第4話

 朝になると民泊を営む主人に朝ごはんをご馳走になり、礼を言って町を出た。

 御者に土産としてパンを持っていくと嬉しそうに食べてくれた。どうやら食費をケチってあまり食べていなかったようだ。

 腹をじゅうぶんに満たした御者が馬を走らせ、一晩お世話になった町から離れる。

 それから十分ほどが経った頃だろうか。馬車の後方からなにかの物音が聞こえて、フィリアは窓から身を乗り出して後ろを確認した。


「……あらら」


 物音の正体に気がついてフィリアはため息をついた。

 馬車の後ろにスライムがへばりついていたのだ。

 見た目からして昨晩のスライムの可能性が高いだろう。町を出るフィリアを見かけたのかついてきてしまったらしい。


「ん、嬢ちゃん、なんかあったかい?」

「スライムがついてきてしまったようです」

「へぇ、まん丸こくてかわいいじゃないか」


 フィリアが風圧で変な形に変形したスライムを引っ張って馬車の中に入れ、膝の上に乗せると御者が声をかけてきた。

 フィリアがスライムを御者に見せると、御者はスライムを初めて見たのか感心した表情を浮かべた。


「見た目に騙されて容易に近づくと痛い目を見るからおすすめしないですけどね。スライムだって魔獣。下手をすると襲われますよ」

「おお、そいつは怖いね。けどその子はおとなしそうだ」

「人に慣れているのかもしれません。ほら、クッキーをあげるから、これを食べたら外へおかえり」

「フィー!」


 嬉しそうに鳴き声をあげるスライム。元気よくクッキーに食いつくと、すぐにたいらげてしまった。


「美味しかった? 食べ終わったなら、自分の森へおかえり」

「ムー」


 フィリアがスライムに優しく声をかけると、スライムは先程までと様子を一変させて顔を背けてしまった。


「あら、まだ足りないの? 食いしん坊さんね」

「ムー」


 しかたがない、とフィリアが自分用に残していたクッキーをスライムに差し出すが、スライムは興味を示さなかった。


「……?」


 空腹というわけではないようだ。ならなぜフィリアの膝の上から離れようとしないのだろうか。


「スライムさん。お家がわからなくなったの?」

「ムー」


 違うと言わんばかりの膨れっ面だ。魔獣とはこんなにも表情豊かだっただろうか。


「困った……」


 空腹を満たしたらどこかへ行ってくれる。そう思っていたのだが、スライムはなにを話しかけても動こうとしなかった。

 なにが目的なのか検討がつかない。人に危害を与えようとしていないのが唯一の幸いだ。


「嬢ちゃん、もうすぐ国境につくぜ」

「はい」


 エディソワールと隣国フィケトーは同盟を結んでいる。故に国境を越えるのに検問はない。そもそも両者の国土が大きいため国境で検問するのが大変なのだ。

 さすがに王都に入る際には検問にかけられるだろうが、国を跨ぐだけなら問題はない。本来ならば、だが。


「ねぇ、スライムさん。私たちはこれからフィケトーに行くの。ペットでもない魔獣のあなたをフィケトーにまで持ち込めない」


 馬車はフィケトーの一歩手前で停車しており、フィリアは馬車から出てスライムを説得していた。

 国の境には壁や柵が張り巡らされているわけではない。だから検問なしでの行き来が容易なのだが、さすがにエディソワールで見つけた魔獣をフィケトーにまで持ち込むのは憚られた。

 なのでフィリアはスライムを説得しようと試みたのだが、ここ一時間ほど進展はない。


「自分の住むところに帰りな」

「ムー」

「これ以上私たちを困らせないで」

「ムー!」


 御者の言葉もフィリアの言葉もスライムにはいっさい靡かない。そもそも魔獣に言葉など通じるはずがない。

 フィリアはため息をついて、さすがにこれ以上は時間をかけられないと手を翳した。


「ムー⁉︎」


 とたん、先程まで一歩も動こうとしなかったスライムがジャンプを繰り返し逃げ去った。


「おお、やっと行ってくれたか。さすがに命の危機には逃げ出すわな」

「少し転移してもらおうと思っただけなんだけど……まぁ、いいや」


 フィリアは魔法を使い、あのスライムを強制的に他の場所へ転移させるつもりだったのだが、魔法の気配を察知したのかスライムは自分の足でこの場から離れてくれた。


 転移といってもその距離は長くはないので、精々百メートルといったところが限界だ。

 事前に転移装置を用意しておけば長距離の転移も可能になるが、その際はあくまで生物ではない無機物の転移しかできない。

 下手に生き物を転移させようとしたら転移中に体がバラバラになってしまう可能性があるのだ。

 魔法は便利ではあるが、万能ではない。フィリアが何度も弟子たちに教えた言葉だ。


「さ、行きましょう」

「おうさ」


 フィリアは馬車に乗り込み、御者は馬車を進ませた。

 これで心置きなくフィケトーに入れる。

 ガラガラと揺れる馬車に身を任せ、フィケトーで一番国境に近い町に停車すると御者と別れた。


「じゃあな、嬢ちゃん」

「ええ、さようなら。ここまでの長旅ありがとうございました。元気な子が生まれるといいですね」

「ああ!」


 意気揚々と馬車を走らせる御者を見送ると、フィリアは町の中へ足を踏み入れた。

 空の色は茜色に近づいている。今日はここで一泊するつもりでいる。


「フィー!」

「なっ⁉︎」


 町に踏み込んだフィリアの背後から元気な鳴き声が聞こえた。

 驚きつつ振り返ると、そこにはあのスライムがいた。


「なんでここまで……はぁ」


 一度逃げ出したと思ったのに、結局ここまで着いてきてしまったようだ。

 フィリアは諦めてスライムへと手を伸ばす。するとスライムは嬉しそうにフィリアの懐に収まった。


「なんてしつこい子。どこかの誰かさんにそっくり」

「フィー!」


 他のスライムよりも濃い色をした個体。その青はいつかの弟子の姿に重なって見えた。


「町の中ではおとなしく。それができなかったら燃やします」

「フィ!」


 このスライムは結局のところ人の言葉を理解しているのかしていないのか、よくわからない曖昧な返事をしてフィリアの懐でおとなしくしていた。

 フィリアは宿に行き、部屋を一室借りてベッドに体を預けた。すると懐からスライムが飛び出して、部屋の中でぴょんぴょんと跳ねた。


「フィー!」

「楽しそうね」


 町中で人とすれ違った際に、このスライムは襲いかかることもせずに約束通りおとなしくしていた。

 ただの人懐っこいスライムのようだ。危害はないようで安心した。

 フィリアは攻撃されても反撃できるが、他の人も同じかと言われれば必ずともそうではない。

 だからスライムの挙動に注目していたが、この様子ならそう易々と人を襲うことはないだろう。多少の放置も問題ないと見た。


「ふ、ぁ」


 フィリアがあくびを漏らし、うとうとと瞼を降ろし始めると、スライムはフィリアの近くに寄ってきた。

 ぽすんとフィリアの隣に座り込み、フィリアの視界が青で埋め尽くされる。しかしすぐに瞼が落ちて、黒に塗りつぶされた。

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