最悪の出会いは雪の日に (4)

 風呂を上がった彼に、一先ずローブを着せ自室に戻る。鏡に分厚い布がかかっているドレッサーの前に彼を座らせた。長年の汚れで黒くくすんでいた肌は本来の白さを取り戻していた。


 手でオイルを伸ばし、長い髪に塗り付ける。髪を乾かしてから、絡まったグレーの髪を梳かしていく。退屈そうに彼は私に話しかけた。


「で、何をして遊ぶ気だ?」

「ん? 今、私はとても楽しい遊びをしているが」

「俺の髪を触るのが、お前の遊びか?」

「半分は合っている。君というこの上なく素晴らしい素材を、私の手で更にどこまで美しくできるかを試している」

「要は俺を玩具おもちゃにしているのか」

「ふっ。完成は期待してくれていて良いぞ?」


 彼は心底呆れたように溜息を吐いている。一切期待をしていないらしい彼を見ていると、絶対に美しくしてやろうという闘志が密かに湧き上がった。


 私は正面から彼の顔を眺める。イエローとゴールドが混ざった翳りのない瞳と切長の目は凛としていて、何処となく東洋的な容貌をしている。色が白い肌と薄い唇には女性的な美しさもたたえていた。



 結局、髪は傷みが酷かったため、肩口で切り落とした。顔全体を覆える長さがあった前髪も、下ろしていても前が見える長さになるように眉の近くで切った。仕上げに細かくハサミを入れ直していく。

 髪を切り終え、再び櫛を入れる。サラサラになり、艶がでた髪が櫛の間を流れ落ちていった。



 髪を整えた後、彼を衣装室に連れて行く。隙間なく並んだ衣服に彼は圧倒されていた。


「そういえば俺が着ていたものは?」

「既に処分した」

「……何だと?」

「あんなもの君には似合わない」


 彼が言葉を失っている間に、私は手早く服を彼の背に合わせ、サイズを見ていく。

「そうだ。何か服に要望はあるか?」

「そんなもの無い。着られさえすれば何でもいい」

「ならば、私が選んでいいか?」

「任せる」

「分かった。ならばこれで」

「選ぶとは……?」

 私は選んだ物を彼に渡す。着方に戸惑っている彼にそれを着せていく。

 


「これで良……くない。まだだ」

 自室に戻り彼の姿を正面から見た私は、再び彼をドレッサーの前に座らせる。男に殴られたせいで赤くなっている痛々しい頬が目についたからだった。


「……痛いな。それは」


 彼の頬に手を添える。突然頬に触れられた彼は驚いた顔をしている。氷のようだった体は随分温かくなっており、私の手の方が冷たいほどだった。


 私はドレッサーの引き出しから白粉を取り出す。それをそっと頬に載せ、赤みを隠していった。


「うん。これで良い。完成だ」


 ドレッサーの鏡にかかっていた布を取ると、私は椅子に座る彼の背後に回る。鏡がよく見えるように前を空けた。彼の肩に手を置く。

「じっくり見るがいい。君は誰よりも美しい」

 鏡を見るなり、彼は長い間言葉を失っていた。

「……本当にこれが俺か?」

「ああ」


 彼が再び絶句していると、ドアを叩く音がした。ドアの向こうから声がかけられる。返事をすると、先程のメイドが医者を連れて部屋に入ってきた。

「医者を連れて参りました。それと旦那様からノア様に伝言です。後ほど執務室へ、とのことです」

「そうか。後で行くと伝えておけ」

 ちらとドレッサーの方を見たメイドは、見違える程に美しくなった彼を見て目を丸くした。

「……ところで、そちらは全てノア様がご自分で?」

「ああ。先程お前は彼のことを『これ』と言ったな。人は物じゃない。彼に謝罪しろ」

「……発言を撤回させて頂きます。誠に申し訳ございませんでした」

 メイドに頭を下げられた彼は、助けてくれとでも言いたげに私を見た。

「当然だろう。君には意志があり感情があり、そして心がある。もう一度言うが、君は人であって物ではない。君自身もよく覚えておけ」


 私はメイドを部屋から下がらせ、医者に彼の診察をさせる。そして、貧民街の不衛生な環境が原因で肺がひどい炎症を起こしていることが判明した。療養すればひと月も経てば完治するだろうという医者の言葉に私は安堵した。



 診察を終えた医者が部屋を出ると、彼は顔に濃い疲労の色を滲ませた。

「ははっ。疲れたか?」

「物凄く」

「疲れているところ悪いが、夕食を食べようか」


 メイドを呼び、自室で夕食をとりたいと伝えると、テキパキと準備が始められる。目の前に料理が並んでいく様子を彼は放心状態で眺めていた。いつにも増して空腹だった私は、準備を終えたメイド達が退室するとすぐに食事を始める。

 しかし彼は、私が食べ始めてから暫くしても料理に手をつける素振りすら見せない。


「食べないのか? 冷めてしまうぞ?」

「……俺も食べていいのか?」

「勿論。初めからそのつもりだ」


 バスケットに入っている、焼き立てで温かいパンを一つ皿に乗せて彼に渡す。彼は両手で私から皿を受け取った。

「私しか居ないから、気にせず好きに食べればいい」

 彼はゆっくりとパンを口にした。その様子を見届けて、私は再び自分の手を動かし始める。妙に長い沈黙が続き、顔を上げた私は目を見開いた。



 ――パンを両手で大切に持ったまま、彼は静かに涙を流していた。



 私の視線に気づいた彼は、濡れた瞳を向ける。


「本当に良いのか? 俺なんかが食べても」

「良いとも。たくさん食べろ」


 今までまともな物を食べていなかったのであろう彼は絶えず涙を溢しながら、パンをもう一口頬張る。


「…………おいしい」

「良かった。これも塗ると良い。パンがもっと美味しくなる」


 私は彼に小皿に乗ったバターを勧める。私達はすっかり食事が冷めてしまうほど長い時間食卓を囲んでいた。




 ――十日ほどが経とうとしていた頃


 予定よりも早くに病状は完全に回復し、骨と皮だけだった彼の身体には少しずつ肉がつき始めていた。痛々しい傷も薄れてきた。髪も以前より格段に艶が増している。客室のソファーで寛いでいた私は彼に声を掛けた。


「体はもう良くなったか?」

「ああ」

「それは良かった。……あ、そういえば聞いていなかったな。君、名前は?」

「…………無い」


 ベッドで体を起こしていた彼は窓の外を眺めながら答える。私もつられるように外を見た。水色の空には雲一つかかっていなかった。冬の澄んだ空気のお陰で、遠くの街まで見渡すことができる。


「そうか」


 ソファーから降り、彼に近づいた私はベッドの縁に腰を下ろした。


「此方を向いてごらん」


 彼の顔を凝視したまま黙り込んだ私を、彼は不安げに見つめていた。



「――リオン。うん。リオンだ」



 彼は眉を顰める。

「……なに?」

「私から君に名を贈ろう。嫌か?」

「嫌……じゃないが……。なんで俺に名前なんか」


「君自身を、君を取り巻く世界を変えるきっかけとして、私は君に名を与える。だが、私が君にしてやれるのはきっかけをつくるまで。これをどう使うかは君次第だ。


 長い間私に付き合ってくれてありがとう。対価は確かに受け取った。だから、私と君の関係もこれで終わりだ」


 私はベットから降りると、部屋の出口に向かって歩き始める。


「……待て」


 呼び止められた私は振り返る。

「まだ何か?」

 いつの間にかベッドから出てきていた彼は私に歩み寄る。彼はいつになく真剣な顔で言った。



「お前と話がしたい」

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