1.1、薄明 手前

 光陰矢の如し、時が流れるのは早いモノでそれは生命が高度に、社会を作り、文明が進めば進むほど、言語は疎か星が違えど普遍とも言える感覚。1秒でも1年でも、過ぎてしまえば一様に「早かった」と思い、口からは「意外とそうでも無かった」と真反対の事を言う。多分、言葉の裏と言う奴か。


 ……等と関係あるかはさて置いて、正に光の矢の如く空を貫く一線がバンアレン帯から海へ落下した。美しい白色に赤のラインが目を惹く小さな物体。この星の言葉なら【艦載機】が一番適当だろうか。異なる点は、この星のどの人工物より巨大なソレを【小型戦闘機】と呼んで良いか否か、か。



 ソレに乗って天から地に墜ちたのは1人の少年で、意識が無いままだが落下先が海で幸いだった。生半な衝撃では傷一つ付かぬが、大地に降れば星に対して巨大なクレーターを作っただろう事は疑う余地は無い。とは言え、海水と呼ばれる塩水の塊に降ったとて、クレーターと岩石と赤熱した雲に代わって空より高く聳え立つ水の壁がこの星に覆い被さっただろう。その白色の矢に備わっている自動制御の1つ、衝突回避行動の為の慣性制動がよくよく働いた甲斐あって、せいぜい大きな間欠泉程度に抑えられたのも僥倖。


 しかし、突如衛星軌道上に現れ、自由落下したかと思えば急制動し減速しながら大海に墜ちた全長50kmの物体を無視出来る程、この星の文明は遅れていなかった。

 当然、観測した各地の者共が騒ぎ、大災害は免れたがその正体不明の物体を追うべく迅速に現場へと急行する即応部隊が動き始めた。



 と言う訳で、乗員1名その本人ユキにとって幾重の幸運が彼を結果的に助けた。

 まず、落ちた場所が良い。深さ10kmに及ぶ海溝が減速したアクト・ブランシュを丁寧に包み、受け止めた。

 次に、一番近い陸地が200km以上先にあった。よって、物理的な衝撃はほぼ無く、偶然視界に捉えなかった人物には気が付かなかったモノが居たほどだ。

 そして何より、対邪神戦を想定した放射迷彩の機能がこの星の探知技術で捉えられなかった。ウエンカムイに視覚は無い。奴らは物体の熱放射を受け取って判別する、言わば回折格子の様な感覚器官を持っており、その器官で受信した波長で自然物か人工物かを区別して攻撃対象に群がる。区別の判断基準は解明されていないが、熱放射の波長を任意変更するこの迷彩は、結果的にだが可視光や赤外、紫外線を一部ないし全部を隠蔽し透明であるように振る舞う。


 出現した瞬間、確かに青空には巨大な何かがあったし、少なくとも100人以上はソレを見た。だが、瞬きした間にフッと消え失せ、なのに遠くから何か激しい轟音が、そう雷の様な尋常ならざる爆音が届き、不安に駆られた地域住民が警察や消防局や、果ては軍広報部の外線を鳴らしまくり、天候観察と予測の為に設置された複数の定点カメラの映像が裏付けとなって絶海のど真ん中に集まらんとしていた。

 


 そんな事を知る由も無く、人口密度1人/50平方キロメートルの住人は機体の上部半分を海水に浸しながら目を覚ました。



「……え、暗い」



 ユキの視点では、ほんの数秒前に罵倒と送迎の言葉を受け取り、得も言われぬ奇々怪々な空間を漂っていたばかりだ。それが暗転、暗闇に慣れていない目は深淵で、背部に感じるシートと左手は離さなかった操縦桿だけが得られる情報だった。



「此処は……宇宙?」


(もしくは夢?戦死?それともまだ【最中】?)



ユキが知る限り、全宇宙の生物初となる試みだ、何が起きても不思議では無い。事象の地平線から剥離した事は何度もあった。その時、自分と自分以外の時間にズレが必ず伴った。一瞬に感じる時間でも、通常空間に戻ったら何十年、時には100年以上経過するなんて当たり前だった。ならば、逆も有り得るのでは無いか?つまり、長く感じているのは自分だけで外はまだ1秒も経ってない、ユキはその可能性もあると考える。経験は無いが、物理法則を破るのだから有り得る。



(……いや、名前は忘れたけどブラックホールに呑み込まれ【続けている】友軍機を知ってる。こっちでは視覚的にも電子信号的にも撃墜された時と同じ状態……でも、あの艦載機はまだそこにあったなぁ……)



 と大昔、軍医に錯乱しないようあえて下らない事に意識を向ける癖を付けた方が良い、と言われ無意識に実行していて「あぁ、確かに効果あるんだなぁ」と感心しつつ暗闇の中、手探りで幾つかのパネルやコンソールを見付け、操作する。


――……ジジジッ


 幾億回も繰り返した動作に淀みは無く、チェレンコフ放射を音に変換した時の様な微かな音を伴って暗闇に淡い光が浮かんだ。


――……Boosted...


 乳白色の画面に青緑色の文字が浮かび、瞬きを二度すると愛機アクト・ブランシュの心臓であり、全銀河団の頭脳とも言える【彼女】が立ち上がった。


――Hello,Snow0410...


「やぁAir、起動出来て良かった」


――Me too.


 完全独立稼働型自律思考電子演算機【Air】、数多の戦を共に駆け抜けた戦友であり、今のユキが頼れる唯一の存在だ。設計者は、もはや何処の誰かも分からぬ、そして未来永劫知る機会も訪れない誰か。その誰かは、人工知能の実戦運用に有効だと個人格を造った。どの銀河系の生物にも平等に差別無く接する様に性格を定め、円滑なコミュニケーションを期待した。銀河団中で伝わる話では、本当に存在した知的生物を基にしており、今も脳髄だけで何処かに隔離されているとか、出入り口の無い区画に隠れて住む誰かが成りすましているとか、幽霊とか思念体とか集合無意識とか色々好き勝手に言われている。


(まぁどれも分かんないままだったなぁ……)


 甲斐甲斐しく返信するAirを見ながらそんな事を考えつつ、他の機能も順次再起動させて行き、途中で手が止まった。


(過去形……今どうなってるのか、此処が何処なのか分かんないのに僕、過去形にしてる……)


 頭か心のどこかでもう、帰る船も友人も居ないと結論を出しているらしい。そこで脳裏を過ぎったのは戦いの記憶の中で唯一、性的欲求に依る愛情を抱いた人物、マヒマの2つの表情だった。


 1つは、微かに頬を朱に染めて名前を呼ぶマヒマ。

 もう1つは、最期の言葉を怒りと憎悪で染めたマヒマ。


「ッ、ぅぷ!」


 急激に催した吐き気は、それっぽい理由を付けて見捨てた自覚をやっと持ったから。愛したのなら、自分では無く彼女を逃がすべきだったのではないか?そうすれば、あんな醜い顔を晒す事も無かったのではないか?

 反芻する度に込み上げる生理現象。しかし、消化器系の内臓はずっと大昔、具体的には覚えていないがとうに棄てて体内には残っていないはずだ。それでも尚、喉を焼くコレは生き物の遺伝子に刷り込まれた決して手放せない何かの1つなのだろうか。



――Are you feeling OK?



「ッ、んぐ……大丈夫、ありがとう」



 大丈夫、じゃないけど要らぬ心配は雑音だろうとユキは努めて苦笑いする。それを察したのかは分からないが、Airは「Cheer UP!」と励ましてくれた。



(ちょっと、それは今すぐには難しいよ……)



 声にはせず、歪んだマヒマの顔を思考の海から取っ払う。いつかこのココロに折り合いが付けられる日が来るのだろうか、と彼は知る由も無い、かつてジンルイの様々な若者が抱いたのと同じセイシュンに似た疑問を抱いた。



「……よし、ひとまず状況把握に必要なのは大体起動完了っと。Air、周囲の可視光と赤外映像をモニターに映してくれる?」



 待ってました、と言わんばかりに素早く映像が表示された。だが、可視光映像はほぼ深淵に近く、むしろ視界に居る飛蚊症がハッキリ見える程に暗い。訝しみながらも「赤外映像は?」と言って表示された映像を見て、更にユキは困惑する。



「辺り一面真っ暗闇……ッ、いや今!何か横切った!」



 凝視していたら僅かに、けど確かに白く細長い何かが横切ったのを見た。



「残骸でも死体でもウエンカムイでも無い、一体……Air、周囲探知を紫外線と中間赤外でお願い」



 三度表示される映像はほぼ同じ、何も映らずひたすらに続く暗闇ばかり。なのに、何かが横切ったし時折、ゆらゆらした何かの帯にも見えるモノがあり、彼の脳内は泥沼に陥る。



「……Air、周囲に何か物質はある?」



 三次元カーマン・ラインからの剥離と同様、或いは近い状態かも知れない。それならば、別宇宙への移動の成功云々は一旦置き、周囲はフェニックスの残骸や艦内にあった分子があるかも知れないと、別の可能性を模索しつつ訊ねる。


 そして、Airが見付けた分子を正面モニターに映し、ユキは呆然とした。



「……ぇ」



 データベースの知識しか無い、本物は見た事も無い、けど偽物はいつも生体部位の補液として体内に入れていた。



(H2Oが97%誤差±0.6未満、NaClが2.6%誤差±0.06以下、その他MgCl2、MgSO4、CaSO4……)



「これ、って……Air?」



――……Convert to your ancestor's language!!



 その表示の後に映し出された文字、いや言語を呆けて眺めた。ユキは自分の太古の先祖に由来する言語だから、と昔Airに教えてもらっていたから、読めた。けど本当なのか、とまだ疑っている自分と、理性的なのかはたまた既に壊れたか知らぬが脳内は事実だと訴えている。


 その言語と文字は、ユキの頭を透明に穿った。




――【海水】

――補足:岩石惑星に液体で存在する塩水の塊。信頼性98%以上、可能性極めて大。



 水も塩も、当然それらを混ぜたモノも知っているし見て触れて、時には体内に入れた。いつだったか、ユキは亡き戦友ポールとゼイラムと訓練を終えた時に話した事がある。大昔、自分達の先祖が暮らしていた星には、その塩水が飲み切れない程あって、その星で生まれた生物全ての母と言える【海】が存在したと。【海】は大きく、自転で昼夜が変わる星では空の色や模様も変わり【海】はそれらを美しく際立たせていたらしい。



――……見たいッ!



 着色されていない、画像でもない本物の青い海、是が非でもその眼に焼き付けたい。ユキの衝動は当然のモノだった。



「え、Air!僕は、その【海】をこの目で見たい!」



――了解。周囲安全確認、少々お待ち下さい。



 データバンクが正しければ、海があるなら空も大地もあって空気もある。ならば、船外作業服も戦闘強化外骨格も防護服も要らないはず。そんな体験、ユキの記憶には無い。



――……大気、組成分析終了。酸素濃度充分、その他物質濃度、いずれも生体ユニットに影響無し。紫外線や放射線等の有害波長帯……惑星磁力帯と大気上層での無害化、確認。水没箇所の掌握終了。非水没箇所の隔壁、及び減圧室の機能異常無し。ハッチ解放、ルート表示……携行端末にルートを表示しました。ユキ……



 すぐにコンソールから携行端末を取り外し、左腕に装着してルートを確認し思わずゴクリ、と喉を鳴らす。



――さぁ、外へ……



(画像やデータでしか知らない、広くて大きな塩水!時間で姿を変える空!天然の風!恵みと災い二つの顔を持つ雲!)



 目的の減圧室に入り、外部との最後の扉、その手動開閉ハンドルを握る。



(ずっとずっと大昔、初めてジンルイが宇宙に出たその日、地球を眺めた最初のジンルイが言ってた……ッ!)



 重い扉を押し開けると、突き刺すような眩い光が目を瞑らせる。そしてゆっくりと瞼を上げ、光に慣れた時……



「……コレが」



 彼の視界には、青く静かにたゆたう大海原が広がった。



「ッ……本当に、星って……海って、青いんだね……ッ、Air!」



――はい、命が生まれる場所……素晴らしい眺めです。



 自然と溢れる涙。止まらない、壊れた蛇口の様に滾々と流れ続け、拭っても拭っても訳も分からず流れ続ける。

 きっと、他の惑星由来の生物も、自分の母星を見たら同じ反応をするだろう。全く根拠は無いのに、どうしてか確証がある。きっとコレは、理屈や理性の話では無いのだろう。この人工物まみれでツギハギの体にも残る遺伝子か、或いはもっと神秘的で言葉にするのが不可能な何かなのだ。ユキは、そして個人として確立しているAirも恐らくそう考えた。



「ポールさん、ゼイラム君、マヒマ……僕は、皆と一緒に……コレを、見たかったよぉッ!!!」



 大声で泣くなど、初めての体験。でも止まらない。生物が、全銀河同盟が、仲間が、友人が……守りたかった、取り戻したかったモノを前にしてようやく、感情が理性を超えた。


 しかし、感動とか悲愴に浸っている余裕はまだ無いらしい。左腕に装着した携行端末から警告音が鳴った。



――熱源反応複数、こちらに向かって来ています。



 宙に浮いたモニターに文字が表示される。Airは今、アクト・ブランシュの全機能を復帰させ掌握しており、周囲の状況確認をしていた。画面を見たユキの喉が短く嘶く。



――【海】の上の動体、時速70km前後。【海】の中の動体、時速40km前後。【空】の動体、時速1000km前後。加減速と組織的行動から人工物か統率された熱源と推定。



(……ウエンカムイじゃない?惑星上だから遅い?いや、奴らは恒星だろうと惑星だろうと無差別に破壊する。それじゃあ一体……)


「Air、熱放射迷彩を全波長に設定したまま機体をユニット単位で分離させて潜航と空中待機、君とライブラリーを隔離庫へ……出来る?」


――了解。迷彩維持し分離、空と海に隔離します。一番近い陸地は、此処から約200km。ユキ、分離する強襲艇へ。


「分かった。僕らはそこでひとまず待機しよう」



 言うや早く、見た目は透明のまま全長50kmのアクト・ブランシュは最小で200m、最大で1.2kmの全2365個に分離し、それぞれ海中や衛星軌道まで上がる。ユキはAirのサブ・ユニットを搭載した全長300mの強襲艇【エフィメール】に乗って熱源を避けつつ、陸地へと向かった。Airのメイン・ユニットは邪神との戦闘データを保存している【ライブラリー】がある為、最優先で保護する必要がある。よって、全長1.2kmの非常用隔離庫【イゾルメン】に移し衛星軌道に上げた。



(相手が何だかは分からないけど、最悪他のユニットは囮にしないと……)



 用心に越した事は無い。今まで見た邪神の動きとは全く別だが、惑星の上、大気のある場所での奴らとの交戦経験は無い。可能性がある以上は想定しなければならない。ユキの記憶には無いが、データ上では【原生生物】を知っている。非知的生命体で基本的にはその惑星から離脱しないが、社会性があり群れる種もいたらしい。また、他の銀河団では文明こそ持たないが自力で第二宇宙速度に達し、惑星外へ旅立った生物の報告があった。そこでは、邪神の襲撃に対応するべく進化し、脱出する術を身に付けた、との研究結果が出ている。

 そう言う種も含め、生存競争に勝ち残ったモノは得てして頑強で賢く、適者生存と言う自然の摂理を体現した残忍さを持っているものだ。



(視覚や熱放射以外で判別する感覚があったら厄介だな……重力とか)



 全貌を明らかにする事は出来なかったが、邪神が攻撃対象の索敵に重力を感じ取る器官を有し利用しているとの仮説もあった。それならば、より質量の大きいモノへ向かうだろう。流石に質量までは隠せない。



(歪曲移動で剥離すれば、一旦は身を隠せるけど……)



 まだこの星や周辺宙域の情報を持たない状態での剥離は危険が伴う。正確には通常空間に戻った時、固着した時に物質が多いと問題なのだ。僅かな気体や液体なら多少の損傷で済むが、固体やプラズマ体を巻き込むと危ない。最悪の場合【重なった箇所】が対消滅し、連鎖的に周辺物質を原子崩壊ないし溶融させる。あれは、宇宙だから活かせる代物だ。



――ユキ、前方30km付近に同様の熱反応探知。進路変更を提案します。


「もし、ウエンカムイでない知的生命体なら見てみたいけど危険かな……生息圏がどのくらいか分からないけど、全部は避け切れないかも……合間を抜けるなら極冠方向、Airはどう思う?」


――賛同します。この星の磁極分析完了、目標座標を再設定。旧式の方角名称【東西南北】の【北】へ進路変更。目標地点に葉緑素やケイ素、アルミニウム等の無機物有機物の混合物有り。植物や岩石、土壌の可能性極めて大。その他、直線の珪酸カルシウム類多数、人工物と推定……モニターに表示します。



 正面やや左の宙に浮かぶモニターに地図と赤矢印の進路が表示され、ユキは横目で確認する。後に、北を上にし惑星表面をマッピングした【世界地図】の存在を知り、それが標準である事を知る。



「よし、巡航速度を維持……Air、本物の自然を見に行こう」


――準警戒態勢維持……えぇ、見に行きましょう。



 ユキが降り立った海、太平洋と呼ばれる大海原に集まった船舶や偵察機は、未知の飛来物を発見する事が出来ず新たな下命が出るまで待機していた頃、アクト・ブランシュは遂に天然の大地へと静かに座した。

 熱放射迷彩を展開したまま、ユキは熱帯雨林気候に区分される浜辺に両足をおずおずと降ろす。真珠色の砂は驚く程にさらさらとしており、後ろを向くと波が寄せては引いていた。正面には熱帯雨林特有の広葉樹が広がり、枝には小鳥が留まってユキを訝し気に眺めながら囀っている。



「……水が、星が回ってるから動いて、コレが【波】……綺麗でさらさら、コレが【砂】……プランターじゃない、本物の【土】に生えた【木】……ぴぃぴぃって、あの生き物の声……全部、コレ全部が本物なんだ……本当の、ッ【自然】なん、だね……ッ!」



 心臓が激しく鳴り、唇が震えて上手く言葉を発せないまま、再び湧き始めた涙と拭い波打ち際に立った。その視線の先には、澄み渡ったエメラルドグリーンの大海が広がっていた。そこで思わず、ユキは両手で顔を覆う。


 貫く快晴の下に、居る。



「こんな……綺麗なモノが、あったんだぁ……ッ!」


――……記録、保存。



 しばらく涙が湧いて拭いてを繰り返していると、携行端末が静かに二度振動した。その瞬間、ユキの表情は硬くなり歯軋りをする。それもそのはずで、二回の振動は緊急事態を知らせる合図だからだ。咄嗟に周囲を見渡し、自身の二倍はあろう岩に身を隠して端末のモニターを表示させる。



――ユキ、貴方と同程度の質量と温度の有機体が複数、接近しています。金属反応有り。携行兵装による武装の可能性、大。



 先程の感嘆とは違う類の動悸が呼吸を浅く、早くする。ウエンカムイは基本、有機物で構成されているが、中には無機物を体内で精錬し軽金属から重金属に至るまで多様な合金を鎧の如く身に纏った個体も確認されていた。故に、ユキは過剰に警戒しているのだ。



(マズい、放射熱線銃も重金属爆弾も機内に置いたままだ。今持ってるのは……)



 階級章が付けられた左胸のポケットから、手の平に小さな直方体を取り出す。それは、白兵戦時に使用する自決用の糜爛爆弾【マスタードボム】であった。炸裂と同時に糜爛剤と1キロシーベルト超の放射線を周囲にばら撒く爆弾で、好気性生物にとって曝露イコール即死である為、人道的な自決兵器でありながらウエンカムイの厚い装甲をも無視して損傷を与えられる代物だ。惜しむらくは、このサイズでは全長1km以下の超小型ウエンカムイに致命傷を与える程度の威力しか無いところか。



(……ッ、二足歩行!?腕も足も二本、僕と同じ……【ジンルイ】?)



 ゆっくりと顔を覗かせ、様子を伺う。そこには、白黒の四輪車から降りて来た紺色の制服と帽子を被った人間、後に知る警察官が複数名居た。



(……あの服、強化外骨格かな?顔、眼も口も鼻も耳も、僕と同じ数……帽子は、何なんだろう?腰の黒いのは……小型の放射熱線銃に形が似てる……武器かな)



「まーぎぃなもんって通報、じゅんになぁ?」


「がんまりじゃ、ゆくしだろ」



 警官はユキに気が付いておらず、緊張感は無い様子で周囲を見渡し会話をしている。ひとまず、好戦的な種族では無さそうで衣服や言語がありこの星の文明の住人であると想像が出来た。

 しかし、別の問題が生まれた。



(……何言ってるか全然分かんないッ!)



 奇しくも、ユキは自ら閉じた大昔にこの土地が属する国で生まれ、その言語を母語としていた。だが、この土地で使われる訛りは独特でユキの知らぬ言語であった。



――……照合。ユキ、イントネーションや母音、舌の動きから【ニホンゴ】の一つ【オキナワ】の言葉であると推測します。


「え?Airは、あの人?達が何話してるか分かるの?」



 警官には聞こえぬ様、さざ波の音に消される程度の小声でAirに尋ねる。



――私に保存された言語体系の中に、類似するモノがありました。ですが、いつ・誰に・どうやって保存されたかは、履歴が抹消され不明です。



 ユキは自身の記憶を遡ってみるが、覚えている限り【ニホンゴ】を銀河団の中で使った事は無いし、また使っている生物も知らない。だが、その謎は一先ず置いておき、Airに翻訳を頼んだ。



――……一部翻訳不能な箇所がありますが、どうやらアクト・ブランシュの目撃情報を受け、憲兵が確認しに来たようです。


(大事になってるんだ……)


――後、この土地の国防軍が海上走査をしている、と。


(大事になってるんだなぁ!)



 これも後に憲兵は警官に、国防軍は自衛隊に訂正される。多銀河間同盟の銀河団では、いずれも存在しない単語だったからである。


 ユキは今、日本国最南端は沖縄、波照間島に居た。



――……ユキ、あの憲兵方と協力関係にある組織の人物が此処に来るようです。極秘、曰く付きとの事、要注意を。


「極秘の憲兵……督戦隊だったら絶対に会いたくないんだけど、どう注意すれば良い?」


――申し訳ありません。後ろに居ます。


「ぇ、ちょっとッ!?」



 思わずユキは勢い好く振り返る。そこには、身長160cmのユキより頭一つ分程小さい、同じ二本足二本腕の少女が笑みを携えて立っていた。



「おぉ、直感に従うのも偶には好いモノだな。まさかこれ程強大な魔導力の持ち主に会えるとは」



 白を基調とし、アクセントに黒と赤をあしらった【制服】を着る少女は、舐め回す様にユキの全身を眺める。その飄々とした態度にか否か、呆気に取られユキは言葉をすぐには出せなかった。



「おや?ひょっとして言語が違うのか?もしも~し、あいにく私は日本語しか喋れないんだ。何か反応をし……ッ?」



「ど、ドクターD・Dッ!!」



「……はぃ?」



 少女の両肩に手を乗せ、思わず声を張り上げる。当然、周囲の警官も何事かと集まって来る。しかし、ユキにとってそんな事は今、どうでも好い些事であった。


 何故なら、彼と彼の戦友の生体部位の維持と治療を施したその人物が目の前に居たのだから。


 そして、ユキが呼んだその名は少女にとっても重要であった。



「……貴様、何処で知った?」



 無垢な笑みは墜ち、相手を射殺さんと針刺す視線を投げる。

 緊張の動悸は墜ち、友人を出迎えんと暖かな視線を返した。




――運動の第三法則。前に進むには、後ろに何かを置いて行かなければならない


――……アンタ、何置いて行った?



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