第3話 野戦病院

 ガバッと立ち上がったのはいいが、急激な目眩を覚え、僕は尻餅をついた。ノエルは「言わんこっちゃない」と呟く。


「大丈夫?」


「ダメかも……。疲れが急に出てきたのかな?」


「違う。私に魔力をくれたからだよ。普通なら一週間ぐらいは寝たきりになるはずなんだけど、ウィルは他の男とは少し違うよね」


「そうかな?」


「ふふ。魔法であらかた吹き飛ばしたから、敵はこないと思う。ちょっと休んでいなよ。しばらくすれば本営から衛生兵も来るだろうし」


 ノエルは僕の隣に腰掛けると、自分の太ももをトントンと叩いた。膝枕をしてやるという意味だろうか? いいんですか? 


「枕があるとないとでは、睡眠の質が異なると聞いた」


 僕のように下心で溢れていない、善意で満ちた紅い色の瞳。自分がひどく下品な人間のようで恥ずかしくなる。


 こんな可愛いくて良い子が僕とキスをしたなんて、現実感が全然ない。


 ノエルの顔はいまだに恥ずかしくて直視できない。直視できないが膝枕の魅力に抗えず、のそのそと移動する。

 ノエルの膝枕は、とても幸せな感覚だった。天国とはここなのかもしれない。


 今僕が陥っている帝国と共和国の戦争世界は、バイク事故で車に吹っ飛ばされ、宙を舞っているときに童貞がみた悪夢なのではないかと思ってしまう。


 なんにせよ、ノエルの太ももは素晴らしい。たとえ悪夢でもまだ覚めないで欲しい。ノエルが頭を軽くポンポンと叩く。それが不愉快ではなく非常に心地よく、僕は久しぶりの深い眠りに落ちた。


 ◻︎


 よく干されたシーツの香りと薬品の香り。ゆっくりと体を起こす。久々に柔らかいベッドに寝られた。柔らかい日差しが顔にあたる。

 白い病室と白いベッドもしかしたら現代の日本に帰ったのかなと期待するが、帝国軍の軍服の上に白衣を着ている女医さんを見つけ、ため息をつく。異世界転生の悪夢はまだ終わらないようだ。


 下半身が重たくて視線を向けると、ノエルが眠っていた。金糸のような長い金髪を垂らして無防備に寝ている姿は、絵画に描かれた女神のようだ。


「ノエル姫は、寝ずに看病していたのよ。感謝しなさい」


 女医さんが言った。ノエルと一緒なら、この楽しい悪夢も悪くない。まだ終わらなくてもいい。


「寝ず? 僕は何日くらい寝ていたのですか?」


「丸三日かしら」


「三日も……」


 ちょっとの休憩がこのザマか。

 どうやら起きることができず、野戦病院の個室にぶち込まれたようだ。この世界では稀少な男であり、帝国貴族様のノエルが口添えしたから優遇されたのだろう。


 野戦病院には僕より怪我をしている女性の一般兵が、狭い部屋に何人もぶち込まれている。回復魔法がある分、日本より、こちらの野戦病院には悲惨さがない。

 腕がちぎれていても、魔法を使えばあっという間に繋がる。


 よほど粉々にならない限り、五体満足で戦場に復帰できる。義体の技術もこちらが上だ。

 だから延々と共和国との戦争が十年続いているのに終わらない。人的資源が尽きないから。


「ん……? ウィル。起きた?」


「……うん。久しぶりによく寝れた。ありがとう」


「うん」


 ノエルは白い歯を見せて眠たそうに笑った。僕は答えると同時に、お腹がなった。女医さんが「くっく」と笑う。とても大きな音だったようだ。

 ノエルは笑い声で女医さんの存在に気がついたのか、真っ赤な顔をして小さくなり、「あぅ」と小さく声を漏らす。

 戦場ではない時のノエルは、極度のコミュ症だ。自分に自信が持てないらしい。


「体調は良いようですね。検査を済ませたら食事を運ばせます」


「どうもです」


「ノエル姫もご一緒に食事を摂りますか? 用意いたしますが」


「あ、う……いや……はひ……お邪魔じゃなければ……」


 ノエルは手をワタワタ振りながら、小さく頷いた。


 女医さんは手早く検査をしてから、食事を持って来てくれた。味の薄いスープと硬いパンだ。前線で出される飯よりはましだ。温かいから。あと、ノエルがいるからなのは間違いない。


「ノエル姫。ご命令で、ウィル君の魔力量を調べました」


 食事をしている横で、椅子に腰掛けた女医さんがボードを手に持ち、調査結果を報告し始めた。僕はノエルをチラリと見る。猫背でもしょもしょとパンを食べている。リスみたいで可愛い。


「ウィル君の魔力量は一般男性、つまり甲種の戦略物資と比べて、七倍以上あります」


「……あ、あの……たった、それだけ……ですか? あと、ウィルは戦略物資じゃない……」


 他の人より七倍あれば十分凄いと思うけど、ノエルは不満のようだ。それで、僕のために親しくない人に質問をしたうえで、噛みついている。


「失礼しました。魔力量ですがノエル姫に魔力を吸われた後に測った量なので、通常時は倍以上はあるかと。……ただ、特筆すべき点があります。それは魔力の回復速度です」


「回復速度?」


「普通、男性は魔力の回復が始まるまでに、半年から一年は枯渇状態を挟む必要があります。ですが、ウィル君の枯渇状態は一日から二日です。もうすでに魔力の回復が始まっております!」


「現時点で魔力量が一般人と比べて七倍以上。その上、魔力の回復速度が異常……」


「ええ。これはすごいことですよ、ノエル姫!」


 女医さんは、面白い実験生物を見つけたような鋭い眼光を僕に向けた。やだ怖い。冗談抜きに実験生物程度にしか思ってなさそうだ。ノエルがいなければ、何をされたことやらわからない。きっとどこかに監禁されて色々とされたのだろう。


 多分、童貞と引き換えに死んだ方がマシのようなことになる。


「ウィル君のような魔力の回復速度が速い男を、血統の良い軍馬のように生産し量産できれば、共和国とのパワーバランスは崩壊するでしょう」


 ノエルはとたんに不機嫌そうに眉を寄せ、むっつりと黙ってしまった。

 代わりに「そうなのですか?」と僕は尋ねる。


「そうよ。いい、ウィル君。不可能と言われた『魔力』の兵站運用ができるのよ。これは魔女という兵種を安定的な運用に繋がるの。まさに軍事革命。現在の戦術戦略がすべて過去の物になるわ!」


 魔女の安定した運用か。戦場のいたるところで核爆発級の戦災が起きるのか。ドキッとするなぁ。


 それに、自分が物扱いされているので、あまり聞いていて楽しい話ではない。生産に量産って、僕は種馬じゃないぞ! と思うが、そういうただれた生活も悪くないかもなんて馬鹿なことが脳裏をよぎる。


 僕の考えを見透かしたのか、ノエルに睨まれた。ノエルには嘘がつけない。紅蓮に燃える真紅の瞳に睨まれると、僕はどうしようもなくなってしまう。たぶん、この世界で一番怖いのが不機嫌なノエル=フォン=ゼアだと思う。


「ウィル君の血統の量産化ができたあかつきには、帝国に叛逆した共和国に王国、連合国、皇国を征伐してやりましょう。帝国悲願の世界平和のために……! いかがですか、ノエル姫。ご命令を!」 


「……この話は、これで終わりです」


 強い口調でノエルは言い切った。ノエルが日常生活でここまで語気を強めるのは滅多にない。


 女医さんは「ええ!」とひどく驚いていた。まさか自分の話が却下されるとは思っていなかったのだろう。


 世界平和のための提言を却下されるなんて、普通は思わないからな。さしずめ僕なんかは世界平和のための尊い犠牲かなんかだ。人権なんて肥溜めより価値のないこの世界、ノエルがいなかったら僕は酷い目にあっていたぞ、間違いなく。


 女医さんは不満げな表情をしたが、「わかりました」と口をつぐんだ。


 多分、納得していない声色だ。面倒くさいことになりそう。




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