九 養女

 暮れ六ツ半(午後七時)。

 八郎はその日の役目を終えて八丁堀の組屋敷に帰宅した。

「父上。指物師の源助の娘を妻にしたい。源助は元仙台伊達家家臣、佐藤源之介です」

 夕餉の膳を前にして、八郎は八重との一夜と八重への思いを、父の藤堂八十八と母の綾に話した。

「それ相応の気構えがあって、八重と一夜をともにしたのであれば構わぬ。

 そうは言っても、源之介は今は町人であろう。身分が違う」

 父の八十八はそう言うが、母の綾は微笑んでいる。町人の八重と与力の八郎だ。八重が武家の養女になって八郎に嫁げば八重と八郎は夫婦になれる事を、母は承知している。

「父上は八重をどう思いなさる」

「器量も良く、才がある。お前の母の若い時によく似ている」

 源助は元仙台伊達家家臣なれば事はさほど難しくない。八重を、我が従弟の吟味与力藤堂八右衛門の養女にして、八郎の妻にすればよい・・・。

 八十八が与力の役目についていた四年前、八十八は、人別帳の記載で北町奉行所に現われた源助と八重に会っている。


「なんとか手立てを考えてみよう」

 八十八は妻を見た。血は争えぬ。私が綾を娶る時も八郎と同じ立場だった・・・。八十八は、小舟町の米問屋、山形屋吉右衛門の次女の綾に一目惚れした当時を思いだした。

 その当時、綾は八十八の叔父、吟味与力藤堂弥之助の養女になって、その後、八十八に嫁いでいる。今、叔父の藤堂弥之助は他界し、子息で八十八の従弟の藤堂八右衛門が吟味与力の役目に就いている。

 八重を八右衛門の養女にして八郎に嫁がせればよい・・・。


「旦那様。私に何か御用がおありですか」

 八十八の視線に気づき、綾が箸を止めた。

「いや、綾に会うた折を思いだしてな」

「まあっ。あなたったら・・・。

 いっしょになれねば飯も喉を通らぬから、ぜひとも妻になってくれ、何とかする、と言って。それから一夜をともにして・・・」

「そうであったな・・・」

 夕餉の膳を前に、両親は祝言前の出来事を懐かしんでいる。

 この親にして己があるのか・・・。八郎は心の中で苦笑した。


 夕餉後。

 藤堂八十八と八郎は角樽の酒を持参して、同じ八丁堀にある吟味与力藤堂八右衛門の組屋敷に出向き、突然で申し訳ないが、と突然の訪問を詫びた。

 座敷に通された八十八は、八郎と八重の事の次第を伝えた。

「従兄上、養女の件は心得た。私に任せておけ」

 八十八の従弟、藤堂八右衛門は八重を養女にすることを快諾した。

「なれど、八郎。ものには順序がある。当人同士が承知でも、父親の承諾を得ておらぬ。

 早急に承諾を得よ」

「承知しました。明後日、私は非番です。父親に話します」

「うむ。それがよい。

 さて、久々の従兄上との顔合わせじゃ、飲もうではないか」

 八右衛門は、八十八が持参した角樽の酒を目で示した。

「今宵は急の訪問にて、奥方様に迷惑をかけられぬ故、日を改めて伺いますぞ。

 なあに、事が進めば、此処はこの八郎の妻の実家故、訪れる機会が増えるというもの」

「さもありなん。では、今宵はこれにて」

「いろいろ有り難うでござる。それでは失礼仕る」

 八十八と八郎は八右衛門に礼を述べて組屋敷を辞去した。



 翌日。弥生(三月)二十二日。暮れ六ツ(午後六時)。

 八郎が北町奉行所から、八重の長屋に帰宅した。

「お帰りなさいませ。八郎様」

 八重は夕餉の膳を整えて八郎の帰宅を待っていた。

 八郎は八重を抱きしめた。八重はしっかり八郎を抱きしめて唇を重ね、そして顔を離して八郎の目を見つめ、

「刀を・・・」

 と言った。八郎は打刀と脇差を渡した。八重は受けとった刀を床の間に置いた。


 二人は夕餉の膳に着いた。

「吟味与力の従叔父と話し合うた。ついては親爺様の承諾を得ねばならぬ」

 八郎は八重に、従叔父の吟味与力の藤堂八右衛門が八重を養女に迎える件を説明した。

「明日、八郎様が非番なれば、二人で父に話しましょう。

 さあ、夕餉が冷めます。飲んで食べてください」

 八重は養女の話をしたくなかった。銚子を持って八郎に酒を勧めた。

「すまぬな。夕餉の前に話してしまって」

「いいえ、いいのです」

 そう言うものの八重は今後を考えていた。ここにいて八郎の妻になる手立てはないものか・・・。

 その夜。八重は今生の別れのような気がして、激しく八郎を求めた。八重は必死で喜びの喘ぎを押えた。睦事は明け方まで続いた。

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