の担当になってもらった』


 結城水脈と言えば、ボクと同時期にデビューを果たし、出す作品すべてが大ヒットしている新進気鋭の女性作家だ。

 それに比べてボクはというと、デビュー作は大ヒットしたが、それ以降はなかなか厳しい状況が続いている。

 五十嵐くん、本当に君は凄いんだね……。


『で、さすがに担当を付けないというのも問題があるからね。君には今日から別の担当を付けることにしたよ』

「そ、それはありがとうございます」

『彼女には付きっきりで担当として仕事をしてもらうことになるから、しっかりと女性を知るいい機会だと思って欲しいね』

「あ、はい………」


 ん? 何だか含みのある言葉のように思えるんだけれど、どういうことだろうか……。

 ボクには飛鳥編集長が言いたいことのすべてを理解することが出来なかった。

 もしかして、毎日ボクの仕事場まで足を運んでくれるのだろうか……。

 いや、そんなことしたら、その子にも悪いじゃないか!


『そろそろ着く頃かと思うから、きちんとお世話をしてもらうように』

「え? ちょっと? どういうこ————」


 ボクがそう言いかけた瞬間、飛鳥編集長からの電話はブツリという音を立てて切れた。

 いやいや、「お世話」って何?

 ボクがスマホ画面をマジマジと見つめていると、ドアのチャイム音が鳴る。


「え? も、もう来たの!?」


 ボクは慌てて、玄関先に走る。

 インロックを解錠して、ドアを開けるとそこには一人の女性が立っていた。

 大きな丸メガネに黒髪はふたつのお下げに結んでいる。

 前髪を下ろしているのと丸メガネの所為で、表情そのものが分からないが、ものすごく陰キャっぽい女性がそこには立っていた。


「あ、あの! さ、早乙女美雪です! 今日から宜しくお願いしましゅ!」


 そして、早乙女さんは物の見事に思いっきり挨拶を噛んでしまったのであった。

 えっと、本当にこの子、大丈夫なの………?

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