第3話
馬車に揺られること数日。
道中でいくつかの町に立ち寄り、馬車を乗り換えながら隣の国を目指していた。
フィリアは風を操り空を飛ぶ魔法を使うことはできるが、これは誰にでもできるものではない。なので上空を飛んでいる姿を誰かが発見して大事になるのが面倒で、こうして陸路を選んだのだ。
「うわぁ!」
ガタガタ揺れる馬車の乗り心地の悪さに慣れた頃、御者が大きな悲鳴をあげた。フィリアは窓から顔を出し、急停止した理由を問うた。
「どうかしましたか?」
「あ、ああ……やばい、やばいやばいやばい! 大型の魔獣だ! 嬢ちゃん、ちょっと悪いが迂回するぞ!」
御者の視線の先、馬車の前方には大型の魔獣がグルグルと唸っていた。運悪く空腹状態で気の立っている魔獣と遭遇してしまったらしい。
これでは逃げても追いかけてくるだけだ。
「迂回は不要です。私が片付けますので」
「え?」
フィリアは馬車から降り立ち、魔獣に向かって手をかざすと呪文を唱えた。
「グウ!」
すると魔獣が悲鳴をあげて倒れ込む。周囲には焦げ臭い臭いが立ち込めていた。
「これは……魔法か。いやはやすごいな、これは。この距離で正確にあの魔獣だけを狙い撃ちしたってのかい」
「この程度なら朝飯前ですので」
「そいつは本当にすごい。まるで噂に聞く魔女さまみたいじゃないか。彼女は才色兼備でとても素晴らしい魔法の腕を持っていると聞いたことがあるが……」
「才色兼備は噂に尾鰭がついたものですよ。ただの魔法に精通しているだけの、人間より少し長生きな人類の端くれ程度だと思っていただければ」
「そうかいそうかい……え?」
まさか嬢ちゃんがあの高潔の魔女なのかい、と驚く御者を落ち着かせ、馬車の動きを進めてもらった。
「いやぁ、まさか噂に聞いた魔女さまに会える日が来るとは。しかもそれが俺の客とは、人生とは驚きの連続だなぁ」
「ということはなにか最近驚くようなことでもあったんですか?」
「いやぁ、嬢ちゃんにはなんてことはねぇだろうけどな。実は嫁さんの腹に子ができてよ」
「それはおめでとうございます」
「ありがとさんよ」
馬車の小窓越しに御者がヘヘッと笑ったのが見えた。幸せそうでなによりだ。
「子供ができたら生活も変わるだろ? だから少しでも貯金を作っておきたくて、毎日せっせと働いてんだ。昨日はどこぞの貴族さまを乗せて、たくさんチップを頂いちまった」
「それはそれは。私からも気持ちだけですが」
人生は旅みたいなものだ。そして旅は一期一会。とくにフィリアのような長命な人間ともなると、出会いと別れの数はそう少なくない。
御者の妻の懐妊を祝してフィリアはいくらかの硬貨を取り出して、小窓から御者に手渡した。
「こいつはまいった。こんな言い方したらチップを寄越せって言ってるようなもんじゃねぇか。だがありがたくもらっ……嬢ちゃん、いくらなんでもこの金額は多くはねぇかい?」
「多いですか? すみません、私ちょっと金銭感覚があまりなくて」
「……今後の生活でぼったくられないように気ぃつけた方がいいぜ」
フィリアが渡したチップは城で国王の教育係として働いていた頃に受け取った給与の中のたった一日分だ。
買い物を頻繁にするわけではないフィリアには溜まっていた金額のたった少しを渡しただけのつもりだったが、どうやら城勤めと庶民とでは金銭の感覚の違いが大きいらしい。
金の価値は時代とともに変わる。いちいち記憶していられない。
首を傾げるフィリアに、御者は心配そうなため息を漏らして馬を走らせた。
せっかく受け取っても時代が変わって、新しい硬貨を発行されると次第に古い硬貨は使えなくなる。だからフィリアにとっては必要としている人の手に渡った方が無駄にもならないし良いと思ったのだが、加減は考えた方が良さそうだ。
旅をしていく過程で今の金銭感覚も身につけていく必要がありそうだ。長寿は長寿で大変だと、フィリアは頬杖をついて窓の外から空を見上げた。
そこには雲ひとつない澄んだ青色が広がっていた。
窓縁というフレームの中に青を収めながらガタガタと揺れている。その揺れに身を任せていると、紅に染まり出した自然が多くなった地形を走っていた馬車の速度が落ちてきた。
「この辺の日暮れは早い。この先に小さな町があるからそこで一晩休んだ方がいいぜ。暗闇の中走っても馬が変な方に行っちまうかもしれないからな」
「そうですね。ではそうしましょう。町に泊まるところはあるんですか?」
「多分小さな宿くらいならあると思うぜ。あ、金貨はダメだぞ。大体こういう田舎は銅貨か銀貨でじゅうぶんなんだから。もし下手に金貨なんて出したら野蛮な盗賊に盗まれちまう」
「私からスれるものならスればいいですけどね」
「ああ……そういえば嬢ちゃんは高潔の魔女だったな。見た目があんまりにも普通なもんでつい忘れそうになっちまうところだった……あ、いやっ、普通ってのは別に美人じゃねぇって意味ではなくてだな」
「別に気にしませんよ」
慌てる御者の案内で近くの町に停まった。
そこは人口が二桁ほどの、本当に小さな町だった。
御者の言葉に嘘偽りはなく、先程までは夕暮れだったのに町に着く頃にはもう日が落ちて辺りは暗くなっていた。
「いらっしゃい」
町で民泊を営業しているという女性の家にお邪魔することにした。御者のアドバイス通りに銅貨を数枚払うだけですぐに部屋に案内してくれた。
ちなみに御者は馬車で寝泊まりするらしい。片時も大切な馬たちから離れられないとのことだ。
彼の分の宿代も支払えたが、彼がそう言うならその意見を尊重しようとフィリアは一人で民泊に泊まり、そこで食事をとって質素なベッドに寝転がった。
「……マークス、ミネルバ、ケイヤー」
瞳を閉じれば脳裏に浮かぶのはかつての弟子たち。彼らももう歳だ。おそらくいまだに生存している者の方が少ないだろう。もしかしたら全員もう亡くなっているかもしれない。
あれだけいた弟子たちも、そのほとんどが高齢または死亡している。先代国王からの頼みで現代の国王の教育係を始めてからは新たに弟子をとらなかったので、若い弟子は一人もいない。
「……エドワード」
若くで死んだ、フィリアの弟子の一人。
弟子というよりも実の子供のようにかわいがってきたつもりだった。それがいけなかったのだろうか。
エドワードはフィリアの静止すらも無視してフィリアを助けることにすべてを賭けた。
「私が望んだものは弟子たちの幸せ……それだけだったのに」
あの子は魔法の腕はそこまでだが、剣の筋は悪くなかった。きっともっと成長して、騎士団に入るくらいには出世できただろうに。
「……」
弟子のことを思い出しているとなんだか眠れなくなってきた。センチメタルな気分というのはこういうことを指すのだろうか。
「ふぅ」
ベッドから体を起こすと、窓から星の光が漏れ入っていた。
王都は夜でも明るいが、ここは街灯もなく暗いものだ。道を照らすのは天から降り注ぐ星の光だけ。
ギィっと音を立ててベッドを降りて家主を起こさぬように気を配りつつ外に出る。
たまには自然光の下、散歩するのも悪くはないだろう。
静まり返った町をふらふらと歩く。そう大きくない町の入り口に辿り着くのにそう時間は掛からなかった。
「グゥー、グゥー……ング」
町の入り口にはフィリアの雇った馬車が停まっていて、その中で御者が寝息をたてながら寝ていた。
それを通り越し、町の外に出る。
夜は大概の魔獣も睡眠に時間を割いている。森に入ったりしない限りは魔獣とエンカウントすることもないだろう。
もし魔獣に襲われてもなんとでもなるが。
フィリアは夜風を感じながら町の近くを歩いて、この町に着くまでに見えた大きな木の下までやってくると腰を下ろした。
周囲には森が多い。けれどこの木は森に属さず、雑草などの生えた地面にたった一本だけ孤立して生えていた。
もたれかかった背中にある幹の太さからしてそこそこの老木だろう。
もしかしたら元々ここは森の一部で、この木だけがなんらかの理由で伐採されずにそのままになっているのかもしれない。
「懐かしいな……」
この木とは別の木だが、かつてフィリアが住んでいた家にも庭に大きな木があった。
その家はフィリアの両親が住んでいたとされる家で、エドワードと過ごしたのもあの家だ。
幼いエドワードは庭にある木によく登っては降りられなくなったと泣いて、フィリアに助けてもらっていた。
あの小さかったエドワードがまさか国を敵にしてまで自分を助けに来るなんて、あの頃の自分に教えても信じないだろう。
エドワードに限らず、まだまだ小さくてかわいかった子供の成長とは早いものだ。
現代国王もすごい速さで成長していった。いや、フィリアの時間の感覚が他人とずれているだけなのだろう。
「アア」
「?」
木の下から夜空を眺めていたら、右手がひんやりとした。そして同時になにかの鳴き声が聞こえた。
「フィー」
「……これはこれは、愛らしいスライムね」
視線を右手に落とすと、そこには濃い青色をしたスライムの姿があった。
フィリアの手に擦り寄るようにその丸いフォルムをぷにぷにと寄せてきた。
「珍しい。臆病なスライムがこんなに人に近づいてくるなんて。もしかして町の誰かが飼ってたのかな」
個体差はあるものの、スライムという魔獣は基本的に臆病な性格のものが多い。
普段は人目のつかない洞窟や森の中に隠れていることが多いのだ。
「でもいくらスライムとはいえ、魔獣であることに変わりはないんだから気をつけなきゃ駄目でしょ。ペットにするのはおすすめできないわ」
臆病な性格のスライムがここまで人に近寄ってくるのは町の誰かが世話を焼いていたからだと推測した。
しかしスライムは丸くて愛らしいフォルムをしているが、それでもれっきとした魔獣である。
雑食なので植物を食べるが、もちろん肉も食べる。場合によっては人に襲いかかってくる可能性もある魔獣だ。
見た目に惑わされて容易に近づけば痛い目を見てもおかしくない。
「世の中には魔獣を飼い慣らして芸を覚えさせている人もいるらしいけど……」
このスライムはそういった大道芸をする人に飼われているわけではなさそうだ。もしそうだとしたらこんなところでふらふらしているはずがない。
おおかた野生か、誰かが拾って飼っていたものを自然に逃したかのどちらかだろう。
「私に擦り寄っても今はなにも持っていないから、なにもあげられないよ」
「フィー」
フィリアの言葉はスライムには翻訳できないのだろう。スライムはなにを言ってもフィリアの手元から離れようとしない。
「……困った」
これでは宿に戻れない。
スライムとはいえ魔獣。フィリアならともかく戦えない人のいる町に連れ込むのは危険だ。
「でも殺すのもちょっと……」
離れてくれないからという理由でこのスライムを殺すことには抵抗があった。
襲ってきたならともかく、このスライムはフィリアに近寄ってきただけだ。攻撃してこようものなら反撃する気ではあるが、この身に魔族の血が半分は流れているからか、魔獣とはいえ無抵抗な相手を傷つけるのは憚られた。
「……ねぇ、そろそろ休みたいからどいてくれる?」
魔獣に人の言葉は通じない。それを理解していないわけではないが、それでもスライムを優しく引き剥がしながら声をかける。
するとスライムは飽きたのかなんなのかはわからないが、ぴょんぴょんとその場で数回飛び跳ねると森の奥へと帰っていった。
「……よかった」
無駄な殺生をせずに宿に戻ることができたフィリアは、ベッドに潜ると今度こそ夢の中へと落ちていった。
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