第8話

「あの、貴方はレストランにスライムを連れてきていたお客様ですよね? お名前は」

「森を出るのが先。また魔獣に囲まれる」

「えっ」

「走れば良いんだな?」

「いえ、飛ぶわ」

「え?」

「は?」


 フィリアだけなら魔獣など取るに足らない存在だ。しかし戦闘経験の浅い二人を連れて動くのは少し面倒だった。なのでフィリアはここに来た時と同じく、空を飛んで移動しようと考えた。

 フィリアの言葉に困惑する二人の手を引いて、簡易箒の後ろに乗せる。


「しっかり掴まっていて」

「ちょ」

「え、待っ、きゃあー!」


 静かな森の上空でピルチャの悲鳴がこだまする。

 足元にはフィリアたちを見上げる魔獣の姿があった。やはり逃走経路を上空にしたのは正解だったようだ。

 空なら大抵の魔獣は追いかけてこない。翼を持たないので追いかけたくても追いかけられないのだ。


「そ、空、俺今空を飛んでる⁉︎」

「高い高い高ーい! うそ、これ上位魔法じゃない! 空飛べるなんてすごいわ! けど、怖いのだけど!」

「お、落ち着けよピルチャ! 騒がれるとこっちまで揺れる! 今落ちたらお前のせいだかんな!」

「二人ともうるさい」


 初めての空に動揺を隠せない二人を黙らせ、フィリアは町の入り口まで戻った。


「あ」


 二人を下ろすと同時に箒は折れてしまった。元々三人乗りを想定して作った訳ではないし、なにより簡易的に作ったものなので強度ははなからそう高くはない。むしろよくここまで保ってくれたと賞賛するべきだろう。

 折れてただの枝になってしまったものを放り捨てると、急速に近づいてくる影に気づいた。

 それは勢いを落とすことなく町の中から飛んでくる。


「わっ、と」


 ぴょーんとフィリアに飛びついてくるスライムをフィリアは抱き止めた。


「エド」

「フィー⁉︎」


 心なしかエドは怒っている気がする。鳴き声がいつもの三倍くらいうるさい。


「スライムさんだ」

「キー!」

「ちょっと」


 ピルチャがレストランの時のようにエドに手を伸ばす。するとエドは口を大きく開いて威嚇態勢に入った。それをフィリアが抑える。


「も、もしかして怒ってる?」

「そうかもしれない。彼のこと、放ってきちゃったから」

「ご、ごめんなさいね。エドくんの大切なご主人さまをお借りして。でも別に危害を加えようとかはしてないの、本当よ?」

「おい、ピルチャ。魔獣に話しかけても無駄だって。こいつらに人の言葉はわかんねぇよ」

「キッ」

「いてっ!」


 ピルチャに無駄だと話すエイデンに、エドはフィリアの腕から抜け出すと体当たりをしかけた。

 加減をしたのか、そう威力はないようだが、突然の衝撃にエイデンはふらついた。


「エド」

「ム……ムー」


 フィリアがジトっとエドを睨むとエドはスッと目を逸らした。そしてぴょんぴょんと宿の方に向かって飛び跳ねて行った。


「あんの、クソスライム! 叩き切ってやる!」

「ちょっと、今のはエイデンが悪いわ。エドくんを馬鹿にしたでしょ」

「なんで魔獣の肩なんて持つんだよ!」

「エドくんは魔獣は魔獣でもさっきの恐ろしい魔獣とはまた別の魔獣でしょ。魔獣だからって毛嫌いするのは可哀想だわ!」

「それでも魔獣は魔獣だっての!」

「あんまり大きな声を出しているとみんな起きちゃうと思うけど、いいの?」


 またまた口論を始めそうになった二人にそう言葉を投げかけると、二人は気まずそうに顔を合わせて口を閉ざした。

 きっと二人とも親にすら、なにも言わずに外に出たのだろう。

 ここで騒ぎ立てて住人を起こせば説教されるに違いない。


「私は宿に戻るから」

「あっ、はい。あの、危ないところを助けて下さってありがとうございました。お名前をお聞きしても?」

「フィリア。フィリア・モーセル」

「モーセル⁉︎ あの伝説の賢者と謳われたモーセルさん⁉︎」

「なに、そんなにすごい人なのか?」


 名を問われたフィリアが名乗ると、ピルチャは興奮気味に声を荒げた。

 それに驚きながら、エイデンはピルチャに問いかけた。


「すごいもすごいを通り越してとってもすごい人よ! 全魔法使いはモーセルさんのような博識で賢明な魔法使いになることを夢見ているんだから! あれ、でもモーセルさんってたしかおじいさんで……もう何百年とか昔の人だったはず……私がモーセルさんのことを知っているのも伝記を読んだからだし」

「その通りよ。彼はとうの昔に亡くなっている。私は貴方の言うモーセルとは別人。彼は私の師匠にあたる人で、自らの名を私に与えてくださったの」

「モーセルさんのお弟子さん……」

「いや、それっておかしくないか? そのモーセルとかいう爺さん」

「賢者!」

「賢者さまはとっくの昔に死んでるんだろ? なら弟子も生きてるはずないんじゃねぇの?」


 ピルチャに訂正を入れられながら、エイデンはごく自然な疑問を口にした。

 そう疑問を思い浮かべるのはなんらおかしなことではない。伝説の賢者と謳われたモーセルははるか昔の人。その人に弟子がいたとしても、普通ならその弟子が今も生き続けているはずがない。

 そう、普通であれば。


「まさか……私知ってる! この人、いやこの方は高潔の魔女さまだわ!」

「高潔の……魔女?」

「そう! あの賢者さまの愛弟子にして、今や世界最高峰の魔法の腕前を持つ魔女! 高潔な精神を持つエドソワールに仕える魔女さま!」

「別に仕えていた、というわけではないのだけど」

「感激だわ! まさか高潔の魔女さまに会える日が来るなんて! ハッ、そういえば彼女はうちのレストランに食事に来た……これはとてもすごいことなのではないかしら!」

「や、やめろよ……うっ」


 興奮している様子のピルチャはその興奮のままエイデンの肩を掴んで勢いよく揺らしている。

 同意を求めているようだが、エイデンは空の旅での疲れがとれていないのか激しく肩を揺さぶられて気持ちが悪そうだ。


「……隣の国にまで私のことが知られているのは、なんだか少し気恥ずかしい。私は少し長生きなだけの魔法使いだから、気にしないで」

「そんな、謙遜なさらないで! 魔女と謳われるのはそれだけの実力があるから。魔女さまからしたら私みたいな魔法使い見習いなんて石ころのようなものだわ……ああ、お会いできて本当に嬉しい……」

「ピルチャ、なんかお前変だぞ」

「興奮してるのよ! 憧れの人に会えたら誰だってこうなるわ!」

「そ、そうか。なんか……悪い」


 ピルチャの勢いに押され気味に、エイデンはたじろいだ。

 師匠モーセルのことを知っているうえにこれだけ興奮しているということは、ピルチャは本当に魔法使いに相当の憧れを抱いているようだ。

 自身を魔法使い見習いと言っていたし、森の中でも魔法に使う石を探しに来たと言っていた。

 彼女の魔法に対する探究心は昔のフィリアになんだか似ている。


「あの、よかったら私に魔法を教えてくれませんか⁉︎」

「え、いや、私は今は弟子をとっていなくて」

「あっ、そう、ですよね。私なんかじゃ弟子にはしてもらえませんよね……」

「いや、そういう意味ではなくて。私も今は修行中の身だから。世界を飛び回って魔法の腕を磨きたいの」

「そんな! ただでさえ凄腕の魔法使いなのに、さらにその上を目指しているのですか⁉︎ すごい、その探究心は私も見習わなくちゃ!」

「そ、そんな探究心とか言うほど立派なものではないのだけど」


 フィリアが首を横に振ると、ピルチャは小さく呟いた。


「……よし」

「ピルチャ? どうかしたか?」


 エイデンが首を傾げる。するとピルチャはパッと顔を上げて首を横に振った。


「ううん、なんでもないわ! そろそろ家に帰らないと、私もエイデンも怒られてしまうわ。高潔の魔女さま」

「フィリアでいい」

「フィリアさま」

「さまはいらない」

「フィリアさん」

「ええ、はい」

「今日は助けてくださって本当にありがとうございました。それでは今日のところはおやすみなさい。また、明日!」

「ええ、おやすみなさい……また明日?」


 なにか、変な言葉が最後に聞こえた気がする。しかしフィリアが復唱するころには、ピルチャたちは自身の家へと向かって歩いて行ってしまっていた。


「……まぁ、いいか」


 これ以上帰るのが遅くなるとエドがまた不機嫌になりそうだ。

 フィリアも急いで宿に戻ると、ベッドの上を陣取るエドの頭を撫でて就寝した。

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