第4話 魔法チートはないんですか?2



「魔法は、精神の彫刻です。集中力の持続こそが、魔術師の器を決めるのです」


グーン先生の教えは、騎士らしいストイックさに満ちていた。

だからこそ、私の修行は週に一度。待ちに待った一週間が、永遠のように長く感じられた。

私の名前はリーン・バルガス。八歳。

中身は元女子中学生の転生者であり、今はまだ、魔法という神秘の扉の前に立つ見習いに過ぎない。


「失礼します、お嬢様。グーン卿がお見えになりました」

「はい、今行きます!」


メイドの声に弾かれたように立ち上がり、私は客間へと急いだ。

扉を開けると、そこには朝日を背負ったグーン先生が立っていた。赤茶色の髪をキリリと結い上げ、騎士の礼装を纏った姿は、今日もため息が出るほど凛々しい。


「先生、おはようございます!」

「リーンお嬢様、おはようございます」


ああ、やっぱりイケメンだ。性別の壁を超越した格好良さがそこにある。


「さて、今日は座学から始めましょう。魔法の基礎的な概念についてです」

「はい!」

「単刀直入に伺います。お嬢様は『魔法』とは何だと思いますか?」


先生の琥珀色の瞳が私を射抜く。これは試されている。哲学的な問いか、それとも禅問答か。

私は前世の知識を総動員し、もっともらしい顔で答えた。


「そうですね……世界と同化し、大いなる根源との融合を経て、高次元の理(ことわり)に干渉する現象……でしょうか?」

「……はい? なんですか、その大袈裟な戯言は」


先生は呆れたように首を振った。一蹴された。


「魔法とは、もっと単純で、当たり前の物理現象の延長です。火が燃え、川が流れる。それと同じこと」

「えっ、もっとこう……指をパチンと鳴らしたら、何もない空間が大爆発! みたいなものじゃないんですか?」

「そんな魔法、聞いたこともありませんね」


先生は淡々と、私の夢を粉砕していく。

この世界の魔法理論は、私の知るファンタジーとは少々異なるようだった。火属性の魔法使いは、無から火を生むのではない。そこに在る「種火」に含まれる『魔法の元』に干渉し、それを操るのだという。つまり、火のないところで火炎魔法は使えない。


「火属性使いは火の中に、水属性使いは水の中に、それぞれの『元』を見出します。では、なぜ光属性が多いのか。それは光の『元』が、生命力や精神力として、人の体そのものに宿っているからです」

「なるほど……一番身近で、感覚的に理解しやすいのが自分自身の体だから、ということですね」

「その通り。重要なのは『元』を認識し、いかに効率よく循環させるか。理解できましたか?」

「はい、なんとなく」


派手な火の玉を飛ばす夢は消えたけれど、逆に現実味を帯びた理論に、私の胸は高鳴った。


「では、実技に入りましょう。私の右腕を見てください。触れて、その中の流れを感じ取るのです」


先生が右腕を差し出す。

「強化しますよ」という合図とともに、筋肉が微かに張り詰めた。私は恐る恐る、その硬くしなやかな腕に触れる。

――ドクン、ドクン。

脈動とは違う。皮膚の下を、温かい奔流が駆け巡っている。見えない光の粒子が、整然と、しかし力強く流れているのが分かった。


「……すごいです。確かに、何かが流れています」

「いい感覚です。では今度は、私がお嬢様の補助をします。右腕を出して」


そう言って、先生は私の小さな右手を包み込むように握った。

いわゆる「恋人繋ぎ」。

私の思考は、魔法の修行から一瞬にして邪な方向へと脱線した。このシチュエーション、逃す手はない。


「あの、先生」

「なんです? 集中してください」

「先生は、恋人はいますか?」

「……は? 今、そんなこと関係ありませんよね?」

「集中できません! 気になって魔力が詰まりそうです!」

「もう……いませんよ。婚約者も恋人も。これでいいですか」

「ありがとうございます。では次の質問ですが、年下の女性に興味は――」


ゴスッ!!


「いったぁ!?」

額に鋭い衝撃。先生の拳骨が綺麗に入った。


「集中してください」

「は、はいぃ……」


先生の瞳が据わっている。これは本気で怒らせてはいけないやつだ。

私は慌てて意識を右手に戻した。

先生の掌から、熱い何かが流れ込んでくる。私の未熟な回路を、先生の熟練した魔力がガイドしていく感覚。


「見えますか? 魔法の元が」

「はい……見えます、光の粒が」

「その力は貴女のものです。補助しますから、もっと力を込めて。右手のさらに先、もう一つの見えない手があるイメージで」


イメージ。想像力なら負けない。

私の肉体の手のひらから、光の触手が伸び、巨大なアストラル体の手を形成する。

血管の一本一本にまで光が満ちる。熱い。力が湧いてくる。


「いいですね……初めてでそこまでコツを掴むとは。お見事です」

「ふふふ、そうでしょう! 私はやればできる子なんです!」


褒め言葉が燃料となり、私の高揚感は頂点に達した。

もっと、もっとだ。この溢れる全能感! 私の才能が、今まさに覚醒しようとしている!


「うぉおおおおお! 燃え上がれぇぇぇ!」

「ちょ、待ちなさい! 出力が上がりすぎて――」

「うぉおおおおおおおおおおおお!! 私のコスモよ!!」


制御を超えた魔力が暴走し、視界が白く染まる。止まらない。止められない。快感すら覚える力の奔流。


ゴスッ!!!


「ふぎゃっ!?」


二度目の拳骨は、先ほどよりも遥かに重く、的確に私の意識を揺さぶった。

強制終了。急速に力が霧散していく。


「そこまでです! 深呼吸をして! 吸って、吐いて!」

「はぁ、はぁ……い、痛いです……」

「当たり前です。これ以上やれば、貴女の血管が焼き切れるところでしたよ」


肩で息をする先生の顔には、焦りと、わずかな安堵が滲んでいた。

「今日はここまでにしましょう」

「ええっ? まだ全然いけます! 今の感覚、もう一度!」

「ダメです。絶対に」


きっぱりと拒絶され、初日の修行は幕を閉じた。


その夜。

ベッドに入っても、右手の熱さが消えなかった。

先生は叱ったけれど、私は確信していた。あの瞬間、私の内側から湧き上がった力は、常人のそれではなかったはずだ。

間違いない。これが、神様がくれた転生特典。

内政チートがだめでも、私にはこの溢れる魔力がある。


「ふふ……見てらっしゃい」


暗闇の中で、私は小さく拳を握りしめた。

私の「最強」への道は、まだ始まったばかりだ。


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