前日譚3:時計仕掛けのプリンセス
そして、この日、劇場
終演後、
美青は琴宝から『覇子の演技の方がいいと思ったら絶対にそっちに入れて』と言われている。
琴宝が持つ一つのこだわりを大切にしたくて、美青はその言葉通りにする事にしていた。
入る時に見たポスターには、濡鴉をアップサイドに整えた琴宝の姿と、もう一人。
ボブカットにした銀髪を後ろで纏めたいつもと違う髪型に、モデルと言われても頷ける程恵まれた体系と一六六センチの身長、そして西洋のお姫様のような顔に青い瞳を持つ琴宝のライバル――白菊覇子の姿があった。
二人にとって、この日こそが一つの終わりだと考えると、美青の中に茶化すような気持ちは一切なくなる。
間もなく開演のアナウンスが流れた時だった。
「
「何?」
美青がそちらを見ると、灯理はどこか慈しみを感じさせる目で微笑んでいた。
「私が覇子さんを信じるから、あなたは橘家さんを信じて」
こんな時でも優しさを隠せないのは、灯理らしいと美青は思う。
「大丈夫。……琴宝の心を誰よりも大事にしたいから」
今はただ、公演が無事に済む事を祈るだけだ。舞台上での事故はそれ程珍しくないと、琴宝からも覇子からも聞いた。
〈ご来場の皆様にお知らせします〉
一つのアナウンスが流れた。
〈本公演ではMEX上でアンケートを行ない……〉
美青達からすれば既に知っている情報が流れ、観客の中にはスマホを取り出す者もいた。
その上で公演中はスマホの電源を切るようにとアナウンスされ、開演のベルが鳴る。
見ているこっちが緊張する――美青は体が少し強張るのを感じた。
そこから始まった部分についての美青の記録は以下の通りだ。
[二人が凄く努力してるのは知ってるつもりだった。
でもそれは知った気になってただけなんだって、二人の台詞を聞いて、動きを見た瞬間に理解できた。
琴宝の練習には何度もつきあったけれど、そのどれとも違う洗練された動きがある。台詞一つとっても付け入る隙を見せない。
けれど、覇子さんも負けてはない。
舞台上にいるだけで視線を持っていかれる綺麗な銀髪に抜群のスタイルを存分に活かした上で、演技の上でも琴宝に引けを取らないくらいに磨き上げてる。
二人は勝負をしている――けれど、それで舞台上の調和を崩す事はない。寧ろ、各々が絡む人物を引き立てながら物語を盛り上げていく。
クライマックスに至るまで、舞台から目を離す事ができない。私に細かいミスまで分かるとは思わないけれど、二人共、完璧すぎる。
選べるのか、この二人のどちらかを――私の一票だって、劇場の規模を考えれば大きい。
その一票――どうすべきか]
美青が抱いた一つの迷いは――当事者達によって蹴飛ばされた。
「時間よ」
琴宝が、一人のプリンセスとして頭上を――正確には、舞台背景にある時計を指す。
そのよく通る声、きりっとした動き、僅かに光る汗の色、いずれも完璧な物に見えた。
「魔法の時間は終わり、日常に戻る」
その一言は、文言とは逆に、美青に魔法をかけた。
涙が溢れて止まらない。琴宝の演技がここまで心を突き動かすものなのだと、美青は今まで知らずにいた。後悔はないが、知れてよかったと思う。
そこから物語は佳境を迎え、覇子の見せ場も過ぎて、幕が下りる。
同時に、拍手喝采が巻き起こる。
パールドンナ自体さほど大きな団体ではないので、小さな単発公演ではあったが、座長と脚本家の挨拶があり、そこで改めてアンケートの事が通知された。
美青はスマホの電源を入れて、アカウントを確認し、琴宝の方に入れた。
贔屓目がないわけではないのかも知れない。美青にとって琴宝の見た目は造形美の完成形だし、その見た目で完璧な演技をされればやはり心は琴宝の方に振れる。
それが済むと、観客も退場という流れになった。
ただ、美青達については琴宝と覇子から事前に終わったら楽屋にくるように言われてあるので、その旨をスタッフに伝えた。話は通っていたようで、すぐに通された。
琴宝と覇子、二人共舞台衣装のままで他の劇団員に囲まれていて、美青達は咄嗟に動けなかった。
「推しの舞台衣装姿をこんな間近で……!!」
灯理は既に感極まって泣いている。
「灯理ー、しっかりー」
英がそれを支えている。灯理にしても覇子の舞台を拝むのはこれが初めての筈だ。
「覇子ちゃーん、琴宝ちゃーん、きたよー」
さっきからずっと見ているだけだった
「きてくれてありがとう」
真っ先に言ったのは、覇子の方だった。青い瞳は灯理、英、美青、千咲季を順番に見た。
「なんかもう美青の顔見るだけで安心する」
琴宝は舞台上のモードを解いて、普段通りに話してくる。衣装がそのままなので、美青は少し新鮮な感じがした。
「白菊さんと橘家さんのお友達?」
その時、美青達より大分年上の女性が声をかけてきた。さっき舞台上で挨拶していたパールドンナの座長だ。
「はい」
答えたのは覇子の方だった。
「せっかくだし、記念撮影でもしていきなさいな。それが終わったら、ちょっと二人はこっちにきて」
「推しと記念撮影……!!」
彼女の言葉に、灯理がぶっ倒れそうになるのを英と千咲季が支えた。
「ありがとうございます。座長、申し訳ありませんが、カメラをお願いしても?」
「いいわよ」
座長は近くにいた劇団員にカメラを借りて、六人の方を向いた。
「はい、みんな近づいて」
「近づく!?」
灯理はキョドっている。現実が飲み込めていないらしい。
「英!! 千咲季!! 覇子さんの両脇固めて!!」
「あーいやいや、灯理は覇子さんの隣じゃないと」
「私は端っこでいいかな……」
「六人なんだし密集しようよ」
相変わらず、纏まりがあるようでないなと美青は心の中で苦笑していたが――力が入らない右腕を琴宝に思い切り引っ張られて、無理やり隣に立たされた。
「美青のこのポジションだけ決まってればいいから」
「固定なのそこ!? 覇子さんは!?」
「端っこでいいでしょ」
「なんだと?」
覇子が感情を見せる相手はほとんど琴宝くらいだが、この時は珍しく、強引に灯理の腕を引いて自分の隣に寄せた。もう片方に琴宝がいて美青、千咲季、覇子の隣に灯理、英が並ぶ。
「はい、笑ってー」
座長の言葉でそれぞれピースサインを出し、シャッターが切られる。
「……うん。いい感じ。写真はあとで二人に送るから、お友達の皆さんは受け取ってね」
座長の言葉にそれぞれ頷く。
「じゃあ……ちょっと……」
そして、座長は何か言おうとして言い淀んだ。
その視線は、六人の後ろに向いている。
美青達がそちらを見ると、一人のスーツ姿の女性が立っていた。年の頃は三十代後半から四十になったばかり、身長が一七二センチとかなり高い。スタイルもいい。
「橘家琴宝さんに白菊覇子さんね? あ、
彼女は先に琴宝と覇子に声をかけ、続いて座長に挨拶した。
「お久しぶりです!! いかがでしたか
社長――何か重要な事が起きているような気がして、美青は場の成り行きを見守るしかなかった。琴宝が自分の腕を離さないので、逃げるに逃げられないが。
「結論から言えば」
稲南社長と呼ばれた彼女は名刺を取り出し、琴宝と覇子それぞれに渡した。
「橘家さんと白菊さんはうちで預かりたいのよ」
琴宝が名刺を見せてくるので、美青は覗き込んだ。
『芸能プロダクション ムイタプロダクション社長 稲南
ムイタプロ――疎い美青でもすぐに分かるくらいに有名な俳優を多数出している所だ。そこの社長がさっきの舞台を見て、琴宝と覇子をヘッドハンティングしにきた――急に現実離れが押し寄せてきて、美青は若干頭を整理できなかった。
そっと琴宝の方を見ると、琴宝は覇子と顔を見合わせていた。
「……話は気になるけど」
「うむ」
二人はすぐに何事か通じ合った。このお互いへの解像度の高さを美青は見習いたいと思ってできない。
「申し訳ありません、稲南社長。私も琴宝もこの後ここにいる友人達と先約があります。具体的な話については後日でも構いませんか」
驚く程、執着しない――琴宝も同じ考えらしかった。何も言わない。
「そうね……」
稲南は口元に手をやり、少し考えた。
「連絡先だけでも交換してくれないかしら。私、あなた達を逃したくないのよ」
寧ろ、執着しているのは稲南の方だった。
「分かりました」
「ちょっと待ってください。スマホ取ってきます」
ただ、二人共話を聞くつもりはあるらしく、すぐにスマホを取って、稲南と連絡先を交換した。
「何が起きてるんすか」
「私にも分からない……」
「ムイタプロダクションって何かな……」
「千咲季はそこからなのね……」
置いてけぼりにされた美青達は、少し呆然としながら事の成り行きを見守った。
結局、二人はこの日、美青達の方を優先する事になり、稲南との具体的な話は年内にでもという事になった。
そして美青達は衣装から着替えて準備する琴宝と覇子を待ち、一緒に予約してある店に向かった。
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