前日譚13:前日譚の終わり――ようこそ墨桜荘へ

 墨桜会ぼくおうかいのメンバーに加えて、榊木さかきういの妹であるつい琴宝ことほの友人である竜胆院りんどういん弓心ゆみ棗井なつめい羊日ようひのバンドメンバーである四人――菖蒲名あやめな豹衛ひょうえ百日紅さるすべり亀三梨かめみなし向日葵ひまわりはやと鬼灯町ほおずきまち鯉路こいじ――そして菫川すみれかわけいとその家族三人、入居にはそれぞれ事情があった。


 しかし、入居する日がどういうわけかずれず、全て同じ日に入居となった。


 慌ただしい日程になるのは美青みおも琴宝も承知していたので、二人に関しては早めに引っ越して、同じ部屋の中をどう使うか決めていた。


 そして、迎えた合計二十三人の入居の日、それぞれが業者に荷物の指示を出しているので、美青と琴宝が現場でできる事はほぼなかった。特に美青は自分の引っ越しすら琴宝と覇子はるこ灯理ともりはな千咲季ちさきに手伝って貰わなければできないくらいに力仕事ができない。


 一通りの事が済むと、マンションの管理人を務める昆布岸こぶぎし琵琶子びわこも交えて、共用スペースである談話室で話をする段取りになっていた。


 美青がやった事としては、今日が初対面となる羊日のバンドのメンバー四人との対面、それからやはり初対面となる菫川家の両親二人――菫川景厳かげよし・菫川ゆうとの挨拶を済ませた。


 そして、それぞれある程度の荷解きが終わり、談話室に集まり出す。


 何はともあれ、必要な事は一つある。


「大丈夫ですか、岸さん」


 美青は談話室前でくる者を誘導している琵琶子に声をかけた。


「挨拶ですよね? 大丈夫です、こう見えて新しい職場は七度目です」


 琴宝の両親の年齢を考えると、その後輩の琵琶子は十年少しでそれだけ転職しているという事になるが、それはそれで凄い人生だなと美青は思う。まだ琵琶子の事をそれ程知らないが、恐らくだらしなくなるのは自分と琴宝の前だけだろうとは思う。理由は金だが。


 美青は入ってくる四人組を見た。彼女達は美青を見て、ちょっとびくっとした。


「あ、PINK MAD SICKの人達……だよね。入って。軽い説明会するから」


 羊日のバンド・PINK MAD SICKのメンバー四人は、頷いて中に入っていった。まだ馴染みがない……というか繋がりがあるのが羊日くらいなので彼女達に関しては慣れるまで時間がかかるだろうと美青は見ていた。


「美青ー、昆布岸さん、これで全員」


「分かった」


「はーい談話室閉じまーす!」


 琴宝が知らせにきて、美青が中に入ると琵琶子は扉を閉め、二人と一緒に前にいった。


「あー……」


 全員の前に立つと、琴宝が話を始める予定だったが、何故だか琴宝は気の抜けた声を上げた。


「……琴宝?」


「いや、ここまで知ってる顔ばっかだと逆に喋りづらいなって思って。なんにせよ、まずは管理人さんの話から」


 美青が声をかけると、琴宝はすぐに話を始めた。なんだかんだ(一応)プロの女優だけあって、人前は慣れている。


「はい! 管理人を任されました岸です!」


「岸って名乗ってるけど、昆布岸琵琶子さんね」


「気軽に岸とお呼びください」


 相変わらず琵琶子は本名を避けるようだった。


「で、住むに当たっての注意事項の確認。何せ未成年が多いからねここ」


 二十人以上居住者がいて、成人しているのは菫川夫婦と琵琶子だけだ。琵琶子については墨桜荘の中の一室に住む事になっている。


 基本的に全員、決まりごとはあらかじめ確認している。実際に集まった入居者の数と内訳から美青と琴宝の方では警備会社とも契約を行なっている。両親の代行だが。


 その辺りのルールについては主に人の出入りについてだが、琵琶子を通して知人を入れるという程度であれば問題ない。他にも主に防犯上の注意が琵琶子から語られた。設備そのものが厳密な上に警備もいるので部外者が入りづらい所はある。


 それらの次に生活上の注意事項――ゴミの出し方や共用スペースの使用上の注意など、基本的な部分だった。少し変わった所で言えば、マンションの敷地にコンビニができるという事くらいだろうか。


 一通り話し終わると質疑応答、特に質問する者もいなかった。


「では、私からの話は以上です。改めまして、皆さんよろしくお願いします」


 綺麗なお辞儀をして、琵琶子は下がった。


「じゃ、今日残ってる問題は一つ」


 再度、琴宝が前に出て人差し指を立てる。


「全員引っ越しと荷解きに疲れてて夕飯の準備がまだって事で、こっちで出前用意しました」


 琴宝は琵琶子を見た。彼女は時計を見て、一つ頷いた。


「もうすぐ届くので、今日はここで食べていってください。で、だ」


 琴宝はパンと手を合わせた。


「墨桜会のメンバーで力仕事する余力がある人は私と美青の部屋から飲み物運ぶの手伝って。美青は飲み物何本も入った荷物は持てないし、私一人じゃ手が足りないし」


 改めて言われると申し訳なさが美青の中に込み上げてくる。右手で飲み物を入れた袋を持とうとしたが、テーブルから浮ききらない内に落とす始末だったのでこの作業に関しては邪魔でしかない。


「手伝おう。何人程いるかな」


「私と覇子で持てるならあと一人か二人」


「あ、私やるよ」


「あー、私もまだ大丈夫だ」


 すぐに、覇子と千咲季、毬子まりこが手を上げた。


「いやいや琴宝ちゃん、そういうのは俺を頼って貰わないと……」


 慶の父、景厳が苦笑気味に言う。


「お父さん、椿谷つばきたにさんと橘家たちばなやさんの部屋に入らないで」


「え?」


「なんかこう……無理」


「えぇー……」


 慶の言葉によって、景厳は悲し気に黙った。


「女の子二人の部屋にいい歳した男が入るもんじゃないわよ」


 妻にも怒られた景厳はいよいよしゅんとした。


「俺は?」


 叡太えいたが手を上げた。


「余計ダメだよ」


「はい……」


 ダメ出ししたのはメロメだった。この分だと美青と琴宝の部屋に関しては男子禁制になりそうだった。


「じゃ、飲み物の用意はそっちで、昆布岸さん、出前関係の受付全部任せます。あと居残りの墨桜会メンバーは並べるの担当して」


「あの、お琴さん、どんだけ頼んだんすか」


「どれくらいだっけ……」


「まあ橘家さんが正確な量計算してくれると思ってないわよ」


 英の言葉に返した言葉に、灯理が告げる。


「並べるのは好きなようにしてくれていいから、みんな協力よろしくね」


 美青は申し訳程度に言った。琴宝が頼んだメニューの一部を見たが、自分が料理の入った物を迂闊に持つと落としそうで怖い。


「では、墨桜会は行動開始」


 覇子がすぐに決め、琴宝・千咲季・毬子と一緒に談話室を出ていき、昆布岸も出前関係の処理で出ていった。


「昆布岸さんの誘導でくるのよね?」


 すぐに、灯理が美青の近くにくる。


「うん。時間……」


 美青は腕時計を見た。


「そろそろ到着する筈」


「OK。椿谷さんについては無理しない方向で。出前の一覧とかある?」


「待ってね……琴宝から貰ったのがこれ」


 美青は灯理に琴宝から貰ったリストを共有した。


「了解。英、料理均等に並べられるように手伝って」


「うぃーっす」


「あ、私もやるよ」


 灯理が英を呼ぶと、慶も立ち上がった。


「出前第一弾きましたー!」


 そこに琵琶子から声がかかり、談話室の中には慌ただしい空気が漂い出した。


 美青もまったく右腕が使えないわけではないので、注意しながら作業に参加して、無事に食卓を整えた。琴宝達の方はそれぞれ飲み物を持ってきて、好きなように取れる状態になった。


「最初は私に話が回ってくるかと思っていたのだけどね」


 覇子が琴宝相手にそんな事を言っている。


「自分ちで歓迎会するのに覇子を頼るわけないっしょ」


「道理だ」


 それくらいのやり取りで済ませてくれるなら、美青としては安心できる。


 全ての料理が並ぶと、かなり豪勢なパーティーの様相を呈していた。美青は琴宝に頼んでよかったような悪かったような、半々の気持ち。


「やっと飯だ……」


 毬子が疲れたように初の隣に座る。


「椿谷、出番だぞ」


 不意に、黒絵くろえが言った。


「え?」


 美青は咄嗟に何を言われているのか分からなかった。


「挨拶の担当は他にいないだろう」


 その部分は琴宝が担当する事になっていたが、美青が琴宝を見ると、優しい顔で頷いていた。


「じゃあ……」


 美青はコップにリンゴジュースを注いで、左手でそれを持った。


「正式な挨拶が分からなくてごめんなさい。でも、皆さんで無事、墨桜荘に住めるという事で――乾杯」


 美青の言葉に、それぞれが唱和して、食事会が始まった。


「ま、いいかこういう始まりも」


 隣で、琴宝が呟いてくる。


 始まり――そうだ。始まりだ。


「琴宝」


 愛殿あいどのに入るのはゴールじゃなくて、スタート地点に立つという事だ。その上で、やりたい事は――真っ先に、琴宝に話すべきだと思う。


「何?」


 まだ全然、曖昧なんだけど。


「みんなでここに住むって夢が叶って、次は――なんだろうって思ったら、もっと夢を超えていきたいって思う」


 美青が琴宝を見ると、琴宝はコップを差し出してきた。美青はそっとコップを合わせる。


「できるよ。私達、無敵だし」


 なんの根拠もないようで、それは随分経験に根差した物だった。


「うん――ありがとう」


 美青は今更照れくさくなって、空腹を自覚した。


[霞んで見える、私達にしかできない『何か』を見つける――春休みも結構やる事はあるんだけど、その中で見つかるかな。


 一つの――たった一つのとても大切な物。ここにいるみんなとなら、作れる気がしている]


 美青はそこで記録を終えた――彼女達の前日譚は終わり、本編が始まる。




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