第14話 変化
【三年後 王都ロザリオ】
―――王都ロザリオは今や混乱の地と化していた。
ちょうど三年前に中央区画にて起きた惨殺事件を覚えているだろうか。
今やその惨殺は各区画で毎日のように行われている。
精霊たちによる「勇者一行」への擬態は、三年という歳月をかけて、国の英雄の裏切りをより濃く王都の国民に印象付けていた。
あれほどまでに賑わっていた王都は一切の音を立てず、生き残っている人々はみな家屋に閉じこもっていた。
惨劇事件と同年、西区画から来訪したと思われる一人の精霊の手によってバリス王は殺害され、現在は最高権威を示す機能を成していない空虚の城が北側に無言でたたずんでいた。
とある秋の日の夜中、中央区画の西側に無人の城を見つめる一人の男が立っていた。
静寂の王都にやってきたその男はマントをはおり、フードで顔を隠していた。
男は精霊の本拠地と化した中央区画を前にして深く深呼吸をすると、意を決して中に入った。
中央区画の奥には立派な神殿があり、ここも人気ひとけがなかった。
男は神殿へと歩みを進め、遂に神殿内からも感じとれた恐怖ともいえる脅威の存在が放つオーラに対峙した。
神殿内に朧気に揺らめいている蝋燭の火は相手の顔を明るく照らさず、まったくその役割を果たしていないように感じた。
そう、その相手はこの世界の理でイレギュラーの存在だったのだ。
よく見ると男の目の前にいたこの世界の調停者であった精霊は、自身の信仰者が精霊じぶんに祈りを捧げる台座にゆったりと腰かけているらしく、鋭い眼光で暗がりから現れた男をじっと見ていた。
「……もうやめましょう」
男は精霊に対し、敬意を示す為にフードを外しながら顔を上げた。
「……アドラインか、珍しいな。
昔は人間に干渉はしない主義だと言っていたのに……」
次にここへ来た訳を聞こうとして疑問を投げかけようとした精霊は少し眉をひそめて、アドラインのつけている仮面に違和感を覚えたのか「なんだそれは?」と仮面を指さした。
アドラインはどう答えるべきかと少し返答にためらい、どうにも言葉にならなくなって、無言のままつけていた仮面を外した。
少し困り眉をしたアドラインの素顔を見て、精霊は「面白そうだ」という表情を浮かべて微笑んだ。
「何故隠す必要があるのだ……何もないではないか」
「……その、素顔は必要がないのです。
私は貴方と同じで表情がありませんから。
精霊もよく人間を理解しているから、表情を作っているのでしょう?」
「あぁ、そうだな。
アドライン、お前たちも短命な人間だが、我々の血が混じったせいで、どうやら肉体構造にエラーが起きたようだな。
人間は感情で人生を豊かにする者達だと聞くから……」
「……どれほど望んでも、どうあれ……かの初代王が我々の先祖を異常だと判断した時点で、感情が見えない我らなど、普通の人間達と共生などできなかったでしょう。
しかし、私は見つけました。
我々を受け入れる人間がこの時代にはいたのです」
それを聞いた精霊の顔が瞬く間に歪み、アドラインを睨みつけると「ありえない」と吐き捨てる。
「……お前たちを受け入れる普通の人間などいるわけがない。
知っているだろう?
アドライン、お前も奴らの醜さを、偽りの情報に、感情に簡単に踊らされる姿を知っているだろう……裏切ったのは奴らだ」
「……人間に魔法を教えたのを後悔しているのですか?」
「……いや……しかし、ここまでの道のりは実に酷いものだった」
「……貴方は世界の傍観者であり続ける事も出来た……しかし、人間に興味を持ってしまった」
「まったく……魔法で私の過去を覗くとは……無礼者め。
あぁ、そうだ、我々が人間に惹かれ、つい……色を変えるその美しい顔をまた見てみたいと観察しようとしたからだとそう言いたいのだろう?」
「はい、そして、貴方が人間を愛したから、我々がいるのです」
アドラインは少し前に進み出て、確信のある言葉を発する。
「……貴方はすべての人間を愛しているのでは?」
「……あぁ、人間とは不思議な生き物だな……この私の感情を愛などと言うとは」
そう言うと精霊は黙り込んでしまった。
アドラインは今しかないと、ここに来た目的を精霊に告げる為、すぐに手を差し出した。
「どうか共に城へ同行して頂けませんか、貴方に用があるという「勇者」が城で待っています」
「……そうか」
・ ・ ・
「あぁ、懐かしい。こんなに寂しい帰還になるとは思わなかったな」
ダグラスはかつて人々に求められた勇者だった。
国に選ばれた仲間たちと共にここから旅を始めた時の事を城の廊下を歩きながら思い出す。
「ここが旅の終わりだと思っていたんだが……」
そう呟きながら目の前に現れた大きな扉を開くと、そこは王の間であった。
そして、しばらくたたずんでいると城内にゆっくりと二人分の足音が響き始め、王の間にいるダグラスの元へと近づいていた。
「……ダグラス、やはりここにいたか」
ダグラスは室内に響いた声に振り返ると、そこにはアドラインと自身の記憶にない人が立っている事に気が付いた。
「アドライン、久しぶりだな……その隣の方は?」
「精霊様だ」
「……貴方が精霊……」
「……そうか、あの時はすぐにお前を遠くに吹き飛ばしてしまったからな、覚えていないのも仕方がない」
「……エルメから精霊様の話は聞いています。
会ったら一つお聞きしたい事があったんですが、お聞きしても?」
「なんだ」
「……何故、王族であるエルメを育てたのですか?」
「それが私に会ったら聞きたかった事か?
くだらないな。
理由はあの子は素直だったからだ。
……それだけだ。
もういいだろう、勇者と呼ばれた人間よ、はやく本題を言え」
「……そうですか……ありがとうございます。
こんな質問に答えて頂いて……。
えっと、アドラインにお願いして精霊様をここに連れてくるように言ったのは、頼みたい事があるからです」
「なんだ、壮大な願い事でもあるのか?
どうでもいいが、手早く済ませるぞ。
それはどんな願いだ?」
ダグラスの表情は一切変化がなく、その固い意志を目に宿していた。
その様子を黙って聞いていたアドラインも彼の願いを知らず、どのような事を言い出すのか予想が出来なかった。
「……世界です」
「世界だと?」
「はい、俺の命と引き換えにこの世界をすべて別次元で作り変えてほしいのです」
「……どんな世界だ?」
「魔法も、精霊に出会うという我ら人間の歴史も、なにもかも無くなった世界です」
それを聞いて、今まで黙っていたアドラインが戸惑うように勇者の名前を呼んだ。
「……ダグラス」
「アドライン、俺はこの旅の終わりがいいんだ。俺は勇者だったから、国民を救う必要があるしな、これでやっと役目を果たせるはずだ」
精霊は少し二人の会話を聞いた後、ダグラスにその覚悟を問う。
「だが、世界を別次元に作り変えるとなると、魔法の代償が大きい。
お前自身を世界に捧げるなら、お前はもう世界の要素となり果てて、その世界に転生した家族にも仲間たちにも会えないだろう。
それでもいいのか?」
「……はい、あの日……記憶を取り戻した時から決めていました」
「そうか……では、手を出せ」
ダグラスは迷いなく精霊に右手を差し出した。
精霊が自身の右手をダグラスの手のひらの上に重ねると、ダグラスの身体が光に包まれていき、原初の古代魔法によって走馬灯のように穏やかな旅路をダグラスに思い出させてくれた。
すべての記憶が一瞬にして脳裏に流れるとダグラスは目を瞑り、手足の感覚が徐々になくなっていくのを感じていた。
「アドライン、俺はこれで本物の勇者になれただろうか?」
身体が消え失せる直前になると、ダグラスは目を開けてアドラインに向かって、そう言って微笑んでいた。
アドラインはその問いかけにすぐに答える事が出来ずにいた。
しばらく俯いていると、いつの間にか光は粒子のように小さくなっていき、顔を上げた時にはダグラスの姿は見えなくなっていた。
精霊はそれを見送ると、疲れたような顔をして、一足先に王の間を出ていった。
静まり返った暗い室内に一人残ったアドラインの後ろ姿だけがたたずんでいた。
王都ロザリオで生き残っていた国民も精霊の古代魔法により、この世界から消滅し、王都はついに無人となった。
各地の地方都市の国民も既にこの世界にはいない。
誰もいなくなった城を出たアドラインの呟きは風にさらわれて、消えていくように見えた。
「無事に世界は救われたぞ、幻想の勇者たちよ……」
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