VA -夜明け-
@kirai-shiroi
始、夜明け
――またきっと、会えたならその時はちゃんと、今度こそ、この気持ちを……
――コレはそんな、小さな小さな愛と勇気のお話
――おとめ座超銀河団標準新暦6億60万600年6月6日 旧暦【西暦】からの以降年月日不明の為、曜日、未記入
――第11億330万2901次じょうぎ座三連星会戦
戦闘開始から30年目丁度を迎え、ぶつかり合う二つの勢力図にようやく傾きが見えた。
「じゅ、15番から21番銀河団、蒸発を確認!」
「3番銀河団、左翼側から人工フィラメントに呑み込まれています!誤差、約1.2パーセク!」
「主機銀河ダイソン球の出力70%、69、67、58ッ、ダメです維持出来ません!」
「ヘリダヌスとつるの恒星全部注入、縮退急げ!太陽は1個残ればそれで良い!」
「了解!注入開始!縮退まであと、21年!」
「間に合う訳無いだろ!もう嫌だ!助けてくれよッ!」
多銀河間同盟27番銀河団旗艦【フェニックス】の艦橋は怒号と半狂乱の悲鳴で賑やかだった。
わずか0.1光年程度の艦橋にはもう、無数の文明種から成る人員は1億も居ないと言うのに隙間を埋めるかの如く声は大きい。
「……司令、55年前から異変のあった7番銀河団周辺の銀河放射背景が均一になりつつあります。恐らく、既に全滅しているかと」
8つの腕と脚を持つ参謀がフェニックス号を預かる人型の、だが肌は薄い緑色で美しい2対4つの瞳を持つ総司令に悪い知らせをする。
「……位相崩壊までの時間は?」
「起動までは1時間もあれば……ですが、機体はともかく有機体は人型換算で1名しか跳ばせません」
「……重畳」
一方、小型艦載機が無尽蔵に並ぶ格納庫は多事多端で目が回る状況であった。
「1機でも出せ出せ!直掩に回せって早くしろッ!」
「ふざけんじゃねぇ!装甲板も縮退砲もねぇのに出ろ、てか?死ねって言ってんだぞてめぇッ!」
「そうだよ!死んで来いって言っている、何がおかしい!」
「ねぇお姉ちゃん……今日ね、私の誕生日、覚えてる?は、あは……ねー?」
「おい!そこの何か言ってる女を補給艦に乗せて出せ!的にはなる!」
大小様々な固有種族が等しく豆粒に見える高さにあって、あどけなさが残る少年が1人、発艦に向けて愛機のコクピットで機体の最終確認をしていた。
「縮退エンジン、極小ダイソン球……良し。燃料、確認……人工圧縮恒星、残数2、良し。ココロユニット、リンク……コンバーター、エンジン共に異常無し」
彼は、今は遥か昔に消滅したおとめ座超銀河団、その天の川銀河に属する太陽系第3惑星【ちきゅう】由来の【ジンルイ】と呼ばれる種族、その忘れ形見の1人である。名は……
「一等戦尉ユキ!ユキ=0410一等戦尉は生きてるか?」
「あ、はい!一等戦尉ユキ!アクト・ブランシュ型式2000、出せます!」
自身の名を呼ばれ、少年は正面キャノピーに映る胴長種族の男性に多銀河間同盟式の敬礼しながら返事をする。彼は、ユキが所属する第3089億201万9331空戦部隊の技術部長で何度もお世話になった間柄だ。
「あぁ、発艦したら本艦外壁に沿って4343ブロックの排熱孔から内部に侵入、その後は主機関の銀河ダイソン球に行けと総司令から命令が出ている。確認したか?」
「え、直掩じゃないのでありますか?」
今、27番銀河団は小規模ながら激戦の最中にある。防衛には1機でも多くの直掩機が必要だろう。不思議に思い、ユキ少年はパネルを操作し、自身に下された命令が更新されているのを見た。
「命令更新を確認しました。しかし今は1機でも多く防衛に回した方が良いと思うのですが……」
「1も1京も同じなんじゃねぇか……ともかく命令に従ってくれ、最優先事項だそうだ。武装はフルパッケージだ。後、排熱孔に入ったら艦橋と通信を繋ぐのを忘れるなよ」
技術部長の言う通り、更新された命令には総司令との通信回線を必ず繋ぐこと、と念を押されている。ユキは旗艦に配属された日以来、総司令と顔を合わせた事が無く、僅かに緊張した。
「俺が責任持ってお前を発艦させる。だから、帰ったらちゃんとマヒマに気持ち、伝えるんだぞ。お前はそれまで死んじゃいけないんだ」
「ちょ、部長!ボクとヒマは別にそんなんじゃッ!」
今この瞬間にも命が無尽蔵に蒸発している中で、ユキは頬を染めて否定しようとする。が、嘘を吐けない性分でそれ以上の言葉は出なかった。
「発艦まで10……いつも一緒にいる癖に何を今更……ハァ……」
「えっと、何かすみません……」
固定アームで愛機【アクト・ブランシュ】がカタパルトへと移され、射出態勢に入る。直掩想定の艦載機だけあり、全長約50kmと小型だが癖が無く追加パッケージによる汎用性が高く評価され、ユキを始め多くのパイロットに愛されている機体だ。特に、型式1000以降は二足歩行型への変形により状況変化に対応しやすい点も大きい。
「5……4……行って来い、ユキ」
「はい、行ってきますッ!」
――バシュッ
重たい音と同時に勢い良くユキは愛機と共に宇宙空間へと吐き出される。何度も、訓練や実戦で何度も何度も見た光景、銀河のミルク……だが、青の深海は今、戦禍の光と無残に散る命で溢れかえっていた。
(この瞬間だけは好き……)
あらゆる不都合から解放される僅かな時間を堪能し、余韻を残さず下命通り旗艦フェニックスの外壁を沿って飛ぶ。全長30万光年、約2.8ペタメートル程度と全銀河団の旗艦としては最も小さく、だが最も多くの戦歴を誇る母艦である。
《ユキ一等戦尉、聞こえますか?》
宇宙空間では驚く程に存在感を放つ巨大な白の壁を飛んでいると、通信回線が開かれ聞き馴染んだ、そして求めていた声が彼を呼ぶ。
「あ、はい、聞こえています……マヒマ通信士」
音声だけであるが、名前を呼ぶだけで脳裏に表情が浮かんでくる。同じ二足歩行二本腕の【ヒト型】で、透き通る青い瞳の少女の顔だ。
《良かった……えっと、そのまま直進し2光年先の排熱孔から機関室へ行って下さい》
一瞬だけオペレーターでは無く親しい相手としての声が聞こえたが、すぐに声色が切り替わった。
「了解。短距離歪曲移動準備……行けます」
《確認、剥離座標フェニックス外壁に固定……どうぞ》
「三次元カーマン・ライン、剥離!」
小型とは言え、光と同程度の巡航速度では文字通り2年の歳月を要する。よって、一時的に縮退炉による重力崩壊と、ダイソン球によるエントロピー状態量の強制変化を行い、あたかも始点と終点が接点であるように振る舞う必要がある。これにより、光を始めとする通信だけでなく、物体の超光速が結果的に可能となり超長距離移動が出来る。
その際、物質が系を保てるシュバルツ・シュルト半径から逸脱する事から、コレを境界線を意味するカーマン・ラインから名を取って【三次元カーマン・ラインからの剥離】と呼称している。長いので、戦闘時には単に【剥離】とだけ言われるのが常だ。尚、移動後は転じて【固着】と表現される事が多い。
「通常空間への固着……今!」
三次元の通常空間から剥離すると、そこは通常空間では無く周囲の光景は得も言われぬ不可思議な色の光に満ちる。例えるとするならば、瞼を閉じた時に見える色、だろうか。
そんな空間にいるユキ、また彼が搭乗するアクト・ブランシュの視点からは、ほんの5秒にも満たない時間で元の通常空間へと固着する。だが、移動距離に関わらず外と内では必ず時間差が生じる。
言わば、この宇宙が持つ誤差とも取れる時間の差は、平時ならば大体10~100年と影響はほとんど無い。
しかし、今は1年1日が惜しい時。ユキが固着するまでの数秒で戦況は更に悪化していた。
「時間差、55年と3ヶ月9日11時間4分2秒……ッ、フェニックスの外壁が!」
真白の旗艦は数秒前とは打って変わり、所々に被弾した跡や穴、更には撃墜された友軍機の残骸や【奴ら】に取り付かれ侵食、汚染された見るも無残な姿を晒していた。
(惑星級どころか恒星系級がこんなに刺さってる……)
頑強さでは、多銀河間同盟で随一の人工重原子のみで構築された外装甲が埃の様に軽々と舞っている。
艦載機のコクピット内は球状に近く、機体に取り付けられたカメラにより全天周囲型モニターとなっており、周囲全てを肉眼で捉える事が出来るのだが、ユキはこんな光景一度も見た記憶が無い。
邪神、ウエンカムイはその大きさで等級が決められており、小惑星級や衛星級を含む惑星級はまだ小型の個体だ。
全長100メガメートル未満の個体を惑星級、全長10ギガメートル未満の個体を恒星級、全長100ペタメートル未満の個体を小銀河級、全長1000エクサメートル未満の個体を銀河級と区分して呼称している。また、確認された総数こそ100に満たないが、最大10ロナメートル前後のフィラメント級も存在する。
《……戦尉、ユキ一等戦尉、聞こえますか?》
「はい、こちら第3089億201万9331空戦部隊所属ユキ一等戦尉!」
通信回線から再び、愛しい声が聞こえてくる。だが、その声色は発狂しようとしている自我を何とか抑えつけている、そんな力んだ声だ。
《良かった、ユッキーの声がまた聞けて……よがったぅ……》
今にも泣き出しそうだ。意識を自身に向けたら壊れそうな程、脆い。だからユキは、あえて個人としては応えなかった。
「一体、何があったのですか?」
《あ、げ、現在、27番銀河団は旗艦フェニックスを含め残存艦5京。内部侵入を許すも艦内掃討は9割完了……ですが、陣形を保てず撤退戦の最中にあります》
(5京しか残っていない?50年で8割も削られたんだ……)
それを裏付ける様に、フェニックスの外壁の無残さは前進するごとに酷くなり、緊急隔壁ごと吹き飛ばされた区画さえ見える。
「他の銀河団は援護に来ていないのでしょうか?」
《……27番を残し、他は……全滅です》
(そんな……パンドラとエル・ゴードは2億年前に蒸発したから……鎖は断たれて四つ子も六つ子も居ないなら、敵は40穣以上残ってる、て事になる……)
《ユッキ、まだ生きてたな?よぉしよぉし、偉いぞ》
大よその数を計算して吐き気を催したその時、通信回線から別の聞き慣れた声が聞こえて来た。
「ぽ、ポールさぁん!」
快活な友人の声に思わず、ユキは素で安堵の声を漏らす。
《泣いてる場合じゃないぞ?今も総司令の命令は継続中だ。もうそろそろ4343ブロックじゃないか?》
滲んだ涙を急いで拭い、レーダーに眼を向けると目的の排熱孔が映った。だが、本来は排熱時のみ開口する入口は破壊し尽くされ、穿かれた穴と化している。
《ポール一等戦尉、ユッキーを、ユキ一等戦尉のサポートをお願いします》
《言われなくても!》
友と愛しい人が自分を支えようとしている。ユキはその期待に応えるべく、迷わず穿かれた穴へと飛び込んだ。
《そこから先の隔壁は壊されちゃってもう無いから、全速直進で大丈夫だよ、ユッキー》
「ありがと、ヒマ!」
通信士でなく、完全に個人が出てしまっているがそれを指摘している余裕は無い。破壊され、残骸が散乱し、漂う数多の亡骸を機体で弾きながら加速し続ける。
《聞こえるか?ユキ一等戦尉》
3つ目の声。聞き慣れない声だったが、一瞬視線を送った先のパネルに表示された【ジンルイ訳:Commander】の文字から総司令だとすぐに判断した。
「はい!聞こえております、総司令」
返事をしつつ、この命令の内容と言うか、意味を知らされていない事に気が付く。戦況が悪化して尚、続行する価値があるのだろうか。一介の兵士が一々意義を尋ねるのも筋違いな為、ユキは詮索を避ける。
《マヒマ通信士から状況は聞いているな?もはや猶予は無い。護衛艦も1割を切った。目標はモニターに設定してあるが、予定到着時間は何と表示されている?》
道は真っ直ぐ。操縦桿を握る手をそのままに、向かって左に表示されているパネルの画面に視線だけ移す。そこには確かに、立体地図が投影されており、目指す主機関の銀河ダイソン球に赤くマーカーが点滅していた。その直下に【到着まで : 22.34】と表示され、その数字は等間隔で減っている。
「約22分です」
《宜しい。到着までの間、時間稼ぎを頼む》
「……?」
自分では無い誰か、に向けて総司令の言葉が聞こえる。
状況が逼迫しているとは言え、何故に一兵士と直接通信し、それを切らないのか。
《ぽ、ポール及びゼイラムの二小隊、排熱孔外壁部で戦闘開始》
マヒマの震える声が見えぬ外の状況を伝えてくる。
(ポールさん、それにゼイラム君が戦闘……時間稼ぎ、僕の為、だよね?)
もう一人の戦友の名を聞き、妙な胸騒ぎを覚えつつも進むしかない、と前だけを見る様に心掛ける。
――バンッ、バンバンッ
惑星以上の重力を持つフェニックスの艦内にあって、重力制御装置が損傷したのか停止したのかは定かで無いが排熱路をふわふわと漂う色々なモノを跳ね除け、その度に機内に衝突音が微かに伝わって来る。その大半は乗員、つまり仲間の損壊した遺体だ。
《おい、生きてるか相棒?》
《まだ何とか、な!突進しか出来ない癖に数だけはばばがガガガ、ピー……》
《クソッ!クソが離れろってんだよッ!ふざけんな!お前らが先に死サーッ……ザーッ……やべデ!ゆるじガーッ……》
《急げユッキ、何匹がそっちに入っちまった……こっちで何とかしたいが無理そうだ》
けたたましい通信、特に変な所は無いはずなのにいつも以上に胸がざわつく。友人の声も上手く頭で処理出来ずに酩酊感をユキは自覚した。
《当たってるのに、当たってるのにさぁッ!なんザーッ》
(どうしてだろ……)
《死なないでよ!ねぇ!何で一人にしないって言ガガッ、ピー……》
(何か今日、変だ……)
《あれ?何で俺、此処に……あ、そっか、変だビビビブツンッ》
(凄く、嫌な感じだ……)
《こんノックソッたれ隊長ッビーーーーーーーーーーン、ハハ》
(手の震えが止まらない……)
《ゼイラム機を除いて小隊全滅……ポール小隊、残り11万、8万、3000、56……ポール機以外、蒸発……》
「ぽ、ポールさん?」
《止まるなァユキぃ!進めェッ…………サーッ》
《ポール機、捕食、されました……》
「……え?」
途端、手の震えが止まりユキの頭の中は完全に無色に堕ちた。
「ポールさん、もういないの?」
《う、うん……ユッキー、ど、どうしよう?》
「……そっか、もういないんだ」
全くの実感が無いまま、ユキを乗せたアクト・ブランシュはひたすらに飛び続ける。
《しゅ、周囲全天完全に包囲されてますッ!》
(生体部位も残ってないのかな?)
《脱出させろぉ!死にたくねぇよ俺はよぉ!!》
(ドクター、脳は残っていれば大丈夫って言ってたけど……)
《私だって嫌よッ!》
「あー、食べられちゃったから、消化されちゃうか……」
《へぇ、背景放射って一色に染まるんだなァタァンッ》
「じゃあ、ダメか……」
《あ、コイツ!自殺は軍規違反だぞ!死体が邪魔だどかせッ!》
(……あれ?僕、いつから戦ってるんだっけ?)
《こんちくしょぉぉおおおおオオッ!!》
(ポールさんとゼイラム君といつも同じ話してたはずなのに)
《ぜ、ゼイラム機……蒸発、う、ユッキー?ねぇ?返事わぁ?》
「……ゼイラム君も?」
《統幕副長、Airへのデータ移行の進捗は?》
「……何も、思い出せない」
《既に完了しています》
「と言うか、僕は何だ?」
《ユキ一等戦尉の機体には載せてあるんだな?》
(変なの、僕は僕でしょ)
《はい。原子か暗黒物質があれば単独で運用出来ます。稼働テストも終えていますので、移送先でも問題ありません》
(お話が出来なくなっちゃったのは……うん、難しい)
《……すまんな》
《どうされました?私に謝るなんて、初めてじゃないですか》
《ユッキー!ねぇユッキー!がちゃがちゃって、さっきからガチャガチャ音がするの、ねぇユッキー!》
「えっと、大丈夫じゃない?ヒマ、多分大丈夫だよ?」
《ッ、大丈夫な訳!!多分って何なのユキッ!バカなの!?》
「いやぁ、そんな事言われたって……」
《脱出艇だ!早くしろ!》
《俺が先だ!》
《置いて行かないでよッ!》
《お前ら落ち着けって、喚かなくても順番《周囲に極大反応無数!銀河級が100、200いや3《バカかてめぇ!メガパーセク以上だ言われなくても誰だって分か《やだやだやだやだやだやだやだやだやだやだッ!《無断で強行脱出する連絡艇多数、全て捕食されて《餌になったとて!《長官!自殺の許可を!》《許可する!死ね!》《はッ!有り難きタァンッ》》》》》》》
色々な言葉、会話になっていない一方向の独り言、他文明出身かそのリサイクル体だろうか翻訳不能なやり取りまで、まるで命が生まれ朽ちるまでを凝縮した様な様相をよそにユキはひた走り、遂に開けた空間に出た。
(綺麗……直接見たのは初めてだ……)
船の中である事を忘れてしまいそうな空間に、燦々と輝く球体が浮かびそれを覆い隠すように多角形の人工物が漂っている。ただそれだけなのだが、この時ユキは引き出せる範囲の記憶で初めて太陽を見た。惜しむらくは、天然では無く養殖である事だろうか。
《ユキ一等戦尉、予定到達時間になったが……ダイソン球は見えるか?》
「……ぇ、ぁ、はい見えます」
《統幕副長、位相分離まであとどれくらいだ?》
《いつでも》
ここまで最大速に近い速度で突っ込んで来たが、眼の前の人工恒星が見た目で大きく、そして不思議と感嘆を禁じ得ない存在感であるものだからユキは自分が減速したモノと勘違いをしてしまった。だが、パネルの相対速度計の数値はむしろ加速している事を示している。
《ユキ一等戦尉、新たな命令を伝える》
「はい」
まるで可愛い親族に言い聞かせるよう、二度目の会話で総司令は優しく語り掛ける。
《これから君と君が乗るアクト・ブランシュの位相分離を始める》
「はぁ……」
《分離公理に従って我々が今居る開集合を閉じ、同相の別の点で開きます。位相が等しければユキ一等戦尉は》
《統幕副長、彼が困惑している》
《……つまり、別の宇宙に飛ぶんです》
「……はぁ」
理解が追い付かない、がユキはどう言う訳かその話の内容に懐かしさを覚えていた。
《君への新しい命令……いや、頼みだ。奴ら【
《ッ、総司令!その技術をどうして!大勢、もう居ないのに!皆でそれで逃げれば!!》
通信回線越しに、マヒマの悲痛な叫びが劈き耳を傷める。
《マヒマ通信士、銀河ダイソン球程度では無機物は艦載機未満しか、有機体はユキ一等戦尉程度の質量しか飛ばせないのです》
《それに、一度も試した事が無い……黙っていた事は、すまなかったと思う》
統幕副長と総司令の淡々とした、しかし残酷な言葉が彼女を狂わせた。既に艦橋の0.01光年と言う直近まで侵入を許しており、響く音が本能を剝き出しにする。
《ゆ、ユッキー?ねぇ、私を置いて行かない、よね?》
「総司令、どうして僕なのですか?」
《ユッキー……》
上官への直談判に彼女は一瞬だけ安堵した。だが、2ブロック先の隔壁が破られる音と同時に総司令とユキの言葉がそれを拒絶する。
《君は覚えていないだろうが……奴ら、我々全ての生命の敵【ウエンカムイ】の存在を知らせ、戦う技術を与えたのは……君達【ミレニアム】なのだよ》
「……達?」
《ポール一等戦尉、ゼイラム一等戦尉……君の戦友です》
《ぇ、総司令、統幕副長、なにを……そう、なの?ユッキー?》
「身に覚えが無いのです、が……?」
《だろうな……我々が出会った時、いや我々の先祖が君達に出会った時、既に君達は疲れ果てていた、らしい……》
《生体ユニットにより肉体をリサイクルする時、君達は自ら望んで古い記憶から上書きされる様にしたのだから》
生体ユニットは、戦闘で負傷した生物の損壊部位を丸ごと入れ換える生物リサイクル技術だ。これにより、脳さえ残っていれば幾らでも欠損を培養有機物で補充出来る。脳の記憶も、予め有機記録媒体に電子信号を保存しておけば後でインストールが可能で、事実上の寿命を無視出来る。だが、有機記録媒体への保存は大規模になる。ユキの様な【ジンルイ】の少年1人当たり直径約2.4メガメートルの超伝導体が必要で、とてもじゃないが全員を保存する事は宇宙の総質量を大幅に超えるので物理的にも現実的にも不可能である。
ユキは後々に思い出す事となるが、奇しくも彼がかつて住んでいた【地球】を照らす恒星【太陽】のほぼ2倍の大きさに等しい。
《既にアクト・ブランシュに積んである人工知能Airへの、我々の戦闘データ移行は済んでいる。後は、銀河ダイソン球を崩壊させ、君を別宇宙へ飛ばすだけだ》
《成功するかは、全く分かりませんけどね》
《ユッキー、私そっちに行くから!ちょっと待ってて?ネ?》
「……また、皆さんに会えますか?」
《……ユキ?》
《平行した宇宙は、言わば互いに関係のある可能性の一つだ。恐らく、隣りかその近辺の宇宙に飛ぶ事になるだろうが、君達が存在する可能性も、有ると断言は出来ない》
《しかし、無いとも言えません。成功したらきっと、また会えますよ》
「……そう、ですか」
《ユキ、嫌だよ、私、まだ死にたくないの、ねぇ?》
「……ごめん、なさい。僕はまだ「死ぬな」と言う事ですね」
《ッッ!!??》
《総司令、主機銀河ダイソン球の位相崩壊を始めます。成功すれば、プランク時間後にユキ=0410一等戦尉改め、ユキ=クリヤマ様は別宇宙へ》
《委細任せた……ユキ様、もしまた会えたのならどうか私達は良い旅路だった、と言って欲しい》
《位相後、Airを再起動してデータ閲覧を試みて下さい。何せ突貫作業だった上、ユキ様達がまとめた言わばライブラリーは御三方の生体情報が解除キーとして設定されたままです、ご注意を》
「任務……拝命、しました」
《地獄に落ちろォッ!!ミレニアム共ァッ!!》
《さらばだ……》《行ってらっしゃい、ミレバキバキバキッバリッバリッタンッタンッ……じッ》
愛しい人に罵倒され、記憶に無いが微笑む顔が容易に描けた上官二名に最期の言葉を送られ、次の瞬間の視界は事象の地平線へと落ちたかのように歪み、何も聞こえないはずの機体内とユキの耳におぞましき音がゾルッと涎を垂らして彼の五感を落とした。
――見よや、これが最期の一歩先である
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