第8話『思い出からの来訪者』

 突然現れた女性に詰問される俺。

 彼女の鋭い視線は、強い猜疑心を孕んでいる。

 返答を間違えれば無事では済まないだろう。


「俺は…」

「彼はボクの彼氏だよ」

「っ!」


 答えたのは俺では無く、いつの間にか背後にいた緋織だった。


「緋織…!」

「久しぶりだね、澄香すみか


 緋織の登場に澄香と呼ばれた女性は目に見えて動揺していた。

 やっぱり緋織と何か関係があるようだ。


「何しに来たの?」

「私はお前を…!……いや…いい…今日は顔が見れただけで満足だ」


 澄香と呼ばれた女性は、何かを必死に抑え込むように言葉を紡ぎ出した。

 さっきまでの強い姿勢は完全に鳴りを潜めていた。


「そっか、じゃあね」


 緋織はそう言い残してあっさりと家の中へと戻った。俺には彼女が何となく苛立っているようにも見えた。

 後には完全に状況に置き去りに去られた俺と、肩を落とす女性だけが残された。


「…済まない、みっともない姿を見せたな」

「いや別に…それよりも貴方は何者なんですか?」

「私は古喜美こきみ 澄香すみか。緋織とは…まあ知り合いだ」


 自己紹介と共に澄香さんが名刺を差し出してくる。

 名刺には名前と連絡先、それから『双葉プロダクション』と書かれていた。


「緋織とはそれなりに付き合いのある方でね。それよりも…君の名前は?」

「あ、俺は詩白木ししらぎ 弥人やひとです」

「詩白木君か。緋織は彼氏だと言っていたが…本当なのか?」

「えーっと…まぁ一応…」


 自殺未遂を止めたら脅されて彼氏になりました、なんて言っても拗れるだけだろう。

 俺はとりあえず肯定してみた。


「信じ難いが…嘘をつくとも思えんな」

「澄香さんは…緋織の事──」


 どこまで知ってるんですか?

 そう言いかけて言葉を飲み込んだ。いくら知り合いだからと言って、あの夜の事を知っているとは到底思えない。

 下手にバラして緋織が奇行に走るを防ぐためにも、ここは黙っておいた方が良さそうだ。


「緋織がどうかしたのか?」

「…いえ!なんでもないです!それじゃ!俺はこの辺で!!」

「ん?まぁ良いか。何かあれば連絡してくれ」

「はいっ!!」


 俺は逃げるようにその場から走り去った。

 後ろからはさっきとは違う疑いの視線を浴びていたが、振り返ることは1度もなかった。




 ∵─∵─∵─∵─∵─∵─∵─∵─∵─∵─∵─∵




 家に入った後、は1人玄関に座り込んだ。

 唇が震え、握った掌に爪が食い込む。

 気持ちの良かったはずの朝は、一瞬にして地獄へと様相を変えた。


「最悪…」


 瞼を閉じると澄香の顔が浮かぶ。

 でもさっき見た顔じゃない。思い出の中にいる笑顔の澄香だ。

 ボクはまだ、思い出の中から起き上がれていない。


「早く帰ってきてよ…弥人…」


 過去を振り払うように、肩に手を添える。

 そうする事でとっくに消えた昨夜の熱を呼び戻そうとした。

 当然、そんなことをしても弥人の熱は戻らない。それでも今のボクがすがれるのは、弥人だけだ。


 溢れそうになる涙を強引に拭いながら、ボクは必死に弥人の帰りを祈り続けた…

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