第5話

 緑豊かな森の中。その森には一軒の家が建っていた。

 三階建てのその家の家主はフィリア・モーセル。のちに高潔の魔女と呼ばれる混血の魔女だ。

 彼女は師匠を亡くした後、自ら人と関わることは極力せずに、静かにこの森の家で暮らしていた。

 時折やってくる弟子の成長を心待ちにしながら。


『フィリア! 僕、木の実をたくさん拾ってきたんだ! これでいつものクッキーを作ってよ!』

『エドワード、そんなにたくさん拾ってきても全部は使いきれない』

『余った分はフィリアにあげる!』


 はつらつとした笑顔を浮かべてフィリアに森で拾ってきた木の実を差し出すのはエドワード。

 フィリアが気まぐれに街に買い物に行った際に引き受けた人の子だ。

 彼は当初こそやせ細っていたが、ここで暮らすうちに元気に育った。ケイヤーという元騎士団所属のフィリアの弟子の一人に剣術を習って、その腕をめきめきと伸ばしていた。

 ケイヤーも彼は将来立派な剣士になれると嬉しそうに剣術を教え込んでいたものだ。


『フィリア?』

『あ、どうかした?』

『いや、僕はなんともないけど……フィリアが元気なさそうに見えたから。大丈夫?』

『大丈夫。それよりクッキーでしょ。作るのを手伝って』

『もちろん!』


 弟子たちのことを憂い、少しぼーとしていたフィリアはエドワードの声でハッとしてキッチンに立った。

 その隣で椅子の上に登りクッキー作りを手伝うエドワードは、日が経つごとに成長しているのを、近くで見ていたフィリアが一番実感していた。

 昔は椅子に登っても作業台に手が届かなかったのに、今では椅子を作業台の前まで引っ張ってくることも自分一人でできるようになった。

 しばらくすれば椅子の力を借りる必要もなくなるだろう。まったく持って人の成長とは早いものだ。


『フィリア?』


 隣に立つ純粋無垢なエドワードが首を傾げる。


 これはいつかの記憶。

 今は過ぎ去った、もうフィリアしか思い出せない過去の思い出。

 今の世界にエドワードのことを知っている者はフィリアしかいない。遠い昔の、人知れず消えていく泡沫の――


「フィー!」

「ぐえ」


 腹部に衝撃を受けてフィリアは悲鳴をあげた。

 痛む部位をさすりつつ体を起こすと、ベッドの前でスライムがぴょんぴょんと飛び跳ねていた。


「……あのね」


 人に突進しない、とスライムに叱責しようとして、窓から差し込む光に驚いて言葉を切らした。

 慌てて時計を見る。時刻は昼時を示していた。


「もうこんな時間⁉︎」


 どうやらフィリアは自分が想像していた以上の時間を眠っていたらしい。

 あの突進はフィリアを起こすためのものだったようだ。

 少々方法があれではあるが、手も足もないスライムにできることは限られている。しかたがないとフィリアはため息をついて身支度をした。

 フィリアがお腹を空かせるように、スライムも空腹だろう。

 フィリアは適当に食料をいくつか買い、それを食べながら町を出た。

 隣を跳ねるスライムにパンを差し出すと、スライムはパクリとパンを丸呑みにした。


「本当にどこまでもついてくる気なの?」

「フィー」


 フィリアの問いにスライムは上機嫌に跳ねるだけだ。


「まったく……」


 色味といい、このしつこさといい、なんだか懐かしい気持ちにさせられる。

 原因はやはり昔の記憶を夢で見たからだろうか。なんてことのない、エドワードとの生活の一片を。


「エド」

「フィ?」

「貴方の名前はエドにします。これからも私についてくる気なら私の命令には従うように」

「フィー!」


 同意したのか、スライムことエドはぴょんぴょんと飛び跳ねた。


「ふふ、エドは元気ね。本当、エドワードみたい」

「フィー!」

「わ、ちょっとやめなさい。もう」


 名前をつけられて嬉しいのかエドはフィリアの肩に飛び乗り、顔をすり寄せてきた。

 くすぐったさにフィリアはエドを叱り、離れさせた。

 そういえば幼いエドワードもよくこうしてフィリアにじゃれついてきたような気がする。

 本当にエドワードにそっくりなスライムだ。

 魔獣であるにも関わらず愛着を持ってしまうほど、とても愛らしい。


「エド、日が落ちる前に隣町まで行くわ。もちろんだけど、人は襲わないこと。よろしい?」

「フィー!」


 エドは頷くように一際高く飛んだ。そしてぴょんぴょんとフィリアの隣をつかず離れずついてくる。

 一人旅の予定が、一匹多くなってしまった。けれどそこまでいやな気持ちにならないのは、エドがかつての弟子に似ているからだろうか。

 フィリアは久しぶりの旅に、少し心を弾ませながら道中を急いだ。

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