第6話 バロック女爵邸潜入 前編
ワンダーランド伯爵家の紋章を外した偽装馬車で、夕刻に邸宅裏口から出発する。
メンバーは御者を含めて三人。
ミミ副執事長――今は俺の訓練中なのでミミ教官。いつものメイド姿だが……。
そして俺。現在はアリス・ワンダーランドを名乗る。商家のお嬢さま風に変装中。
最後に御者のセシリー。元猫人族。ミミ教官の裏仕事の部下。オーバーコート姿。
「バロック女爵領に着くまで二時間っス。それまで寝てていいっスよ、お嬢さま」
「馬車で移動なのに、そんなに近い場所に女爵領があるの?」
「あー、えっとっスねー」
「……ワンダーランド伯爵領、領都を出て少し進んだところでセシリーに天使化させ、馬車ごと飛んでいくのでございますよ、アリス特務士官候補生」
「そっス。アタシ、灰天使なので飛行能力と付随する積載能力に秀でるものでー」
「へぇぇー」
では、お言葉に甘えて寝させて貰おうかな……とはならないのが今の俺で。
なぜって?
だって外に出るのは今日が初めてだから。外の世界に俄然興味があるわけ。
転生して二ヵ月。俺は伯爵家にずっと籠りっぱなしで外出していない。
理由は単純にミミ教官と戦闘訓練三昧だったから。彼女、めっちゃ強いからね。
俺は一年以内に
で、戦場で死にたくないなら訓練に
あとは。
隙あらば母上が構いまくってきて身動きが取れなかったのも理由の一つ。
とはいえミミ教官の厳しい訓練のおかげで前世以上の戦闘力を得た。
もし男とバレてもパンツパージの女たちからも何とか逃げられるだろう。
えっ? 戦わないのかって? 天使化できる特務兵が混じってたら俺、詰むよ。
自衛のために戦うのは、天使化ができてからで良い。
だいたい今回のスニーキングミッションで戦うな、殺すなというミミ教官が立てた条件の真の意図は、俺が戦うには戦力的に不味い警備兵がいるということだから。
それより、外の世界に目を向けよう。
天使化とか、モロになろう系の異世界ファンタジーだもの。これは期待できそう。
伯爵家の邸内環境から見定めるに、機械文明もかなり発展していると思われる。
……移動手段が馬車って、なんだかちぐはぐだと思うけど。
あるいは国民的ゲームの、FFシリーズ6作目みたいな世界観かもしれないね。
俺はそっと窓カーテンをずらして、外を眺めやる。
……ん? んん?
石畳みの道路。これはいい。風情があってとても良い。今は夕刻。そらそろ街灯が灯ってしかるべき時刻。だが、辻々にあるのは松明の設備だけだった。
現在、馬車が行くのはメインストリート。だが、すでに開いている店は少ない。
レンガと木造を合わせたモルタル塗りの、それっぽい異世界建物群が続く。
盛況なのは酒場兼宿屋と高級そうなレストランと……おっ、夜公演の演劇場がある。馬車がロータリーに集まっているね。あとはなんだろう、冒険者ギルド?
まだ夕刻なのでか出歩いている女性をちらほら見かける。いや、違う。男女の価値観が逆転しているので、彼女らが黄昏時でも普通に歩いていておかしくないのか。
ともあれ平和な街で良かった。頭のおかしいギャングとか、ちっとも見ないし。
【大事な注釈】
日本では真夜中であろうと安全に出歩けますが、外国、特に南米の街では夕刻過ぎから男女ともに家に籠ります。理由は危ないから。南米の夜の街は魔の巣窟。外に出ているのは『非堅気』の怖い人達だけ。
歩哨なのだろう、治安維持の衛兵たちも二人一組で歩いている。彼女らは短槍と小剣をそれぞれ装備している。もちろん防具も軽鎧を帯びているのだった。
一般市民女性に混じって冒険者と思しき女性たちもちょくちょく見かける。全身鎧に身の丈を超える大剣を帯びる種族不明の女性(兜で顔が見えない)とか、やたらと格好いい弓を細い肩にかけているエルフの女性、魔法の杖らしきものを石畳にカツカツと突きながら歩く老婆、オーソドックスに長剣を佩く旅装女性とか、あるいは鉄塊みたいなゴツイスクエアシールドを背に装備する熊系獣人の女性とか……。
道行く人々はすべて女性。
マジで女性だけだ。
逆を言えば――
それだけ男性の希少具合も窺えるわけで。
男が女扱いされて、女は逞しい男の如く。
……必然、女が男を抱く世界。
これも一つの『貞操観念逆転世界』か。
異世界である。トンデモ世界に来ちゃったぞと、改めて俺は実感する。
中世ヨーロッパ風の街並み。雑多な種族たち。ただし全員女性。剣と魔法の世界。
いわんや、なろう的な中世ヨーロッパ。別名、ナーロッパ。ただし、表に出ているのは全員女性。ここに男を一人放したらどうなるか。うん、考えたくないな。
いや、それよりも。
えっ、なんで? わが伯爵家の文明レベルと市井では
「……アリシア伯爵閣下の邸宅にある機械・機器類はすべて古代遺物と呼ばれるものでございます。かのお方はその天才的な頭脳で修繕、または魔術的に補修し、かつて栄華を極めた機械と魔術の混合文明をこの世に蘇らせたのです。もっとも、伯爵さまが言うには自分の成した事柄など数パーセントの復刻に過ぎないそうですが」
「そ、そうなんだ……あんな凄いもので数パーセントの復刻でしかないと」
「うちの
「セシリー」
「あ、はい。失言でしたっス、ボス。今は可愛い娘さんができて、そっちに意識向いてますしね。アリスお嬢さまって、女のアタシがいうのもなんだけど、可愛いし」
「えっ、あ、ありがとう……ございます?」
「そう、その『雄々しさ』というのかな、なんかグッと来ちゃうんスよ!」
「セシリー?」
「あ、はい。失言でしたっス、ボス……」
念のため断っておくと、この世界は貞操観念逆転世界にて『雄々しさ』とは前世の俺たち基準で言えば『女々しさ』となる。そして、逆もまた真なりなのだった。
俺たちを乗せた馬車はワンダーランド領都を抜け、しばらく行って後――セシリーの天使化による積載能力と飛行能力で、一気にバロック女爵領へと飛んで行った。
正確に二時間後。時刻は20時ちょうど。
俺たちを乗せた馬車はバロック女爵領領都に到着していた。何食わぬ顔でパカパカと馬車はメインストリートを行く。セシリーなんて鼻歌を歌っている。
伯爵領領都に比べるとやはり少し田舎然としているが、夜の
「あまりに堂々と上空から女爵領の領都に侵入とか、これ、大丈夫なの?」
「ご安心ください。セシリーは彼女独自のユニークスキル『
「そうなんだ……って、泊まるの? 目的を果たしたらさっさと撤退すべきでは?」
「それについてもどうかご安心くださいませ。細工は粒々でございます」
まあ、ミミ教官がそう言うなら。俺は一つ頷いて、宿の到着を待つことにする。
宿は小金を持った冒険者や庶民を対象にしたそこそこ高級な宿で部屋を借りた。
部屋は三階の最上階にあり、貴族が泊まるにはみすぼらしいが、小金を持つ庶民にはちょうどよいだろうという貴族
深夜、俺は多種多様の耐性を付与したいつもの黒の戦術スーツに着替えていた。
このスーツ、本来は肩、胸、背中、腰、あとは関節部を中心に特殊なプレートで出来た外骨格をつけるものであるらしい。いわゆる強化外骨格である。しかし無装備ならあら不思議、上質のスニーキングスーツに早変わりするのだった。
「女爵領領都全体図、女爵屋敷敷地、女爵屋敷内部の地図は記憶されましたか?」
「うん、大丈夫」
「持ち物に不備はありませんか?」
「スーツOK。銃もOK。付属の潜入用キットOK。……護身用の睡眠弾入りの銃を手渡された際に、潜入直前に何か別な道具も渡すとか聞いていたけど」
「はい、これをお持ちください」
「宝石? オニキス? いや、黒水晶? なんだろう。綺麗な金の筋が入っている」
「探査と解除のルチルクォーツ魔道具でございます。名前はルイちゃん」
「あ、うん?」
「大変優秀な子なので、ずっと持っていて結構ですよ。可愛がってください」
「ありがとう……?」
綺麗にカッティングされた黒水晶型ルチルクォーツを受け取る。
とたん、にゃー、と脳裏に鳴き声を聞いたような気がする。
「アリスお嬢さまが出発なさって後、セシリーがお嬢さまに変装してベッドに横になります。ワタクシはお嬢さまのゴーグルとリンクしてバックアップをいたします」
「了解。ふたりとも、よろしく」
「お気をつけて」
「はーい、アリスお嬢さま」
「では行ってくるよ」
俺は宿の窓から飛び出して、深夜の女爵領領都の街に消える。
無音で深夜の街を駆ける。前世に、中世期のアサシンになって街を縦横無尽駆け回りターゲットを狙うゲームがあった。シリーズ作も結構出ていたはず。
今の俺はまさにそれ。
街の家々の屋根を音もなく走り、ときに壁を登り、跳躍し、また駆ける。
この星にも地球と同じく衛星が一つある。が、今宵は新月。潜入するには良い夜。
俺は大豆大の小石をポンと投げる。かんっ、と壁に当たる。それだけだった。
よし、OKみたいだね。行こう。壁は大体4メートルほどか。余裕余裕。
そうして、たんっ、と俺は地面蹴って壁上部にしがみつき、ボルダリングの要領で指のピンチ力を利用しつつ脚を持ち上げ更に跳躍。屋敷敷地へスルリと侵入する。
無造作な行動のようで、ちゃんと計算している。
ファンタジー世界ならではの魔術的な――俺の前世世界で言う『機械警備』システムが女爵屋敷には導入されている。それを躱しつつ侵入したのだった。
例えば今し方飛び越えた壁などは、一定の圧力、または衝撃が加わると警報装置が作動するようにできている。耐衝撃防御魔術の応用であるらしい……のだが、この魔術には実は癖があるのだった。この『魔術式機械警備』は常に魔力を通しているわけではないのだ。そんなことしたら尋常でなく魔力コストがかかるから。
そういう極秘のネタバレを、ミミ教官から教わっていたわけで。
小石を投げたのは衝撃に防御魔術が反応して微かに緑の光を発するのを確認するため。あの程度の衝撃では警報は鳴らない。それで鳴っては警備が大変だからね。
今宵は新月。魔力が通っていれば、壁は、一瞬火花のように光が散る。
闇夜でこんなの見逃すはずがない。そして実際、光は散らなかった。なので俺はそのまま侵入した。鮮やかでしょ? キャッツカードでも用意しておけばよかった。
スッとなるべく音を立てないよう着地。女爵邸宅、敷地内へと侵入。
『こちらA。子猫ちゃんが家の敷地で鳴いている。周囲に誰もいなくて寂しそう』
『こちらМ。可哀想なので子猫ちゃんを屋内に入れてあげてください』
『了解、そうする。以上』
隠語ばかりの量子通信だけど、大体内容は分かるよね。なので解説は割愛。
敷地内に赤外線トラップや、カメラなどは見る限りでは感知しない、ゴーグルを通せば赤外線ライトやレーザービーマーは見えるから。……んん、いや、これは。
あるな。否、いるな。
監視カメラ。超高感度カメラっぽい小さな生物型の監視者が、いる。
形状は鈴木土下座ェ門みたいな目玉生物。古代遺物――魔法生物である。
侵入予定経路にも視界設置されていて、かなーり面倒くさいことになっている。
しかし奴らにも弱点はある。こいつらはこっそり設置して監視させるのだが……。
超高感度カメラっぽいと言った通り、この生物カメラは逆に突発的な光に弱い。
それこそマッチやライターの光にすら過剰反応する。簡単に視力を一時的に失う。
じゃあ、それなら朝のアカツキとかどうなるの? となりそうだけど、そこは人の目と同じく、じわじわ明るくなるのは順に目が慣れていくため平気なのだった。
というわけで、紙飛行機を折ろう。
で、先端に火をつけて、ヤツに向けてテイクオフ。
案の定、動体に反応した超高感度生体カメラくんは、その高性能すぎる視力が仇となって『ビクッ』と震え――機能を一時、ノックダウンさせてしまう。
なお、紙飛行機は燃えやすい油紙を使ったため飛行後はすべて粉々の灰に。
行こう。
俺は豹が走るみたいに音を立てず駆けて行く。目指すのは女爵家邸宅内部。
超高感度カメラと警備兵を綺麗に避けつつ移動する。なお、警備兵には猟犬が二匹、必ず随伴していた。警備兵はともかく、追跡用に犬を必ず用意するとか……。
しかし隠密行動は俺の得意分野だ。そこから派生する暗殺行動も。
前世では闇夜に紛れて麻薬カルテル施設に潜入、警備はおろかターゲットの人物まで、誰一人気づかれずに全員を始末したことなど数えきれないほど経験している。
隠密行動は、必要とあらばどれだけでも大回りする慎重さを持ち合わせねばならない。ときにはハッと目を見張るような大胆さも持たねばならない。さきほど紙飛行機を使ったのは、どうしても通らねばならない経路だったので使っただけだった。
どれくらい走ったか、少なくとも15分は走ったか。
下位貴族の女爵家にしては敷地面積だけは広い。あと警備に金を良くかけている。
なるほど、男奴隷の売買か。希少な男だもの、驚くほど高値で売れるのだろう。
ようやく女爵邸宅までたどり着いた。うかうかしていると警備の巡回が来る。
念のため小石を軽く放り投げる。邸宅の壁に当たる。無反応。俺は跳躍する。女爵家邸宅の壁に手をかける。指先のピンチ力を使って壁をするする登る。
外壁には魔術的機械警備をつけていたが内側はマンパワーと追跡用の犬に警備を頼っているらしい。まあ、人の目のほうが確実だものね。あと、犬の嗅覚も怖いし。
……おっと、ここだな。予定された経路通り、良い感じの窓を発見。
小型の
『こちらA。子猫ちゃんを家に上げてやりたい。とても寂しがっている』
『こちらМ。その戸は開いています。閉じ金具が壊れているのでお気をつけて』
『了解。以上』
情報によるとこの先から使用人たちの生活圏となるらしい。なので、
ちなみにバロック女爵の生活圏の窓はすべてガラス窓になっているのだった。
さて、この戸を持ち上げて……重いな、魔力で身体強化して、と。
閉じ金具が壊れている情報の通り、戸は重さ以外の抵抗なく外に開いていく。
外は月のない闇夜だが屋敷内部はほの明るい。ところどころに、瓶詰めされたヒカリゴケのようなものが設置されている。常夜灯代わりの光源であった。
俺は音を極力立てずに、女爵邸内部へ侵入を果たした……。
【お願い】
作者のモチベは星の数で決まります。
可能でしたら是非、星を置いて行ってくださればと。
どうぞよろしくお願いします。
灰天使アリスくん魔法グラップル奮闘記【男性希少貞操観念逆転世界】 五月雨一二三 @samidareiroha
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