前日譚6:昆布岸琵琶子

 羊日ようひと二人でライブにいった後、美青みお覇子はるこが出してくれた車で家に帰り、その日の遅く、寝ようとした時に琴宝ことほから連絡を貰った。


 覇子と共にムイタプロに所属する事が決まったという話――美青は心から「おめでとう」と言った。


 琴宝と覇子はその関係で少し忙しい年末年始になりそうと言っていたが、ひとまず美青の予定に関しては変わらなかった。


 十二月三十日、墨桜荘すみざくらそうの管理人を務める事になるきしという人物と二人で会うのが、美青としては年内最後の予定らしい予定だった。


 琴宝の家で、という事になっているので、美青は時間に間に合うように橘家たちばなや家に向かった。


 少し、緊張している。何せ相手が大人である事は明確な上に、美青が不動産関係の知識に聡いかと言うとそうでもない。


《橘家》と表札が出ている割に新しい一軒家のインターホンを押すと、少しして琴宝が出てきた。


「あー美青、おはよう。ごめん、間違った情報伝えてた」


 琴宝は黒いセーターに白いパンツルックで美青を迎えた。


「おは……え、間違った情報?」


 挨拶を返そうとした美青は、琴宝の言葉の一部に突っかかった。


「名前、岸さんって伝えてたでしょ?」


「うん」


昆布岸こぶぎしさんだった」


「昆布岸さん……」


「まあなんにせよもうきてるから入って」


「きてるの!? それを先に言ってよ!?」


 美青は慌てて琴宝の後から橘家家に入った。


 二人の仲については双方共に親公認となっている。琴宝の家族ももう美青の事を娘みたいに思っているようだ。


 美青が中に入ると、談笑が聞こえた。


「お母さん、美青ついたよ」


 琴宝は中に一声かけて、入っていく。


「美青ちゃんいらっしゃい」


 琴宝の母・鈴宝すずほは琴宝に似ているが、茶髪に染めているのでその分陽気に見える。父・竪之たてゆきについてはキリっとした髪型の体格のいい男性だ。


「いらっしゃい美青ちゃん。座りな」


「お邪魔します」


 美青は二人に礼をして、琴宝の隣に座り――その正面に座っている女性を見た。

 見た感じに身長は一六〇前後、顔立ちは愛嬌のある童顔で、少し暗い色の茶髪を右側でサイドテールにしている。年末に、かつ琴宝の家族と知り合いらしいのでラフな格好でくるかと思っていた美青だが、彼女はスーツ姿だった。


「椿谷美青さん、ですね。初めまして、今回、墨桜荘の管理人のお話を頂いた昆布岸琵琶子びわこです」


 彼女は名刺を取り出して美青に渡した。明確に『昆布岸琵琶子』と書いてある。


「初めまして。椿谷美青です。今回はお話の機会を頂きありがとうございます」


 美青はぺこりと一礼した。


 何故、琴宝はこんな覚えやすい名前の人物を間違えて覚えていたのか。『岸』という所しか会っていない。名前については本当に覚えていないのだろうが。


「はい、もう引き受ける気満々なので、私の事は気軽に『岸』とお呼びください!」


「え、昆布岸さんではなく?」


「苗字そのままは正直ダサいので……」


「琵琶子さんでもなく?」


「滋賀県出身みたいに聞こえるので……」


 面白い名前だと思っていた美青だが、どうも相当なコンプレックスを抱えているらしいので、そっと『岸さん』で固定しようと決めた。


「で、ですね、もう私の方は準備万端でいるのでいつでも大丈夫ですよ」


「あの、琴宝から……か、琴宝のご両親からどう聞いてるんですか?」


 現状、墨桜荘の規模はマンションとしては中程度だ。美青は管理人そのものについては資格らしい資格はいらないと調べているが、仕事はして貰わないと困る。


 そもそも、琵琶子がどういう経歴の人物なのかも美青はよく分かっていない。


「マンションの管理人やってくれとしか聞いてません!」


 ここまで元気よくノープランで自分の仕事を決める大人っているのだろうか……いや目の前にいるのかと美青はちょっと未知の生命体と遭遇したような気がした。


「琴宝……」


「いや昆布岸さん」


「岸で」


「昆布岸さんいるといいって言ったのお父さんとお母さんだし」


「岸で」


 琵琶子は必死に訴えているが、琴宝は完全に無視している。


 どうも細かい話は琴宝の両親経由らしい。と言っても、美青も琴宝も具体的な所に関しては『こうして欲しい』という要望を出すくらいしかできないので、実際にマンションを運営する際に必要な事になると大人に任せるしかない。


 美青が鈴宝と竪之を見ると、二人共苦笑していた。割合暢気な所があるのがこの二人だと、美青は会う度に思う。


「昆布は俺と鈴宝の大学の後輩でね、法律関係だと強いから」


「本当に岸でお願いします」


「琵琶子、今は仕事してないけど色々資格は持ってるし」


「鈴宝先輩」


「何よりこの子お金さえだせばなんでも言う事聞くタイプだから」


「仰る通りでございます」


 竪之と鈴宝の言葉で美青が琵琶子を見ると、満面の笑顔だった。銭のサインを出している。


「ほぼ報酬の話で決まるとは聞いたけどそこまでか……」


 琴宝は先にぽつりと呟いた。


「はい! その辺さえしっかりして頂ければ!」


 美青は内心『本当にこの人で大丈夫か』と感じてきた。お金は大事な要素だが、そもそも琵琶子に管理人としての技能があるのかも現状では不明だ。資格については合格率の低い物がある(管理士としての物で管理人とは異なる)とは聞いていたが、それだけで選べというのも厳しい。


「……琴宝、どうする?」


 とりあえず美青は琴宝の顔を見た。


「うーん……全然ピンとこない感じの話だからな……ちなみに昆布岸さん」


「はい! 岸でお願いします!」


「主にお願いしたいの実際的な文字通りの『管理』なんですけど、できるんですか?」


 琴宝の一言に、琵琶子は笑顔のまま青褪めた。


「まあ……なんとかなる筈ですよ。ええ。報酬さえよければ……」


 大分不安な答えが返ってきて、美青と琴宝は顔を見合わせた。


「昆布岸を採用するメリットは法律的な所一切気にしなくていいって所だからな」


 竪之が追加で情報をくれた。


「そうですよ!! 何せ橘家先輩ご夫妻の後輩って事は私も法律に関してはしっかり学んでますから!!」


「じゃあなんで今無職なんですか?」


 琴宝の言葉に、琵琶子は思い切り項垂れた。


「それは……その……」


「就活と転職を失敗し続けて社会が怖くなったんですって」


「鈴宝先輩!!」


 一応、職歴自体はあるらしい。美青は少し安心したが、不安を拭うには少ない安心だった。


「美青、この人の扱い私に任せてくれる?」


 本当にどうしようかと思った美青にとって、琴宝の発言は助かった。


「うん……お願い」


「の前に確認だけど、お金は結構使う公算だよ」


「建築費とかは私の方が多く出してるからそれくらいいいよ……」


 実際、墨桜荘を作る費用の上でより多く出しているのは美青の方だ。元が自分の希望でもあるし、琴宝に比べてお金を使う予定もなさそうなので多く出した。琵琶子一人をどうこうするのに琴宝が余程の無茶をしない限りそれ程痛くはない。


「じゃ、昆布岸さん」


「はい」


 琵琶子は手揉みして答えた。


「今から出す条件を絶対に叶えるっていう前提ができなかったら話はなくなると思って」


「かしこまりましたお嬢様」


 凄まじく調子がいいな……美青は若干湿気った目線で琵琶子を見た。さっきとは対照的にきらきらした顔をしている。


「まず、私か美青が決めた元桜来おうらい生が入る場合、お金は一切取らない契約を作る」


「はい!」


「他の入居者についてはその人数が無賃で暮らしてても経営成立する額を取る」


「はい!」


「この二つについて管理会社と完全に話をつける」


「はい……」


 聞いていた美青は『無理では?』と思ったが、琴宝の方で何か考えがあるようだし、琴宝のする事について両親はほぼほぼ口を出さないので、自分も貝になろうと決めた。


「プラス、未成年の入居に伴う手続きは全て手伝う」


「はい……?」


「実際的な管理については始まってから覚えてくれればいいけど、この条件を満たせるなら――」


 琴宝はスマホを取り、少し操作した。


「この年収」


 琴宝は恐らく美青に見せまいとしたのだろうが、隠し方が下手過ぎてすぐに見えた。


「これで……契約期間はいつまでですか……」


「犯罪とかしない限りずっと」


「やりまぁす!!」


 琴宝もかなりのお金を持っているので、美青は咄嗟に計算できなかったが、恐らく琵琶子を一生雇っても琴宝の貯金額からすれば『大きな買い物した』くらいだろう。


 もっとも、確かに琴宝が言う条件を全部できるのであれば、美青にとっても望み通りの事にはしやすくなる。


 桜来のOGが過ごしやすい環境を作る、というのも一つの目的ではあって、その為ならば法律について頼れる人間はいた方がいいので。


「じゃ、話は決まりね。美青ちゃん、お昼食べていって」


「はい、ありがとうございます」


 なんにせよ決まってよかったという気持ちと、(詳しく分からないなりに)とんでもない条件を出された琵琶子は大丈夫なのかという気持ちが両立している美青はガッツポーズしている琴宝をそっと見た。


 にこっと笑っているが、やり方がえげつないのは桜来の頃から変わらないなと思う。


「あのぅ先輩、私も頂いてよろしいですか? お金なくて」


「いいわよー」


 別の意味でも琵琶子が心配になってきた。オープンまであと一年以上あるが、その間に琵琶子がどうにかならないといいが。


 そんな事を考えながら、美青は大人達の大学時代の話など聞きながらお昼を食べて、家に帰った。


 これで今年の予定は終わり、年始の墨桜会ぼくおうかいの集まりに備えるだけとなった。


 無事に全員揃うように、美青は二年参りでもしたい気持ちだった。




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