第10話
まさかまた弟子をとることになるとはと、フィリアは事の顛末に少し驚きながら洞窟の中を歩いていた。
無理にでもついていくと言う魔法使い見習いのピルチャに魔法の使い方を教えながら、フィリアは旅を続けておりそして今はなぜか洞窟の中にいた。
「うう、ここ足元べちゃべちゃで歩きにくい……」
「ピルチャは体幹が弱いんだろ。ほら、俺みたいに普段から体を鍛えてると……うわぁ!」
「あはは、転んでるじゃない!」
「み、見るな!」
歩きずらい足場をものともせずに進むエドを先頭とし、その後にフィリアが歩いていた。その後ろにはピルチャとエイデンが歩いていたのだが、エイデンは足元のぬかるみに足を取られて盛大に転んでしまったようだ。
びちゃりと泥が跳ねた音がした。
フィリアが灯りを向けると、エイデンは顔を真っ赤にして立ち上がると服についた泥をはらい、顔を逸らして不貞腐れていた。
かっこつけたいお年頃、というやつなのだろう。どうもエイデンはピルチャの前で良いところを見せたがっているような気がする。
そういうことなのかな、と察しながらも本人がなにも言わないでのフィリアも言及しないでおくことにしている。
泥まみれになったエイデンを見てくすくす笑うピルチャは思いの外思い切りがよく、最初こそ魔獣相手に怯えている様子が見られたが、経験を積むごとに確実に実力を身につけられていると思う。
表情豊かで楽しげな二人がいると、魔女の旅路も自然と明るくなるものだ。
「さっさと外に出ましょうか」
「はい!」
「ああ、言われなくても。はやく服着替えたいし」
「最初に洞窟に入ろうって言ったのエイデンなのに……」
「うるせ」
きゃいきゃいと騒がしい二人を引き連れて、洞窟を進む。水気の多いこの洞窟内には魔獣の姿こそ見えないものの、いくつかの生活痕があった。おそらく水分補給をここで行なっている魔獣がいるのだろう。
こんな狭いところで魔獣とかち合うのは遠慮したいところだ。魔獣を倒すために変に魔法を使えば洞窟が崩壊しかねない。力の微調整ができないこともないが、正直なところ吹き飛ばすのが一番楽なのである。
なによりこんな場所での魔獣との遭遇はピルチャやエイデンにはまだ早い。身動きが取りにくい場所での戦闘はもう少し経験を積んでからにした方がいいだろう。
以上の考えを持って、フィリアは洞窟から出ることを提案した。
洞窟内でいくつかの魔石を手に入れられたし、少し変わった薬草も採取できた。これだけの成果があればじゅうぶんと言えるだろう。
「ふぃ、フィー!」
「……? どうかしたの、エド」
転んだエイデンが立ち上がるのを待っていたフィリアたちよりも何歩も先に進んでいたはずのエドが鳴き声を上げながら飛んできた。
フィリアがエドを抱き止め首を傾げると、エドが飛んできた方――つまり洞窟の奥――から低い唸り声がかすかに聞こえた。
「フィリアさん? どうかされたんですか?」
「この先に魔獣がいるみたい」
「へっ、そんなの俺が倒してやるよ!」
「駄目。貴方じゃまだ実力が足りていない。私が相手をするから、二人はおとなしくしていて」
意気揚々と洞窟の奥へと進もうとするエイデンを制止し、フィリアは魔獣に向かって歩み出す。
洞窟を崩壊させない程度の魔力で魔獣を潰す。魔女とまで呼ばれるフィリアにその程度のことができないはずがない。
「フィー!」
「ちょっと、エド⁉︎」
フィリアが魔獣に近づき、魔獣もジリジリとフィリアに近づいていた。そこにエドが飛び出してきて、エドは魔獣に体当たりをした。
魔獣の四本ある足が急な衝撃に驚いてふらつく。しかしその程度だ。エドには魔獣に少しのふらつきを覚えさる程度の力しかなかった。
「エド、引っ込んでいなさい」
「フィー!」
フィリアの制止を無視して、エドは魔獣にまた体当たりを仕掛けた。しかし魔獣もそれを見越していたのかさらりと身を躱した。エドはそのまま魔獣の向こう側に飛んでいき、灯りのない方へと姿を消してしまった。
「なにやってんだよ、あいつ!」
「別に気にしなくていい。もとより魔獣の相手は私がするつもりだったから」
自分より数倍も体の大きい魔獣に果敢に攻撃を仕掛けたエドだったが、それは残念な結果に終わった。それを見てエイデンは悔しそうな表情をしている。
「せっかくだからピルチャも見ていて。貴方は水魔法を得意としているようだから、私は今から水魔法を使ってあれを倒すわ。技は見て盗め、だったかしら」
「はい、フィリア師匠!」
ピルチャは水魔法に適性があるようで、他の属性の魔法よりも水魔法を使った魔法の方が威力が大きいという結果が今までの旅の中で出ていた。
だからフィリアはピルチャも使える水魔法を使って魔獣を攻撃し、ぬかるんだ足場すらも利用して魔獣の攻撃を無効化した。
魔獣の動きを制限した後、どかんと一発水魔法を魔獣の頭にぶつけてしまえば魔獣はすぐにおとなしくなった。
「すごい……豪快に見えて洞窟を壊さないように細かな魔力調整を行なった繊細な魔法の使い方……もう一度見たい!」
「また機会があればね」
感心するピルチャに適当に相槌を打って、勢いで奥まで飛んでいったエドのあとを追う。
エイデンは出番がなくて少し拗ねてしまったが、ご飯を食べる頃には機嫌も元に戻っているだろう。
「……待って」
フィリアは急に立ち止まって二人に声をかけた。
「この先、まだ魔獣がいるみたい」
フィリアの耳にはピルチャやエイデンには聞こえないレベルの魔獣の唸り声が届いていた。フィリアは混血ゆえに人より少しばかり優れた聴覚を持っていた。
「数は三、程度」
耳を澄まして魔獣の唸り声から数を探り当てる。
声色からしてエドではないことはたしかだ。それに数は間違いなく一体以上である。
「エドはどこまで行ったんだろうな。ハッ、もしかしてこの先にいる魔獣に食われちまったんじゃ」
「ちょ、縁起でもないこと言わないでよ!」
狭く一本道な洞窟である以上、エイデンの言う通り姿の見えないエドが心配だ。
危機を察知して一人だけででも逃げ出してくれていると良いのだが、そうするにはフィリアたちの方に戻ってくるか、魔獣の群れを突破しなければならない。
だがフィリアが聞こえた魔獣の声の中にエドの鳴き声が混じっていなかった。すでに魔獣の群れを通り越したか、それともエイデンの言う通り魔獣の群れに襲われて悲惨な目に遭っているか。
「……二人はここで待っていて。私が先に様子を見に行ってくる」
先程の魔獣は全長二メートルほどだった。聞こえてきた唸り声が同じなので、おそらく同種の魔獣だと思われるが、その群れに襲われたらただのスライムにはそう勝ち目はないだろう。
エドだけではない、スライム自体が弱くはないが決して強くもないのだ。カーストで言うならば良くても中の下に位置する魔獣だ。
「エド……!」
フィリアはエドの名を呟きながら走る。
エド。この子の名前の由来であるエドワード。彼はもういない。なにが魔女だ。弟子の一人を救うことすらできなかったのに。
ここでエドすら救えなかったら、本当に自分は無能だ。今度こそは救いたい。もう二度と、誰かを失いたくない。
フィリアの脳内に駆け巡るエドワードとの思い出を糧にするようにフィリアは足を速めた。
そして魔獣の群れに辿り着く。
「……え」
急いで魔獣の元に駆けつけたフィリア。エドが逃げた後なら安心して魔獣を倒せる。もしエドが魔獣に襲われていたら、すぐにでも助ける。
そのつもりでいたが、眼前に広がる光景に驚いて、体の動きが止まった。口からは小さな言葉がぽつりと漏れる。
「……フィー!」
「うそ、これ、エドがやったの?」
三体の魔獣が地面に伏し、気を失っている。その中心にはエドがおり、フィリアの存在に気がつくや否や元気そうに飛びついてきた。
四足歩行の狼型の魔獣はどの国でもポピュラーな魔獣で、至るところに存在する。魔獣の中でのカーストは中から中の上ほど。
スライムが大勢で一体を囲んで倒すことは可能だろう。しかしスライム一匹で、三体の魔獣を倒すのは見たことないし、聞いたこともない。
それほどの戦闘能力をスライムが有しているというのか。それともエドが他のスライムより攻撃に特化した個体だということなのだろうか。
「……エド、怪我はない?」
「フィ!」
ドヤ、と言わんばかりの表情でまんまるボディを見せつけてくるエドの体に攻撃された痕はない。怪我はしていないようだ。
「エド、貴方って結構すごいのね」
「フィ……フィー!」
フィリアがエドを褒めると、エドはとても嬉しそうにしている。興奮しているのかぴょんぴょんと飛び回っており、元気そのものだ。
「フィ、フィー!」
元気にその場でぴょんぴょんしていたエドが急に声色を変えてこちらに突っ込んできた。
想定外の出来事にフィリアは対応できず、エドとの衝突で尻餅をついた。
「っ、エド!」
なにをするの、と叱ろうとしたフィリアの頭上に影が見えた。
それは手のよう姿をしており、鋭い爪を持っていた。あのままフィリアがあの場に立ち尽くしていたら、間違いなくあの鋭利な爪に頭を切り裂かれていたことだろう。
「なに⁉︎」
フィリアはエドを抱え込んでそのまま後方へと飛び退く。
鋭利な爪を持つ者と距離をとって見ると、それは熊だった。
「……なるほど、魔獣じゃないから気づけなかった」
魔獣は体内に少なからず魔力を持ち合わせている。故にフィリアにはそれを探知する力があったのだが、魔力を持ち合わせていないただの生き物にはそれは発動しない。
エドが魔獣を倒したという事実に驚いて、熊が背後から近づいていることに気がつけなかったようだ。
しかし魔獣であれそれ以外の生き物であれ、対処法は変わらない。敵対してくるようなら潰すか燃やす。それだけだ。
自身の危険を省みず、フィリアを助けてくれたエドを大切に抱き抱えながら、フィリアは熊に魔法をぶつけようとした。
熊も狩りのモードに入っているようなので、戦闘は避けられない。フィリアが魔法を使う前に、熊が一歩前に踏み出し――そしてそのままばたりと倒れた。
「……え?」
完全にやる気モードだったフィリアは急に熊が倒れたことにきょとんとした。
こちらはまだなにも攻撃を仕掛けていない。なのに熊は勝手に倒れてしまった。
「おっと、大丈夫かいお嬢さん方」
「……」
倒れ込んだ熊の向こう側から人が姿を現し、なんてことなさそうな顔でこちらに声をかけてきた。
男性の手には剣が握られている。おそらく先の熊を倒したのは彼なのだろう。
「……おーい、大丈夫か? もしかしてどっか怪我してんじゃ」
「いいえ、それは大丈夫。ただこんな辺鄙なところにある洞窟に人がいるとは思わなかったから。少し驚いただけ」
心配そうにフィリアの顔を覗き込む男性に、フィリアは首を横に振った。
すると男性はホッと胸を撫で下ろした。
「そっか、ならいいんだ。それよりひとつ質問していいか?」
「なにかしら」
「――出口ってどこにあるの?」
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