第7話 都の治安事情&フラグ?



私の名前はリーン・バルガス、九歳。

崩壊しかけたアイデンティティをなんとか継ぎ接ぎした、転生者である。


今日は一週間に一度の「完全なる休日」。

習い事も修行もないこの空白の一日は、ある意味でどんな厳しい訓練よりも私を精神的に追い詰める。

豪奢な天蓋付きベッドの上で寝返りを打ち、天井の木目を数える。やることがない。読書、思索、そして昼寝。その無限ループ。


本来なら、外の風を浴びたり、友人の家へ遊びに行ったりするのが健全な九歳児の姿だろう。しかし、私には二つの壁が立ちはだかっている。

一つは、お母様による厳格な外出禁止令。

そしてもう一つは、私自身が外の世界を拒絶していることだ。


以前、お母様のお供で「お茶会」という名の戦場に足を踏み入れたことがある。

むせ返るような香水の匂い、扇子で口元を隠しながら飛び交う皮肉の応酬。家柄のマウント合戦、子供の自慢大会。

「あら、オホホホ」という笑い声の裏で、「貴女の家より我が家の方が格上ですわ」という信号を送り合う地獄絵図。

一度で理解した。無理だ。私のメンタルでは、あの社交界という名の魔窟で生き残ることはできない。だから、私には友達がいない。


だが、私が屋敷に引きこもる最大の理由は、もっと切実で、血なまぐさいものだ。

いわゆる「外出イベント」の回避である。

異世界転生モノの定番といえば、街に出て奴隷を買う、チンピラに絡まれる、スリに遭う、あるいは誘拐されるといったトラブルだ。しかし、このナロ王国において、それらのイベントは「死」と同義だった。


我が国の法律は、一見するとガバガバだが、その執行においては戦慄するほど容赦がない。

「貴族法」と「平民法」。

特に平民法は恐ろしい。大雑把な禁止事項があるだけで、明確な罰則規定が存在しないのだ。原則は現行犯逮捕。そして、逮捕から裁判、判決、刑の執行までが、なんと一日で完了するスピード司法。


もし私が街でチンピラに絡まれたとしよう。

私が撃退し、兵士に引き渡す。即日裁判。

「貴族の令嬢に絡んだ罪」として、裁判官は事務的に判決を下すだろう。「鞭打ち五十回」。

この国で使われる鞭は、SMごっこで使うような生易しいものではない。皮を裂き、肉を抉り、骨をも砕く、処刑器具としての鞭だ。

一撃で肉が飛び散るそれを五十回。それは事実上の死刑宣告であり、運良く即死を免れても、治療も受けられずに路地裏に放り出され、緩慢な死を迎えることになる。


チンピラだけではない。もし私が財布を落とし、親切な市民がそれを拾い上げた瞬間、兵士に見咎められればどうなるか?

「ネコババ未遂」として鞭打ち十回。善良な市民が、私の不注意のせいで半死半生の目に遭う。

だから王都の人間は、落ちている金貨にすら目をくれないという。


年間殺人件数、五~十人。

五十万都市としては驚異的な治安の良さだが、その礎には、無数の「鞭打ちによる屍」が埋まっているのだ。

そんな血塗られた秩序の上に成り立つ街で、私が不用意に出歩けばどうなるか。私がトリガーとなって、誰かが死ぬ。

マッチポンプで人を殺す死神にはなりたくない。だから私は、この美しい牢獄のような屋敷で、今日も退屈と踊るのだ。


「はあ……暇だ」


窓の外を眺めて溜息をつく。

ふと、先日グーン先生が口にした噂話が脳裏をよぎった。

王太子と、その婚約者。私と同い年の「神童」たち。


「……お母様に、探りを入れてみましょうか」


私は重い腰を上げ、母の執務室へと向かった。

重厚な扉をノックし、許可を得て中へ入る。母は書類の山に埋もれていたが、私を見ると優雅に微笑んだ。


「リーン、どうしたのですか?」

「はい、少しお母様にお伺いしたいことがありまして」

「何かしら?」

「実は、王太子様とご婚約者のお話を聞きまして……お二人は『天才』や『神童』と呼ばれているとか?」


母の手が止まる。羽ペンを置き、興味深そうに私を見た。

「ええ、確かにそう言われていますね」

「本当に、そんなに凄いのですか?」

「さあ、どうでしょうね? 本人たちよりも、王妃様や周囲が騒ぎ立てている節もありますけれど。いわく、『次期国王夫妻に相応しい』、いわく、『同じ日に生まれた運命の子たち』だと」


ドクリ。心臓が大きく跳ねた。


「……同じ、日に?」

「ええ。あら、そういえばリーン、貴女もあの方たちと同じ日に生まれた『運命の子』なのよ?」


母が悪戯っぽく笑う。

その笑顔が、スローモーションのように見えた。


「え……本当ですか?」

「ええ、間違いないわ。ふふ、貴女も次期王妃の座に立候補してみる?」

「無理です!!」


食い気味に否定する私に、母はクスクスと笑いながら、しかし目は笑っていない貴族の瞳で続けた。

「冗談よ。でも、次期王妃はともかく、貴女にもそろそろ良いお相手を探し始めないとね」


まずい。藪蛇だ。

政略結婚の話題にシフトする前に、話を逸らさなければ。


「あの! 同じ日に生まれたというのは、本当に間違いないのですか?」

「くどいわね。王妃様が嘘をついていない限り、間違いありませんよ。それより、結婚の話ですが――」

「あ、そういえばお母様! グーン先生のことです!」

「……先生がどうしたのです?」

「先生は王国騎士団で一番の下っ端だと伺いました。先生ほどの実力者が冷遇されているなんて、人材の損失だと思いませんか? 我が家が後ろ盾になって差し上げるというのはどうでしょう! 実力至上主義こそが、あるべき姿ですよね!?」

「リーン……なに露骨に話を逸らそうとしているのですか?」


母の目が据わっている。逃げ場はない。

私は最終奥義を発動することにした。


「うぅっ! す、すみませんお母様、持病の癪(しゃく)が……うぅぅぅ!」

「は? 癪? なんですかそれは?」

「すみません、痛みが引くまで下がらせていただきます! お話はまたの機会に!」


私は胸を押さえ、よろめく演技をしながら部屋を飛び出した。

ごめんなさい、お母様。貴族の義務は分かっています。でも、まだ私はロマンスよりも夢を見ていたいお年頃なのです。


自室に逃げ帰り、扉に背を預けて息を吐く。

ふう、危ないところだった。

しかし、収穫はあった。いや、ありすぎた。


「……同じ日に生まれた、神童とも天才とも言われる二人」


ベッドに座り込み、私は記憶の糸を手繰り寄せる。

私と同じ日に生まれ、異常な才能を示す子供たち。

内なるゴーストが囁いている。彼らは間違いなく、転生者だ。


あの日、東京駅のホーム。

私の人生が終わった瞬間、そこには確かに四人の人間がいた。

私、田中京子。

親友の佐藤瑞樹。

班のリーダーだった鈴木史郎君。

そして――たまたま近くに居合わせた、知らないおじさん。


四人が同時に死に、三人が同じ日に生まれた。

王太子とその婚約者は、瑞樹と鈴木君の可能性が高い。

だとしたら、なんとしても二人に会わなければならない。この世界で生きる同胞として、確かめ合うべきことが山ほどある。


けれど……。

私はふと、背筋が寒くなる想像をしてしまった。


「もし……王太子の中身が、あの『知らないおじさん』だったらどうしよう?」


イケメンの王太子の口から、加齢臭の漂う昭和のサラリーマン川柳が飛び出す未来を想像し、私は頭を抱えた。

確認、急務である。


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