1.5、皇帝赤白橡

 夜通し続いた情報共有会の後、ひたすら惰眠を貪っていたゾンビ共が人間に戻って食堂に集ったのは夕暮れで空が燃える頃であった。彼らが来るのを、首を長くして待っていた【ミレニアム】のメンバー何名かが歓迎する。



「お疲れ様ッス、先輩方。それにユキさん」


「あ、お疲れ様です……先輩?」



 最初に挨拶をしに来たのは、前日ゼイラムの帰還に喰って掛かっていた女性、天川雪夏であった。ユキより頭一つ分背丈が高い彼女は、快活さを感じさせる爽やかな表情と声でユキやポールらに声を掛ける。あの時の獰猛さが、まるで別人の様にすら見えた。



「あぁ、ユキにはまだちゃんと紹介してなかったな、そう言えば……俺やマヒマは【ミレニアム】設立当初のメンバーでさ、気付いたら先輩になっちゃってたのよ」


「皆さんには別に気を遣わなくて良い、とは言っているんですけど」


「ポール先輩もマヒマ先輩も、アタシ達にとっては優しくて頼もしい先輩ですから」



 雪夏の言葉に後ろに居る他のメンバーも「うんうん」と頷いて同意する。一人ずつ握手を交わし、ユキはこれから共に戦う戦友達の名前と顔を覚えていき、長テーブルに座ってお互いの話を始めた。



「ユキさんは【第一のラッパ】の話は聞いてますよね?」


「うん、皆が聞いたって言う音と言うか感じた振動と言うか……それで【邪神】の存在が分かった、のは聞いたよ」


「はい、最初は半信半疑でした。ですが……地球はおろか、宇宙に居る【魔導力】を持つ全員が同時に全く同じ音を聞いた事が分かって……地球から一番近い月だって、光ですら1秒以上のラグが生まれるはず……けど」


「土星や木星のコロニーにいた全員、1秒の誤差も無く同じ音を聞いた……まぁ、順番としては“その音を聞いた人物”が【魔導力】と呼ばれる不可思議な力を持っていた、て共通点があったのよユッキ」



 雪夏の言葉にポールが補足を入れる。それまで【超能力】だの【オカルト】だのと言われ、嘘だと手品だと片付けられていた超人的な能力が、皮肉にも宇宙の危機を感じ取った訳だ。

 その後、既にL・Dと協力関係にあった近濠は数年の時間を掛けて【第一のラッパ】を聞いた人員を集め、来て欲しく無い脅威と立ち向かう為の準備をして来た。



「その音がまるで管楽器?に聞こえたと……でも、何で第一って分かるの?話を聞くにまだ一回だけなんだよね?」



 ユキの記憶に楽器と言う娯楽は無い。士気高揚の為に作られた楽曲はあったが、それらはAirによって作曲された人工音声だ。それより彼が疑問に感じたのは、まだ一度しか聞いていない【邪神】の侵攻音に“第一の”と二度目以降が想定されている名称についてであった。



「それはですね、アタシ達の世界に言い伝わる有名なお話が元ネタなんです」


「どんなお話なの?」


「大昔、人々を救済する一人の男性を描いた物語で、本当かどうかは分かりません……そのお話には【黙示録】と言う“この世界がどの様に終わりを迎えるのか”が記されていて、そこに“終わりを告げるラッパ”が出て来るんです」


「はぇ~、救済するお話なのに“世界が滅ぶ”事が書かれてるんだ?」


「まぁ知らないと変に聞こえますよね……そのお話では、ラッパは全部で七回鳴らされると書かれてます。【第一のラッパ】は血と炎の雨が降って地上の3割を焼き、【第二のラッパ】は巨大な火の玉が降って海が干上がる……そして最後の【第七のラッパ】が鳴った時、神々と悪魔の戦争によって世界は終末を迎える。大雑把ですが、このお話を元に【第一のラッパ】と呼んでます。近い言葉で【終末音】なんてのもありますね」


「随分おっかないお話だね……この宇宙の人類は皆、それを信じてるの?」


「全員ではありません。アタシも【ミレニアム】に誘われてから知ったので……ただ、この世界では結構有名な逸話なので、信じてるかどうかはさて置いて知ってる人は多いと思います」



 雪夏の説明を受け、ユキは純粋な疑問や恐怖を抱いた。隣りに座るマヒマが「コレだよ、ユッキー」とその話について解説している電子書籍のページを開き、携帯端末に表示させ見せる。図解付きで説明されており、羽根の生えた人間が7人、金色の管楽器を吹く様が描かれていた。



「あ、それは“天使”って言うんだよ。背中に鳥の羽根が生えてて、神様と人間を繋ぐ役割があるんだ」


「天使……綺麗だね、ヒマに“羽根”が生えたらこんな感じかなぁ」


「へ?いや、私はそんな天使様みたいには、ぇ、えへぇ……」


「……先輩?」


「コレ天然だからそっとしておいて」



 ユキとマヒマの見てる側が恥ずかしくなる様なやり取りに、ポールは慣れてくれと目線で雪夏に訴える。戦う以外の全てを捨て去った結果、目の前の朴念仁が誕生したと考えると、どこかやり切れない思いがポールの道徳心を貫いた。



「装備もままならないのに……大変だった、よね?」


「……あぁ、まだ知らない人の方が多いのは救いなのかどうか、俺には分からん」



 自身の戦った記憶を辿り、この宇宙で二度戦ったモノ達へ思いを馳せる。その意思を汲み取ってポールは苦々しく慎重に言葉を発した。話題を変えるべく、ユキは「あ、そうだ」と手を叩いてこの場の全員に訊ねる。



「こっちに来て初めて聞いたんだけど【魔導力】、て何?」


「詳しい事はまだ明らかになっていないんですが、そうですね……端的に言えば“個人で異なる能力”、でしょうか」


「実際に見た方が早いかも……ユッキ、ちょっと見てて」



 そう言ってポールはテーブルに置かれている空の金属製調味料入れを手に取り、深呼吸を一度してから左手だけでそれを握り潰した。ギュンギュン、と聞き慣れないステンレスが拉げる音と共に、拳の中へと消える。だが、それでも力を緩める事無く、更にポールは握る力を強めた。次第に音は低く、小さくなり遂には筋肉が発する鈍い有機物の音だけとなる。

 一段落したのか、ポールは「こんなもんかな?」と止めていた呼吸を再開し、握り締めた拳を開いた。そこには、指先よりも小さく固められた調味料入れだった何かが乗っていた。



「すご、力持ちィ」


「こんな感じで、俺は【瞬間強化】って奴で一時的に身体がスーパーマンみたいになれるのよ。名前を付けたのはドクターだけど」



 ポールが握り潰した何かをまじまじと見つめ、ユキは感嘆の溜め息を吐いた。



「異なる能力、て事は……皆それぞれ別の事が出来るの?」


「うん、私は【再生増進】。軽い怪我や病気なら、その人の再生機能を促して治せるの。ただ、大きな怪我や病気は治せないし、あくまで本人の身体の機能を伸ばすだけだから、名前ほど便利じゃないんだけどね……」


「え、充分凄くない?」



 照れくさそうに話すマヒマに、ユキは素直な感想を言う。彼にしてみれば、怪我や病気はユニットごと交換する為、生物が持つ機能を促進させるなどと言う発想がそもそも無い。どちらが便利なのか、どちらが生命として自然の在り様なのか、今のユキには答えが出せなかった。



「アタシは【超感覚】。視覚とか聴覚とか味覚とか、五感を一時的に強化出来ます。自分にしか使えませんが、数キロ先のモノを見たり聞いたり、毒見だって出来るんですよ」



 少し誇らし気に語る雪夏に、ユキは思わず「おぉー」と拍手をする。



「僕には味覚?が無いから美味しいとかは分からないけど、遠くまで見たり聞いたり出来るのは便利そうだね」


「ぁ、えっと……すみません、ユキさん、アタシ無神経で……」



 ユキの言葉に、彼が普通の生物では無く“戦う為に改造された有機物”である事を思い出し、雪夏は素直に謝罪を述べた。だが、本人は「いや、別に良いんだよ?自分の意志でそうなったんだから」とフォローするも、聞き慣れない言い回しに却って申し訳なさを感じてしまう。



「えぇと……じゃあD・D、ドクターも【魔導力】を持ってるの?」


「あぁ、勿論ドクターも持ってる。ただ、本人があまり話したがらないから、直接聞いた方が良いかも」



 戦友の言う通り、人によっては人格に関わる話なのだろうとユキは納得し頷く。話を変える意味でも、もう一つの疑問を口に出した。



「ポールさんやヒマが最初のメンバーなら、ゼイラム君もだよね?」



――パキッ


 ユキの言葉で周囲の空気が途端に凍り付き、雪夏は持っていたコップにヒビを入れてしまった。内心、失敗したと思うも後悔先に立たずである。



「あー……今の質問無しで」


「いえ、ユキさんは知る必要があるかと……そうです、あの男もポール先輩達と同じ、最初のメンバーです」



 布巾でテーブルに撒かれた水とコップの破片を取りながら、雪夏は明らかに嫌そうな表情で口を開く。



「もう既に聞いてると思いますが、アイツはこの宇宙の人類で唯一【邪神】と戦い、生き残った男です。そう言う意味では貴重ですし、生かす理由があるのは分かります……ですが、アイツには良い話が全くありません。憶測、推測、邪推、噂……そんな根も葉もない話だ、てのは分かります。分かりますが、理屈と感情は別なんです」


「嫌じゃなければで良いんだけど、どんな話か聞いても?」


「態度が悪い、口も悪い、性格も何考えてんのかサッパリ分からないし言う気も無い。協調性も無い、人の嫌がる事を率先してやるし言うし、それもわざとやってる。その上、他人の気持ちが分かってる癖に寄り添うどころか逆撫でする事ばかり。何より、一度目の【邪神】との戦闘の後、殉職した仲間の棺を持って来て一言……何て言ったと思います?」


「……残念、とか?」


「“次はもっと使える奴を連れて来い”て……クソ野郎ッ!!」



 その時の事を思い出したのか、我慢の限界を迎え雪夏は握っていた残りのコップを思いっ切り壁に投げ付けた。他のメンバーも概ね同意の様子で、あるモノは悪態を、あるモノは握った拳を、あるモノはステンレスのフォークをへし折り、それぞれの怒りを露わにする。



「それにこの間の戦闘……アイツはやっぱり生き残った。いや、それだけならまだしも、死んだ奴の事なんざ知らねぇって面しやがる。戦場じゃあ、同じ釜の飯を喰った仲間の為に戦うとか、漫画や映画じゃ描かれるけどそんなもん、アイツには無いんだよッ!」


「さ、さすがにそこまでは……」


「コレを見ろよッ!」



 何とかフォローしようとするユキに、雪夏は自分の携帯端末を彼に突き出す様に見せる。そこには、積み上げられた亡骸の上に座って紫煙を吐くゼイラムの姿が映っていた。よくよく見ると、亡骸はどれも一部しか残っておらず、いずれも真空に投げ出されたであろう内部から破裂した痕跡も見受けられる。



「なぁに、コレぇ?」


「“死体袋が足りなかった”んだと……生き延びた整備員が撮ってアタシ達に送ってくれたんだ……コレを見て仲間だと思えるか?一緒に戦えるか?背中を預けられるか?」


「何か、理由があったんじゃ……?」


「理由があったら死んだ人を踏み躙って良いのかよッ!!」



 悲痛な叫びが食堂に響き渡り、ユキは何も言えなくなってしまった。どう言う経緯でゼイラムが嫌われ役を担う事になったのか。だとしても、こんな真似をする必要はあったのか。前の宇宙で共に戦った時も彼の言動に謎は多かったが、ユキは益々彼の事が分からなくなった。



「……アタシは姉さんを、此処に居る連中、居ない連中も誰もが家族や友達がアイツと一緒に戦って、死んだ。生き残った事にじゃない、生きて帰って来たなら死んだ連中が何を言っていたか!どう死んだのか!知ってるはずだ!残されたアタシらが家族や友達の最期を知りたいのは当たり前だろ?なのに、アイツは何も言わねぇ!何も残さねぇ!全部まとめたとか抜かして送って来たのは何の味もしねぇ業務連絡みてぇな文章だけッ!死んだ奴の名前だけズラズラ書いて!コレ!見ろよコレッ!!備品の発注書に書いてんだぞアイツッ!?」



 涙を浮かべ、もはや慟哭となって思いの丈を曝す。端末の画面を切り替えると、失った備品の項目と量が書かれた電子資料に殉職したであろう人物の名前が簡素に並べられていた。



「ゼイラム君……なんでこんな事……」


「知るかよ、人間辞める時に何もかんも棄てちまったんだろうさッ!」


「どう、言うこと?」



 押し殺していた感情を吐き出し、力無く椅子に座って頭を抱える雪夏の代わりにポールが気まずそうに答えた。



「ゼイちゃんは……自分の身体に【邪神】の細胞を自分で移植したんだよ」


「……どうやって?」


「ゼイラムさんの【魔導力】は【縫合】、見えない針と糸で何でも縫い合わせちゃうの」


「……なんで?」


「悪ぃ、ユッキ……そっから先は本人に聞いてくれ」


「あんな性格だから、誰かに半殺しにでもされたんじゃね?」



 友人らと短い会話の後、面倒臭そうに雪夏が話を断った。確かに【邪神】には驚異的な再生能力が備わっており、かつての宇宙で広く用いられた技術【生体ユニット】はその機能を利用している。【邪神】の細胞と人間等の生物の細胞を混ぜ合わせ、奴らの強靭な肉体を手にし、奴らと同じ土俵に立つ事でようやく、個体としては対等に成り得た。


 既に【邪神】と邂逅している【ミレニアム】の面々も、その恐るべき再生力と強靭さは理解しているだろう。しかし、それは彼らが二度奴らと戦ったから得られた事実だ。ゼイラムはどの段階で自身に【邪神】を移植したのか、そのきっかけは……



(触れちゃマズい話が多過ぎるなぁ、此処は)



 これから波風を立てずに彼ら彼女らと行動を共に出来るか不安に駆られた。どの話題が地雷なのかを恐る恐る探っていくしかない、そんな事を考えながら端末を眺めていると、ふと小さな違和感を覚えその箇所を凝視する。



(何か持ってる……【フラクタルキューブ】?作った、とは言っていたけど……完成品に見える、でも何かしてる……)



 死体の椅子に座り、手に持った【フラクタルキューブ】に何か工具の様なモノで細かい作業をするゼイラムの姿があった。離れた位置から撮られた為、細かい箇所はよく見えないが彼は確かに何かを持っている。例えるなら、彫刻刀を手に慎重に彫り刻んでいる様にも見えるが、ユキの記憶にはドライバー類はあっても彫刻刀などと言うモノは無く、得も言われぬ違和感、としか表現が出来なかった。


 それはそれとして、ユキは【邪神】を自分に移植したと言う友人の思考を推し測ろうと思案を巡らせる。安全が担保されていた自分の世界とは違い、この宇宙ではまだ【生体ユニット】が確立されていない。何故、そんな危険を冒したのか……



(もし、もしも理由が僕と同じなら……ごめんなさい)



 話題を変え、これからどの様な状況に置かれるのか、その時に何をするだろうかと言った【ミレニアム】のこれからについて周囲が談笑する中、ユキは胸中に重い気持ちを抱え謝る。



(僕は……責めない)



 一方、徹夜が二日目に入るか否かのところで近濠、Air、そしてゼイラムの3名によりこれからの行動をまとめ、作戦を練り終えたところだった。近濠は【魔導力】を持つ以外は至って普通の人間だ。ゼイラムも、身体に【邪神】を移植したとは言え、全身では無い。ユキと違い、まだ【生体ユニット】が実用化されていないのだから当然、睡眠も食事も必要だ。Airは人工知能だから不要だが、40時間近くの立案や提案、却下と訂正を繰り返し彼女の本体への熱負荷は掛かってしまう……ほぼ無視出来るが。



「はァ……流石にもう何も考えられん、寝たい……頭が完全に煮え滾っている……」


「俺も、これ以上はぶっ倒れる。いや此処でぶっ倒れたい……頭を冷やしたい……」


《有意義な時間、感謝します。【ココロユニット】の製造目途も立ちました。これは大きな成果です》


「棚ぼたラッキーって奴だがね。ゼイラム、運用自体はキミと言う戦果があるから問題無さそうだが……大丈夫か?」


「大丈ばなくても大丈夫って言わなきゃダメでしょうよ……時間は掛かるけど、まだ【邪神】のサンプルがあるし造れはするさ。ただ、パンピーが使うとなるとなぁ……何とかして、人間のまま扱えるようにしなきゃだなぁ……ダルッ」


《現地調達での修繕を見越した設備が【アクト・ブランシュ】にはあります。【ミレニアム】にのみ開放致しますので、ご自由にご活用下さい》


「キミ達の、その“勝つ為なら手段を一切考慮しない徹底さ”には、ホント感服するよ……」


《必要でしたから。それに、私は“全てを記録する”事が役割です。ドクター、それとゼイラム。アナタ方の事も記録させて頂きます》


「あぁ~……すまん、俺の事はデータに残さないで欲しい」


《理由を伺っても?アナタの情報は貴重だと考えます。記録し残すべきかと》


「不愉快だ」


《……了解しました。それでは“ゼイラムの名は残さず”に、アナタの事は“ネームレス・ワン”として出生等の情報は破棄致します》


「すまん、ありがと……よし、さっさと寝るかァ、もう怠い。アカイ、食堂に行って軽く何か喰ってから部屋に戻ろう」


《それですが、今は食堂に行かない方が宜しいかと》


「ん?どう言う事かな、Air?」



 椅子から弱々しく立ち上がる二人に、Airはそんな忠告をするものだから、近濠が理由を尋ねた。



《現在、食堂にてゼイラムの悪口大会が開かれています。暴力沙汰になる可能性が極めて大です》


「じゃあ尚更、俺が行かなきゃな……ついでに今後の事を話してくるよ。D・Dは先に休んでくれ」


「頼むから、あまり派手にやり過ぎるなよ?」


「それは相手次第」



 大きな欠伸をしながらアカイを連れ、会議室から二人が退室するのを見届けてから近濠はAirに改めて問うた。



「……私は、このまま研究を続けるべきなのだろうか?」


《ドクターの【生体ユニット】のお陰で、多くの命が助かったのは事実です。【万能細胞】はゆくゆく、この宇宙でも革新的な医療技術になる事は明らかでしょう。それより私が理解出来ないのは、既に“事実上の実用化が可能”なのに実行に移さない事です》


「……あぁ出来るよ、出来るんだよ?キミらの情報と設備を利用すれば、まぁ絶対安全とまでは言えないが出来るさ……誰で試すんだ?」


《財団設立の際の約定に従えば、ルクス卿が最初の治験者になるのでは?》


「最悪を考えたら、今L・Dに死なれるのは困る。死刑囚を使う、と言うのは再三勧められたし考えもした。だが、私の倫理観がそれを許してくれない……甘いよな、キミ達から見たら」


《気持ちは知っています。以前のドクターもそうでしたから。しかし、アナタは決断され私達の【ミレニアム】は【邪神】とようやく戦える土台に立てました》


「こっちの私も、同じ決断をすると?」


《はい》


「即答か……」



 力無く天井を仰ぎ、目を瞑る。近濠の倫理観は依然として、例え死刑囚であろうとも甚だ非人道的である、と訴えているが、同時に研究者であり【邪神】と戦う個人でもある自分は、間違いなく【生体ユニット】を導入する、と確信を持ってもいた。だからこそ、その狭間で煮え切らない今の己を恥じ、安心している。

 いずれ“禁忌のメス”を握るであろう両手を眺め、その時が人間としての近濠麦秋の最期であり、【ミレニアム】としてのD・Dの始まりだと溜め息を吐く。



(間違い無い、私は必ず倫理を棄てる。なら早い方が良い……だが、今のぬるま湯のままで居たい……)


「……地獄の特等席を予約しないとな」



 その頃、先程までの緊迫感は薄れ夕焼けに照らされた食堂は、少年少女ら年相応の話題で緩やかに賑わっていた。



「宇宙を超えてもまた遭えるなんて、ユキさんとマヒマさん、何だか運命!て感じですね」


「私も、好きな人とはやっぱり一緒に居たいから羨ましいなぁ」


「落ち着いて考えたらさ、コレって凄くね?平行宇宙って奴だろ?俺ら教科書に名前載るんじゃね?」


「落ち着かなくても凄ぇだろ定期」



 彼らの大半は10代の青少年であり、20代も居るがまだまだ遊びたい年頃だ。好いた惚れた、フィクションな話はいつの時代でも興味関心を惹く魅力がある。ましてや、存在するか分からないがあるかも知れないパラレルワールドは、彼ら彼女らだけで無く多くの人類が飛び付く話だろう。



「この事が漏れたら、ユッキは実験動物扱いかな?」


「ヤメテ……」


「ユッキーに出会ったのがドクターで良かった本当……」



 友人らとその仲間に囲まれ、思わず笑みが零れる。かつて多銀河間同盟に居た時、戦友達と会話する事は何度もあったが、いずれも戦いに関する話題ばかりだ。何処の小隊の誰が戦死したか、培養液に誰が還元されたか、古くなった【生体ユニット】の愚痴やダイソン球の話がほとんどで、こんな和やかな話題で笑えるとは思っても見なかった。この世界では普通で特別な事なんかでは無い、ユキの居た宇宙と状況が異常なだけなのだが、だからこそ素直に受け止めて良いのか躊躇している自分を自覚してしまう。



「そう言や、ユッキが乗って来た【アクト・ブランシュ】だっけか?そいつ結構デカいんだろ?今どこに置いてるのよ?」


「あ、アタシもそれ気になります。何で見付かって無いのか不思議です」


「えっと、熱放射迷彩って言う隠れる機能で見付からない様にしてるんだ。全部の波長から透明になれるから……あ、場所は幾つかに分離して【ゲート】に向かって自動航行しているよ」


「それって、21世紀初頭頃に漫画や映画に出てた“光学迷彩”に近いのかな?」


「待って、その熱ほーしゃ迷彩?使っても【邪神】には勝てないんだよね……」


「うん、僕が居た宇宙でも結局、奴らがどうやって判別しているか分からなかったんだ……最初は効果があったんだけど、奴らも学習したのか進化したのか、最後の方は全く機能しなかったんだよね」


「……本当に、大変だったねユッキー」



 少し暗い雰囲気にしてしまった事をユキは申し訳無いと思いつつ、自然とポールやマヒマに頭と背中を撫でて労われ、今の自分は恵まれていると涙が出そうになった……後30秒でもあれば。



「……来やがった」



 突然、雪夏が怖い声色で言い視線を向けた先には、アカイを伴って何を食べようかと頭上のモニターに表示されたメニュー一覧を見上げるゼイラムの姿があった。見てしまった以上、放っておけないのだろう。心中穏やかで無い雪夏は突き刺す視線で少し歩み寄り、声を掛けようとした。



「お「腹減っただけだぞぉ」……チッ」



 わざと自分の言葉に被せるよう口を動かす男に、雪夏は隠そうともせず大きな舌打ちを返す。



「人間辞めても腹は減るってか?ハンッ、中途半端な野郎だな?」


「あぁ、まだ“半人前”なんでね。アカイ、ざるうどん半分こで良いか?」



 電子マネーを兼ねる財団の身分証を発券機に当て、うどん一人前を注文する。レトロフューチャーなパネルに《3分お待ち下さい》と表示されてから、ゼイラムは喰って掛かる少女と視線を合わせる。



「……で、何スか?」


「早く視界から消えてくれませんかねェ?」


「おかえり、くらい言っても良いんじゃないか?」


「誰がアンタなんかにッ」


「いや、俺じゃなくて……アカイに」


「あァ!?」



 そう言ってゼイラムは、自分のお腹とほぼ同じ背丈の小柄な少女、褐色のアカイの両肩に手を乗せて半歩前に押し出した。何も言わぬ無表情の幼女を前に、雪夏は不可解だと顔に出しながら視線をゼイラムへ戻す。



「何でアンタのお人形さんにアタシが……」


「だとさ……冷たいねぇ、お前さんの妹は」


「……はァ?」



 帰還を労ってくれない妹の態度に、ゼイラムは憐れむ様な口調と表情でアカイの頭を撫で回し……上着を開けさせた。黒のタンクトップから覗く右肩に雪夏は思わず「……ッ!?」と声にならない悲鳴を挙げて喉を鳴らす。その様子にポールは「あちゃぁ……」と天を仰ぎ顔を手で隠した。


 アカイと呼ばれた幼女の身体は、あちらこちらに縫い目の様な痕が見受けられ、特に眼を惹いたのは右肩に彫られた雪の結晶を模したタトゥーであった。周囲の面々も彼女の姉である冬鸙とは面識があり、それぞれが「嘘だろ……」「信じられない……」と口を噤み視線を外す。その他にも心当たりがある身体の特徴を見付けた何人かが小さい悲鳴を漏らしている。



「……どう言うこと?」


「よく出来てるだろ?回収出来たパーツと【邪神】をくっつけてやっと“一人前”になったんよ」


「なんで、こうなった……?」


「頑張って帰って来たのにな?カワイソーニ……」



 誰もが、共に生活して初めて聞いた雪夏の低い声に身動き一つ取れないで居る中、本人は表情一つ変えずにゼイラムへと歩み寄り、その胸倉を掴んで殺意や憎悪しか無い眼で射貫き、問う。



「人の心とか無いんか?」


「なんだソレ?」



 その一言で最後の理性が消え去った。雪夏は自分がまだ、ゼイラムと言う男は人間性が残っているのだと、心のどこかで思い込みたかったと知った。だがたった今、そんな甘えは雲散霧消し彼女は素早く腰から短剣を抜いて喉元目掛け薙ぐ。

 寸での所で僅かに仰け反り、ヒュッと刃は宙を裂く。当然とばかりに短剣を右手に持ち替えて切り上げつつ、左手でサイドポケットからハンドガンを取り出し、迷い無く額目掛け引き金を引く。


――タンッタンッ、ヒュッ


 発砲音と短剣が空気を裂く音が、不気味な程リズミカルで交互に食堂を埋め、合間に二人の靴が床を踏み滑る音が響く。誰の目にも雪夏は冷静さを失い、烈火の如き怒りで命を刈り取らんと突き動かされていた。


――タタンッヒュッ、キュキュッ


 周囲で「止めなきゃマズくない?」「と、とりあえず二人とも落ち着いて?」等とざわめき、止めようかどうしようかと戸惑っている中、雪夏は血走った眼で、ゼイラムは楽しそうな眼で、共に刃と弾丸で舞う。片方は真剣に殺そうとしているだろうに、ユキやマヒマ等の幾人かは二人の舞踊に図らずも魅入られてしまった。



「おいおいおいおい、ちゃんと狙って撃てよ?じゃないと姉ちゃん、もっかい死んじゃうぞぅ?」



 棒立ちするアカイを中心にしている為、何発かが褐色の頬を掠め血が流れていた。赤い血を見て一瞬、冷静になるが同時に彼の煽り言葉に逆鱗はささくれ立ち、しっかりと狙って引き金を引く。



「ほれ」「ッ!?」



 トン、とアカイの背中を押した事で間合いが僅かに詰まり、雪夏は反射的に短剣と銃を握る手の力を弱めゼイラムから目線を外してしまった。その隙にゼイラムは幼女の頭上を跳んで雪夏の頭目掛け、右手を振り下ろす。



「いただきます」「ァああアッ!!」



 タンッ、と一発の銃声とギチィッ、と肉が骨でよじれる鈍い音が重なって二人は床に伏した。

 雪夏が仰向けに、ゼイラムは馬乗りになる形で、ようやく荒々しい攻防は収まった……様に見えた。



「ぇ、えぇ……?」



 ドン引きする見物人に対し、雪夏は歯を喰いしばって戦意を見せるが、彼女の首はゼイラムの左腕と体重によって圧し潰されそうになっている。だが、何より異様なのは彼の方だった。



――バタバタッ



 最後に放たれた銃弾はゼイラムの右頬を抉り取っており、剥き出しに曝された歯茎と口腔から夥しい量の血が雪夏の顔へと落ちる。にも拘わらず、彼は笑みを絶やさず左腕に増々力を入れる。



「ァ、ぐギィッ、ガぅ、ぐェ、げぎぎグゥぐッ……ヴォオゥ!」



 次第に顔から血の気は引き、両の眼球はグルンッと白目になり、呼吸も苦しいのか嗚咽も涎も漏れ、ケダモノの様な鳴き声を挙げても尚、殺意は右手に握られた短剣から滲み出ている。しかし、膝で二の腕を押え付けられ虚しくも震えるばかりだ。


 カランッと手放してしまった短剣が床に転がり、いよいよ本人の意識が完全に沈み掛けた時、抉れた頬でゼイラムは雪夏の耳元で一言だけ呟いた。



「下手くそ」


「ッ!!??ゥヴおぃうぎぐヴぉ!!」


《ピーポンッ――ご注文、ありがとうございました》



 うどんが出来上がり、受け取り口にスーッと自動で差し出される。何とも場違いなアナウンスにゼイラムは立ち上がり、何事も無かったかの様にトレイを手にしテーブルへアカイと並んで座る。



「ごハァッ!ハァ、ハァ、ハァッ!?」


「だ、大丈夫?雪夏ちゃん!?」


「おい!誰か医療班呼んで来いって!」



 見守るしか無かった野次馬が集まり、息も絶え絶えの彼女を慎重に起こしてその身を案じる。だが、意識がハッキリと戻った段階で周囲を払い除け、よろけながらもゼイラムに詰め寄りながら人差し指を突き出す。それを「見てらんねぇ」と立ち上がったポールに、羽交い絞めにされて止められるも怨嗟を叫んだ。



「もう無いだろッ!!理由がァ!コイツを生かして置くモノなんてッ!!!」


「止めろ雪夏!何本か折れてる、医務室に行くぞ!」


「ほい、半分こな。箸は……そうそう、上手いな?はい、いただきます」


「こっちを見ろォオおッ!!!」


「煽るな!おい、手ぇ貸してくれ!引きずってくぞ!?」



 大勢に無理矢理引きずられ、食堂から姿を完全に消した後もずっと、彼女の雄叫びは響き続けた。その様子をゼイラムはズズッと麺を啜りながら見送り、アカイと共に残りを食べ進める。



「……すんごい零れてるけど?」


「ぉあ?わっへ、ほうひゃひぅひんッ」


「いや、分かんないしもっと零れたし……」



 居心地の悪さからか、気が付けばユキとマヒマを含めた4人だけが取り残されていた。抉れた頬からうどんがこんにちはしており、トレイに落ち、それを箸で拾ってまた食べ、またこんにちはのループに嵌っている友人にユキは苦言を呈する。恐らく「だってしょうがないじゃん」と言っているであろう彼の頬を治そうとマヒマが近付くも、それを手の平で制して止めた。



「んぐ、むんむん……ン、だいじょーぶ、見てて」



 何とか全部呑み込み、ゼイラムは右頬を何度か撫でると、見る見る内に傷口が塞がっていき、薄っすらと痕は残ったが完全に皮膚と肉が再生した。それはまるで、マヒマの【再生増進】を何倍速かで見ているかの様で、彼女は無意識に口を両手で隠す。



「僕の【生体ユニット】とは違うね……」


「あーだろうねぇ、コレは中途半端の失敗作だから。でも……人間辞めた分の元は取れた」


「……棄てたモノ、多過ぎない?」



 アカイの分もトレイを返却口に乗せ、暗に自分が失敗作であると語る友人……だった誰かに、マヒマは訊ねた。一体、何を犠牲にしたのか。その一言にただ、ゼイラムは冷たい表情で吐き捨てるだけだった。



「要らねーから棄てられんだろ」



――さあ取れ、取るがいい!だがな、貴様達がいくら騒ごうと、俺が地獄へ持って行くモノが一つ在る!

――皺一つ、染み一つ付けないままで……それはな……



【TIPS】


・【魔導力】と【適合者】の違い

1、魔導力は【先天的】に極限られた人物に発現する超常的な能力や超人的な力の総称である

  →その種類は多岐に渡るが、いずれも創作物に出て来る様な魔法や便利なスキルでは無い


2、適合者は【人工的】に後から肉体改造や【邪神】の細胞を用いた【生体ユニット】に“拒絶反応が出なかったモノ”である

  →魔導力とは違い、不可思議な能力は無いが、代わりに【邪神】の持つ脅威的な再生能力や(真空や放射線が死に至る)環境耐性を一部有している

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