最悪の出会いは雪の日に (2)
「なあ。お前、この辺のやつじゃないだろ」
「……ああ」
「明らかに身形が違うからな。服を変えたぐらいでは誤魔化せてない。俺みたいな奴に関わるな。碌なことにならない」
「それは難しいな。既に関わった後だ」
「どうでもいいからさっさと失せろ。お前のような呑気なガキがいて良い所じゃない」
彼はよろける足でその場を去ろうとする。私は咄嗟に彼の腕を掴んだ。
「……何だよ。離せ」
「私はあの耳飾りで君を助けた。私が君にその対価を求めるのは当然の事だと思わないか?」
「はあ? 俺はお前に助けてくれなんて……!」
話している途中で突如彼は咳き込み始めた。普通ではなく、明らかに異常な咳だった。咳が止まらなくなった彼はその場に蹲ると、服の中から薬を取り出した。丸い薬を幾つか手に乗せ、それを飲み込む。薬は今にも底をつきそうだった。
私は着ていた上着を一枚脱ぎ、冷え切った薄い体にかけてやる。薬を飲んで暫くすると、徐々に咳がおさまった。
「病気なのか? 薬を買う為に、あれを盗ったのか?」
「ほっとけ」
その顔に初めて苦痛の色を滲ませた彼は、尚も私の事を強く睨み付ける。
私は彼を見下ろしながら言う。
「私は君に対価を求める」
彼は鼻で笑った。
「は。しつこいな、お前。見ての通り、金なんか持ってない。無一文の俺から、これ以上に何を取ろうってんだ」
「対価として、暫く私に付き合え」
彼は盛大に顔を顰めた。
「はあ?」
私は彼の腕を掴む。氷水を浴びせられた彼の身体は雪よりも冷たくなっていた。
彼の手を引いて、路地に出た私は愕然とした。仲間を引き連れた先ほどの男達に包囲されていた。
「…………うわあ」
「ほら。忠告はしてやったのに」
私は小声で彼を呼び寄せ、耳打ちする。
「何をしたらこんなに恨みを買うんだ?」
「それもあるが、お前があんな奴らに金目の物を渡すからだ」
「なに。私のせいか?」
一番体格が良く、リーダー格らしき男が言う。
「ははは。これは金になりそうだなあ?」
物騒な物を持った男たちはジリジリと私達に近づいてくる。
「お前、こんな弱そうなチビにしてやられたのか! 情けねえなあ?!」
リーダーの男は、さっき私の顔を見て逃げた男の鳩尾を殴る。殴られた男はその場に崩れ落ちた。リーダー格の男は下種い笑いを浮かべながら私に言う。
「なあに、殺しはしない。少し痛い目にあってもらうだけだ。なにせ、小さい方は高く売れそうだからな!」
私の身を売ろうとする男達から一斉に卑しい目を向けられる。男の言葉を聞いた私は心底愉快な気持ちだった。堪えきれなくなり思わず笑い声を漏らした私に、隣にいた彼を含めたその場にいる全員が奇異の目を向ける。
「私に売り物になれるほどの価値があるとは思いもしなかった。今まで言われた言葉の中で一番嬉しい。彼にさえ手を出さないと約束してくれるのなら、私は抵抗しない。ほら。好きにしてくれ」
私は笑みを絶やさず、リーダー格の男に向けて手を伸ばす。
「おい! 自分が何を言ってるのか分かってんのか!」
私の隣にいた彼はゾッとした顔をして、男に伸ばした私の腕を力強く叩き落とした。
「勿論。私なぞにどれだけの値が付くのかが知りたいんだ。幾らで売れると思う?」
顔を顰めた彼は私の肩を掴み、男達の方が見えないように体ごと自分の方へと引き寄せる。私を見下ろながら彼は言う。
「……お前、頭いかれてるな」
「いかれてるという言葉は初めて聞いた。褒め言葉か?」
「最高の褒め言葉だ」
嬉しそうに笑った私を見て、彼はますます顔を歪める。
彼は男たちの方をまっすぐに見据えて問う。
「こいつだけ見逃してくれと言ったら? 気が狂ってるから、大して金にもならないだろ」
「それは出来ねえな。そいつが付けてる装飾品だけでも大金になる」
「あー、そうだったな。聞くだけ無駄だった」
彼は私が肩にかけた上着を腰に巻くと、ズボンをたくしあげる。太腿にはベルトで一本の短いナイフが括り付けてられていた。恐らく盗品らしいナイフは錆一つない綺麗な物だった。私は彼に尋ねる。
「何をする気だ?」
「今、俺は万全の状態じゃない。長期戦は絶望的。しかもお前という足手纏い付きだ。そしてこの人数に対して俺一人。まともにやれば確実に負ける。だから隙を作って逃げる。逃げ切れれば俺の勝ちだ」
先程までよろけていたのが嘘のように、しっかりとした足取りの彼は私を背に庇った。私を睨み付けた彼は、私の小さな手を握る。彼は琥珀色の瞳の中に激しい怒りを燃やしていた。
「――お前はあいつらには渡してやらない」
「君はどうやら私を喜ばせるのが上手いらしい」
正面に向き直った彼は、骨を折る勢いで私の手を握りしめた。
「苛つく。黙ってろ」
飛ぶような軽さで地面を蹴る。姿勢を低くすると、一気に速度を上げる。それをきっかけに、私達を逃すまいと男たちは一斉に襲いかかってきた。
長い脚を使い、器用に男の腹を蹴り上げる。バランスを崩した男の大きい体を人が多い方に蹴り飛ばす。折れそうな体のどこにそのような力があるのか不思議だなと、手を引かれる私はしみじみと思っていた。
雪は少しずつ酷くなってきている。幸か不幸か、視界は最悪だった。
彼は私を脇に抱え、振りかざされる鈍器を地面につきそうなほど体を低くして避ける。その一瞬の間で、男の脚をナイフで浅く切り付ける。最小限の動きで男の足の自由を奪い、隙間を縫うように抜けていく。
男に正面を塞がれ、やむを得ず一度私を下ろした彼は、錆びた剣を、手に持つ刃の短いナイフで器用に受け止める。殺意を向ける正面の男と交戦しながら、彼は背後の私に鋭く言う。
「右」
「みぎ?」
右を見ると、丁度私に向けて赤錆びた刃が振り下ろされているところだった。前を向いたまま、彼は呆けている私の襟首を掴み、人が居ない方へ強く突き飛ばす。視界に入っていない場所も含め、彼は四方の状況全てを正確に把握していた。私が居た所には、恐ろしい速さで刃が下りていた。
彼は男の相手をするのをやめ、素早く距離をとると、横にあった壁を蹴った。長い髪が緩慢に広がる。その美しい様子に私は場違いな感慨に耽っていた。突っ立ったままの私の前に彼は軽やかに着地する。
「
不機嫌極まりない声で言った彼は私を細い腕で抱き上げた。私を腕に抱いたまま、大勢の男達を相手に一人で応戦し始める。舞を見ているかのような可憐さだった。大胆かつ俊敏な動きで男達を翻弄する様は爽快だった。
それでも私を抱いているせいで動きにくいのか、彼の体には幾つも切り傷が増えていく。私を置いてさえいけば、彼は傷一つ負わずにこの場から逃げ出せたに違いなかった。彼がなぜそこまでして私のことを守ろうとするのか理解できなかった。
「ちっ」
肩で息を切らしながら、彼は舌打ちをする。初めと比べて、僅かではあるが動きに重さが見え始めていた。
一度上を睨み付けた彼はナイフを仕舞うと、私の体を抱く腕に力を込める。垂直の壁を平面のように駆けると、向かい側の家の屋根に向かって飛ぶ。体が宙に投げ出されると、浮遊感がただ心地良かった。
彼は華麗に屋根の上に着地する。浅く積もっていた雪がふわりと舞った。彼は私を屋根に下ろす。
「お前。家は?」
私が家の方角を小さく指し示す。
「先にあいつらを撒く。走れ」
彼は私の手を引き、家とは反対の方向へ走り出した。
次々と屋根を飛び移っていく。彼は全ての空気の抵抗を一身に受けながら、走る速さは落とさない。その上、屋根を飛び移る時には上手く私の補助をしている。彼の補助を受け、いつになく体が軽い私は風にでもなった気分だった。
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