第三章 さようなら怠惰。ひさしぶり激情。

 うだつの上がらない男カノシタは、水をかけられて目を覚ました。

 眼鏡に水滴が残って視界が悪い。体が怠いと思っていたが、どうやら椅子に拘束されて動けなくなっていた。吐き気はもうない。

「起きたな」

 顔を上げると若い男が、空のバケツを放り投げてカノシタを見下ろしていた。水をかけたのはコイツだろう。自分達を囲むように、スーツを着た柄の悪い男達が立っていた。いかにもヤクザと言わんばかりの風貌だ。

 場所は大きな倉庫のようで、貨物輸送コンテナがいくつか置いてあった。

「俺は堂島会三代目組長の内山と言う。こんな手荒い歓迎して悪いな、兄さん」

「……だったら、解けばいいじゃねぇか」

「聞きたいことを聞けたら無事に帰してやる」

 内山は膝をついてカノシタと目線を合わせる。柔和な表情を見せているが、瞳は笑っていない。人を人と見ていない目だった。この手合いを去年も見てきた。酷い人間としか言いようがなかった。

「兄さん、去年に東京行ってただろ。そこで持ってた文書のことを教えてほしい」

「……それを知って、どうしようってんだ」

「聞くところによれば、その文書は国の機密資料って噂じゃないか。お偉方の知られたくないことも沢山あると聞く。俺の兄貴分に当たる組長が、更に上の組長からの命令を受けてな。それに凄く興味を持っているらしいんだ」

「組長なのに下っ端扱いされてやんの……」

「そうだな。組長って言っても苦労が多くてなぁ」

 内谷は笑った。相変わらず瞳が笑っていない。周囲の組員達は笑わない。

「結局は親分子分の世界だ。それが極道。それにな、兄さん知ってるかわからないけど、実はちょいと前までは俺達はここらで名のある極道の一組織だったんだ。まぁ、前の組長と若頭が一片に死んじまってよ。組員も凄く減った」

「知ってる。ロシアンマフィアにやられたんだろ」

「ほぉ。兄さん物知りだなぁ。

 内山の表情がなくなった。人形のように無機質で初めて恐ろしいと感じた。目を逸らしたかったが、逸らせば駄目だと必死に我慢した。

「兄さんがその文書を扱ってるなんて思っちゃいない。東京で誰と行動してたのか。誰を探せばいいか。それを教えて欲しい。教えてくれれば後は東京の人間が探してくれる」

「アンタに何の得があるんだ……?」

「親分の命令は絶対だ。それに褒美も貰える。俺達を潰したロシアンマフィアと、そいつらとつるんでた連中の情報を貰う約束だ。そうすれば復讐が出来る」

「……もし、俺が喋ったとして、関係してる人間は、どうするつもりだ……?」

「俺達は知らないさ。まぁ東京も今は人手不足だから、反グレ連中とか使うかもしれん。素直に言うことを聞いてくれればいいが、そうならない場合は色々されるだろう。なに、兄さんが悩む必要ないさ。そんな奴も俺達みたいなクズだろうから」

「────じゃない」

「うん?」

 呟きが聞こえずに内山は聞き返す。今度こそ、カノシタは内山を睨んだ。

「…………あー。うん。そうか」

 苦笑する内山は立ち上がる。右脚の蹴りがカノシタの腹部を鋭く突き刺すように入った。支えられず後ろに倒れたカノシタを、内山は跨いで見下ろす。柔和な表情は消えていた。

「時間がねぇ。すぐ喋れば記憶なくす程度で捨ててやる。どんな奴だ?」

「クソ食らえだ」

 革靴を履いた内山の踵が鳩尾を踏みつける。息が出来なくなって、何度も深呼吸した。

「話にならねぇな。もういい。水とタオル持ってこい。何度か溺れれば話すだろ」

 組員達が駈け寄り、暴れるカノシタを押さえつける。農業用タンクには水がたんまりと入っており、バケツに汲んでカノシタの脇に置く。雑巾のようなぼろいタオルをカノシタに被せようとする。

 水責めされる直前だった。けたたましいエンジン音が鳴り響き近付いてくる。組員達が警戒している中を、外から障害物を使って窓硝子を割り、何者かが飛び越えてきた。

 赤い宝石のような色のドゥカティパニガーレV4Rに跨がっていたのは、プリン頭の少女││サキだった。

 ヒーロー番組よろしく派手な登場に、その場にいた者達は驚きを隠せない。しかしカノシタだけは笑っていた。

 サキは左手でスプリングフィールドXDM4.5カスタム拳銃を握り、たまたま近くにいた組員を撃った。着地に成功し、コンテナを壁にしてバイクから降りた。

「殺せ! あのクソガキを殺せぇ!」

 組長の怒号で一斉に銃撃が始まる。廃倉庫での銃撃戦。

 撃たれながらも冷静なサキは背負っていたバッグを下ろしてチャックを開ける。中には銃が入っていた。Mk18 Mod1アサルトライフル。銃口まで伸びる長いレールには様々なアタッチメントが装備できる。ホロサイトと折り畳み式アイアンサイト、アンクルフォアグリップを装着し、ストックはダニエルディフェンス社の物に交換していた。

 バッグには他にも装備が入っていた。ショルダーバッグのような形のバンダリアには、アサルトライフルのマガジンを納めたマガジンポーチが付けられていた。服の内側に隠し持っていたホルスターを外し、バッグからタクティカルベルトを取り出して装着。ベルトには拳銃のマガジンを入れたポーチやネイルハンマーを入れたシース、右足の付け根辺りに装着するホルスターなど。拳銃をホルスターに入れ、アサルトライフルのチャージングハンドルを引いて薬室を確認。

 飛び出したサキは銃弾の雨を掻い潜りながら、ホロサイトで捉えた組員を撃っていく。

 サキの動きは機械のようだった。歪だとかいう意味ではなく、掃除ロボットのように淡々と殺していくからだ。洗練された淀みない動作と足運び。的確に撃ち抜いていく様は少女という皮を被った殺戮マシンだ。

 数は圧倒的に不利でも、遮蔽物で上手く躱しながら機動的に動く。敵に囲まれないように動いている。足は止めない。

「ちょこまかしやがって!」

 走り回るサキを、苛立ちを募らせる一人の組員が動きを予想して狙っていた。コンテナから走って出てきたところを撃ってやろうと構える。

 が、いつになっても出てこない。それもその筈で、サキは走り抜けることはせず、コンテナに隠れて停止。その場でアサルトライフルを構えると、狙っていた組員の頭を弾き飛ばした。

 空になったマガジンを払い投げるように銃を振って排出。新しいマガジンに交換。近付いてきた組員達を撃ち抜いて移動。組員達は戦い方を変えて、闇雲に突っ込まず隠れながら撃っていた。

 それでもサキには関係ない。アサルトライフルで牽制しながらすぐに距離を詰め、遮蔽物を回り込むように足から滑り込む。サッカー選手のようなスライディングだ。完璧に隙を突いて、ガラ空きの横っ腹に取り憑いたサキは、三人いた組員に容赦なく銃弾を撃ち込んだ。

 身を隠してマガジンを交換。ちょうど近くにカノシタがいたので、引っ張って物陰に隠れた。

「生きてて良かった」

「そういう運だけは強いって去年に知ってたわ」

「余裕そうでなにより」

 サキはネイルハンマーを握ると、カノシタを椅子に拘束していた結束バンドを釘抜き部分に当て、強引に捻り切った。両手足の拘束を解かれ、ようやく自由になった。

「じっとしていて。すぐ終わる」

 飛び出したサキはアサルトライフルを撃ちまくる。やがてマガジンを使い切ると、アサルトライフルを組員の顔面目掛けて投げつけた。弾切れになった銃でも鈍器代わりにはなる。拳銃を抜き、顔面に金属の塊をぶつけて怯んでいる組員の頭に9ミリ弾を撃ち込む。

 倉庫内に響く銃声。血潮と硝煙。まるでサキを題材にしたステージのようだった。脇役の演者がサキに殺されていくのを見ていて、カノシタはそう思った。

「舐め腐りやがって!」

 隠れていた内山が飛び出して拳銃を撃つ。背後を取られた形でサキは慌てて隠れる。

 あと五人だけだが、頭を出すことすら許さないほどサキが隠れている大型フォークリフトを全員で撃ちまくる。

 反撃したいが機会がない。頭を出すことさえ出来ない状況にサキは舌打ちする。

 組員達は三名と二名の二組に別れ、フォークリフトを撃ちながらゆっくり回り込みながらと近付いていく。少しずつ距離を詰められていき、一か八か飛び出すことを考えていた。

「ああああああっ!」

 打開したのはサキではなくカノシタだった。サキの危機を見て、組員が使っていた拳銃を拾うと叫びながら撃った。ゲームやエアガンで見ていたが、想像以上の衝撃と鼓膜が震えるほどの銃声。内山の隣にいた組員の腹に当たった。

 初めて本物の銃を撃った。

 

 組員達がカノシタに気を取られている間にサキは飛び出す。三人の方に走る。走りながら拳銃を撃って一人目を蜂の巣にする。二人目の腹と胸に一発ずつ銃弾を撃ち込んだ時に弾切れになった。三人目がサブマシンガンを構えて撃つ。しかし照準で捉えていたサキの姿が突然消えた。

 サキはスライディングして間合いを詰めると、組員の膝を拳銃のマズルスパイクで殴った。膝の皿が割れて片膝をついたところを、起き上がりながら股間を殴る。睾丸が潰れて断末魔を上げた組員の顔を、左手に持ったネイルハンマーでこめかみを殴った。

 内山がサキを撃とうとする。それを阻止したのはカノシタが投げた弾切れの拳銃が当たったからだ。カノシタは雄叫びで恐怖を紛らわせながら突進し、内山の胴体に腕を回して押し倒した。

 倒されて頭を打った内山は軽い脳震盪を起こしていた。殴ろうとした時、腹をカノシタに撃たれた死にかけの組員が飛びかかってもみ合いになった。

 腹を撃たれたとは思えない馬鹿力だ。カノシタも必死に抵抗する。殴り合う度、組員の傷口から血が噴き出す。当然、カノシタに返り血がつく。あたたかい血。他人の命。それを奪おうとしているのがわかる。怖い。けれどもアドレナリンが出て脳が興奮していくのがわかる。早鐘を打つ心臓。怖いのに、久々に思い出した。

 馬乗りにされて首を絞められる。カノシタは殴るが酸素が足りない。力が入らない。視界が揺らぐ。

 必死に藻掻く。その時、サキが走り込みながら組員の頭をネイルハンマーで殴った。頭蓋骨を砕き、釘抜き部分で喉を突き刺して掻っ捌いた。

「大丈夫?」

「……なんとか、生きてる」

 死体を退かして深呼吸する。サキは拳銃のマガジンを交換。カノシタから内山に目線を変えた。

 かろうじて意識を失っていなかった内山は、這いずりながら逃げていた。到底逃げられる状況ではなかったが、内山は懸命に逃げていた。

 ゆっくり歩いても追いついたサキは、内山を蹴り飛ばして仰向けにさせると跨いで見下ろした。

「見せしめにしろって命令なんだよね。やる気ないけど仕事だから」

 拳銃をホルスターに片付け、右手にネイルハンマーを持ち替えた。

「悪く思わないでよ。どうせ、私と同じクズなんだし」

 振りかぶり、容赦なくネイルハンマーが叩き落とされる。ゴツンと重い音が何度も響き、骨が砕かれ肉が裂ける音が混じる。内山の小さい悲鳴がすぐに聞こえなくなった。頭半分を潰し、サキは殴るのをやめた。

 死者が転がる倉庫内を見回し、仕事を終えたことを確認してサキは少し息を吐いた。

「さっきはありがと。助けてくれて」

「……どういたしまして」

「ああいうことはしない方がいい。人を撃っても気分良くないから」

 ネイルハンマーをシースに片付け、サキはカノシタに歩み寄る。カノシタはぼんやりとしていた。痛みやら苦しさやらが襲ってきていたが、緊張の糸が切れて瞼が重かった。すごく眠い。意識が遠のく。死ぬのかと勘違いしてしまうほどに眠かった。

「それでも、感謝してる」

 最後の一言は、年相応の素直さを感じた。そうだ。彼女はまだ十代なのだろう。どう生きてくれば、殺し屋なんてことをするのだろう。

 どう生きてきて、何も感じたくないと言いたげなそんな表情をしてしまうのだろう。

 もっと知りたい。もっと話をしたい。去年に出会った少女のことも知りたい。しかし、瞼が完全に下りて意識がふっとなくなったことで、カノシタの願いは完全に絶たれてしまった。視界が黒くなる中、サキはずっとカノシタを見ていた。

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2024年7月6日 19:00

そして少女は、鉄槌を振るう。 雪將タスク @tasuku_yukihata

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