第二章 狂おしく行(い)き行(ゆ)きて
うだつの上がらない男カノシタは、学校の制服を着た無表情のJK殺し屋少女サキと一緒にタクシーに乗って移動していた。いつもなら軽快に運転手と会話しているのに、それすらも許されないような重い空気が車内を包んでいた。運転手は運転手で、こんな時間に明らかな未成年の少女とくたびれた男性の二人を、こんな山に乗せていけと指示されているのだから話しかけづらい。
住宅街ではなく、ホテル街とも言えない閑散とした場所で二人はタクシーを降りた。料金を払い、タクシーは逃げるようにその場を離れていった。ああ、行かないでくれ。俺をこんな場所に置いていかないでくれ──そんな心の声を無視して、タクシーは消え去った。
サキがブレザーの内ポケットからJPSの煙草を取り出し、咥えてジッポライターで火を点けた。未成年だろとツッコみたかったが、口を開けばネイルハンマーで殴られる気がしたので思い止めた。歩き出したので、仕方なくカノシタは着いていくことしか出来なかった。
なにもない場所だった。市内から数十分ほど移動して郊外まで来たが、本当になにもない。電柱の灯りすらまばらな道を、二人はただひたすら歩いていた。
「……あの、そろそろ俺を拉致した理由教えてくれませんかね」
「拉致してない。助けた」
「まぁ、助けられましたけども」
「最初のは小遣い欲しさに言われただけの輩。次に現れた奴らが本命」
「その本命は何者なんだよ」
「堂島会って言う暴力団組織。関東最大勢力を誇る暴力団の三次団体でここの最大勢力だった」
「だった?」
「ロシアンマフィアがこの田舎に流れてきて勢力図が変わった。堂島会を含めた他の暴力団組織は大きな被害を受けた。堂島会は組織の威信を復活させようと目論見を立てた。そこで注目されたのが貴方だったという訳」
「何で俺が狙われるんだよ?」
サキは立ち止まり、呆れた表情を見せた。
「一年前。私の仲間が文書を求めて接触したでしょ。あの件はそれで終わったけど情報が漏れた。文書に関わった人間を利用して、どこかのお偉いさんと交渉したがっているらしい。それをされれば嫌な人がいる。そうさせたくない。だから私はここに来た。そういう理由」
「一年前……文書……あの時の、あれが本当に……?」
状況説明の整理よりも、記憶の蘇りで思考が追いつかなかった。
あれは妄想ではなかった。あの時に出会った少女も嘘ではないし、経験した出来事も空想ではなかった。
どうしてだろう。胸の高鳴りを感じ、嬉しく思ってしまうのは。
サキが歩き出し、カノシタは慌てて後を追う。
「そのヤクザが襲う理由はわかったけどよ、そんな材料手に入れてもどうにもならねぇんじゃねぇか? ロシアンマフィアが我が物顔でいるんだろ?」
「もういないよ」
「へ?」
「ロシアンマフィアはもう存在しない。誰かさんが全員殺して壊滅させたから。ここだよ。もう少し歩いて」
しばらく歩いていたら、大きな建物が近くに見えてきた。カノシタは見覚えがあった。ここは国際的な公立大学だ。大学の敷地を歩いて着いたのは図書館だった。あるアニメの背景にも使われた有名な図書館。学生は二四時間利用できるだけあって、館内の灯りがついている。
「本でも借りるのか?」
「そんなところ」
「……マジじゃないよな?」
「そんな訳ないでしょ」
「外で待ってる」
「寒いでしょ」
「風にあたって思考を整理したくて」
「あっそ」
サキは追及せずに中に入る。カノシタは入口の脇に移動すると、暗がりの中で壁に手をつきながら嘔吐した。
歩き疲れもあるが、今になって殴られ蹴られのダメージがやっていた。飲み過ぎたせいもあって気持ち悪い。痛みも酷い。耐えきれず嘔吐した。
胃の中がすっきりして、ようやく頭も働く。
サキに言われたことを思い出す。自分の置かれている状況はまだよくわからないが、襲われている状況はわかった。こんなタイミングじゃなくてもいいだろ、と嘆いた。
それでも、嬉しさがあった。
あれは本当の出来事だった。
あの時に出会った少女││ノアとの僅かな行動を。
一年が経過したのか。どうしているのか。まだあんなことをしているのだろうか──そんなことを思って夜空を見上げた。
寒くなってきて、館内に入ろうと入口に向かう。入ろうとした時に背後から何者かが走ってきたことに気付いて振り返った直後、頭を殴られて気を失った。
◇
殴った男に続いて数人現れ、カノシタの口をガムテープで塞いで黑いビニール袋を頭に被せると、抱えて近くの駐車場まで運んでいった。
「アンタ達何してるの!」
用事を済ませ、大きなバッグを背負ってサキが館内から出てきた。男達が担いでいたカノシタをランドクルーザーに放り投げた場面を見て叫んだ。
「急げ!」
「待て!」
咄嗟にサキがスプリングフィールドXDM4.5拳銃を抜いて撃つが、防弾性能を持つランドクルーザーのボディを撃ち抜くことは出来なかった。男達は反撃せず、全力でその場から逃走した。
「クソッ!」
タイヤを狙って撃つが当たらず、歯軋りするサキ。騒ぎを聞いて館内から男が出てきた。小太りだが、スーツを着こなす紳士的な中年男性だ。
「誰が私の王国で撃ってもいいと言った?」
「その王国は鼠の侵入を許してるの? それとも館長ってのは杜撰な管理でも成り立つ仕事?」
「呼び寄せたのはお前だろう」
言い返されて苛立ちを隠しきれず舌打ちする。
館長の言い分は正しい。呼び寄せてしまったようなものだった。
「おい」
館長はポケットから何かを取り出すと、憎らしく遠くを睨みつけていたサキを呼んだ。振り向くとほぼ同時、何かを投げた。サキは片手で受け取って手の中を見ると、それはバイクの鍵だった。
「駐車場脇にある作業小屋。奥から三番目の作業棚の下から二番目に装置がある。それを動かせば隠し扉になる。そこに、その鍵の主が眠っている」
「いいの? 今回の注文には乗せていないけど」
「餞別だ。本来の持ち主が置いていった。存分に使え」
「ありがとう」
軽く頭を下げて走り出す。
遠くに消えて行くサキを見送り、館長は煙草を吹かして見送った。
◇
カノシタを連れ去ったランドクルーザーは国道に出て、市内へ戻るように走っていた。
夜中の国道は車がいなかった。いたとしても運送会社の大型トラックなどだ。
「おい」
荷台に拘束したカノシタを放置していた車内。様子を見て荷台を見ていた男が声をあげた。
隣の男が後ろを見る。窓硝子越しに一つの小さな光が見える。追い越した大型トラックのライトではない。
大型トラックを即座に追い抜いてやって来たのは、赤いバイクに乗っているサキだった。
白いコートを激しく靡かせながら跨がっているのは、ドゥカティのパニガーレV4R。イタリアのオートバイメーカーであり、初期の頃からレースに参加している由緒ある企業。その企業が有するパニガーレV4Rに乗り、バッグを背負いながらサキは国道を疾走と駆けていた。
ランドクルーザーを捉えたサキは更に加速させる。宝石のように輝く赤色のパニガーレV4Rは二四〇馬力で最高速度は三三〇キロ前後のスペックだ。バイクとは言えないようなモンスターを必死に手懐けながら、通行車を巧みに追い抜いていく。
「女が追ってきたぞ!」
「スゲェ速ぇ!」
「見惚れている場合か。転けさせてやれ!」
窓硝子を開けて身を乗り出し、拳銃やサブマシンガンを撃つ。よく狙っている訳でもなく、ましてや移動ながら揺れる車からの射撃など当たる訳がなかった。
──クラッチが重い。排熱が熱くて脚が火傷しそう。リアブレーキ本当に付いてるの?
撃たれているサキはまったく気にすることなく、むしろ運転しているバイクに注目していた。
──そんなの気にならないぐらい凄くいいバイク。この子欲しい!
一目惚れに近い衝撃だった。
流石は名門メーカーのレース用バイク。アクセルを捻れば瞬時に加速し、肌を切り裂くような風を浴びる。そんな寒さを知らぬと言わんばかりに排熱が凄まじく、両脚で挟む事ができないほどだった。加速すればミラーが震えて見づらい││そんな小言を言っても、サキはこのバイクをとても気に入った。赤い宝石に跨がって軽快に距離を詰める。左手で拳銃を抜き、スライドを噛んで引いて銃弾を装填。スピードを緩めることなく片手で撃つ。
やはりというべきか、なかなか当たらない。タイヤを撃ちたいが中にイノウエがいることを考えると転がすのは避けたい。車は防弾仕様で簡単には抜けない。かといって悠長に追いかけっこをしている暇はない。
なれば、間合いを詰めてとっとと殺す。強引な考えだがこれしかなかった。
空になったマガジンを排出。スライドを噛み、空いた左手でベルトに装備していたマガジンを取って拳銃に差し込んで装填。口で拳銃を噛んだまま、深い前傾姿勢をとってアクセルを最大まで捻った。
瞬間加速がより一層の風の抵抗を生み出す。冷たい空気のみならず、まるで空間をも切り裂くかのような感覚の速度で突っ切っていく。男達が撃つ銃弾が近くを通り過ぎても、サキは一切の恐怖を感じなかった。瞳は冷たいまま、ランドクルーザーを捉えている。
「追いつかれるぞ!」
「あのスピードで曲がれる訳ねぇだろ!」
カーブに差し掛かる。ランドクルーザーは少しスピードを緩めたが、サキは緩めることはなく突き進む。カーブを曲がる時、重心の位置を大きく下げるように体を傾け、膝は地面に擦れるか擦れないかギリギリまで傾けて走行。ハングオフと呼ばれるフォームで、スピードを落とすことなくカーブを曲がって一気に距離を詰めた。
「あのガキ狂ってる!」
今年は降雪が少なく、積雪はないに等しい。それでも夜中は氷点下になることがあり、路面がブラックアイスバーンになることが多い。それを知ってか知らずか不明だが、サキに恐怖心はまったくない。
ついにランドクルーザーの真横に取りついた。カノシタは見当たらない。多分、荷台あたりに置かれているのだろう。確信したサキは左手に拳銃を持ち、空いていた窓越しから引き金を撃つ。九ミリ弾がスパスパと後部座席に座っていた男二人を穿つ。
後は助手席と運転席の二人──狙いをつけようとしたその時。交差点に差し掛かったタイミングで、右側から二台の車が突っ込んでくるように合流してきた。
──新手か!
思わず速度を落としてランドクルーザーとの距離を広げてしまった。今度こそは仕留めると決意してアクセルを握る手が強くなる。
が、新たに合流したランドクルーザーの天井が開き、M60軽機関銃を持った男が現れたとなれば話は別だった。
「マジ!?」
思わず声をあげてしまう。
軽機関銃の掃射が始まる。
絶え間ない銃弾の雨を躱し続けることはできない。サキは断念して、車に小さな物体を投げた。それは超小型の発信器で、遠くから投げても車体に張り付くことができる代物だった。
付いたことを確認したサキは脇道に入って離脱する。男達は追いかけることはせず、そのまま国道を走り去っていった。
「クソッ!」
悔しさが込み上げてきたサキは叫ぶが、バイクのエンジン音で掻き消された。それでも最低限のことはできた。一度バイクを停めてアイフォンを取り出す。アプリを起動して画面に表示されたのは、発信器が今どこにいるかを示す地図だった。
発信器が落ちないことを祈り、サキは再びバイクを走らせた。
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