2-5:雪夢の奇襲
翌日、火曜日――朝に
午後の授業からは琴宝も覇子も合流する。その後、放課後に
お昼の内に話をつけておこう……美青が午前の授業を終えて、教科書をノートをしまうと、不意に隣に影を感じた。
美青がそちらを見ると、雪夢がいつもの無表情で立っていた。
「
美青が疑問に思った瞬間――雪夢は美青の右腕をつかんで立たせ、そのまま走り出した。
「ちょ、楓山さん!?」
いきなりの事に、美青は混乱していた。
「きて」
雪夢はいつも通りに淡白に意思表示してくる。
どこに向かうのか――否、それ以前に。
もしかして、楓山さんは私達の話に気づいてる? 琴宝と二人で
美青は走りながら、様々な推測を頭の中に浮かべた。
ちらり、雪夢が後ろを振り返り、上履きのまま中庭に出る。
その瞬間、美青の頭の上を何かが飛び越えた。
獣――? 一瞬、そんな疑問が出るが、雪夢が立ち止まった瞬間、美青にも分かった。
「雪夢ちゃん、美青ちゃんの右腕は治りきってないんだから、無理させちゃダメだよ」
雪夢がどんな顔をしているのか、美青からでは見えなかった。
ただ――。
「……どうして追いつけるの」
雪夢と同じ疑問は、美青も思った。
「雪夢ちゃんと美青ちゃんの足で私から逃げるのは無理だよ……ちょっと三人で話そう」
フィジカルで言えば最強クラスの千咲季に言われるとぐうの音も出ない。千咲季はそこにある東屋を示した。
「……分かった」
美青は雪夢が嫌がるかと思っていたが、雪夢はそんな事もなく、美青から手を離して東屋の一席に座った。美青がその対面に、千咲季は二人の間に座る。
「楓山さん……もしかして、私達が楓山さんの事話してたのに、気づいてた?」
ここまでくればもう、隠しても仕方ないだろうと思って、美青は尋ねた。
「うん……確かめたかった」
雪夢の言いぶりからすれば、やはり感づかれていたらしい。
そう言われると、美青も申し訳なくなる。雪夢に黙って彼女の事を進めていたのは事実なので。
「ごめん……下世話な話なのは分かってるんだけど、
美青は雪夢の目を見た。
彼女の顔はいつものポーカーフェイスだが、その中に一滴、不機嫌を垂らしているのが確かに分かる。
「雛菊さんは、楓山さんから距離を取られてるみたいに感じてた。楓山さんは、どうなのかな。二人の昔については、雛菊さんからも、隼からも聞いたけど」
結局、雪夢の心はどこにあるのか。
それを、美青は確かめたかった。
「……
雪夢は不機嫌そうな色を僅かに緩めた。
「うん。覇子さんも同じ事を
覇子が言っていた『雪夢は強い』『雪夢は頑張っている』という言葉が、本人にとってはまったく褒め言葉ではないらしいという事は、まだ美青には飲み込めていない。
「……凍月から、私の事、どれくらい聞いた?」
そこから話さねばならないかと思って、美青は話せるだけ話した。
二人のつきあいの長さ、雪夢がいつも一人でいた事、そこに凍月はなるべく気にしていた事、雪夢が家出しようとした時、凍月が一緒だった事など、様々に。
「
隼は嫌そうにしていたと言うが、決してそれだけではないと美青は思う。そうでなければ、雪夢が名指しで凍月を紹介する筈がないと思う。
「……覇子が私の事を分かってくれるまでは、一番の友達だった」
ここで覇子の名前が出てくるのかと、美青は手ごわい手ごたえを感じた。二人の元ルームメイトという関係を考えると、そこに触れられるのは美青ではない。千咲季は撮影に徹している。
「私も、友達だと思ってた。でも、嫌な物は嫌なんだって、覇子と同じ部屋になって気づいた」
悲しそうに――そう、悲しそうに雪夢は話している。
凍月との間にあった事は――雪夢にとっては、いい事ばかりではなかったのだと思う。
「……それは、雛菊さんが楓山さんにとって、言われたくない事を言ってくるから?」
すれ違いが起きているのならば、そこだと美青は思う。
「それもある」
だが、それだけではないらしかった。
「でも、楓山さんは雛菊さんを
その複雑さを、雪夢は深く語ってくれない。引き出すのが、自分の仕事だと思う。
「……そう。私達に巻き込みたくなかった。ただ……」
雪夢は言いづらそうに俯いて、小さく言った。
「いつも嫌な事言われて、でも好きな所もあって、一緒にいてくれると思ったのに、凍月はそうしてはくれなかった」
雪夢としては珍しく、本心をある程度見せてくれた。
なんの事を言っているのか、美青はすぐ思い当たった。
「桜来が閉校になった後、雛菊さんが地元に帰らなかった事……だよね」
「そう」
美青が尋ねると、雪夢はすぐに頷いた。千咲季が雪夢の顔をアップにしている。
「凍月といると傷つく。でも、一緒にいてくれる人は少ないから、大事にしたかった。でも、凍月は一緒にいてくれなかった。だから、凍月の言葉を簡単に信じられなくなった」
根は相当に深刻だなと、美青は見極めた。
恐らく、凍月の言葉に傷ついていても、雪夢にとって彼女が大切な存在である事に変わりはないのだ。元々あった微妙なすれ違いに関しては、凍月が雪夢の地雷を無意識に踏んでいた事が原因だろう。
そして決定的になったのは、雪夢が地元の学校に入ったのに対して、凍月が
もう少し、踏み込め。
美青は、自分に発破をかけた。
「楓山さん――今はちょっと、雛菊さんとは話しづらい感じだよね」
「……うん」
やはり、雪夢にとって凍月は少し特別な相手ではあるらしい。良くも悪くも、だが。
「じゃあ、まず整理させて欲しいんだけど、楓山さんが嫌だったのは、雛菊さんが楓山さんの事を褒めるから?」
「そう」
雪夢は少し、安心した顔をしている。それが何故か、美青にはよくは分かっていない。しかし、チャンスだとは思う。
「その部分に関しては、私から雛菊さんに話してみるけど――一緒にいたかったのは、どうして?」
安心に油断していた雪夢の顔が、強張る。
安心している時に核心を突かれると、人は本音を隠せなくなる。美青自身が何度も琴宝にやられて学んだ事だ。
「……あの日の夜」
雪夢は、話してくれそうだった。
「私が家を出たいって言って、凍月に会った夜、凍月はずっと一緒にいるって言った。でも嘘だった」
悲し気に、雪夢は俯いた。
小さな吐息は、溜息だったのかも知れない。
「今の私の居場所は
話は終わりとでも言いたげに、雪夢は立ち上がった。
「楓山さん」
美青は、彼女を呼び止める。
「何」
雪夢は東屋を出かかって、美青に振り向いた。
「私の方で雛菊さんと少し話してみる。楓山さんのつらさをなくせはしないけど、少しでも減らせたらいいと思う――だから」
美青は、右手の小指を出した。
「その時は、楓山さんも、心から雛菊さんと話して欲しい。約束、してほしい」
美青の言葉に、雪夢は少しのリアクションで驚きを示した。
ただ、彼女は右手の小指を出し、くいと曲げた。
「……凍月とすぐに話すのは無理。でも、
無表情の中に少しの安らぎを浮かべて、雪夢は言った。
「うん……絶対、道を整えるから、待ってて」
「うん」
それだけ約束すると、雪夢は去っていった。その背中を、千咲季が撮っている。
「……美青ちゃん、大分大変な役回りを引き受けたね……」
千咲季はカメラを美青に向けて言った。
「まあ、映美研の部長ってのを抜きにしても、放ってはおけないからさ」
美青はカメラをしまう合図を出し、千咲季はすぐに従った。
「もうお昼休みほとんどないね。おにぎり持ってきてるから、食べる?」
「いいの?」
「燃費がいいから」
「じゃあ、遠慮なく」
美青は千咲季からおにぎりを一つ貰い、お昼を済ませた。
凍月とどうやって話すか――ゆっくり話す時間が欲しいが、場所も何も見当がつかず、そしてちらっとスマホを見ると英から映美研についての連絡がきている。
ひとまず、琴宝と覇子さんには相談しておかないとな――美青は、気が遠くなるような思いの中で決めた。
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