1.3、鈍色の虹
騒々しい音楽は失せ、コンクリート剥き出しの地下室の一角で、丸い金属テーブルを挟んで少年ユキと少女近濠は互いに見合っていた。しかし、ユキの瞳は虚ろで不気味な笑みを携え、対する近濠は背中に嫌な汗が伝うも険しい表情で彼を見据えている。
「それではユキ、状況整理の為に幾つか確認したい……構わないかな?」
「はぁい、どうぞぉ」
まるで薬物中毒者の様相だが、それを笑い話にするモノはこの場に居なかった。ポールとマヒマを始め、ユキと近濠以外の全員が二人のやり取りを静観している。
近濠は一度、背後に立つカントールに小声で「L・Dに中継を頼む」と囁いてからユキに優しく話しかけた。
「まずは、お疲れ様。キミと会えて嬉しいよ」
「大してお役に立てず、すみません……」
「いいや、キミはよくやってくれた……さて、先程キミが言っていた【生体ユニット】について聞きたいのだが、それはどう言ったモノだったかな?」
近濠は努めてユキを刺激せぬ様、想像し得る範囲で【ユキが知るD・D】を演じた。
「えっとぉ、D・Dが損壊した戦闘要員の為に開発した可変有機体です。確か……ゼイラム君と一緒に実用化に成功した、て大はしゃぎしてたじゃないですかぁ?」
「……損壊した、とは手足等の体の一部を失った、で合っているかな?」
「はぁい!『これで脳さえ無事なら幾らでもリサイクル出来る!』って。僕みたいな一端の兵士を何度も戦場に送れる、て『大発見だ!』て、皆D・Dのお世話になっていました……忘れちゃったんですかぁ?」
「いや、覚えているとも……私の覚えている事と喰い違いが無いか確認したんだ」
リサイクル、兵士を戦場へ、大発見……詳細を聞かずとも【生体ユニット】が如何なるモノか、大よその想像が誰しも出来てしまい、同時にまず間違い無く受け入れられない倫理観に絶句する。
そして、近濠は大声を張り上げたくなる衝動を何とか呑み込み、押し留めた。と言うのも……
(参ったな……今まさに研究している【万能細胞】そのものだし、私なら絶対大はしゃぎするぞ……)
己の度し難い研究者気質を自覚しつつ、質問を続ける。
「ユキ、キミは此処に居るポール氏とマヒマ氏、それとこの場には居ないがゼイラム氏と共通の知り合いなんだね?」
「はい……ぁ、先程は取り乱してすみませんでした……」
「構わないよ。キミが知る三人は、どんな人物だったかな?」
「ポールさんとゼイラム君は、僕と一緒に【ミレニアム】を作った、みたいです……その辺、曖昧で……ヒマは、えっとぅ、恋人……だと思います、多分……」
緊張し切った空気には似合わない、見た目相応の照れ隠しが覗きだす表情で話すユキに、最大限の配慮を欠かさず近濠は会話を紡ぐ。
「うん、キミ達が【ミレニアム】を作った、改めてありがとう……帰還したばかりですまないのだが、お願いを一つ聞いてくれるかな?」
「何ですかぁ?」
両足をぷらぷらと遊ばせ、小学生の様な無垢さでユキは微笑んでいる。
「今、私の手元に【生体ユニット】が無いんだ。キミの体の一部を、そうだね……皮膚や爪先、髪の毛でも構わない。貰っても良いかい?」
「それは大変ですよD・D!【生体ユニット】が無きゃ皆、一回しか死ねないよッ!僕の体で良ければ……ッ!!」
「お、おい待てッ!?」
――ゴキュッと鈍く骨が外れる音と、チチチチッと皮膚と筋繊維が引き千切れる音を伴って、ユキはほんの数秒で千切り取った自分の左腕、その肘から先を近濠に差し出した。
余りの躊躇の無さと、小さな体躯から出たとは思えぬ怪力と、何より滴り落ちる乳白色の液体に誰もが口を堅く閉ざすしか無かった。
「……痛く、無いのかい?」
「……ぇ?そう言う機能は要らない、て消したのD・Dじゃないですか?」
「そう、だね……」
おずおずと訊ねる近濠に、ユキは全く痛みを感じていない様子で頭上にハテナを浮かべる。
「今日のD・D変なのーッ!でも面白いね!」
「あぁ、今日の私はおかしいね……左腕、ありがとう助かるよ」
差し出された【生体ユニット】を丁寧にテーブルに置き、近濠はならば、と続く疑問を口にする。
「ところで、ユキの【補給液】はまだもつのかい?」
自分が研究している【万能細胞】が【生体ユニット】と同じか近しいモノであれば、有機体として維持する【補給液】があるはずだ、と近濠は思いユキに訊いたのだが、予想通りの否定して欲しかった答えが返って来た。
「はい、出撃前に頂いたので、えっとぉ……ぅー、んー……あと100年くらいは大丈夫です!」
恐らくガッツポーズをしているのだろうが、先程自分自身で引き千切った左腕の事を忘れている様子だ。
「その【補給液】は……損壊が激しい【生体ユニット】を液状にして作る。その過程で新しい【生体ユニット】を作る……」
「ですです、ていつも自慢してたのに今日は静かですねぇ……D・D、病気なの?」
「……病気、かも知れんな、はは……」
自分が知らない自分が何を思い、考え、実用化させたのか。それが嫌になるほど理解出来てしまい、近濠は自然と乾いた笑いと共に視線を下ろし俯く。
(……あれ?おかしいな……私は、怪我や病気を治す為に頑張って来たはずなのに……)
「……麦秋」
彼女のこれまでの並々ならぬ努力と研鑽を間近で見て来たカントールは、近濠の動揺を痛いほど理解してしまい、その震える小さな肩に手を静かに乗せる。だが、その小さき科学者は弱々しくもその手を払い除けた。
「ユキ、キミが私達に会いに来る前、何か大切な事を言われなかったかい?」
まだだ、まだ砕けてはいけない。そう自分に言い聞かせ、近濠は可能な限りユキから情報を聞き出そうと努める。全ては、来る災いに備える為に。
「えっと、んー……あ、あります!ありますよD・D!【ライブラリー】です!」
名称から察するに、これまでの戦闘データや【生体ユニット】を始めとした技術等の情報群の事だろうと、近濠は予想しながら俯いたまま会話を続ける。
「ほぅ、その【ライブラリー】には、これまでの戦闘データ等が記録されているんだね。それはこれからの私達にも、とても大切な情報だ。どうやったら閲覧出来るのかな?」
そう訊ねると、ユキはいよいよ覚束無い酩酊状態の様相で周囲を見渡し、戦友ポールを指さして答えた。
「えっと、統幕副長が仰ってました。『ライブラリーの閲覧には三人の生体情報が必要だ』って」
「……俺、かぁ」
急に重く、重過ぎる責務がポール青年の双肩にのしかかり、彼は思わずため息を吐いた。
「そうなんだ。三人、と言う事は、キミとポール氏と……もう一人は誰かな?」
「ゼイラム君、でぇすッ!」
何がそんなに楽しいのか、誰も分からぬ中にあってユキは両手を挙げてキャッキャッとはしゃぐ。よくよく見ると、彼の鼻からは例の【補給液】と思われる乳白色の液体が垂れている。
「データ閲覧にはゼイラムを……奴を地球に呼び戻す必要があるのか……協力ありがとう、ユキ」
聞きたい事はまだまだ山の様にある。だが、この得も言われぬ場を早く終わらせたいとも一名を除き全員が思った。
「今日は色々と聞いてしまったね。最後に確認をしたい……ユキ、キミはどこの所属だったかな?」
近濠にとって、ユキの素性を聞きつつ切り上げるつもりで振った話題であったがすぐに後悔する事となる。
ユキはさっきまでとは打って変わって静かになり、隻腕と頭を下げた……かと思った次の瞬間、椅子を撥ね退ける勢いで立ち上がり、右手で敬礼しながら耳を劈く大声を張り上げた。
「私はァッ!多銀河間同盟27番銀河団第3089億201万9331空戦部隊所属ゥ!51世代目強化人工生命体人間タイプッ!ユキ=0410一等戦尉でありまァすッ!!」
「ゆ、ユッキー……?」
「私達の使命はァ!その身を捧げェッ筒ゥ!この命ある限りィ!!全宇宙全銀河共通の仇敵である【敵対的有社会構造有機物無機物混合生命群】こと【
都合二時間、穴と言う穴から体液を撒き散らし、叩き込まれた兵士の志を絶叫し続けた後にユキはフッと電源が落ちた機械の様に昏倒した。これが後の【大戦の尖塔】と呼ばれる異世界人ユキとの出会い、その事件のあらましである。
そんな二日前の出来事が頭にこびり付く中、近濠は一人、夕焼けが射し込む荘厳なヴィクトリアン調の屋敷、その大広間に佇んでいると、背後の扉が開かれる音がし振り返る。
「やぁ、久しぶりだねD・D」
「そっちこそ、お元気そうで……L・D」
近濠が招いた相手、L・Dと呼ばれたのは若さと老練さを絶妙なバランスで両立している痩躯の男性であった。そのL・Dは車椅子に座し、それを押すのは真白と言っていい長髪と肌を持つ長身の女性。そしてもう一人……
「久しいな、D・D!当主を呼んだと言う事は、ようやく【ばんのーさいぼー】が出来たのかッ!?」
「落ち着きなさい、ソレイユ。近濠様の用件はそれではありませんよ」
「ぅ、ごめんなさい、リューヌお姉さま。うぅ、やっと当主が歩けると思ったのに……」
大人しい痩躯の女性リューヌとは正反対の快活さを持つ小さな、本当に小さなギリギリ小学生と言える体躯の少女ソレイユ。二人は「当主」や「L・D」と呼ばれる男性の養子であり、体格の差が激しいが成る程、肌や髪色、更には同じ深紅の瞳を持つ姉妹だと分かる。
「来て早々で申し訳無いが、本題に入って良いだろうか?」
「勿論、そのつもりだよ」
不自然に大広間の中央に置かれた、経年と丁寧に扱われたであろうルーテーブルを四人で囲う。車椅子のL・D以外はデザインをテーブルに合わせたバルーンバックチェアに座るが、ソレイユの体は小さく、自然と両足が宙ぶらりんとなる。
そんな状態で足を遊ばせる中、用意していた紅茶を飲みつつ苦虫を嚙み潰したような表情で近濠から会話を始める。
「此処までの道中、私達【ミレニアム】と【異界の住人】ユキ少年とのやり取りを見ただろう?」
「うん、画質音質共に好く、一部始終漏らさず見れたよ」
「……率直に、どう感じた?」
近濠の問いにL・Dは若干わざとらしく「うーん」と顎に手を当て、答えた。
「マズいね、非常にマズい、よろしくない」
「それはそうなんだが……やはりあの日、私達【魔導力】を持つ全員が聞いた【第一のラッパ】は予兆、だったと言う事か」
「今はまだ、太陽系は勿論この天の川銀河内に敵対生物……ユキ少年の言葉を借りるなら【邪神】の存在は、私達が鹵獲した個体を除いて確認されていない……けど」
「けど“今はまだ”だ……地道に備えて来たが、そんな余裕は無いのかも知れないな……」
「そうかも知れないね。御存じの通り、今の人類は土星軌道までしか版図を広げられていない……表向きは」
現在、地球は西暦2200年を迎えており、翌年来る23世紀への熱狂に包まれつつある。21世紀末に月面都市を築いてからの飛躍的な技術革新、アステロイド帯の手前に突如出現した空間の歪みの穴【ゲート】により、この宇宙の人類は土星の公転軌道まで勢力圏を広げた。
この【ゲート】は火星の衛星フォボスとダイモスの中間にあり、火星に追従する形で太陽を回っている。正確には球体の穴で、その出口は土星の衛星エンケラドゥスとディオーネの軌道、その中間であり入口同様に土星を追従する形で回っている。これにより、火星と土星を中心に宇宙へと本格的に進出し始めたのが現在だ。
公には、地球から最も離れた都市は土星の衛星タイタンの熱圏に造られた空中都市クロノスであると、義務教育の時点で教えられ常識とされている。だが、実際には嘗て惑星に数えられていた冥王星の公転軌道、その外縁に設けられた全22の小惑星を母体とする前線基地が存在する。
元々は太陽系外への進出を目標として建造された補給拠点だったのだが、2年前の【第一のラッパ】から調査・偵察として運用されるようになり、遂には来る脅威【邪神】の一体と遭遇……コミュニケーションを図るも意思疎通が出来ず戦闘となり、多大な犠牲を払って無力化に成功した……が、それはこれから襲い来る災いの先端の先端に過ぎなかった事を【邪神】の解剖・調査から否応無しに理解させられ、その脅威に抗うべく結成されたのが【ミレニアム】であった。
宇宙開発に積極的で、補給拠点を建造しその所有権を持つ星間開発財団【Lex Stella】が中心となり【第一のラッパ】を聴いた【魔導力】を持つ人材を集め備えていた。資金や物資は財団の当主L・Dが、技術や研究開発は【月面都市セレーネ】のセレーネ工科大学遺伝子工学部主席にして同校の後期博士号を持つD・Dが担い、組織の拡充をして来た。
そこで出くわしたのがユキであった。偶然か否か、ともかく近濠達が欲する【邪神】の情報を持つ異界の住人に一筋の光明を垣間見た……はずであった。彼から得られた情報は、想定している以上に【邪神】の勢力は大きく、技術水準も足りないと言わざるを得ないモノだった。
無力化し、鹵獲した【邪神】は全長100キロメートル強と巨大であったが、それは小型の惑星級に分類される事を後に知る。
だからこそ、速やかに彼が言った【ライブラリー】の情報を精査し現時点で実用可能な技術の選定と確立が必要である。
「……奴は?」
「D・D、キミから連絡をもらってユキ少年とのやり取りを見た時にすぐ、帰還辞令を出した。早ければ明日の深夜にでも彼は来るよ……今は待とう」
「おお!ゼイラムが帰って来るのだなッ!?」
当主であり養父であるL・Dの言葉に、ソレイユは目を輝かせ椅子の上に立ち無邪気に大喜びする。
「うん、彼もそうだが財団の当主として、出資先の状況も聞きたいからね」
「……ルクス様、丁度カロン方面基地から帰還中の輸送船ラザロ号より電子文章で報告が届きました。こちらです」
リューヌはそう言ってタブレット端末を取り出し、ルクスことL・Dに手渡す。彼の本名はルクス・ダイアモンド……星間開発財団として【Lex Stella】を起ち上げ、瞬く間に幅広い業界に影響力を持つに至った辣腕を振るうコングロマリットの創始者で経営者である。愛称のL・Dは本名の頭文字を取ったモノだ。
タブレット端末を受け取り、しばし無言で内容を吟味するL・Dの表情は、僅かであるが苦々しく変わる。そして数分後、最後まで熟読し終えた彼は近濠に視線を向け、口を開いた。
「D・D、良い報告と悪い報告と物凄く悪い報告と目を覆いたくなる程度に悪い報告と、あまりに酷過ぎて却って良いんじゃないか?と錯覚しそうな報告があるのだが……どれから聞きたいかな?」
「……順番に頼む」
どうせ全部聞く事になるのだ。D・Dは頭痛とめまいから頭を左手で押さえ、深い溜め息を吐いてから心の準備をした。
「では、まず良い報告から……八日前、カロン方面第4前線基地周辺宙域にて全長22キロメートルの新たな【邪神】と接敵。30時間弱の戦闘の末、これの撃退に成功。検体を分解してその一部を一緒に運んでいるそうだよ。戦闘には第4基地の他、第5基地からの応援も参加し、迎撃隊であるレイバー隊及びダイバー隊が交戦。ゼイラム氏を除き総勢209名のパイロットと122名の戦闘支援要員が殉職。他の職員は9割以上が重軽傷を負った為、第4基地は破棄したとの事だ」
「ちなみに、ラザロ号は現在、ぶちギレたゼイラム様が占拠しており、操縦士を脅しながら地球への帰路に就いているそうです」
「おぉ、助けてッ!て顔をしているなッ!」
「……そう」
突然の【邪神】襲撃に瀕しても尚、300名程度の犠牲で撃退に成功したのは確かに良い報告だろう。サンプルも入手したとの事だから、未だ不明点が多数存在する【邪神】の研究も進むだろう。
何より、ゼイラムが生きているのならばユキの言う【ライブラリー】にアクセスし、その情報を得る事が出来る……彼の言葉通りなら。
ただ、ソレイユとリューヌ姉妹の補足が不穏過ぎる。
「まぁ、彼は無実の大罪人と言う事にして【ミレニアム】で保護しているからね。恐らくは鬱憤晴らしだろう。彼は粗野だが、卑怯とは縁遠い人間だ」
擁護しているのかいないのか判断に迷う言葉を放ってから紅茶を飲み、L・Dは話を続けた。
「次に悪い報告……観測していたじょうぎ座銀河の宇宙背景放射が青方偏移に転じているみたいだね。まだ長波長側にずれているけれど、予測では遅くて1000年後、早ければ50から100年後には波長の偏移が止まって、そこから200年前後で宇宙全体がじょうぎ座銀河団のグレートアトラクターに向けて青方偏移……まぁ、けっこう近い将来、この宇宙がペシャンコってお話」
「んな適当に……」
この宇宙は広がり続けている。その膨張速度は光速を超えており、地球から見ると徐々に遠ざかっている様に見える。救急車の音が離れると低くなるように、光も離れると波長が伸びて赤色へと移る。この現象を赤方偏移と呼び、宇宙が広がり続けている根拠の代表としてよく挙げられる。しかし、救急車が近付くと音が高くなるように、光も近付くとその波長は短くなって青色へと移る。これは青方偏移、或いは赤方偏移と合わせて光のドップラー効果と呼ばれ、つまりは宇宙が縮んでいる事を示す現象だ。
宇宙背景放射とは、宇宙誕生時に満ちていた光の名残りを観測して作成された《宇宙の地図》である。
「で、物凄く悪い報告だが……今回の戦闘で【邪神】が人間と機械を捕食し、中にはすぐに殺さず皮や骨を剥ぎ、脳に電極と思わしき触手を刺され意図的に生かされていたモノが居た、と報告に挙がっている」
「おいおい、それって……」
「あぁ、キミが危惧していた通りだ。【邪神】は人間や人間の造った機械をよくよく観察していた……ゼイラム氏の艦載機に搭載されたカメラの録画データがある。彼も同じ事を言っているね、データは後で送るよ」
最初の一体を鹵獲し分解した際、疑問に感じていた事があった。それは、口腔と思われる部位があるにも関わらず、消化器系に該当する臓器等の器官が存在しない点だ。鋭い牙も生えているが、不揃いで《歯が欠けた》のでは無く《後から生えた》のだと近濠は当たりを付けた。生物に口腔、つまり口がある理由は主に二つ……呼吸と栄養摂取だ。発声は呼吸に付随するから、この二つの理由が無ければ口は要らないのだ。
だが、研究して分かったのは【邪神】に呼吸器系は存在しない……宇宙を渡るのだから要らない、それは当然。酸素変換か別の分子や原子変換かは問わず、ほぼ真空で活動する以上、好気性では無い。では栄養摂取、食事の為だろうかと思い直したが、やはり幾ら調べようとも胃や腸と言った消化器官は一切見付からず、それどころか血管に当たる栄養補給路も存在しない事が分かった。
あの未知の生物は、体内に核融合炉か縮退炉に近い器官を持ち、僅かな星間物質を表面全体から吸収しエネルギーに変換していたのだ。ならば、何故に口があるのか……憶測な上、不安を煽る為に公言を避けていたのだが得心が行った。
――邪神は、人間を調べている――
より確実に、より効率的に駆除する為に。そしてそれは、遠く離れた【邪神】同士が意思伝達や情報共有が出来る事も示唆していた。
「次に、目を覆いたくなる程度に悪い報告……【第一のラッパ】について分かった事が一つ。あの終末音を聴いたのは私達【魔導力】を持つ、ユキ少年の言う【適合者】だが……本来、真空である宇宙で音は伝わらない、揺れるモノが無いからね。しかしあの日、私達は確かに【ラッパの様な音】を耳にした……いや、感じ取ったんだ。その原因は、この宇宙そのものが震えたのだ、と第4基地の科学主任は結論付けて亡くなられたよ」
「……酷い話だな」
「あぁ、酷い話だ。この宇宙は言わば、膨らんだ風船だ、中は空っぽだがね。そこへ、外部から風船の膜を抜けて何かが入って来て揺れた……それが【第一のラッパ】の正体だとクェーサー群の揺らぎから導いたようだ」
「待て、今の人類で観測出来る最も遠いクェーサーは約500億光年先だ。それじゃあ、奴らは500億年前から既にこの宇宙に来て居たのか?」
「私も同じ疑問を持った……既に、キミの私用端末に亡き第4基地の論文と報告書のデータを送ってあるから、詳しい事はその中身を見て欲しい。でだ、結論から言えば、そんな事は無い、だ」
「……外縁の膜から来たんじゃない……風船の中に三次元の穴、球体の穴を開けて入って来た……そうか!だからかッ!クソッ!だからグレートアトラクターなのかッ!」
グレートアトラクター、それは天の川銀河が属するラニアケア超銀河団のほぼ中心に存在し、じょうぎ座銀河団の近くにある超重力源だ。巨大、観測が困難、正確な位置の特定と言った要因によりその正体は未だに不明であり、その総数も不明だ。
だがもし、グレートアトラクターが【巨大な重力の入口の一つ】であるならば、そこに【邪神】が現れ、奴らの超大な大きさ故の重力と尋常では無い数によって宇宙が揺れ、青方偏移に転じたと言える。
「私達はたまたまその宇宙の揺れ、【第一のラッパ】を感じた【適合者】だったと予測は立てられる……外部からやって来て、その地を荒らし全てを喰らい尽くす、まさしく【黙示録 第五のラッパ】のイナゴそのモノだ……いいや、私達の方が害虫なのかも知れないね」
「たとえ害虫だったとしてもだ、生きようと足掻く権利くらいはあるはずだろう?」
「その通りだD・D……私達は最初から白旗を挙げる気は無いよ、その為の【ミレニアム】さ」
大声を挙げて興奮したが、近濠は椅子に座り直して一息吐き、最後の報告について訊ねた。
「それで、却って良いんじゃないかって報告は?」
「コレはゼイラム氏から直接、私とD・Dへの報告だ。一言、二人に伝えれば分かる、と……」
嫌な予感がし、近濠は額から頬へ流れる汗も気にせずゴクリッと喉を鳴らして聞く。
「……『完成したよ』」
「ッ!!!」
近濠は再び、しかし先程より強く大声を張り上げて立ち上がった。
「ふざけるなッ!あ、アレは!アレが完成したなら【邪神】が大挙してこの宇宙にやって来る事が確定したって事じゃないかッ!」
「あぁ……私も、まさかあの医療技術の確立がそう言う事態を招くとは思っていなかった……迂闊だったよ」
静寂が大広間を包む。座り直した近濠は小さく呟いた。
「私はただ……誰かの助けに、誰かの治療の為に研究に没頭していたのに……」
「……D・D、キミは悪く無い。キミの研究は大勢の人も、動物も助ける事が出来る。胸を張って欲しい……虚勢でも良いから。でなければ、私も【ミレニアム】も亡くなった友も皆、悲しい」
こうして、D・Dこと近濠麦秋、L・Dことルクス・ダイアモンド伯爵、そしてリューヌとソレイユ姉妹の会談は終わった。
そして時は進んで翌日、ゼイラムが帰還する場面へ移る。
「ゼイラム君、早く会いたいなぁ」
「んーそうだな。しっかしユッキー、君を見たらゼイちゃんはビックリするんじゃないか?」
「私も、ゼイラムさんに会いたいです。でも……自分だけが助かる為に他の方々を見捨てた、と言うのは本当なのでしょうか?」
場所は昨日、D・DとL・D達が会談をした館の中庭だ。此処は【Lex Stella】が所有する艦載機や輸送船が着陸出来るように広大な面積を持つ。
ユキ、ポール、そしてマヒマは幼馴染である友人と久しぶりに会える事に待ち切れない様子だ。だが、マヒマが口にしたのは【ミレニアム】に流れる噂についてである。どうやら、彼が戦闘員で唯一生き残った為にそんな話が出て来たのだ。無論、三人はそんな事を信じてはいないが、ゼイラムは昔から口数が少なく、口を開いたら突き放す様な事を言うものだから誤解を生みやすい。それに、あまり表情には出さないがかなり気性が荒く、倫理観も破綻している。
なので、噂は万が一事実かも知れないと思ってしまうのだ。
「あ、あれかな?」
ユキが指さす先には、今まさに着陸しようと垂直離着陸機が降下しているところだった。
ゆっくりと着陸し、乗降口の扉が開かれると同時に幼馴染三名とD・D、L・Dとその養子の姉妹を除いた、その場に居た全員がハンドガンやアサルトライフルを各々構える。
「た、助けて……」
降りて来たのは、両手を挙げた手を上げ助けを求めるパイロットの男性。しかし、銃口は彼の背後に立ち、彼の喉元に手製であろうナイフを当てた青年であった。彼こそが……
「ゼイラム君!!」
「おーゼイちゃん、元気そうで何よりだ、うんうん」
「ゼイラムさん、お久しぶりですッ!」
データベース【ライブラリー】の閲覧に必要な最後の一人、ゼイラムであった。幼馴染の三人は帰還を祝福するが、本人含め周囲はしかめっ面で銃口を向けたままだ。
だが、ゼイラムはそれらを気にする様子も無く、ただ一人ユキを睨み、一言だけ口を開いた。
「……ユキ、本当に生きていたのか」
――そもそも、此処には出世に無縁なはぐれモノ、一匹狼、変わりモノ、オタク、問題児、鼻つまみモノ、厄介モノ、学会の異端児……そんな連中の集まりだ、気にするな
――素朴な疑問なんだが……アレのエネルギー源は何なんだ?
【TIPS】
・邪神
宇宙のいずこかから無数に襲い来る【敵対的有社会構造有機物無機物混合生命群】の呼称。ユキが元居た宇宙は、この未知の生命体によって全ての文明と超銀河団が壊滅した。その膨大な数から生じた重力でビッグクランチを迎え、終焉した。
名称の通り、無機物と有機物から成る混合体でそのサイズと外観は多岐に渡り、大きさで等級分けし区別している。確認された最小個体は全長10メートル程度であるが、最大個体は10エクサメートルに及ぶ。
その総数は不明だが、概算では200垓~2𥝱とされている(サイズ不問)。100万~1000億体の群れで行動する事が多く、何らかの手段で互いに、時には群れ同士で意思疎通と情報共有をしていると考えられているが、その体系は解明されていない。
また、単体や群れ単位でも【三次元カーマン・ラインからの剥離】が可能で、超長距離を光速以上で移動し外敵と見做した生物や物体に攻撃行動を取る。恒星や銀河をも破壊するが、優先的に有機物生命やその文明、人工物を攻撃する知能と感覚器官を持っている。しかし、その優先順位の基準や選別方法は未だ不明のままである。以下にサイズによる等級名称を記す。
尚、別称の【ウエンカムイ】とはアイヌ語で【邪(よこしま)な神】を意味する。
超極小級 :10~1000メートル未満
極小級 :1~10キロメートル未満
小惑星級 :10~100キロメートル未満
準惑星級 :100~1000キロメートル未満 (冥王星の直径は約2400キロメートル = 2.4メガメートル)
惑星級 :1~100メガメートル未満 (地球の直径は約12756キロメートル = 12.8メガメートル)
<ここまでの個体をまとめて【惑星級(以下)】と呼ぶ場合がある>
恒星級 :100~10000メガメートル(10ギガメートル)未満 (太陽の直径は約1392メガメートル = 1.39ギガメートル)
地球から太陽までの距離 = 約150ギガメートル = 約1au
太陽系の直径(オールトの雲を端と仮定) = 約3ペタメートル = 約1万au
1光年 = 約9.5ペタメートル = 約6万au
恒星系級 :10ギガメートル~1ペタメートル未満 (オールトの雲を太陽系の末端とした場合、その直径は概ね約3ペタメートル)
小銀河級 :1ペタメートル~100ペタメートル未満
銀河級 :100ペタメートル~1000エクサメートル(1ゼタメートル)未満 (天の川銀河の直径は約950エクサメートル)
<以上三等級をまとめて【銀河級(以下)】と呼ぶ場合がある>
銀河群級 :1~1000ゼタメートル未満 (天の川銀河が属する局所銀河群の直径は約100ゼタメートル)
銀河団級 :1~10ヨタメートル未満 (天の川銀河が属する局所銀河群を含むおとめ座銀河団の直径は約150ゼタメートル)
超銀河団級:10~100ヨタメートル未満 (天の川銀河を含むおとめ座銀河団が属するおとめ座超銀河団の直径は約2ヨタメートル)
フィラメント級:100ヨタメートル~10ロナメートル (天の川銀河が属するおとめ座超銀河団を含む銀河フィラメントの大きさは約10ヨタメートル)
→確認されたフィラメント級の数は90以上100未満で、最大個体は10ロナメートル前後と推定されている(巨大過ぎる為、正確な大きさは不明。誤差は10~30ヨタメートル前後とも)
→本作品での銀河フィラメントの大きさはおとめ座超銀河団が属するラニアケア超銀河団と同等であると定義する
ラニアケア:ハワイで【計り知れない天上の空】を意味する
1メガパーセク(Mpc) = 約30ゼタメートル
銀河群の直径 = 約100ゼタメートル = 約3メガパーセク(Mpc) = 約1000万光年
地球を中心に宇宙は少なくとも半径約500億光年 = 直径約950ヨタメートル(950垓キロメートル) の広さがある。
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