1.41、深い泥炭


 ナイフを収め、パイロットを解放するも依然として銃口は一人の青年に向けられたまま、近濠が彼に話し掛ける。



「まずはおかえり、ゼイラム。それと報告書、ありがとう。後でキミを交え精査したいんだが……良いかな?」



 近濠の提案に「あぁ」とだけ返しながら、ゼイラムはユキを凝視し続けた。



「……ユキ、マヒマの旧姓は?」


「ぇ、時東?」


「マジで本物か……」



 ユキの即答により、ゼイラムは彼を本人だと確信した様子だ。と言うのも、ユキの隣りに立つ少女マヒマは両親が離婚し、母方に引き取られた為に苗字が変わっている。現在、彼女はシャンカールの姓を名乗っており、この事を知るのは幼い頃の彼女と親密な関係にあった彼らしか知らない。悪気が無かったとは言え、掘り返されたく無いであろう過去の話題を持ち出してしまい、ゼイラムは彼女に一言「すまん」と謝罪した。

 尚、マヒマの旧姓を知ったのは今朝、近濠が彼女に許可を貰いユキに伝えていたからだ。ゼイラムの性格から、本人確認をするだろう、そしてそれは彼らしか知らない事だろう、と読んでの事であった。他にも幾つか知らされている。例えば、四人が通っていた小学校や近所の病院、地名等だ。



(D・Dの言う通りだった……それにしても、こっちのゼイラム君も用心深い性格みたいでちょっと安心する……)


「確かに火葬も納骨もしたはずなんだけどな……でだ、D・D。いつまで俺は鉛玉にビビらなきゃいけないんだ?」


「そうだな、悪い。すまないが諸君、思う所はあるだろうが武器と殺意を下ろしてくれないか?彼はどうしても必要なんだ」



 近濠の言葉に、周囲でピリピリと殺意を露わにする全員が「D・Dが言うなら仕方ない」と不服そうに銃火器を下ろす。ようやくか、と言わんばかりにわざとらしく大きな溜め息を吐き、ゼイラムは旧友の元へ歩み寄る。



「元気そうだな、ゼイちゃん」


「お久しぶりです。えっと、分かってるとは思いますが……」


「ポールもヒマも元気そうで……そうね、思い当たる節が多過ぎてどれの事だか……」



 ポールが快活に彼の背中を叩き、マヒマは久しぶりの再会に喜ぶもバツが悪そうに周囲を見渡す。それに対し、ゼイラムは自分がどの様に評価されているか分かっている、と遠回しに彼女を気遣う。



「ゼイラム君……あの時のまま、だね」


「ユキこそ……棺桶に入った時のまんまだな」



 ユキにとってゼイラムは、旧友であり戦友だ、戦友だった。最後に見た姿のままだからか、互いに安心しつつも妙な違和感を覚える。相手の時間が止まったままなのか、己の時間が止まったままなのか、そんなところだろうか。



「ゼイラム、事情はラザロ号へ送った通信内容の通りだ。帰還早々ですまないが、キミに協力して欲しい……イケるか?」


「そのつもりだ……が、勝ち目の無い戦いはもう嫌だぞ」



 近濠が帰路に就いたラザロ号へ送った通信の中に、ゼイラム宛ての内容があった。そこには、ユキとD・Dが出会い彼を召還するに至った経緯が簡単にだが綴られており、急を要する事は承知の様子だ。

 ポールやユキと並ぶと、彼の体格は丁度間を取った感じでバランスが良い。痩躯で色白、ピンク掛かった髪で、背丈はポールより若干低い。不気味な程、細い腕や指は簡単に折れてしまいそうにも見える。だが、纏う雰囲気がそれは容易くない、と周囲に放っている。



「待ちなさいッ!」



 近濠らと共に屋敷へ入ろうとする彼を、先程まで銃口を向けていた一人の少女が語気を荒げ呼び止めた。



「……何?」



 若干の苛立ちを表情に浮かべながら、今にも喰って掛かりそうな少女へとゼイラムは視線を向ける。見ただけで彼女が激怒している事が分かる。呼び止めた少女はゆっくりと歩み寄りながら、ゼイラムへ話し掛けた。



「冬姉ぇ……冬鸙姉さんは、アンタと一緒に戦って死んだ……」


「……あぁ、お前さんが天川冬鸙(てんかわ ふやく)主任の妹、雪夏(せっか)か」


「アンタと一緒に居たはず……右肩に私の名前の、雪の結晶の刺青を彫った人がッ!」



 鋭い視線を向ける少女、雪夏は姉である冬鸙と共に戦った男ゼイラムへ冷静になろうと意識しながら問う。彼女の疑問は、殉職したと報告書に記されただけのモノ達がどうして亡くなったのか、本当に死亡したのか、彼が保身に走って生き延びたのは本当なのか……この場に居る、身内や友人らの最期に納得していない全員を代表している言葉だ。

 雪夏は泣き出しそうな声を上げながら自分の服を捲り、左肩を見せる。そこには見事な鸙(ヒバリ)の刺青が彫られていた。どうやら、姉妹で互いに相手の由来を肩に彫り込んだ様だ。それだけでも仲の良い姉妹であったと想像に難くない。



「……戦闘記録をまとめたデータは送ったはずだが、見て無いのか?」


「近濠さんが修正したやつは見た……アンタは信用出来ないからね、近濠さんもアンタの性格はよく分かってるんだ」


「あぁそう」


「信用は出来ない……けど、実際あの場に居たのはアンタだけ……姉さんは、本当に死んだ?」


「あぁ、殉職した」


「何か……言ってた?」


「妹の雪夏をよろしく頼む、て邪神に喰われながら言っていたぞ」


「……他のパイロットは全員、死んだ……?」


「あぁ、回収出来た身体は一部だけだったが、全員死んだ」


「アンタは……アンタが、姉さんや猿飛来先輩や大長根先輩や、コウちゃんマキちゃんスー君ラット君サマディ君ティミーにジョニーにスパイク……全員、全員ッ!!見殺しにしたのかァッ!?」



 最初は震えながらも声を押し殺す様に言葉を発していたが、亡くなった姉をはじめ、お世話になった先輩や友人、後輩らの顔や声を思い出してしまい、最後はがなり立てる様に絶叫する。その眼には涙が滲み、今にも襲い掛からんとする獣じみた形相となって慟哭する姿は、痛々しい程に悲哀を感じさせるモノであった。そしてそれは、周囲で静かにすすり泣いたり、息が乱れる彼ら彼女らも同様であった。



「……違う、と言ったら信じるのか?」


「いいや、無理だね!」


「そう、じゃあこれ以上は意味無いな。俺はともかく、アカイには挨拶して良いんじゃないか?」


「……ッ?」



 怒り狂う雪夏に対し、淡々と冷たく言い捨てるとゼイラムは誰かを呼んだ。一体、いつからそこに居たのか……雪夏も誰も彼もが分からぬ内に、彼女の背後には小さな、とても小さな褐色の少女が一人立っていた。

 呆気に取られる雪夏の横をゼイラムが通り過ぎるのと合わせて、その小さな少女アカイは無言で彼の背中を追う。足元にまで及ぶ白髪と深紅の瞳を持つその少女は、まるで言葉を発しない人形にすら見えた。



「……誰?」


「……ん?」



 無言で雪夏を見上げるアカイに、雪夏は自分の記憶を辿るも目の前の少女に心当たりが全く無く、首を傾げる。その様子に、ゼイラムは何かの違和感を覚えた様子だ。そんな居心地の悪い雰囲気を打破すべく、近濠はわざとらしく声量を上げて話す。



「あー諸君?さっきも言ったが、今はどうか怒りを下ろしてくれないか?本当に、頼むよ……」



 近濠は言わば【ミレニアム】の保護者の様な立場に居る。【魔導力】などと言う不可思議な力を持て余し、時には気味悪がれ家族にすら捨てられたモノも居る。そんな境遇の彼ら彼女らを引き取り、居場所と役割を与えた近濠には誰もが恩義を感じている。故に、この場も保護者の顔を立てて握り締めた拳や喰い縛る牙を緩めた。



「アンタだけは、絶対に殺すッ!【邪神】を呼んだ“大罪人”ゼイラムッ!!」



 一人を除いて。そんな罵声を背中に受けつつ、アカイなる少女を加えユキらは屋敷の一室へと向かった。

 ユキが持つ【邪神】の情報がまとめられた【ライブラリー】をこれから閲覧するのだが、内容によっては敢えて伏せた方が円滑に事を進められる可能性を鑑みて、まずは最低限の人物で中身を精査しようと近濠の提案である。その道すがら、その近濠が口を開いた。



「……すまない。キミに損な役ばかり押し付けて」


「内側に敵が居た方が組織はより結束する……それよりD・D、まとめるのは結構だがあの様子……“アレ”の件、削除したな?」


「……私の、弱さだ。だが、ちゃんと伝えるべきだな。後で皆には私から説明を……」


「いや、それだとD・Dが槍玉に挙げられる。俺が言うよ」



 ゼイラムの言葉を、少なくともこの場に居る人物は否定出来ない、事実その通りだから。

 しかし、意図的なのか天然なのか、落ち込んだ雰囲気を良い意味でぶち壊す無垢な少年が居た。



「ゼイラム君、空戦部隊長の時と同じ事言ってるね」


「“あっちの俺”も相当ひでぇ性格だったんだな」


「うん、第1701億3980万1009空戦隊の部隊長に任命された時、すっごい顔してた、さっきとおんなじ顔!」


「長いな……」



 ユキの経緯を把握はしていたが、実際に話すと規模の違いに戸惑いを隠せない。



「ちなみにユッキ、俺はどんな感じだったんだい?」


「ポールさんはねぇ、第6011億1029万501空戦部隊の6代目部隊長で、僕やゼイラム君やヒマと友達だったよ」


「長いな……」



 興味からポールが己について訊ねたが、やはり規模の違いを痛感する。



「私は、どうだったの?ユッキー」


「えっとね……えっと……」



 マヒマの問いに一瞬、彼女の最期の罵声が脳裏を過ぎって言葉に詰まってしまう。だが、目の前に居る彼女とは別人格なのだと自分に言い聞かせ、言葉を選んで答えた。



「ヒマは、僕や他のパイロットのオペレーターだったよ。どうしても戦ってる最中は周りがお留守になっちゃうから、全体の情報を教えてくれて沢山助けられたなぁ」


「そう、なんだ?えへ、何だか恥ずかしいね、違う私の事なのに」



 あぁそうだ、そうだった。彼女はどちらかと言うと自信が無く、表に立つタイプでは無い。パイロット適性が無かった為に星間通信術科の門を潜ったが、成績はお世辞にも良くは無く、出来損ないだの穀潰しだの散々な言葉を投げ掛けられていた。それでも彼女は諦めず、いつだったか何故そこまで頑張れるのかと訊ねたら笑顔で「ユッキーと一緒にいたいから」と言っていた努力家でもあった。前任者の戦死もあって艦橋配備となり、彼女の願い通りユキと彼の部隊を担当するに至った。だが、繰り上がり当選だの使い捨ての代理だの枕だのと罵られ続けていた、最期まで……


 それを思い起こし、ユキは今度こそ彼女に醜い真似をさせまいと誓う。



「私は知っているが、一応“彼女”を紹介したらどうだ?」



 階段を下りて地下へ向かう中、近濠はゼイラムが連れて来た褐色の少女アカイを見る。



「……この娘はアカイ、綺来アカイ。俺の相棒、終わり」


「……」



 雑な紹介と何も言わぬ二人に、呆れた様子で溜め息を吐きながら目的の部屋の前に立ち、近濠は4回ノックをしてからドアノブに手を掛けた。

 


「やぁ、久しぶり」



 地下廊下の突き当り、二枚扉を開けた先には車椅子に座す痩躯の男性L・Dがユキ達を微笑みながら待っていた。その後ろに、リューヌとソレイユ姉妹が並び立つ。



「伯爵にご令嬢、お疲れ様です、うんうん」


「お、お久しぶりです!ダイアモンド卿!リューヌさん、ソレイユさんも」


「皆様、ご壮健で何よりです」


「うむ!我も姉様も当主も、再会の刻を待ち侘びていたぞ!」



 自分達の雇用主である彼にポールは気さくに、マヒマは緊張混じりで挨拶をし、それに姉妹も応える。



「只今帰還致しました、L・D」



 表情は変わらず、だが嫌味の無い丁寧な挨拶と深々と下げた頭でもって、ゼイラムは暗に己の失態をL・Dに謝罪した。それに対し、当人は気にするなと言いたげに頭を横に振り、彼を労う。



「亡くなった彼らの葬儀と回収……苦労を掛けてしまったね。全員に代わってお礼を言わせて欲しい……ありがとう」


「いえ、力及ばず、無言の帰宅すら果たせなかったモノが多過ぎました……お詫びのしようも御座いません。全責任は、俺にあります」


「……ゼイラム、君はもう少し私にワガママを言っても良いと思うんだ。何せ、君を“【邪神】を呼び出した大罪人”、法務省に働き掛け外患誘致罪に処したのは私なのだから」


「この役目、他のモノには重荷でしょう……俺が適任です、地獄まで持って行きます」



 梃子でも動かないと察し、L・Dは「そうか……」とだけ呟いた。彼の財団【Lex Stella】は様々な業界だけでなく、表には出せないが官公庁へも圧力を掛けられる程の影響力と権益を持つに至っている。しかし、それを積極的に自己利益の為に行使した事は極僅かであり、実際に方々の国々はコレを無視出来ないものの、この組織に対して悪印象を抱くモノは少ない。

 それでも、何かと陰謀論に絡めて話題に挙げる市井は常にある。その噂のほぼ全ては事実無根であるが、数少ない強権を振るった事例が【ミレニアム】の設立と……ゼイラムの法的処置であった。二人の間でどの様な密約が成されたのかは当人同士しか知らぬ事であるが、両者は納得の上で今の関係を続けている。ただ一つ、外患誘致罪は西暦2200年の日本でも死刑以外に法定刑が存在しない。よって、ゼイラムは戸籍上、死刑が執行され死亡した事になっている。



「ゼイラム!相変わらず難しい顔ばかりだな!その顔、久しいぞ」


「お疲れ様です……そして、おかえりなさい、ゼイラム様」



 そう言った事情を知るソレイユとリューヌ姉妹は、当主やD・D同様に彼への偏見は持っていない。そんな二人の言葉に「ありがとう」と素直に返事をする。続けて無言無表情を貫くアカイの周りをくるくると歩きながらソレイユは「お主が“綺来アカイ”だな?我と同じくらいの娘で嬉しいぞ。ソレイユと呼ぶが良い!」と背丈が近い彼女の頭を撫で、リューヌは「綺来アカイ様、ですね?リューヌと申します。以後、お見知りおきを」と彼女の長い髪を手櫛で梳いた。



「そして君が……ユキ君、だね?」


「は、はい!ユキです」



 一通りの挨拶をし、L・Dは渦中の人物である少年ユキを正面から見据える。酸いも甘いも嚙み分けた老練の瞳は、外見上の歳相応の無垢さと、大よそソレとは交わらないであろう数多の死地を潜り抜けた歴戦の強者めいた雰囲気をユキに見た。



「まずは君に謝罪を……先日は嫌な事を思い出させてしまってしまったね、すまなかった」


「ぇ、ぃいえいえ!頭を上げて下さい!えっと、ルクスさん」



 先日とは、図らずもユキが半狂乱に陥ってしまい、近濠が彼の以前居た世界の事情聴取をした件だと言うのは、ユキもすぐに分かった。だが、彼からしてみれば自分だけ生き延び逃げて来たと言う自責の念があり、故に謝罪なぞ貰う資格は無いと思っている。



「……優しいのだね、ユキ君は。そう言ってもらえると幾分か救われる……ありがとう」


「僕は……自分だけが逃げた臆病者です。あの災い【邪神】についての情報を持っているにすぎません……今でも、何処からか僕を責め苛む声が聞こえる、そんな弱い一個人です」


「だが、君が持っているその情報こそが、今の私達には必要なんだ……改めて、私達に協力してはもらえないだろうか?」



 L・Dは携えていた微笑みを下ろし、真剣な表情でユキに協力の打診をする。

 彼の答えは決まっている。それが此処に、この別宇宙に来た意味なれば……



「はい、僕の経験と【ライブラリー】は奴ら……【邪神】を滅殺する為にありますから」



 どこかひ弱さを感じさせていたユキだが、その眼と言葉に込められた決意と覚悟は称賛に値する。少なくとも、L・Dはユキに対して一人の兵士であり戦士として敬意を表し接すると内心で決めた。後にマヒマは、この瞬間からユキは軟弱な少年では無く立派な漢になった、と思い出す事となる。



「協力ありがとう、ユキ……それでは、遠回りをしたが情報共有といこう」



 そう言ってL・Dが一度パンッと手を叩くと、リューヌが部屋の明かりを消し、ソレイユが背伸びをしながらドアの鍵を閉めた。それらに合わせ、近濠が中央のテーブルにタブレット端末や携帯PCを並べ、一同は自然と囲む様に用意された椅子に座る。全員が腰を据えたタイミングで、ゼイラムは懐から小型記録媒体を取り出し、近濠の携帯PCに接続しプロジェクターと繋げ電源を入れた。すると、テーブル中央に立体映像が浮かび、そこに様々なアプリやソフトウェア、データフォルダ等が揺蕩う。



「それでは、まずは私達の世界と【邪神】との邂逅、戦いについての情報提供をする……それで信頼に足るか、協力してもらえるか否かの判断材料としてくれるかな?」


――……了解



 近濠の問い掛けに対し、ユキの右腕に浮かんだ立体モニターにAirの返事が表示された。ユキの介抱をしている時、医療班が通常の処置として精神安定剤と抗うつ剤を投薬しようとした際に彼の右手首に付けられた端末がけたたましく警告音を発し、今の様にモニターが表示され「近濠、D・Dによる触診と処置が必要」と持ち主を守った経緯から、近濠ら【ミレニアム】は別宇宙から来たこの人工知能の存在を知った。


 モニター越しの会話から、ユキの言う【ライブラリー】は存在し自分が管理している事、その情報群を閲覧する為にはユキとポールとゼイラムの三名の生体データが必要である事を聞き出せた。但し、現在の地球より遥かに進んだ文明と技術の結晶でもある故、近濠ら【ミレニアム】が【邪神】と戦いこの技術を悪用しないと言う確信、言わば信頼が得られなければ協力するつもりは無いと条件を突き付けて来たのだ。



(まぁ当然か……【邪神】を滅ぼす為に特化しているとは言え、使い方次第では私達の文明なんぞ簡単に制圧出来てしまう……ほいほいと提供出来るモノじゃない)



 Airの考えを反芻し、改めて納得してから頷き近濠は口を開いた。



「そうだな……この地球、いや人類の文明レベルを説明してから、私達が【邪神】の存在を知り実際に遭遇して戦闘に至った経緯を話そう」



 なるべく簡潔に話そうと努めながら近濠は説明し、Airは彼女の意図をよくよく汲み取りながら己のデータベースに記録していく。


 この宇宙の人類の文明圏は【ゲート】を利用して土星軌道まで版図を広げている、だが実際は【Lex Stella】が準惑星の冥王星軌道まで宇宙基地を建造していること。宇宙活動用の機械や人型の作業用ロボットが存在し、人類同士の争いでは度々それらを戦闘用に改修して使用されていること。月や火星の衛星フォボスとダイモスをはじめとする、地球外の衛星や岩石惑星に造られた基地や都市の多くは独立した自治権を持っていること。宇宙資源や利権の奪い合いにより絶えず緊張状態が続く国家が複数あること。それに伴い【ゲート】周辺は情勢が常に不安定の為、星間国家間条約によって厳しく管理され非武装宙域に指定されていること等々、現在の太陽系を取り巻く政治的・地理的状況について伝えた。


 また、医療技術は神経結合により自然に動作出来る義手義足が確立されており、ステージ4でも転移箇所次第ではガン治療も可能となっている……しかし、代替の効かない部位、膵臓や腎臓、眼球や脳と言った箇所の欠損や壊死は依然として治療が困難である。


 近濠が生涯を賭けて開発し実用化させると己に課しているのが【万能細胞】の研究だ。欠損や壊死だけでなく神経系は勿論のこと、既存のiPS細胞では対応が出来ない脳をも機能を維持し再生させる、医療の究極とも言える研究である。この世界の【ミレニアム】は元々、その【万能細胞】を実用化させる目的で組織された団体であり、出資者且つ設備等の提供者のL・Dことルクス・ダイアモンドを当主とした私設組織だ。彼は事故によって下半身不随となっており、自身を最初の治験対象者とする事を条件に協力している。その事故で妻を亡くし、後に養子としてリューヌ、ソレイユ姉妹を引き取った。



「……その研究のお陰で、ユキが普通の人間とは違う、キミ達の言うところの【生体ユニット】を使った有機体だと分かった訳だが……正直に言うと、かなり参ってる。確かに、私の研究は突き詰めれば人体の無限リサイクルを可能とするし、それが軍事利用される可能性だって考慮していた……そう、覚悟をしていたつもりだったんだがなぁ……」



――……倫理観や道徳心、と言う概念でしょうか?



「あぁ、そう言う奴だ……実際にこうして目にすると、本当にこの研究を続けて良いのかどうか、分からなくなってしまってね……」



 近濠の葛藤は恐らく、命が水素原子ほどの軽さしか無いユキやAirには理解されないだろう。だが、Airから見て近濠麦秋と言う人物は思慮深く、新しい技術の有用性と危険性の両面を俯瞰出来る誠実さと客観性があると判断出来た。多くを語らずとも、近濠自身とこの場に居る全員が彼女の【万能細胞】は【生体ユニット】となる事を理解している。



「話が脱線してしまったね……【第一のラッパ】の事は既に知っているね?私達【ミレニアム】は半信半疑で、当時冥王星軌道にある開発基地にてオールトの雲から太陽系外へ出るルートを探していたんだ。そこで私達にとっては初の、キミ達の言う【邪神】と接触した。結果は、まぁ想像通り惨憺たるモノだったよ……」



 そう話しながら立体映像を切り替えると、そこには穴だらけで活動を停止した全長100キロメートル程度の小惑星級【邪神】と……周辺宙域に無惨にも漂う破壊された基地の残骸と、物言わぬ破裂した人体が写された。



「接触当初こそ、あらゆる波長帯で通信を試みたり、光の点滅によるコミュニケーションを図ったりしたんだが、意思疎通は出来ないと判断するのに時間を浪費したせいで一人を除いて全員死なせてしまった……彼だけが、生き証人になったんだ」



 再度映像が切り替わると、戦闘用と思われる機体が1機だけ心許無くスラスターを噴射し、満身創痍の姿で【邪神】を曳航している様が映し出された。それと同時に、全員の視線が一人に集中する……当人は意に介していないのかタバコを咥え、紫煙を吐いていた。



「……文句あるんか?」



 職務放棄した訳じゃ無い、と言いたげにゼイラムが怪訝な表情を浮かべた。それに対し近濠は責めていない、と首を横に振る。



「このメンツの前では嫌われ役を演じなくて良いんだぞ……まぁ、それで私達は【邪神】の脅威を思い知らされた訳だ。ただ、映像も添えて星間人類連盟にこの事を知らせて警告したんだが……恐怖を煽って宇宙資源の独占を企んでいる、なんて言われてしまってね。結局、同じ脅威を感じた【魔導力】を持つ人材、キミ達の言う【適合者】だけで対処せざるを得なくなったんだ」



 映像は三度変わり、今度は二度目の【邪神】との邂逅の映像が映る。つい先日、戦闘員ではゼイラムだけが生還した戦闘映像だ。最初と比べ被害はかなり抑えられているのが分かるが、それでも惨状と言える様相である。



「で、コレがユキと出会った後に起きた、二度目の【邪神】との戦闘だ。見ての通りの惨状だよ……私達は宇宙作業用有人機を武装させ、高機動型と重火力型の二種類に分けて運用していたんだが、圧倒的に技術不足だ。多大な犠牲を払っての数によるゴリ押しでしか対処出来ていない……奴ら本来の規模を鑑みれば、同程度の大きさの【邪神】100体前後に襲われたら人類は勿論、太陽系は跡形も無く消滅するだろう……実戦経験があるのはゼイラムただ一人だけ……ぶっちゃけ、打開策が無ければ改善策も対応策も無い、詰みの状態だよ……」



 そこまで話し、大きな溜め息を吐いて近濠は映像を切った。その小さな両肩に圧し掛かる重責は途方も無いのだろう。力無くぶら下げた両腕は微かに震えており、ちょっとした拍子にアッサリ折れてしまいそうだ。



「……D・D、絶望してるところ悪いんだが要望通り“完成した”から渡しておくぞ」


「んぅ?一体何を……と、ッ!?」



 目に見えて落ち込んでいる近濠に、ゼイラムはタバコを灰皿に押し付けてから胸元に手を入れ、取り出したモノをやや雑に投げ付けた。反射的に受け取り、それを見た瞬間に自嘲気味た笑みすら消え失せ呼吸が止まる。



「そう、やはり出来てしまったか」


「はい、材料と事象が揃いましたので」



 息を荒げる近濠の持つソレを見て納得の表情を浮かべるL・Dに返事をしつつ、設計から完成に至るまでの経緯をまとめた電子報告書をゼイラムはその場で送信した。ポールやマヒマは興味津々にソレを近濠の肩越しに眺める。



「何ですか?コレ……」


「ゼイちゃん、こいつぁ何だい?」



 珍しい生き物を見付けた小学生の如き無垢さで疑問符を浮かべる二人に、ゼイラムが答えようとした直前、同様の無垢さで懐かしいモノを見付けた様子でユキがはしゃぐ。



「あ!【ハイパーキューブ】じゃん!なつかしー!」


「いや、コレは【フラクタルキューブ】な?【メンガーのスポンジ】って言った方が良いか?」



 震える近濠の手の平に乗せられたモノ、それは非常に細かい網目状の立方体で反対側が透けて見える、だが確かにそこに存在する【メンガーのスポンジ】であった。全体と任意の一部分が完全に相似する図形をフラクタル図形と言い、どこまで小さく分けても無限に同じ形が続く概念上の幾何学模様だ。その中で【メンガーのスポンジ】とは、立方体をルービックキューブの要領で分割して中央と隣接するブロックを取り除く、この作業を無限回繰り返した時、面積は無限大に発散するが体積はゼロとなるフラクタル図形である。


 無論、コレは理論上の話で実際に作る事は出来ない……本来ならば。幾ら細かくしようとも単原子より小さくは出来ず、必ず原子一個分の体積が残るからだ。しかし、近濠の手に渡ったソレは、彼女の科学者としての直感が“完全なフラクタル図形”であると訴えている。


 余談ではあるが、ユキの言った【ハイパーキューブ】は文字通り超立方体、或いは正多胞体とも呼ばれるモノだ。甚だ直感に反する図形であるので、誤解を恐れず雑に説明するならば、内側と外側にそれぞれ立方体があって尚且つ各辺の長さと各点の角度が全て同じ図形を指す。よって、別物である。



「……ゼイラム、本来コレは作れないはずだ……キミからの伝言は聞いてはいたがね?何かの冗談であって欲しいと願っていたんだよ?なのにキミと言う奴は……」


「……欲しい、て言った癖に」


「そうだけど、うん……うん?いや、そうなんだけど……」


「ドクター、このあみあみサイコロがあると何か不都合があるんですかい?」



 別に良いじゃないか、と言った表情でポールが訊ね、マヒマが頷く。言葉を選んでいる間、ソレイユが「おお!羽根の様に軽いぞ!」と手に取ってはしゃぎ、リューヌが「なるほど……であれば、壊す事も出来ないのですね」と得心が行った様子だ。



「……ソレは理論上の物体で、実際には作れ無いはずのモノなんだ……素粒子より小さく、文字通り無限に細かくした物体なんて存在しないし有り得ないんだよ……その【フラクタルキューブ】はね、表面積が無限なのに体積はゼロなんだ……だから、それこそ理論上、無限の容量を持つ記録媒体にだってなるんだよ……」



 近濠の説明にポールもマヒマも「すごーい」と純粋な感想を述べる。だが、有り得ないモノが存在するならば、有り得ない事態になっている訳であり、その危険性を全員に向けて説く。



「この宇宙には幾つかの絶対的なルールが在る……質量保存の法則、慣性の法則、光速度不変の法則、全ての物体はそれ以上小さくする事が出来ない最小の粒子である原子で構成されている原子の法則……その【フラクタルキューブ】は、そう言った絶対のルールを破る存在なんだ。これまでの人類が見付けた数少ないルールを破る存在は、ブラックホールや宇宙の膨張速度など、本当に極僅かしか無いのさ……数多のルールは、この宇宙を成立させる土台の様なモノだと思って欲しい。そんな土台を破壊する存在を人が造れる、と言う事はね?この宇宙の、その土台が破壊されている……極論、この宇宙が終わりに向かっている事になるんだよ」



 シンッと静まり返った後、遅れて状況を呑み込んだポールとマヒマが慌てた様子でキューブとゼイラムに何度も視線を送り叫ぶ。



「ちょいちょいゼイちゃん!ヤバいじゃん早く壊してそれいや俺がぶっ壊す!」


「ゼイラムさん!ペーして!ね?ね?ペーしなさいペッ!」


「いや、捨てても同じだし、ソレ壊せないし……」


「ちょっと!コレ触ってるのに触れない!?訳分かんない!」


「ふざけてる場合じゃないですポールさんうわッ!掴み処が無いッ!本人そっくり!」


「そりゃ体積ゼロだし……んぁ?何でディスられた?」



 面積無限のあみあみサイコロは体積が無い為、重力の影響を受けず厳密には“触れる事が出来ない”。近濠やソレイユが手に持っている様に見えるのは、その場でふわふわと浮かばせているだけであり、面積は在るので僅かな風や音等の空気振動の影響は受ける。その奇怪さは理解を超え、ただただ気持ち悪さを二人に与えたようだ。



「D・Dが呆けてるんで代わりに俺から……今の話の通り、俺達は鼻血噴く位に絶体絶命。【邪神】とはなんぞや、をようやく知ったばかり。ユキと、Airだっけか?情報提供に慎重なのは分かる、俺でもそうする。だから、と言う訳でも無いんだが……多分、君らと俺の立脚点は似てると思うんだ。ひとまず、この娘を見てくれ……」



 乾いた笑いを微かに零す近濠に代わり、ゼイラムがそう言うと彼は己の膝に乗せていた褐色の少女アカイをズイッとAirが見やすい様に突き出す。幼女とも言える小柄な体躯はテーブルに乗せられても何も言わず表情も変えず、ただ彼に全てを委ねていると言った具合だ。しばしユキとAirはそんな少女を凝視すると、ほぼ同時に合点が行ったらしく「あぁ!」と漏らす。



「通りで!初対面なのに何か懐かしいなーって思ってたけど、そーゆー事なんだね?ゼイラム君」


「どうも、ユキ……君は、Airはどうだ?」



 物言わぬ褐色の人形少女が何者か……人工知能であるAirが何を思ったのかは知らぬが、これまでメッセージを表示させていたモニターを仕舞いそして……



《皆様、限られた人員と情報での【邪神】討伐、ありがとうございます》


「「「……うぉッ!喋ったッ!?」」」



 発声機能をオンにし、Airから見た別宇宙の文明が自分達と同じ目的を持ち、犠牲を出してまで戦った事実と【邪神】を利用した技術……そこに“この宇宙の【ミレニアム】は信頼に足る”と判断をしたと言う事だ。

 突然の事にポールとマヒマ、そしてソレイユが驚きの声を挙げる。姉のリューヌも「綺麗な御声ですね」と落ち着きながらも驚いているのが分かる。彼女の言った通り、Airの声は若い女性に聞こえる。気品を感じさせる声で、何か歌えば恐らく澄み渡った透明感のある歌声になるだろうと確信が出来る。「誰の趣味だ?」と思いを馳せるゼイラムに対しユキが「……ぇ、本人が言う?」と呟き、二人は同時に「……ん?」と首を傾げる。



《そして、申し訳ありませんでした……私達の世界で【邪神】を撃滅出来ていれば、皆様にご迷惑をお掛けする事はありませんでした》


「……ッ、あ、あぁ、ボーッとしてしまっていた。構わないよ、君達を非難など出来ようものか……私達では想像も出来ない時間と万難辛苦と亡骸の山を越えて尚、【邪神】どもに届かなかった……悔しかったろう、悲しかったろう……それでもまだ諦めていない、私達もだ。どうか共に、君達の無念と一緒に【邪神】どもと戦わせておくれ」


《はい、勿論ですドクター・ダイアモンド》



 死に顔から生気が戻った近濠の提案にAirはイエスと答えた。その様子に一縷の望みを見出したのか、L・Dは微笑みを携え控え目に拍手を送る。



「私達は正しく、死と隣り合わせに在る……“死”は私達の終焉、破滅、風前の灯火そのものだ。しかし、位置さえ変えてしまえば再生、覚醒、起死回生となる、表裏一体……タロットカードの様に」


「……ジャスティス!」


「フールッ!」


「ハイ“エロ”ファントッ!!」


「「「Oh Yeah!!」」」


「はんッ、馬鹿々々しい」



 何のスイッチが入ったのか、折角L・Dがお洒落かも知れない言葉遊びで締めたのにそれを無下にするかの如く、ポールとマヒマとゼイラムの順にお洒落さの欠片も無い言葉遊びで盛り上がった。それを一言、笑みのままリューヌが一蹴する。



「……Air、彼らは人類でも稀有な人材だが頭が残念なんだ。寛大な心で許してやって下さいお願いします……」


《構いません。むしろ懐かしく喜ばしい光景です》


「キミ達はどの世界に行っても残念なのか?」



 近濠の憐れむ様な表情と言葉に、当人らは反発する。



「湿った顔より馬鹿みたいな顔の方が良いじゃないっすか、ドクター」


「誰に嗤われようと私は中指おっ立てて死んでやる、て近濠さんが言ったんですよ?」


「そーだそーだ!暴力反対ッ!労働者に権利と自由をッ!賃金上げろバカたれ!」


「頭の中まで馬鹿にならなくて良いんだポール、確かにそう言ったけどキミ達に中指は立てたくないんだマヒマ、あとキミは戸籍上死んでるから労働者ですら無いぞゼイラム」


「Air、そっちのD・Dがどうだったかは知らんが、こっちのD・Dは今でも俺にプリン喰われたのを根に持ってるんよ」


「おまッ、本当にアレまだ許してないからなァッ!?半年前から予約してずっと楽しみにしてたのにッ!」


「美味しかったよ♪」


「はっ倒すぞ!」


「ちゃんと代わりにケーキ作ってあげたじゃんか……」


「あぁ貰ったよ?人間の頭の奴な?ご丁寧に中身真っ赤のラズベリーケーキだったよなァ!?」


「頭蓋骨はホワイトチョコにしたんだよ、凝ってるでしょ?」


「何がハッピーバースデーだ黙れやクソがッ!」



 それまでの理知的な姿は無く、互いに幼稚さを剥き出しにして近濠とゼイラムの二人は言い争う。その様子にユキは「どうしよう、お、落ち着いて?」と動揺しながら宥めようとするが、他のモノにとっては日常茶飯事なのか誰も止めようとせず、ポールとL・Dに至っては手を叩きながら笑っている。



「えっと……お互い、嫌いなの?」


「「ぇ……んー……好き?」」



 ユキの疑問に二人は声を重ねて答えた。それが不服だったのか、またやいのやいのと騒ぎ始める。



「それでは、和やかな雰囲気になった事だし【ライブラリー】の閲覧許可を改めて申請したい」


《承認、そちらの端末にアクセスします……接続、中央モニターに表示》



 L・DとAirが淡々と話を進め、立体映像にノイズが走ったところで宙に赤い円が三つ浮き上がった。



《ユキ、ポール、ゼイラム、三名の生体情報を確認します。この円にどちらかの腕を重ねて下さい》


「ポールさん、ゼイラム君、僕と同じ様に……はい、こんな感じで」



 ユキは右腕を浮き上がった円の中心に通し、手首を回しながら二人を見やる。



「ふんふん、血圧計みたいだな……ゼイちゃん、はやく」


「この間計った時は下が40で上が70だったなぁ……コレで良い?ユッキー」


「ギリギリ人間なんだね……」


《認証……了、ミレニアム三名、識、識、識……断、ライブラリー展開、データリンク……一つよろしいですか?ルクス卿》


「何か入り用かな?」


《データバンクの容量が足りません。他にサーバーの予備はありますか?》


「一応は……具体的に、どの位の容量が必要かな?」


《上限は無限、下限は2048ヨタバイト以上です》


「……D・D、なるべく早くその【フラクタルキューブ】を記録媒体にしてもらって良いかな?」


「死ぬほど小さいから、まず素粒子ウエハースとハンドリングツールの用意からか……」


「あ、無限とまではいかないですが16ロナバイトのキューブなら帰還途中に作ってます。えっと……はい、どうぞ」


「そう言うのは、なるべく早く教えてもらって良いかな?」



 カーゴパンツのサイドポケットから加工済みの【フラクタルキューブ】を取り出し、やや雑にL・Dへと放るゼイラムへ微笑みながら若干の怒りを露わにしつつ、受け取ったキューブを端末へと接続する。

 尚、この時点で全人類のストレージ総量は約8クエタバイトである。



「良かったぁ、こっちの皆も良い感じに仕上がってるね」


「完成形は何だ……手はまだ降ろしちゃダメ?」


《はい、降ろして頂いて構いません……モニターに表示、閲覧したいデータの選択をお願いします》



 ユキら三人が上げた腕を降ろす横で、近濠は身を乗り出して表示された大量の項目を凝視し、しばし熟考した後に指をさす。



「では、まずは【邪神概要】の【生態系と社会性】から頼む」



 それから順に、Airの音声解説とユキの補足を交えながら【邪神】について、そして如何に戦い、如何に技術を改良し、如何に敗れたかを知った。


 恒星や銀河、マイクロ波背景放射と超空洞の分布から、非常に似通った宇宙であること。どの銀河系のどの位置の恒星系に、多銀河間同盟として共に戦った知的生命体が存在するのか、またその種族達の特徴や文明はどの様なモノか。【邪神】の出現が観測された空間はどの銀河系が近いのか。大きさ、特徴、構成成分、進化と派生、実測と推測……その他多くの、本当に数多くの事柄について知識を吸収……させられた。


 意志があり、明確な敵意を持ち、幾千幾万幾億もの群体で、星を喰って銀河を呑み込み、あらゆる物質を捕食して増殖し、回遊しながら文明を一つ一つ潰して、膨れ上がった自身の重力で宇宙そのものを無に帰す……その時、一点に圧縮されたエネルギーでもって隣接する宇宙へと強引に侵入したら再び、同じ事を繰り返す。最後は推測であったが、めでたく証明された。


 概要だけで、それも全体の半分未満だが既に夜も更け、朝焼けまで二時間を切ったところで近濠の「待った」が掛かり、一旦のブレイクタイムと相成った。



「ふぅ……今までで一番の収穫だ。しかし、皆は疲労困憊の様子。私も少々、いやとても少々疲れた……D・D、何か展望は開けそうかな?」


「……無理だ。頭の中がミキサーに掛けられたみたいにグチャグチャだし、それよりも今は惰眠を貪りたい」


「同じく……難しいこと考えるのはドクター達に任せるよ」


「……クソがよぉ」



 これまでの情報から、各々が自由に感想を口から溢す。L・Dの問いに近濠は力無く首を横に振り、ポールは文字通り両手を上げて思考を放棄、ゼイラムは最後のタバコに火を点け現状を憂いた。



「でも、何とかしないと手遅れになっちゃうよ……?」


「んぅ~ユッキー……」



 嘆きの中に居る全員へユキが奮起を促すが、素直に応えられるモノは居なかった。明るい未来予想図を描けないのは身を染みて分かっている為、それ以上言葉を続ける事も出来ない。


 ほぼ徹夜だったからか、何名かは夢の世界へと旅立っている。ユキに寄り掛かる形でマヒマが、L・Dの膝の上でソレイユが、ゼイラムに抱き付く形でアカイが夢幻の住人となった。リューヌとポールは何とか意識を保っている様子で、何度か頭が上下に揺れている。


 思考を放棄出来ない、研究者気質組は否応無しに頭が勝手に熟考し、可能性や場合分けまでしてしまうモノだから自然と口を堅く結んで閉ざす。



《……問題点や課題点を提示頂ければ、解決策を提案出来るかも知れません》


「全部だよ全部ッ!」



 怒鳴り付ける様に近濠は八つ当たりで叫んだ。直後、冷静になったのか「すまない」と弱々しく謝罪する。構いません、とAirがフォローするも消沈した意気は戻らなかった。



「まぁ確かに全部だ、が……ゼイラム、一応ピックアップしてくれるかな?」


「はい……まず技術レベルが圧倒的に足りない。こっちの人類は未だ光速を超えていないし、最も高効率の動力は核融合炉で縮退炉の実用化はされていない。次に頭数が足りない。西暦2200年の全人口は約300億人、その内2割の約60億人が地球上で暮らしてる。この財団【Lex Stella】の職員は非正規を除くと大体400万人……んで、シンプルにデカさも足りない。人類最大の建造物は土星の輪っかにある【マハト・パドマ】基地で、長さ約1900万キロメートル、幅100キロメートル、厚さ40キロメートルのリングなんだが……使える面積は地球の陸地の50倍しかない上に居住用コロニーだ。防衛軍はあるが当然、対人類しか想定していない。恒星級とやら一匹とようやく同じか、それより小さい……後は、どれだ?」



 些事を含めれば無限に出て来るだろうが、大きな問題は今挙げられた三つだ。いずれもすぐの解決を望めないのが痛い。技術としてのクローンは確立されており、設備さえあれば可能だ。しかし、星間人類連盟の星間法でそれは禁止されており八方塞がりだ。



「羅列すると悲惨だな……勝ち目の無い戦いは、もう嫌だ……」


「そうだね……【邪神】が出て来る場所は分かってるのに何も出来ないなんて……」


「家の鍵を閉めるのとは訳が違うからなぁ……」



 凄惨な戦場を実際に見たゼイラムが、この中でユキ(とAir)を除き【邪神】の脅威を唯一知っている。彼にしてみれば、死体の山を築いて何とか得た勝利だ。勝ち目の無さを最も肌で感じているであろう……だが、ユキとポールの言葉を聞き、天を仰いでいた近濠が驚きの表情を浮かべながら二人を見やる。



「……ん?ユキ、ポール。今、何て言った?」


「ぇ……出て来る場所が分かっているのに何も出来ない、て……」


「家の鍵を閉めるのとは違う、とは言ったが……どした?ドクター」



 二人の言葉をもう一度聞いて近濠は聞き取れない程のか細い声量で幾つか呟き、ハッと無言でゼイラムとL・Dに視線を向けつつ口をパクパクと動かした。その様子に、二人は「……あぁ」と彼女の考えた事を察し、L・Dはそれまでの微笑みを降ろして端末の操作をする。



「ユキ、ポール……天才だ」



 ゼイラムの突然の賛辞に当人らは頭上に「何が?」とハテナを浮かべ、彼はL・D同様に端末の操作をした。



「Air、キミ達の宇宙で【邪神】は何処で出現したと言っていた?」


《じょうぎ座銀河団の重力異常です》


「ラニアケアのグレイトウォール……ゼイ!」


「重力の歪みと揺れはまだ誤差範囲内。青方偏移にも転じてない」


「L・D!」


「天の川銀河内には少なくともまだ居ないよ、D・D」


「ちょ、おいおい、こっちにも説明してくれぃ?」



 近濠を中心に以心伝心で手と口を動かす三人に、ポールが説明を求める。「す、すまん、ちょっと待ってくれ」と断ってから近濠は深呼吸し、落ち着いてから中央モニターに星々の、じょうぎ座銀河団の立体図を表示させ説明した。



「……まず、大前提として“まだ本格的にこの宇宙に【邪神】の群体が侵攻していない”事と“【邪神】の侵攻ルートが一ヶ所のみである”事、最後に“入口を塞ぐまでの時間的猶予が残っている”事、この三点が絶対条件だ……その上で、人工ブラックホールなり縮退炉なり、兎角バカデカいエネルギーを生み出せる動力源を造り、それを奴らが出現する宙域まで運んで暴走させる。具体的にどの程度の出力が必要かは綿密に計算しないといけないし、そも塞げるとも限らない……だが、可能性はある」



 近濠は話しながらモニターの表示を切り替え、Airの指示した宙域に球体を映し、炸裂させる。重力の強弱を示すグリッド線が激しく揺れ、波紋の様に広がり、時間の経過と共に静まり返る。



「そっか、その一ヶ所で相手をすれば全部に対応しなくていい……僕らはもう、囲まれた時に戦っていたからその発想が無かったなぁ」


「言わば、宇宙でテルモピュライを再現する訳だ」


《ファランクス、でしょうか?幸い【邪神】個体の移動速度は大きさに反比例します。巨大な銀河級以上は遅く、惑星級は素早い……ですが、生物が存在する惑星同様、小さい個体の数は指数関数的に増加します》


 ユキとAirの最も古い記憶では、既に宇宙には【邪神】が溢れ返って手遅れとなっていた。しかし、この宇宙はまだ可能性がある。L・Dの例えにAirは誰かによって保存された古の戦い、その際の陣形と共に【邪神】の特徴を挙げる。



「……てぇ事は、だ。バカデカいのは後から来るから、その入り口とやらが小さい内に“鍵”掛けちまおう、て話か」


「あぁ、付け加えるなら“鍵閉めてぶっ壊そう”てこと」



 ポールは自分の発言を含め咀嚼し、それを近濠の意図を汲み取ってゼイラムが補填する。



「しかし、私達は偶然見つけた【ゲート】以外は通常航行しか出来ない。2億光年以上も離れた場所へのんびり遠足する時間はさすがに無さそうだ……何か策はあるかな?」


「キミ達は【三次元カーマン・ラインからの剥離】技術があったね?アレを使って奴らの侵入口までの通路を掘削出来ないか、と思うんだ」


《現象自体はユキの【アクト・ブランシュ】があるので可能です……えぇ、可能ですが2つ問題が》


「何かな?Air」


《1つ目は【剥離】と【固着】で最短でも10年以上の時間損失が発生します。2つ目はエネルギーです。その後の戦闘や封鎖を考慮すると、ダイソン球は使い潰せませんし太陽と同等の恒星が複数必要です》


「あぁ、そこは考えがある。可能か否か、可能ならば時間と設備はどの程度が必要なのかは算出しなければいけないが、2つ目は道すがら恒星とガス天体を使う。そうだな……ルートもだが、まずはプロキシマ・ケンタウリが候補だ」



 近濠とAirはやり取りをしながら端末を操作し、モニターの映像が忙しなく移り変わる。それと並行してL・Dとゼイラムは各々の端末で必要な情報を集めていた。

 その様子に、思わずユキが笑みを浮かべる。



「どした?ユッキ」


「いや、何だか懐かしいなって……ポールさんやゼイラムさん、ヒマとよくこうして居たから……」


「……そか」


「猶予があるのかどうかも分からん以上、進みながら造るしかないな」


《はい、【アクト・ブランシュ】の設備で必要な物資さえあれば、20キロメートル程度ですが小型の縮退炉は製造可能です》


「でけぇよ……」


《ドクター、1つ目の問題について幾つか提案します》


「何かな?」


《まず、時間損失を完全に無視して強行する方法。もう一つは、複数の通路を穿ち分かれて進んで最も早く着いたチームが実行する方法。その他として、無人艦による遠隔操作や、技術と軍備を進め後世に丸投げするか、いっそ諦めるか、等です》


「後ろ2つは必殺技にしておこう……キミ達は即効果が見込める移動手段として使っていたが、無人の縮退炉で先に通路を開け、開通したら通ると言うのはどうだろうか、と思ったのだが……」


《つまり、一度開いた通路は塞がずそのままにし、恒久的な高速道路にすると……多銀河間同盟で【剥離】と【固着】を必ず組で使用していたのは、残された通路が重力変動源となり退路を断たれる危険性が大きかった為です。空間と重力の歪みは、周囲を呑み込み際限無く肥大化、時間と光はいずれ観測不能となって何が起きるか予想も立てられません……ですが、その一点に眼を瞑るのであれば技術的に通路を穿つ事は可能です》


「なら、入口を塞ぐ時にその変動重力源も利用しよう。長期間開いて無きゃ良いんだろ?」


「そりゃ出来るならリサイクルも兼ねて丁度良いが……ゼイラム?それは、そこに誰かを“置き去り”にすると言う事を意味するぞ?」


「嫌なら全員で仲良く死ぬしか無いわな」


「……まぁ、まずは道を通せなきゃ考えるだけ無駄だな。Air、この後どの方法が可能か3人で詰めて行きたい、知恵を貸してくれ」


《もちろんです、他の皆さんは“休息が必要”でしょう。解散を推奨します》


「あぁそうだな……諸君、夜通しありがとう。この場は解散だ、ゆっくり休んでくれ……おい、お前は居残り組だ座れプリン泥棒」


「どんだけ根に持ってんだよ……」


「……あーそっか。まだ生体ユニットじゃないもんね、皆。ヒマ?起きて?終わったよ?」


「さすがに俺も眠い……んぅ?ユッキ、まだってどゆこと?」


「私は資金と設備調達の手配をしてから休ませてもらうよ……リューヌ、ソレイユを頼んだ」


「はい……ソレイユ?ベッドに行きますよ?」


「うぅ、お姉さま……」



 近濠と、彼女に指名された洋菓子無断飲食、それにAirの3名を残して初回の情報共有会は幕を降ろした。締め切ったカーテンからポールが外を覗くと、東の水平線が桃色に彩られているのが見えた。



「んーッ、ユッキ……ありがと」


「急にどうしたの?ポールさん」



 外に出ると同時に背伸びをし、筋肉の強張りをほぐして彼は帰って来た友人に礼を述べた。いや、記憶も経験も違うから厳密には本人では無いのだが、それでもポールは同じ顔で同じ声で同じ名前の少年と会えた事実は喜ばしいモノであった。



「ぅんにゃ、マヒマは戸惑ってるけど……気に病んでたからさ。嬉しいんだよ、まだ言えて無いけど」


「そう、だね……何だか大昔の思い出みたいで、何と言うか……ヒマって、こんなに軽かったんだなー、て」



 背中で心地好く眠る恋人、と同じ顔で同じ声で同じ名前の少女の重みと温もりを感じながら、得も言われぬ充足感を嚙み締めた。彼女の意識は夢の中にあるようだが、念の為「最後の本人に言うなよ?」と友人に釘を刺される。



「僕は寝る必要無いからなぁ……ポールさんに付いて行くよ」


「便利な身体ね」



 その後、食事を摂る必要が無ければ味覚も無い事を知り、ポールはこの発言を撤回する。



――ま、ごゆっくりな



【TIPS】

時代背景について

・西暦2200年 土星の公転軌道まで人類の生存圏が拡がっている

 →星間開発財団【Lex Stella】の前線基地は冥王星の公転軌道上で22基が稼働している(宇宙資源採掘拠点兼補給基地)

・全人口は約300億人 内地球上には2割の約60億人が暮らしている

 →星間開発財団【Lex Stella】の職員総数は非正規雇用を除き約400万人が在籍

・最も巨大な人工物は、土星軌道にあるトーラス型スペースコロニーの【マハト・パドマ】で、土星の環の一番外にある【フェーベリング】の内側を一周している

 →土星の中心から約300万キロメートル離れた位置でリング状に一周し回転している(遠心力により内側は地球とほぼ同じ疑似重力が発生する)

  →長さ約1900万キロメートル、幅100キロメートル、厚さ40キロメートル、5階層あり居住総面積は約70億平方キロメートル(地球の陸地総面積の約50倍)で人口は100億人程度

【マハト・パドマ】は梵字で「大きい・スイレン」を意味する


・星間人類連盟:地球上の国家と地球以外の国・自治領・宙域から成る国際機関で、月面都市セレーネの独立自治権の承認に合わせ西暦2098年に設立された。クローン技術は宇宙進出以前の国際機関から生命への禁忌として、研究は許可されているが実用は禁止され続けている。


→月面都市セレーネ:月に築かれた人類の社会圏の一つで独立自治権を持つ。首都は【神酒の海】にある【ゾードム】

 →セレーネ工科大学:セレーネの首都【ゾードム】にある国立の工学系大学。D・Dこと近濠は本校の遺伝子工学部を主席で卒業し、同校の後期博士号を持つ

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