1-9:覚えてる?

 十鋒とほこと話し、凍月しづきの一件があった日、美青みお琴宝ことほと二人で買い物して帰り、課題をこなすと少し記録をつけた。


[一度に色んな事が起こる日っていうのは確かにあって、今日はそういう日だった。


 十鋒のお姉さん、六槍むやり先生の事は、まだ現実味がない。桜来おうらいのOGだって言っても、面識はないし……寧ろ。


 楓山かえでやまさんと雛菊ひなぎくさんの間には明確に何かあるような気がしている。


 まだ雛菊さんとはあんまり話してないけど、楓山さんから聞ける感じでもないよなあと思う。


 どうするか――誰かきた]


 美青は咄嗟にそこまで書いて、記録を保存して私室から出た。琴宝ことほが作る夕飯のいい香りに紛れて、インターホンの音が聞こえた。もう夕飯くらいの時間なので、恐らくは住んでいる誰かだろう。


「美青ー、お客さんの方出て」


「うん」


 キッチンで何か作っている琴宝に答えて、美青はドアホンを見た。誰かと思えば菫川すみれかわけいが風呂敷包みを持って立っている。


「菫川さん? 今開けるね」


 美青は軽く言って、すぐに玄関に向かった。


 扉を開けると、慶は所在なさげに立っていた。


「急にごめん……ちょっと話したい事があるんだけど、入ってもいい?」


 慶から話というのはちょっと珍しい気がする。彼女はあまり自己主張をしないタイプだが、住んでいての困りごとだったりすると自分が引き受けるべきだ。


「いいよ。上がって」


「お邪魔します。あ、これ、お母さんからのお土産の煮物」


「気を使わなくていいのに……」


 美青は左手で煮物が入った風呂敷包みを受け取り、慶を中に招いた。


「あー、慶か」


 食事を並べていた琴宝は慶に気づくと少し後ろを振り向いた。


「ごめん、慶の分はない」


「琴宝……」


「大丈夫。家で食べてきたから」


「じゃ、お茶だけね」


「ありがとう」


「菫川さん座って」


 美青はダイニングの椅子を一つ示した。四角形のテーブルの四辺に二つずつある椅子は来客を考えた物だ。慶は空いている席に座った。琴宝がそこに緑茶を持ってくる。


「ありがとう……こんな時間にごめん。でも、急ぎで相談したい事ができちゃって……」


 慶は困ったように黒髪をかき上げた。


「どういう話?」


 琴宝が手を合わせながら食べる。美青は小さく「頂きます」と言った。


苺塚いちごづか真名内まなうち先生は覚えてると思うけど……その妹の苺塚加納巻かなまきって言う人、二人はあんまり知らないよね?」


 思ってもみない話に、美青と琴宝は顔を見合わせた。


 苺塚真名内は躑躅峠つつじとうげ伝会つたえの元同僚であり、桜来内部から猿黄沢さるきざわ事変解決に関わった人物だ。その妹の加納巻――美青と琴宝は直接にはほとんど会っていない。


 が、聞いた話で思い出せるのは。


四方手よもて神社で巫女さんやってた人だよね?」


 琴宝の言う通りの事だ。美青と琴宝は猿黄沢事変有事の際に直接会ってはいないが、別行動していた慶達は助けられたらしい。


「そう、加納姉かなねえなんだけど……こっちに越せないかって話になってるんだよね……」


 慶は沈んだ顔でお茶を少し飲んだ。


 美青は話がよく分からなかった。一応、加納巻と面識はあるものの、それは平時に四方手神社にいって巫女さんと参拝客として会ったのであって、話はほぼしていない。


 姉の真名内についてはその後、猿黄沢を調査する万年青崎おもとざき十歩じっぽの研究班に所属となったと聞いているが――そこだった。


「加納巻さんって今何やってるの?」


 美青は分からない所を尋ねた。


「うーん……十歩さんのチームにいたんだけど、首になったって」


「え?」


「話せるようなら通話で話したいって言うから、繋いでもいいかな」


「まあ、そっちの方が早いかな」


 話を聞くに、慶もよく分かっていない部分があるらしかった。美青が頷くと、慶はスマホを開いて、通話を開始した。そして、画面を二人に見せる。


〈おー、この二人が十歩先輩と一緒に戦った救国の英雄か〉


 映ったのは、金髪を長く伸ばしたまだ若い、大人の女性だった。見た感じ赤いジャージを着ている。


「初めまして……ってわけでもないですけど、椿谷つばきたに美青です」


橘家たちばなや琴宝です。慶から大雑把な話は聞いたんですけど、加納巻さんがこっちに住みたいって、どういう事ですか?」


 琴宝の方が話を始める。


 途端に加納巻は泣きそうな顔になった。


〈十歩先輩の研究チーム、『お前は無能すぎるからいらん』って言われて首になった……〉


 首になった部分は事実だったが、理由が酷過ぎた。


「で、加納姉今は真名内先生の部屋にいるんだけど、東京で就職先探せないかってなって、とりあえず住む所って話で私にきたんだけど……墨桜荘すみざくらそうに住むって難しいよね……」


 慶は申し訳なさそうに言った。


「それは……あれ、待った。加納巻さんって元桜来生ですか?」


 基本的に墨桜荘は元桜来生が無料で住めるのであって、猿黄沢出身というだけだと話が変わってくる。


〈落ちたから桜来生じゃない……〉


「なんで十歩さんを先輩って呼んでるんですか?」


〈小学校は一緒だったんだよ小学校は!!〉


 琴宝の言葉に加納巻はキレ気味に返した。


「となるとここは普通にお金取る感じになるけど……」


 普通に住もうとするとかなり高いのが墨桜荘だったりする。現時点で元桜来生を合計二十二人入れているので、その兼ね合いを一般の入居者から取る形になる。


「待って琴宝。加納巻さん、十歩さんのチーム首になったって、東京で働く当てはあるんですか?」


〈ない……〉


 美青の言葉に、加納巻は悲し気に俯いた。


「東京は広いし加納姉でも働ける所あるよ……」


〈一言多い……〉


「それなら、お給料はそんなに出せないと思いますけど、墨桜荘の管理人をして頂くのはどうですか?」


 美青は現在墨桜荘にある問題と照らし合わせて、一つの提案をした。


「あー、その手があるか……」


 琴宝はすぐに納得した。


昆布岸こぶぎしさんじゃ不安って事だよね……」


 慶は申し訳なさそうに言った。


 現管理人の昆布岸琵琶子びわこについて、契約関係は完璧にこなしている割に実際的な管理についてはほぼほぼ何もできないと言っていい。二十戸以上暮らしているので手も足りない。


〈どういう話だ?〉


「菫川さんから墨桜荘の話は聞いてますか?」


〈うん〉


「大きさに対して管理人の人が一人、かつその一人が主に事務仕事担当っていうタイプなので、マンションの管理そのものができる人がいないんです。資格とかはいりませんし」


 美青の言葉で、何故か慶はほっとした顔をした。


「管理人さんっていう事なら墨桜荘に部屋も用意できるし、そう悪い話じゃないと思います」


 琵琶子に無断で話を進めていると美青は気づいたが、琵琶子は恐らく自分に入る金が変わらずに手間が減るならば躊躇いなく頷くだろう。


〈管理ってなんだ? 掃除とか?〉


「掃除もその一つですね」


「加納姉、受けといた方がいいよ……そんなに出せないって言っても加納姉に比べたら椿谷さんは圧倒的にお金持ってるし……」


 慶の発言で美青は『ん?』疑問に思った。


「あれ、加納巻さん国からのあれこれって……」


 猿黄沢事変解決に尽力した面々については報奨金と賠償金、桜来にいた・猿黄沢に当時住んでいた人間には賠償金が出ている筈だが、加納巻はそれをどうしたのか。


〈首謀者匿ってた神社で働いてた所為で無罪の代わりに報奨金も賠償金もねえんだよ!!〉


 そういう事かと美青は納得した。猿黄沢事変の首謀者が住んでいた場所は加納巻の元の職場である猿黄沢神社だ。その関係で色々あるらしい。


「分かりました……管理人を引き受けて頂けるなら住む所とお給料に関してはこちらで出します」


 美青がそっと琴宝を見ると、もう計算を始めていた。


〈頼んますマジで。研究チームでも雑用しかしてねえから貯金もそんなねーし〉


 大分情けない懇願ではあったが、ひとまず加納巻が管理人になる話については纏まりそうだった。


「ごめんね二人共……」


「ううん、こっちも管理関係だと困ってたし、やってくれる人がいるなら大歓迎」


「美味しい煮物も貰ったしね」


 美青が琴宝を見ると、鶏肉を取って口に運んでいた。


「なんにしても……昆布岸さんにも話通さないとダメか」


 美青はもう少し現実的な話に切り替えた。


「まあそうだね。で、報酬は二人で決めるとして……」


 二人が慶のスマホを見ると、加納巻は不思議そうな顔をしていた。


「加納巻さん、今どこに住んでますか?」


〈避難範囲からそう遠くない所だよ〉


「じゃあ、東京くる予定を固めて貰って、今日はもう遅いので、明日以降管理人の方紹介するので日程ください」


〈職がねえからいつでもいいんだ〉


 さてはこの人、割と強いな?


 美青はそんな事を思った。なんにせよ、これでまた墨桜荘にダメな大人が増える事になった。


 その後、美青と琴宝は日程を決めて、通話を切って、慶とも別れた。


 苺塚加納巻の墨桜荘就職はほぼほぼ内定していた。



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