前日譚5:未来だけ見てる人

 美青みおは朝に予定を確認する時、記録をつける。


 この日のそれは以下のように始まった。


[みんなの都合を合わせた結果、年明けの一月二日に墨桜会は集まる事になった。夏以来に全員そろうという事になる。


 今日は羊日ようひと会う約束をしてる十二月二十八日……ブルーエイプって、私はよく正直分からないバンドのライブがある日だ。


 羊日が何かの機会に突発で東京にくるのは珍しくはないんだけど、いつも突発ではある。


 何やら私と琴宝ことほに話があるなんて事も言ってたし、それは聞くつもりでいるんだけど……。


 ムイタプロの社長から誘われた琴宝と覇子はるこさんの二人は今日、詳しい話をするのに稲南いなみもと社長と話す事になっている。


 琴宝からは昨日の内に『羊日が墨桜荘すみざくらそうの事言い出したら好きなようにしていい』と言われてある。


 どうなるかな――待ち合わせは東京駅だ]


 そんな記録を認めたのち、美青は準備をして東京駅に向かった。


 美青の家からならばさほど遠くはない。スマホと共有している記録に少し付け加える。


[羊日と二人ってあんまりなかった気がする。


 大体他の誰か……薊間あざまさんが多い印象だけど、誰かいてって感じだから、羊日と二人でどんな話すればいいのか……まあ羊日って饒舌だし大丈夫か]


 美青が気楽になるくらい、棗井なつめい羊日という人物は陽気で現実的で明るい。まして明確に自分と琴宝に用事があるのならば、それは話の種にもなるだろう。


 羊日が住んでいるのは長野なので、そこからならばあまり時間はかからない。美青が待ち合わせの場所で待っていると、久しぶりに見る顔が見えた。


 ふわふわの金髪をボブくらいの長さに整えている。前髪は綺麗に切りそろえている。顔立ちは愛嬌があって花やかなイメージを受ける。体つきは一五〇くらいの身長に平坦なボディラインと、まだ育っていない。


 キャリーバッグ一つを引きずった彼女は美青を見つけ、手を振ってきた。


「久しぶりねー美青!」


 すぐに、羊日は美青の所にくる。二人並ぶと三〇センチ近い身長差があるので、どうしても美青は見下ろす事になる。


「うん、久しぶり。元気そうだね」


「体が資本になるのよ。それよりどこか入りましょ。いい店知らない?」


「考えてきたよ。ついてきて」


「おっけー」


 美青は桜来おうらい時代、けいも交えて東京組が帰省した時に入ったベーカリーに入った。


 二人して食事と飲み物を買い、席に座る。いつきても混んでいると思うが、そもそも東京駅の構内にあればそれはそういう物だと美青は思う。


「はー、やっと一息つけるわ」


 見た感じにはお姫様っぽい気品ある姿で、羊日はおっさん臭く飲み物を飲んだ。


「お疲れ。今日はどうして一人になったの?」


「それよ」


 羊日は美青を指さして、湿気った顔になった。

「元々黒絵くろえと二人でくる予定でチケット取ったのよ。そしたら黒絵の方で急に仕事が入ったとか言って」


「待って。薊間さんが仕事って……」


「ほら、慶が言ってたでしょ。三来ざき市一帯の土壌汚染って。あれについて何か文献資料残ってないかの調査で黒絵が協力仰がれてんのよ」


 薊間黒絵という墨桜会ぼくおうかいの前身・墨盟団ぼくめいだんの発起人の片方については、猿黄沢さるきざわについて書かれた文書の類を桜来から出る時に全て引き取り、現在では大人ですら頼ってくるような地位に就いている。


 そして慶の話と合わせると今になって猿黄沢を中心としたあの辺りにおかしな事が発覚している。それは黒絵が持っている資料や知識も必要だろうと思えた。


「まあそれは仕方ないよ……」


「そう、仕方ないのよ。でもね」


 美青はこの時、何気なくコーヒーを飲んだ。


「一緒にラブホ泊まるつもりで宿探してなかったのにドタキャンしやがって黒絵のクソボケがー!!」


「ゲヘアッ」


 美青は派手に噎せた。ラブホという物を知らないわけではないが、羊日と黒絵がそこに入る? 二人で? つきあっているという噂は聞いていたが、そこまでいくともうつきあっている事を隠してもいない自分と琴宝よりも進んでいるではないか。


「あ、ラブホって言っても女子会みたいな感覚よ?」


「エホッ、エホッ……まず中学生では入れないでしょ……」


「擬態すれば大丈夫よ。私も黒絵も中学生に見えないし」


「いや……」


 元々、墨盟団の時点で自分の次に背が高い黒絵はともかく、羊日が中学生に見えないは無理だろうと美青は思う。


「まぁーそれはいいんだけど……」


 いいんだ……という言葉を美青は飲み込んだ。


「琴宝って今日は空いてないの?」


 羊日はすぐに話を切り替えた。


「クリスマス・イヴの劇団公演の後にムイタプロ……分かるよね?」


「そりゃあね」


「ムイタプロの社長に覇子さんと一緒にスカウトされて、今日はそっち」


「マジで!?」


 羊日は身を乗り出して叫んだ。


「うん……かなり気に入られてるみたい。琴宝も覇子さんも乗り気だし、受けるんじゃないかな」


「ぬおー先を越されたー!!」


「ジャンルが違うんだから……」


 羊日はバンド、琴宝と覇子は女優という点で明確に異なる。というか羊日のバンド(桜来の頃のメンバーを羊日が自分の地元に集めた)はどうなっているのか。


「こっちはやっとグルーヴができたきたって所なのに……ちょっと待って話がそれたわね」


「うん。私と琴宝に用事あるみたいな話してたよね」


「それよ。墨桜荘ってどうなってるのかなって」


「待ってね」


 美青はスマホを取り出して、この間、琴宝と一緒にいった時の写真を開いた。


「今はこんな感じになってて、来年の三月から入居者を入れる予定」


 羊日にそれを見せると、羊日は少し感心したような顔をした。


「大分でかいわね。ここどういう間取り?」


「独居用のスペースと家族用のスペースあるからそこで違うけど……ひょっとして入るつもり?」


「五人よ」


「五人?」


「間違えたわ」


「うん、落ち着いて話してね」


 羊日は一度、目の前のパンを一つ食べてカフェオレを飲んだ。


「私、黒絵、あとうちのバンドのメンバー四人を合わせて六人の入居を予約したいのよ。って全然仕組み分かってないんだけど」


 薄々感づいてはいたが、やはりと言えばやはりな発言だった。


「……ん? 待って。それぞれ一人暮らしで六部屋? っていうか薊間さんも上京してくるの?」


 羊日のバンドのメンバーについてはそもそも東京でライブをやるのが目的なのでくるだろうが、黒絵については聞いていない。


「あいつは大事な事全部私に投げよってー。くるわよ。適当な学校見つけてそこから首都圏で猿黄沢関係の文章纏めるって言ってる」


「大分思い切ったね……」


 黒絵が現在いるのは青森だ。そこからとなると、大分の無理になりそうだし、住む所についても困るだろう。その交渉を羊日に投げるのもどうかと思うが。


「まあ黒絵なら大概の学校は受かるでしょ。で、部屋ね。一応それぞれ一部屋で合計六部屋、ただ、黒絵はともかく私と他の四人は同じフロアにしてほしいのよ。あと防音関係ってどうなってる?」


 防音関係は絶対に聞かれるだろうと美青は思っていた。バンドメンバー五人が集まったらそれはセッションをするだろうと思えるので。


「限度はあるにしても、エレキギター弾いてるくらいなら分からないくらいではあるみたい。っていうか羊日は絶対くるだろうと思ってたし」


「話が早いわね。ドラムとベースとキーボードも持ち込むわ」


 ここまで覚悟が決まっていると美青ももう頷くしかなくなってくる。


「それなら……待って。流石に私一人だけだとどういうフロアにいて貰うのがいいのか分かんないから、その辺分かる人にも確認して部屋は決める。でも六人一人一部屋っていう所はOK」


「美青がいてくれて助かったわー。スタジオとか併設しない?」


「それは自費でやって……」


 羊日が結構ぐいぐいくる性格なのを美青はちょっと忘れかけていた。


「まースタジオは将来作る気でいるけど。なんにせよ交渉は纏まったわね。まだ未確定の所も多いみたいだし、ひとまず約束ができれば大丈夫だわ」


 羊日はスマホを取り出した。今の内容を黒絵と、バンドメンバーに報告するらしい。


「っていうか、バンドの人達一緒じゃないの?」


「チケット二枚しか取れなかったのよ。っていうか渡してなかったわね」


 羊日は荷物に手を入れ、中からチケットを取り出した。


「なくさないように」


「うん」


 美青は黒いロンググローブをつけた手でそれを受け取った。


 羊日は不意に、美青の右手をつかんだ。


「どうしたの?」


「いや……まだ力入んないのかなって思って」


 力が入らない――それは、美青が猿黄沢事変を解決した後に負った一つの後遺症だった。


「この状態で羊日と腕相撲したら秒で負けるかな。重たい買い物袋とか持つと落とすくらいには握力も落ちてるし」


「そう……」


 羊日は少し、悲しそうな顔をした。


「でも、長い目で見れば治るとは聞いてる。だからそんなに心配はないかな……っていうか不安なのはライブとか腕に力入らなくてもなんとかなる物?」


「まあ腕振ったりはするけど、無理なら無理で大丈夫よ。左腕は?」


「全然健康」


「ならそっちでやればいいし。この話はいいとして……」


 少し気まずそうに、羊日はカフェオレを飲んだ。


「この後どこで時間潰すか考えてないのよ」


「うん、開演何時?」


「午後六時半。入場はもっと早いけど」


 美青は腕時計を見た。移動の時間を考えてもまだ大分時間はある。


「近くで時間潰せる所探した方がいいかな……」


「そうね。なんにせよ……あ、メンバーへのお土産とかも下見したいわ」


「ならそっちで」


 すぐに予定を決められて、美青は少し安心した。


 いずれにせよ、美青にとって重要な事は一つ――墨桜荘への自分と琴宝以外での入居者が初めて決まったという事だ。


「そう言えば美青って年越しは東京組と?」


 不意に、羊日が尋ねてきた。


「あー、琴宝の家の方の知り合いできしさんって言う人が墨桜荘の管理人してくれる事になって、顔合わせしようかって話してるから、覇子さん達とは別かな」


「ほー。もうみんな予定組んでるけど、二日の場所大丈夫なのかしら」


「覇子さんならもう決めてるか、案は幾つか出してると思う」


 そんな話をしながら、美青は羊日と二人、食事を済ませ、まず羊日のお土産選びへの下見につきあった。


 その後、二人で一緒にライブ会場に向かい、何事もなく一日を終えた。


[ライブが始まる前に羊日が言ってた。


「私達は絶対ここでライブをする」って。


 未来しか見ない人だなって、相変わらず凄く安心する]


 そんな記録を書いて、美青は眠りに就いた。




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