二十三 床入り
文月(七月)三日。夕七ツ(午後四時)。
加賀屋の襖を取り外した座敷の三間で、八重と菊之助の祝言が始まった。
宵五ツ半(午後九時)。
祝言が終わった。奉公人たちは片付けを終えて、三々五々、引き出物を携えて座敷を去った。残っているのは八重と菊之助だけだ。
「八重さん・・・」
八重は菊之助に手を握られてその場から立った。菊之助は奥座敷の襖を開け、八重の手を引いて奥座敷に入った。行灯の明かりに、奥座敷の真ん中に敷かれた真新しい布団の褥が浮かびあがっている。菊之助は八重の手を握ったまま襖を閉めた。
静まりかえった奥座敷に、帯を解く衣擦れの音と二人の息遣いが響き、菊之助は八重を抱きしめて褥に横たわった。
行灯の明かりに、褥で睦み合う二人の襦袢姿が浮かびあがった。
「八重さん。私はこの時を待っていました。八重さんを見る度に心ときめく毎日でした」
菊之助はそう言って八重を抱きしめた。
八重は襦袢を肌蹴た胸に菊之助を引き寄せ、抱きしめた。
菊之助は八重を抱きしめて唇を重ね、背を撫でた。
八重は菊之助の胸にすっぽり抱かれた。菊之助の手と唇に応じて、八重は身を菊之助に任せた。菊之助は背から腰へ八重を優しく愛撫している。
「ああ・・・そのようにしては・・・」
「声は気にせずに・・・」
菊之助はそう言いながら八重の胸を優しく撫でた。
「どうか末永く、私にお情けをおかけくださいまし・・・」
「八重さんを見た時から、私は八重さん無しでは生きてゆけない・・・」
菊之助は八重の目を見つめ、八重をそっと優しく撫でた。
「ああ・・・、八重は幸せにございます・・・」
八重は菊之助に抱きついた。
菊之助は行灯の明かりを吹き消した。奥座敷の明かりは枕元にある、ほの暗い有明行灯の明かりだけになった。
八重は襦袢を脱がされた。菊之助の背に手をまわして菊之助の愛撫に身を任せ、女の喜びに浸って菊之助を受け入れた。
菊之助は八重を抱きしめた。
今まで溜めていた思いの全てを吐き出すように、二人の熱い睦事は明け方まで続いた。
翌朝。文月(七月)四日。朝五ツ(午前八時)。
八重に扮した佐恵が長屋に戻った。佐恵は畳の間に座り、八重と麻が佐恵の島田髷を多恵之介の総髪茶筅に結い直す間も、熱い眼差しで菊之助について呟いた。
「菊之助は、とても良き男です・・・」
佐恵は優しさに溢れた菊之助への思いと、睦事による身体の火照りに浸っていた。
「床入りは良かったかえ」と麻。
「はい。とても良うございました。明け方まで睦み合いました。まだ、身体が熱うございます・・・」
佐恵は髪を結ってもらいながら睦事を思いだし、頬を赤く染めた。
八重はふっと思った。
佐恵は騙されて与三郎に操を奪われた。挙げ句、その与三郎に実の父と姉の多恵の命を奪われ、全てが己の責任だと後悔して苦しんだ。一日も早く与三郎を討つか捕縛して、父と多恵の怨みを晴らし、佐恵の苦しみを解き放ってやりたいが、未だ与三郎の居所は知れぬ。かりそめとはいえ、佐恵がこうして菊之助と夫婦になって女の幸せを得ても、多恵も父も文句を言うまい・・・。そう思いながら八重は言った。
「今宵に備えて、お麻さんの長屋でゆっくり休みなさい。髷を結い直したのは、もし誰かが訪ねてきても、若衆なら言い逃れできまする」
「相分かりました。私は従弟の木村多恵之介です・・・」
髷を結い直すと佐恵は、今まで多恵之介に扮していた八重と着物を交換した。八重の髪はすでに島田髷になっている。
「さあ、多恵之介さん。我家で休んどくれ」
麻は小声でそう言って壁の隠し扉を押し、多恵之介に、麻の長屋へ行くように示した。
「はい。義姉上。では姉上、頼みます」
「よく休むんだよ」と麻。
「御店の仕事は私に任せなさい」と八重。
二人にそう言われて、
「はい。横になります・・・」
多恵之介は隠し扉を抜けた。
「義姉上。多恵之介をよろしく頼みます」
八重は麻に向かって深々と御辞儀した。
「任せな。さあ、早く御店に戻りな」
麻は八重を抱きしめ、気をつけるんだよ、と耳元で囁いた。
「はあい」
八重は、父と多恵の位牌に線香をあげて合掌し、土間の雪駄を履いた。
麻は部屋に留まったまま、長屋を出る八重を見送った。麻は隣の長屋にいることになっている。麻は素早く隠し扉を抜けて隣の長屋に行った。
長屋の外から小さな声で、
「お麻さん。御店に戻ります。よろしくお願いします」
と長屋の留守居を頼む八重の声がした。
「はいよ。行っといで」
麻も長屋の土間から小さな声で答えた。畳の間からは多恵之介の寝息が聞える。
佐恵と菊之助は互いに惚れ合っているのはわかるが、こんなに菊之助に入れ込んで、佐恵の身が持つのだろうか・・・・。
麻は佐恵の身体を案じた。
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