三十九 裁き

 山王屋の家宅改め後、三日にわたり、与三郎たち夜盗と、多恵に扮していた八重の詮議と吟味がなされた。

 八郎に話した八重の説明は、吟味与力藤堂八右衛門による与三郎の詮議と吟味で裏づけられた。八重は多惠に扮していたと説明していた。

 与三郎は多恵と八重が姉妹だったと気づいていなかった。一度は仙台で与三郎の元を去った多恵が、再び、千住中村町の山王屋の自分の元に戻ってきたと信じて疑わなかった。


 文月(七月)二十六日。

 北町奉行は、一連の与三郎たち一味による夜盗事件を老中へ御仕置伺した。


 文月(七月)二十七日。雨の降りしきる昼四ツ(午前十時)。

 老中の下知書に従って、北町奉行は与三郎たちに死罪を言い渡した。


 一方、八重を吟味した結果。上女中の多恵に扮した八重が与三郎たちに知らせたのは、加賀屋の締日後の慰労の宴の日取りだけだった。この時、与三郎たちに知らせたのは多恵に扮した佐恵だったが、八重は佐恵の存在を明かさなかった。

 毎月行われる加賀屋のこの慰労の宴は、日本橋呉服町と呉服町二丁目界隈では誰もが知っていたため、八重(実際は加賀屋の上女中多恵に扮した佐恵)が加賀屋の内情を与三郎に知らせたとは言えなかった。

 そして、八重が文で(実際は加賀屋の上女中の多恵に扮した佐恵が文で)与力の八郎に、与三郎たち一味の加賀屋襲撃を事前に知らせた事と、八重(本人)が山王屋の家宅改めに口添えして、盗まれた一万二千両の発見に貢献した事もあり、北町奉行は、夜盗捕縛に協力した八重に、異例とも言える特別な温情をかけ、後日、改めて裁きを言い渡すことになった。

 裏で、八郎と従叔父の吟味与力藤堂八右衛門が動いて、

『八重が、亡き父の源助と妹の多恵の怨みを晴すため、特別な謀を練って、与三郎たち一味を町方に捕縛させた』

 と北町奉行に知らせていた事は、同心たちを除けば、町方は誰も知らなかった。



 二日後。文月(七月)二十九日。快晴の昼四ツ(午前十時)。

 八重に北町奉行の裁きが下った。

「八重。お前は元山王屋の上女中の多恵として、盗まれた金子の探索に協力した事だけになっておる。加賀屋に戻って多恵として暮らせ・・・」

 御白州の莚に正座している八重に向かって、北町奉行は優しくそう言った。


 八重は苦渋の表情で話した。

「お奉行様と皆様の助力にて、いちどは藤堂八郎様の側室になれました。

 そして、父と妹の怨みを晴らせました。

 しかしながら、藤堂八郎様にも加賀屋菊之助様にも、事実を申さなかった私の行いは、私を信じてくださった皆様への裏切りです。

 そうわかっていながら、加賀屋へ戻る事などできませぬ・・・」


「そのような事もあろうと思い、加賀屋菊之助には内々に、

『多恵は与三郎捕縛のために、儂が放った密偵だ』

 と話しておいた。加賀屋菊之助と話し合うて、どうするか決めるが良い」

 北町奉行は思惑があり、

『加賀屋菊之助には、多恵は北町奉行所が放った密偵だ、と偽りを伝えました』

 と語った八郎の言葉を利用していた。


 北町奉行の裁きに、八重は何と言って良いか返答に困った。

「そうおっしゃられても、正直を申せば、藤堂八郎様にも未練がございまする・・・」


 北町奉行は笑顔になって優しく話した。

「では、特別な裁きを下そうと思う。

 その前に、ちとふしぎな事を話す。

 心して聞くがよい」

「はい」


「畜生腹というのを聞いたことがあろう。巷の者たちは双子や三つ子をそのように呼んで忌み嫌う。そこで双子や三つ子が産まれた親は、親戚などに頼んで子らを隠そうとする。

 佐藤源之介という武家に娘の三つ子が産まれた。巷の噂を避けるため、佐藤源之介は親戚と話し合うて、三つ子の一人を養女として親戚に育ててもらった。

 娘たちが年頃近くになった頃、飢饉で藩が窮した。そこで佐藤源之介は藩から暇をもらって町人になり、名を源助と改めた。

 しかし、次女が悪人に誑かされて盗賊の一味に引き込まれたため、源助がこれを救ったが、救出の際の刃傷沙汰で、その後、源助と次女は他界した。

 そこで、長女と親戚の養女になっていた三女は、父源助と次女の怨みを晴すため、二人で長女を演じて呉服問屋に嫁ぎ、折をみて次女に扮して夜盗を手引きして、盗賊一味を罠に嵌めようとした。

 だが、三女が過労で倒れたため、今度は今は亡き次女として呉服問屋に上女中奉公して盗賊一味を手引きして罠に嵌め、盗賊一味は町方に捕えられた・・・」

「・・・」

 八重は、何も言わずに目を伏せた。


「八重。八郎は優れた与力だ。同心たちも手下たちも探索に長けておる。

 其方らの謀は、全て暴かれておる。

 親戚というのは其方の父源助の従弟で、仙台伊達家家臣の木村玄太郎だ。

 そして、木村玄太郎の養女になった、源助の三つ子の三女は、佐恵という名だ。

 藤堂八郎と佐恵と木村玄太郎、麻と父の八吉、それに町医者の竹原松月と円満寺住職の丈庵をこれに呼べっ」

 北町奉行は御白州にいる警護に命じた。

「はいっ」



 まもなく、北町奉行が座っている座敷の外廊下に、与力の藤堂八郎が正座した。

 御白州の莚には、八重の隣りに八重と瓜二つの佐恵が正座した。その背後には木村玄太郎と麻と麻の父の八吉、町医者の竹原松月と円満寺住職の丈庵がいる。


「八郎」

 北町奉行は藤堂八郎をそう呼んだ。

「はいっ」

「加賀屋に嫁いだのは八重と佐恵だ。昼は八重が上女中として働き、夜は佐恵が菊之助の伽を務めた。そして、過労で倒れた佐恵を『八重が他界した』と偽った。

 その後、多恵として加賀屋に奉公に上がったのは佐恵だ。

 与三郎に、加賀屋襲撃の予定を伝えに行ったのも佐恵だ。

 今は亡き多恵も含め、三人は三つ子。以心伝心じゃ。一人一人の記憶と思いは、三人が共有しておる」

「はい」

 八郎は改めて事件の全貌を思った。


 北町奉行は町医者竹原松月を見た。

「町医者、竹原松月。

 公儀(幕府)の特命を受けた隠れ寄合医師であり、さらに北町奉行所の検視医を務める其方が『八重に扮した佐恵の死を偽り』と見抜けぬはずはなかったと思う。如何にか」


 竹原松月は御白州に両手をついて北町奉行に御辞儀し、顔を上げると落ち着いて説明した。

「私が検視しました折は、八重の脈は無く、息もしておりませんでした」

 神田佐久間町の町医者竹原松月は、名医の誉れ高く、公儀お抱えの隠れ寄合医師だ。

(寄合医師とは、世襲の医家の生まれで、いずれは公儀(幕府)の医官となるが、まだ見習いの者を示した。平日は登城せず、臨時の場合に備えた。)


 竹原松月の返答を聞き、北町奉行は木村玄太郎に言った。

「仙台伊達家家臣の木村玄太郎。

 北町奉行所は、仙台伊達家家臣の其方が仙台において行なった山王屋討ち入りを、裁く立場にない。よって参考人として来てもらった」

「はい。わかっております」

 玄太郎も慌てることなく、御白州に両手をついて北町奉行に御辞儀した。

「与三郎の探索に尽力した事。礼を申すぞ。

 ところで、其方は、どのような薬を用いて佐恵を仮死にしたのか」


「はい。源助こと佐藤源之介の家系は、代々薬草医の心得を伝授しております。

 今は産婆として働いている佐藤梅が、薬草医の秘伝を継承しております。

 あの薬は一粒飲めば一日間、二粒なら二日間、仮死になるとの事でした。目覚めさせるには気付け薬を飲ませ、身体をさすって暖めよ、と」

「どのような薬物か、不明と言うことか」

「はい。知るのは産婆の佐藤梅のみにございます」


「その仮死にする薬、まだ持っておるか」

「はい。持っています」

「その薬、北町奉行所で預っても良いか」

「はい。お預けします」


「竹原松月は、その薬を調べて報告せよ。期限は定めぬ。

 今後は検視を診誤らぬようにせよ」

 北町奉行は笑みを浮かべて竹原松月を見ている。

「はい。承知いたしました」

 竹原松月が御白州に両手をついて深々と御辞儀した。


 北町奉行は円満寺住職の丈庵を見た。

「円満寺住職、丈庵」

「はい」

 丈庵住職は穏やかな眼差しで御白州に両手をついて北町奉行に御辞儀した。

「寺社奉行の手前、其方も此度は参考人としてここに来てもらった。

 死人が生き返って後に、寺に籠もるとは、誠に奇妙な出来事だ。

 しかしながら、この時世は公儀が仇討ちを認める世なれば、御仏も皆の行いを許すと思わぬか」

 そう言って北町奉行は真顔になった。


「全て御仏の導きのままにと思いまする」

 再び、丈庵住職は御白州に両手をついて北町奉行に深々と御辞儀した。

「やはりそうであろう」

 北町奉行は納得したように頷いた。


 北町奉行は麻と父の八吉を見た。

「麻と八吉」

「はい」

 麻と父の八吉は畏まって御白州に両手をつき、御辞儀した。

「八重と佐恵を多恵之介に仕立て、与三郎の山王屋を探り、棺桶を細工するなど、二人とも一方なら苦労があってであろう。礼を申すぞ」

「はいっ」


 安心してそう答える麻と八吉を見て、北町奉行は笑顔で頷いた。

 そして、

「仙台伊達家家臣木村玄太郎。町医者竹原松月。円満寺住職丈庵。大工の八吉。娘の麻。

 皆、八重と佐恵の謀の片棒を担ぎ、よくぞ夜盗一味の捕縛に協力してくれた。

 北町奉行は、皆に褒美を与え、夜盗捕縛の礼を申す。この通りじゃ」

 北町奉行はお白州にいる皆に向って深々と御辞儀した。


 皆が北町奉行の態度に驚き、慌てて御白州に手をついて深々と御辞儀すると同時に、これで皆、お咎め無しだ、おまけに褒美までもらえる、と安堵したその時、北町奉行が身を乗り出して、

「さて、八重と佐恵に、特別な裁きを言い渡す」

 と告げた。皆が固唾を飲んだ。


「佐恵は多恵として加賀屋に戻れっ。この北町奉行所内で加賀屋菊之助が待っておる。

 儂から話をつけてある故。安心して菊之助の元に戻るが良い」

「ありがとうございます」

 佐恵は御白州に両手をついて深々と御辞儀した。


「木村玄太郎。其方の娘佐恵の裁きは、これで良いな」

「はい。有り難うございます」

「良き娘に育てたな・・・」

 北町奉行は木村玄太郎に何度も頷いた。

 玄太郎は目に涙を浮かべて北町奉行を見つめ、北町奉行の思いを噛みしめて御白州に両手をついて深々と御辞儀した。


「八吉。其方に大工仕事の頼みがある。聞いてくれるか」

 北町奉行は笑顔で八吉を見つめた。

「はい」

「其方の施工で、日本橋元大工町二丁目の長屋に、読み書き算盤の教授の場を設けよ。大家には話をつけてある。資材と費用は北町奉行所が賄う。

 八吉。特注の棺桶に続き、また手間を取らせてすまぬな。北町奉行所修繕とともに教授の場を施工してくれ」

「わかりました」

 北町奉行から大工仕事の依頼に、八吉は驚いて御白州に両手をついて御辞儀した。八重が読み書き算盤を教授するのか・・・。


「さて、八重に裁きを言い渡し、その後、麻に頼む事がある」

 北町奉行は改めて八重と麻を見つめ、真顔になった。

「八重は吟味与力藤堂八右衛門の養女となって後、藤堂八郎に嫁ぎ、八丁堀の八郎の組屋敷を管理せよ。

 藤堂八右衛門の養女になると同時に、日本橋元大工町二丁目の長屋で、読み書き算盤を教授し、その場を管理するのだ。

 長屋の店賃と費用は北町奉行所が負担する。八郎に嫁いだ後も続けるのだぞ」

「はい・・・」

 八重は裁きに驚きながらも御白州に両手をついて深々と御辞儀した。


「麻、頼みというのは他でも無い。八重を手伝ってやってくれ」

「はいっ」

 麻も驚きながら御白州に両手をついて深々と御辞儀した。

「二人には僅かであるが、北町奉行所から月々の手間賃を与える」

 またまた、麻と八重は驚いて御白州に両手をついて深々と御辞儀した。


「八重。多忙になるが、良いな」

 北町奉行は穏やかに八重を見つめた。

「はい」

 八重は再び御辞儀し、顔を上げて話した。

「私たちの謀を解明していろいろ手を尽くして下さった北町奉行様。吟味与力藤堂八右衛門様。藤堂八郎様と町方の皆様。本当にありがとうございました・・・。

 竹原松月先生、丈庵様、お麻さん、八吉さん、そして、佐恵と従叔父上。

 皆様のお陰で、父と多恵の仇討ちができました。

 ありがとうございました・・・」

 八重は御白州に両手をついてひれ伏した。

 父上。多恵。これですべて片づきました。父上と多恵の仇討ちができました・・・。

 八重は顔を上げた。

 そして、御上の温情により、皆がお咎め無しになり褒美までいただき、私も佐恵も、心寄せる人の元に戻れます。しかも私は読み書き算盤の教授の場も与えられました・・・。

 八重の目に涙が溢れた。


 北町奉行は八重を見て頷きながら、外廊下に正座している八郎を見た。

「さて、此度は与力の藤堂八郎にも、特別な裁きを下す」

 皆が、なぜ藤堂様が裁きを言い渡されるのか、と驚きの眼差しで北町奉行を見た。


「はい。謹んでお受けいたします」

 八郎の身体がかっと熱くなり緊張がみなぎった。覚悟はできている・・・。八郎は心の内で、与力の裁量を越えて北町奉行に進言した事を、両親と従叔父の吟味与力藤堂八右衛門に詫びていた。藤堂家の家名を汚すことになり、誠に申し訳ありませぬ。如何なる裁きであろうと受け止める所存です・・・。


 北町奉行は真剣な面持ちで言った。

「八郎。心して聞くが良い」

「はいっ」

「一日も早く、其方の後継ぎを設けよ。歳月人を待たず。

 八重を慈しむのだぞ。良いな」

 北町奉行は一言も、

『加賀屋菊之助には、多恵は北町奉行所が放った密偵だ、と偽りを伝えました』

 と話した八郎の、与力の裁量を越えた分不相応な対応に触れなかった。


「はいっ」

 一瞬に八郎の緊張が解けた。全身からどっと冷汗が噴き出した。

 八重と佐恵、そして、木村玄太郎と麻と八吉、竹原松月、丈庵を見つめる八郎の視界が涙で霞んだ・・・。

 八郎は外廊下の床に両手をつき、深々と北町奉行に御辞儀した。私の元に愛しい八重が戻ってくる。今度は正妻として・・・。

 

(了)

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