1-1:始まりの日
四月――近頃では早く咲く桜が、今年は少し遅かった。
美青曰く。
[一緒に住むと、お互いの悪い所が見えるなんて話を見た事がある。
でも、一ヶ月くらい琴宝と過ごしてきて嫌な所は別に見えない。元々琴宝がどういう人かは分かってたし、短所も承知してた。
まあ短所は短所としてあるんだけど、二人でいれば私がバランスを保てるから気にならないんだろうな。
琴宝の女優業も本格的に動き出してるし、ちょっと忙しくはなりそうだけど、今の所私と琴宝の間に不満らしいものはない。
そうやって愛殿高等部の入学式を迎えられた事は、素直に嬉しく思う]
墨盟団の頃に記録係に任命されて記録をつけ始めて、今では個人的な習慣になっているそれを軽く済ませた美青は、墨桜荘の一室で立ち上がった。
桜来の頃を思い出すと、そもそも寮で琴宝と同じ部屋だったので、今更ルームシェアするのは寧ろ懐かしい感覚の方が多い。
寝室は一緒、それ以外に私用の部屋は別、という形で、美青が記録をつけているのは私用の部屋の方だ。
そっと、姿見の前に立つ。
白いブラウスの上から白いブレザーに赤いリボンタイ、黒と赤のチェックのスカートという愛殿の制服は、美青の一七八センチの身長では既製品がなく、特注となった。大分合っているが、美青は自分の容姿に対してはコンプレックスの方が強いので、どうしても『大人が女子高生のコスプレしてる』みたいに思えてしまう。
右腕につけた黒いロンググローブを少し直す。
それでも、恥じる事はないと自分に喝を入れる。
ここまでやってこれた事は、充分誇るに値するのだから。
美青は鞄に必要な物が詰まっているのを確認して、部屋を出た。
私室を出ると、すぐにリビングがある。そこに置いたテレビを前に、美青の恋人である琴宝は台本入れを開いていた。既に琴宝は女優としてデビューする事が決まり、一つの役を貰っている。そのチェックだろう。
「琴宝」
声をかけると、琴宝が振り向く。
天性の容姿は相変わらず、一六四センチの体は美青と同じ制服に包まれていて、いつでもいける準備ができていた。
「お待たせ」
「うん。いこうか」
琴宝は台本を鞄にしまい、黒い髪をさらっとかきあげて芍薬と立ち上がった。
この美しく、堂々としていて、少しひねている佇まいを見るだけで美青は安心する。
二人、並んで立つ。美青は琴宝の左側と、中学の頃から決まっている。美青の右手に力が入らないのを琴宝が咄嗟にカバーする為、琴宝がそうするように言っている。
玄関までいって、おろしたてのローファーに履き替えて、鍵を確認して外に出る。
「みんな出かけたかな」
美青はエレベーターまでの僅かな道を歩きながら、琴宝の手を握った。
「どうかな。まさか二十人以上一緒に歩くってわけにもいかないけどさ」
墨桜荘では元桜来生を無料で受け入れている。現在、その人数は美青と琴宝を入れて二十二人もいる。その全員が同じ愛殿学園高等部に通うので、二人は意図的に時間を少し遅めにしていた。
墨桜荘から愛殿高等部の校舎までは歩きでそれ程かからない。美青が左手首に巻いた腕時計を確認しても、ゆっくりいって間に合う。
エレベーターで一階まで下りて、管理人に声をかけて外に出て、暖かい春風に抱かれて二人で歩き出す。同じタイミングで出る者はいなかった。
「美青はさ」
二人じめの人気のない道で、琴宝がちらと美青に囁く。
「何?」
「夢を超えるような事が何か、見つけられた?」
それは、墨桜荘の最初の入居者が一通り集まった後で、美青が琴宝にいった事に起因する。
桜来にいた頃の仲間と一緒に墨桜荘に住むのが、美青にとっては『叶わない夢』のように思えていた。
けれど、その夢は一つの切っ掛けから叶って、一つの学園にまた一緒に通う事になった。
そこで美青が思った事は――『夢を超えたい』という事だ。
夢を超えるような何かが、できるような気がしている。
「まだ、具体的には見えない」
美青は琴宝に顔を近づけて言う。
忍び足より堂々と、プリーツは乱れないくらいにゆったりと、二人は歩き、りゅうりゅうと吹く風は桜の花弁を乗せている。
「でも――私達のこれからの事、一つも逃さずに一つの記録に纏められたらって思うよ」
無理な話だからこそ、心は躍る。
合計二十二人、愛殿にきた理由はそれぞれだ。やりたい事も、中学で過ごした事も違う。それでも確かに、同じ空気を持っている。
それを、宝匣に閉じ込められたら。
美青は密かに、そんな計画を琴宝に話した。
「最高じゃん」
琴宝は、美しく微笑んだ。
「でもさ、それなら――美青も主演の一人で、一つの
映画という発想が美青にはなくて、琴宝が桜来の頃は映研だったのを思い出す。
「誰も役を演じない、好き放題にやる映画って、見てみたいし――何よりさ」
琴宝は美青の手をするりと離し、美青の数歩前に立ってターンを披露した。
「役なんて決めなくたって、私達には明確な一つのバックボーンがあるでしょ」
桜来の事だと、美青にはすぐに分かった。
「……今日から?」
「使えるものはなんでも使って、今日から」
美青は少し急ぎ足になって、琴宝に並んだ。
そして、力は入らないが普通に動かす分には問題ない右手で、琴宝の手を取った。
「最高じゃん」
さっきの琴宝の言葉をそのまま返すと、琴宝ははにかむように笑った。いつ気づいたか美青自身自覚はあまりないが、琴宝はからかい魔だがやり返されるのには弱い。
「……よし、どうせだから全員いる所記録するか」
「記録って、スマホしかないでしょ」
「舐めて貰っちゃ困る」
「え?」
ただ、いつも琴宝は美青より上手だ。
彼女は鞄に手を入れて、一つの小さなデジカメを取り出した。入れようと思えばブレザーのポケットに入るだろう。小型の物だが――美青はすぐに思い当った。少し前に、琴宝がカタログを見ていて『これよさそう』と呟いていた物だ。
「簡単な動画ならこれで撮れる」
美青の話を知っていたわけでもないのに、琴宝は最初から持ってきていたらしい。記念撮影用だろうが、準備がいいのは墨桜荘のあれこれを二人で切り盛りした成果だろうか。
「それ、私でも使えそう?」
美青は琴宝の手の中にあるカメラを覗き込んだ。
「使い方はちょっと試したけど、そんなに難しくはないかな。ちょっとやって……ってそんな時間はないか」
琴宝の腕時計はもう結構な時間を示していた。
「ちょっと急ごうか」
「だね」
二人、百合の花にしては忙しく歩き、都内のアクセスのいい所にあるにしては大きな愛殿学園高等部の門をくぐる。
「クラス分け、だよね」
美青は確認の意味で尋ねた。
現在の愛殿は二〇人一クラスで一学年七クラスと聞いている。墨桜会に名を連ねる面々と、それ以外に墨桜荘で一緒にいる面々が同じクラスになれる確率は高いが、全員とはいかないだろう。
「まずはそこ。で、その後講堂……講堂の位置誰かに聞いておけばよかったな」
中等部から愛殿にいる墨桜会メンバーは計三人いるが、美青も琴宝も講堂の位置は聞いていない。
だが、そんな懸念はすぐに晴れた。
玄関近くに貼り出されたクラス分けの表示を見る集団に向けて、囁き声を交わしている何人かの見知らぬ生徒がいる。見た感じに入学生だ。
「あの人達あれだよね……」
「桜来学園の同窓生が何人も愛殿に入ったって聞いたけど……」
そんな会話が聞こえた。噂になっているとは聞いていたが、新入生にも分かるらしい。桜来という学園はもうないが、猿黄沢事変の渦中に存在した為、知名度は凄まじく高い。
「あ、ペンギン、コブラさん」
そして、その一団の中にいる見慣れた顔――
「おー、壮観だ」
琴宝は咄嗟にカメラを回した。
「いやそれどころじゃないでしょ!? みんな先にいったんじゃないの!?」
「別々にきたんだけどさ……クラス分けの七組の所見て」
メロメに言われて、美青も琴宝もそこを見た。
【一年七組】
担任
掲示の内容を見て、美青は思わず息を飲んだ。
「全員揃うなんて事ある……?」
墨桜会の面々に加えて、猿黄沢事変で協力してくれた榊木終・竜胆院弓心の二人(この二人も墨桜荘の住人だ)の名前がある。樒場十鋒・雛菊凍月という名前は知らないが、いずれにせよ、美青達は一つのクラスに纏められている。
「だけじゃないよ。担任の名前」
メロメに言われて、美青は二度見した。
躑躅峠伝会――桜来学園で美青達の担任だった人物だ。桜来が閉校になった後の音沙汰は一切なかったが、こんな珍しい名前の人間がこの世に二人もいて堪るかと美青は思う。
「本当に……夢が夢を超えた……」
美青の独り言に、メロメは不思議そうな顔をした。
「それより、そろそろいかないと……」
黙っていた慶が言った。いつも通り綺麗な黒髪を長くまっすぐに伸ばした彼女は、紫色の視線で愛殿の中でもとりわけ大きな建物を見た。
「いくかー」
琴宝はカメラを止めて、美青を見た。
そっと微笑む琴宝に微笑みを返して、美青は――否、美青達は、講堂を目指した。
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