第6話『約束だよ』
緋織に招かれて、彼女の自宅へ足を踏み入れる。
入ってみて最初の印象は『寂しい』だった。
「なんか…異様に少ないな…」
リビングには大きめなソファと机があるだけで、インテリアは疎か家具すらマトモに置いていない。
とても人が住んでいるとは思えないほどに、寂しさが家全体を包み込んでいた。
「自由に寛いでいいよ」
「あぁ…」
緋織に促され、ソファに腰かける。
バイト終わりの疲れもあってか、座った瞬間に瞼が重くなるのを感じた。
いかんな、このままでは寝てしまう。
「お待たせ…ってお疲れだね」
両手にマグカップを持った緋織が隣に座ってくる。
程よくぬるくなった飲み物からは、甘い匂いが漂ってくる。
「こっちはひと仕事終えた後だからな…」
「眠いなら寝ても良いよ」
「誰がお前の前で寝るかよ…」
とは言え疲れが溜まっているのも事実。このままソファに座っていればいずれ寝てしまうだろう。
俺はソファから立ち上がり、意味もなく室内を歩き回り始めた。
「何してるの?」
「眠気覚まし」
「寝ちゃえばいいのに…」
「ここがお前ん家じゃなければ寝てたよ」
俺は緋織を無視して、リビングから出た。
1階にはリビングの他に部屋が2つあり、そのうちの1つへと入ってみる。
やはりこの部屋にも何も無かった。
あるのは部屋の天井から不気味にぶら下がる輪っかになった縄だけだ。
「チッ…胸糞悪ぃ…」
俺は八つ当たりするように縄を引きちぎった。
こんなものを使おうとする緋織に対して、密かな怒りのような感情が込み上げてくる。
「それ、外しちゃうんだ」
「っ!」
いつの間にか背後にいた緋織が残念そうに引きちぎられた縄を見ていた。
「ボクがそれ使うところ、想像しちゃった?」
「あぁ。おかげで最悪の気分だ」
「気分悪くなってくれるんだ…嬉しい」
緋織が不気味に笑う。
俺が心配してるのが、そんなに嬉しいのか。
「ね、今日泊まっていきなよ」
「断ったら?」
「その縄をもう1回天井から吊るすよ」
「だろうな…良いぜ、泊まってやるよ」
家に入った時点で、緋織は俺を逃がす気が無いのだろう。なら逆に好都合だ。
1晩かけてコイツの事をもっと知ってやる。
それから俺達は再びリビングへと戻った。またしても2人並んでソファに座り、壁の方を眺める。
「……………」
「……………」
寂しい部屋に2つの沈黙が訪れる。
先に沈黙を破ったのは、意外にも俺の方だった。
「このには1人で住んでるのか?」
「そうだよ、今はね」
今は、という事は誰か他に居たのだろう。
家族か、友人か、それとも…
「弥人もここに住む?」
「住むのは遠慮しておく。ただ居心地は悪くない」
「そっか…じゃあまた来てね」
緋織の頭が俺の肩にそっと載せられる。
その時の緋織はいつもの狂人めいた声色をしていなかった。ただ不安がるか弱い姿があった。
「…すぅ…すぅ…」
いつの間にか、緋織の方から寝息が聞こえてくる。
しんと静まり返った部屋の中で、緋織の呼吸する音だけが木霊する。
俺は少しだけ顔を動かして、眠っている緋織の顔を覗いて見た。
「黙ってれば可愛いんだけどな…」
緋織の顔は綺麗に整っている。
銀になびくセミロングの髪も、彼女を引き立たせる派手な装飾の役割を果たしていた。
俺は緋織を支えるようにもたれ掛かり、そして瞼を閉じた。
肩越しに感じる熱が、俺に妙な安心感を与える。
俺の意識は、数秒後には夢の中へと沈んで行った。
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