二 山背
佐藤源之介の長女の八重が十歳の夏。
山背が強く、寒い夏だった。陸奥地方は気温が上がらず、農作物は冷害にあった。畑の作物は育たず、稲は実らず、百姓は物を食えなくなった。冷害による飢饉に対処し、仙台伊達家は備蓄していた米を百姓町人に支給した。そのため伊達家の財政は窮乏した。伊達家は、平士頭の佐藤源之介と木村玄太郎に指物の普及を命じ、家格の無い下級侍の平士とその下の位の組士に指物を修業させた。
平士の上の位の(家格を有する)上層家臣の召出は、刀を鋸と鉋に持ちかえた平士と組士を『鋸侍』と言って馬鹿にした。
しかし、佐藤源之介と木村玄太郎の功労で、平士と組士の作った指物は江戸で一躍有名になった。仙台指物は江戸で飛ぶように売れ、窮乏していた仙台伊達家の財政は持ちなおした。平士と組士を『鋸侍』と揶揄した召出は一挙に口を閉ざしたが、手柄を平士と組士に奪われたと妬んだ。
八重が十三の夏。
二度目の冷害で、仙台伊達家の財政悪化に苦しんだ藩主は、平士と組士が町人になるのを許可し、平士と組士に暇をとらせた。藩士の口減らしだ。
平士頭の佐藤源之介は仙台伊達家から暇をもらって名を源助と改め、妻の奈緒と長女の八重と次女の多恵とともに町人になった。
八重が十四の初夏。皐月(五月)十日。
町人源助は江戸指物師仲間の伝手を頼り、指物師として家族とともに江戸へ出て、日本橋元大工町の長屋に居を構えた。
しかし、
「狭いのと、この水。私には合いませぬ。こんな事なら、仙台の方が、まだ、ましです。
私は佐恵がいる仙台に戻ります。木村殿に住いを探してもらいます。
多恵も私に同意しています。多恵ともども仙台に戻りますっ」
妻の奈緒と次女の多恵は、長屋住人と協同使用の厠や、土間と六畳一間の長屋に三日で音を上げた。
「わかった」
一度言いだしたら人の言う事を聞かぬ奈緒だ。源助は妻を説得するのを諦め、好きなようにさせた。次女の多惠も一度言いだしたら後には引ぬ性格で、母似だ。容姿が八重と瓜二つの多恵の性格は、実直な父や父似の八重とは大違いだ。
奈緒と多恵は、木村玄太郎の養女になっている三女の佐恵が居る仙台へ、蜻蛉返りするように旅立った。
八重は思った。長屋が狭いと言う母と多恵の気持ちはわかるが、水が合わぬとの母の言い分は嘘だ。多恵も水が合わぬとは思っていない。多恵の性格は母似で、私は父似だ。それは表向きだ。根本的な所は、多恵も私と似ている。
多恵が仙台に戻ったのは、あの与三郎だ。多恵はろくでもない男に手を出した。そのせいもあって江戸に出たというに・・・。おそらく多恵の男好きは母似だろう・・・。八重は、男好きな多恵の性格を恨んだ。
母が仙台に戻ったのは離縁と同じだ。これまで母が父に対して誠実を欠いたことはないが、これで母の不誠実な性格が明らかになった。もしやして、仙台に愛しい男でもいるのだろうか・・・。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます