1-4. 展望台デート

 ザルインの街の歴史は古く、その起こりは今から五〇〇年ほど前のことだと伝えられている。当時、この辺りはまだ何もない平野で、遺跡発掘を生業とする考古学者のキャンプだけがぽつんとあったそうだ。やがて、最初の遺跡が見つかったあたりから発掘調査は本格的に軌道にのりはじめ、その頃には周囲に彼らやその家族を相手に商売をはじめる隊商たちが出入りするようになっていたという。

 そこに目をつけたのが、考古学者たちに出資していた豪商たちだ。彼らはもとより遺跡発掘が一段落した時点でそれを観光資源とし、この辺りに宿場街のようなものを作ろうと考えていた。その計画を前進させるため、彼らはキャンプのほど近くに市場を設けた。そして、いつしかこの一帯はただのキャンプ地からある種の交易所のようなものへとその姿を変貌させていった。

 問題が起こったのは、そこからさらに時間が経って、この地がすっかり街としての体裁を整えてしまったあとのことだ。遺跡発掘を開始してすでに一〇〇年余り、しかし、未だその全容は解明できずといったところだったが、何とさらなる調査の結果、すでに整備されている街の地下部分にも巨大な遺構が残されているらしいということが判明してしまったのだ。

 そのまま無理やり街の地下部分に調査の手をのばすか、それともここいらで調査を終えてしまうのか。学者たちの意志がどうだったかは分からないが、出資者たちの意志はすぐに後者でまとまった。それはそうだろう。この地が巨大な街となり、その支配権を握るという形ですでに彼らの当初の目的は十分に達成されていたのだから、これ以上の発掘調査はただの道楽にしかならなかった。

 かくして、この地に《遺跡の街ザルイン》が生まれた――というわけである。

 ベンチに座って眼下に広がる戦人街を眺めながら、僕は警察署近くの屋台で買ってきたりんご飴をぺろりと舐める。僕のいる場所、市民街の二番区にある展望台からは、戦人街の街なみを一望することができた。いわゆる絶景スポットというやつだ。

 戦人街はザルインの街の全体の中でも下層に位置する場所にあり、今でこそ下町風情のある商店街といった様相だが、もともとは発掘調査で出土した遺跡群がその基盤となっている。下層にあるのもそのためで、市民街から見ると全体がすり鉢状にへこんだ窪地となっており、建ちならぶ建造物も市民街のものとは少し趣が異なっている。この戦人街自体がいわゆる観光地となっており、とくに中央に建っている大展示場はそれを目にするためだけわざわざ遠方から足を運ぶ観光客もいるほどの名所である。

 ちなみに戦人街と呼ばれる由来は、その大展示場で行われる闘技大会にある。過去に犯罪歴さえなければ誰でも参加可能という間口の広いこの闘技大会は、街の住人にとっての娯楽であるとともに腕自慢が自分の腕ひとつで名を上げるための場でもあり、この街だけでなく他所からも参加者が後を絶たない大展示場のもう一つの顔にもなっている。

「美味しそうなもの食べてるじゃないですか」

 不意に視界の外から声が聞こえてきて、何か悪さをしていたわけでもないのに、僕はぎょっとして振り返る。

 上り口の近くに見覚えのある影が立っていた。夕日を反射する亜麻色の髪は相変わらずのポニーテールで、後ろ手に手を組みながらにこにことこちらに笑顔を向けているその人影は昼間に会ったあの少女――セシル・アルコニィだった。

「やあ、こんなところで会うなんて、奇遇だね」

「そう思いますか?」

 むふふと怪しい含み笑いをしながら、セシルがとことこと歩み寄ってくる。はてさて、どういった意味だろう。

「実はずーっと後をつけてたんです。まさかこんなところを目指してるなんて思いませんでしたけど」

 予想外すぎる発言に、僕は素直に面食らった。

「つけてたって、どのあたりから?」

「お店の前を通ったあたりからですよ。いちおう声はかけたんですけど、アテナさんったら全然気づいてくれなくて、仕方ないからついてきたんです」

 言いながら、セシルが僕の隣にすとんと腰を下ろす。何が仕方ないのかはさっぱり分からなかったが、きっと僕には分からない彼女なりの事情というやつがあるのだろう。

 しかし、確かにここまでぼんやりとしながら歩いてきたことに違いはないのだろうが、それにしたって僕にはセシルに声をかけられた記憶もなければ、そもそも《水鳥》の前を通った自覚すらなかった。

「ずーっと考えごとをしていたみたいですけど、あれから何かあったんですか?」

 あれから――というのは森でセシルと別れたあとのことだろうが、さすがにすべてを彼女に説明してやる気にはなれなかった。何かあったのかと聞かれれば間違いなくあったわけだが、話して聞かせるには少し色々とありすぎた。

「別に何もないよ。何となく市民公園をぶらぶらして、りんご飴が美味しそうだったから買って、そのままここでぼーっとしてただけさ」

「ふーん、ぼーっとねえ」

 膝の上で頬杖をつきながら、意味深な笑みを浮かべてセシルがこちらを覗き込む。

「アテナさんって、都合の悪いことはいつもそうやってごまかすんですか?」

 なかなか賢しい子である。

「昔からの癖でさ。可愛い子を前にすると、緊張してつい思ってもみないことを口走ってしまうんだ」

「ごまかすのもそうですけど、冗談を言うのもあまり上手ではないんですね」

 そんなことは、わざわざ説明されなくても僕自身が一番よく分かっている。

「素直な性格でさ。本当は人を騙したりするのはよくないと思ってる」

「ただ面倒くさくて、適当なことを言ってるだけでしょう?」

「すごいな。君、探偵の才能があるんじゃないか」

「素直に褒め言葉と受けとっておきますね」

 にこにことセシルが応じる。きっとこの子の人生において辛いことや苦しいことなんてそんなにないんだろうなと、ほとんど直感で僕は確信する。

「そういえば、君は学校で魔術を習っているって言ってたよね」

 ふと思い出して、訊いてみる。

「はい! まだそんなに上手には使えないですけど」

「先生ってどんな感じの人なんだい?」

「先生、ですか?」

 こういった質問は予想外だったのか、ただでさえ大きな瞳を見開いてセシルがこちらを見つめてきた。

「綺麗な人ですよ。魔術に関してはすっごく厳しいんですけど、それ以外だと物静かで優しくて、密かにファンクラブもあるって話です」

 ファンクラブとな。まあ、若者たちがそういうものを作って内輪で盛り上がる文化というものは、何処の界隈でもあるものなのだろうが。

「確かに綺麗な人だったね」

「会ったんですか?」

「街で見かけただけだけどね。たまたま一緒にいた知り合いが教えてくれてさ。思ったよりも若い人が教えてるんだなって、ちょっと驚いた」

「ちょうど今年で二十歳だって言ってました。《異界の門》っていう魔術師の学校から派遣されてきたエリート魔術師なんだそうですよ」

 《異界の門》――それは、大陸の南端にある魔術師養成所の通称だ。その実態は、かつて大陸全土を巻き込むほどの大いなる災厄の元凶となったという外世界とこの大陸を繋ぐ《門》を封じるとともに、再びそのような災厄が起こらないように監視するという名目で大陸中の魔術師が集まって日夜修練を行なっている巨大な学術要塞都市である。

「また随分とご大層なところから派遣されてきたもんだね」

「そうなんですか? でも、《異界の門》って、何だか響きがカッコいいですよね」

 確かに、セシルくらいの年代の青少年が好きそうな響きではあるかもしれない。

 それはそれとして、《異界の門》から派遣されてきた魔術師が市民学校で魔術を教えている、というのはいかなものだろうか。あそこはそこいらにある魔術師学校や養成所とはわけが違う。大陸中から才能のある若者をスカウトして、来るかどうかも分からない災厄のために時には死の危険すらあるほどの徹底した英才教育を施すような場所だ。そんなところからどうしてわざわざ魔術に縁のあるわけでもないこの街に教師として魔術師が派遣されてきたのだろう。何か特別な事情でもあるとしか思えないが――。

 というか、どうして僕の頭にはこんなにも《異界の門》についての子細な知識があるのだろうか。あるいは僕も記憶を失う前の何処かのタイミングで《異界の門》と何かしら繋がりがあった時期があったのか。

「難しい顔をしてますね」

 ずいっとセシルがこちらの顔を覗き込んでくる。僕はぎょっとして身を引きながら、一瞬でも狼狽えてしまった自分に内心で苦笑しながら肩を竦める。

「いや、あんな美人なだけでも驚きなのに、実はエリート魔術師でもあったなんて、世の中には恵まれた人がいるもんだなあと思っていただけさ」

「アテナさん、都合の悪いことをごまかすのはいいですけど、それならそれでもうちょっとそれらしいことを言う努力をすべきだと思います」

「適当なことを言って煙に巻くのが好きでさ。敢えてあんまり中身のあることは言わないようにしてるんだ」

「それってたぶん心の病気ですよ」

 意外と辛辣なことを言う。

 しかしまあ、ここであのルドラとかいう魔術教師のことを考えていても精神的に疲れる以上の意味はなく、セシルの言葉ではないが、これ以上の負担は確かに心の病を誘引するだけのような気がした。それくらい、今日は色んなことがありすぎた。

「さて、ぼーっとするのも飽きてきたし、そろそろ帰ろうかな」

 強引に切り上げて、何とはなしに膝の上を叩きながらその場を立ち上がる。

「え、もう帰っちゃうんですか?」

「こんな辺鄙なところで君みたいな可愛らしいお嬢さんと一緒にいるところを誰かに見られたら、誘拐犯だと誤解されてしまうかもしれないからね」

「そのときはちゃんと説明してあげますよ。アテナさんは見た目ほど怪しい人ではありませんって」

 いちいち罵倒されている気がするのは、僕の考えすぎだろうか。

「冗談です。寝癖が気になりますけど、そこまで怪しい見た目ではないですよ」

 僕の表情が面白かったのか、くすくすと笑いながらセシルが言う。どうやらこの子には探偵の素質だけでなく冗談のセンスもあるらしい。

 ひっそりと溜息をつきながら空を見やると、気づけば太陽がだいぶ西のほうへと傾きはじめている。もう少しすれば空全体が茜色に染り、ここから見える戦人街の風景もまた印象を変えるのだろうが、かといってもう少しここで時間を潰そうかという気分にはさすがになれなかった。

 名残惜しそうにするセシルを伴って展望台を後にしながら、僕はふと警察署を出る間際にライラが言い残していった言葉を思い出す。

『面倒な思いをしたくなければ、夕暮れ時まで時間を潰してから森に帰ること』

 さて、言われたとおり夕刻まで時間を潰してはみたが、はたしてライラはどうしてそんなことを言ってきたのだろうか。

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