第13話 本当の行方
モルは山を下り、広大な野原を必死に走り続けていた。
何か大事なものがこの先にあるような予感がして、足を止める事ができない。
「ハァ……ハァ……近づいている、大丈夫だ……もう少しいける……」
その身体はすでに体力の限界を超えているというのに、もっと走れと、もう少しだと感覚が教えてくれる。
「もっと……進め……!!」
約四年と七か月。
精霊に閉じ込められ、モルとして生きた期間は長すぎたのかもしれない。
疲れで足がもつれてしまい、どれほど進めたのか分からない場所でモルは倒れ込んでしまった。
「……間に合わない、か」
どうしてもこの野原の先へと行かなくてはならないのに、足がまったく動かなかった。
まるで地面に身体がくっついたみたいで、少し可笑しくて笑えてくる。
空を見ると、もう捉えきれない程の速さで空が動き、星が線を描いていた。
「しょうがない……そういう運命もあるだろう……」
倒れ込んだ格好のまま、仰向けになり空を見上げているモルの頬に、爽やかな夜の風が撫でた。
「いいのか?」
目を瞑ろうとした瞬間、聞きなれた自分の声がなぜか頭上からして、モルは飛び起きた。
「俺がいる……」
振り返ったモルの目の前にいる男は同じ身長で、同じ顔、同じ声をしていた。
「……ザインとアドラインが全て教えてくれたよ。
俺たちの旅の終わりも、モル、いや、ダグラス……本物の勇者の事も。さぁ、立って」
促されて目の前にいるダグラスの手を握って、立ち上がったモルは「そうか……」と呟いた。
「……俺は、記憶を取り戻すためにザインに作られた存在らしい。つまり、もう役割を終えたんだ」
「……君は、消えるのか?」
「あぁ、空の異常が消えれば同時に俺の存在は無くなるらしい」
「……そうか……とにかく、もう消えてしまうんだな」
「あぁ」
「ありがとう、俺に俺が感謝するってのはなんか変な感じだけど、君のおかげで俺はすべき事が思い出せたよ」
「……どんな現実が待っていても、まだ諦めるなよ、ダグラス」
ついに空が明るくなっていき、ダグラスの身体が透けていくと、何もかもが魔法で作られた世界の空にヒビが入っていく。
朝日がそのヒビから入ってくると同時に空の異常が消え失せた。
今、そこにはもう空を見つめている一人の勇者しかいなかった。
「……俺とは違う旅をした君へ……ただ進むしかなかった君の人生に祝福を」
そう呟くと、失っていた記憶が一気に勇者の中に流れ込んでくる。
記憶には
何もかもが鮮明に思い出せるほどに。
すべてがダグラスという一人の勇者を形作るものだった。
我々「勇者一行」は魔族殲滅の為、国に選ばれ、六年前に歓声の中で王都を出発した。
そうして順調に旅を続け、ついに二年五か月をかけて北西の地へと到着した。
山を抜け、魔族の町ユリアスの手前にあるこの野原へと到達した我々は突然起こった精霊の裏切りにより壊滅した。
この時点で傭兵クロード、聖騎士エルメは死亡。
魔法使いザインは重体、そして勇者ダグラスは精霊により記憶を封じられて山中に閉じ込められた。
勇者は無人の家で目を覚まし、そこで約四年と七か月ほど一人で過ごしたのだ。
・ ・ ・
これは勇者一行が帰還したと騒がれた頃だった。
魔法使いザイン・デークは勇者の居場所をアドラインに聞き、その場所に訪れていた。
「……これは、盛大な古代魔法だな……中に入るのは至難の業だ」
ザインは離れた場所から家の中でご飯を食べているダグラスを見つめていた。
「やっとここまで来たってのに……」
ザインは精霊による奇襲の後に、アドラインによって故郷へと転移されていた。
故郷アバルディの自室で一人、何とか回復を遂げた彼は再び野原へと出向くと、そこでアドラインに再会することになる。
アドラインにすべての真実を教えてもらい、モルと名乗る勇者ダグラスが生きている事を知ったのだった。
「……ダグラス、長くなるかもしれないが、諦めるなよ」
強風が無詠唱魔法と共に吹き出し、ザインの髪を立ち上げる。
風はザインの周りからゆっくりと広がると、ついにダグラスのいるエリア一体を飲み込んだ。
風が壁のようになって、輝く古代魔法の上にぶつかると、ザインはそれを上書きするようにそのまま風を固定させた。
中から見れば空がうまく再現されているはずだ。
「……まだ、まだだ……ここから二重にする」
ザインの額に汗が流れる。
二重に空間魔法を展開するのはどれほどの苦痛が続くのか、まったく想像がつかない。
「しかし、やらねばならない」
ザインは諦めなかった。
そのような苦痛が続き、自身の命が尽きる未来が待っていても、諦めることができなかった。
風が再びザインの側から広がっていく。
「……何故なら、認める事ができないからだ……あんな旅の終わりは、絶対に……すべてを正す必要があるんだ、皆が、本当の人生を生きる為に……」
風は山を包み、野原を包み、そしてそれらすべての空間を包み込んだ。
静寂。
大規模な魔法を行使したザインは立っていられなくなり、その場に倒れ込んだ。
「……綺麗な空だ……俺の魔法はやっぱり天才かもな……」
空は自身の創造したものに包まれ、美しい星空を描いていた。
「……間に合え……」
その時まで。
勇者が再び立ち上がる、その時まで、と。
その日からザインは苦痛に耐える日々を過ごす事になった。
定期的に勇者ダグラスという幻影魔法を自身にかけ、ダグラスの家を訪れた。
それは、勇者の記憶を少しでも思い出させようとしたからだった。
ザインは一年後、アドラインに協力を依頼し、あの偽りの旅を決行することにした。
もうすぐ限界がやってきて、身体が大規模な魔法を保てない事に気が付いたのだ。
アドラインを剣士としてパーティーに加え、自分自身の複製体をあの懐かしい焦がれた旅へと送り出した。
複製体は故郷アバルディに突然転移するように設計したのちに、ザインは古代魔法の研究に使っていた自身の工房にて彼を回収した。
これまでの旅を再現しようとするたびに、ザインは亡くなった仲間二人の姿すら思い描くのが難しいほどに自身が薄れかけている事に気づいてそのたびに自分の存在がこの世界から消えるのが嫌になった。
死の恐怖よりも自身が誰かに忘れ去られてしまう恐怖の方が恐ろしかったのだ。
「本当の俺を知っているのは……」
そんな事を何度も確認してしまうほどに。
・ ・ ・
「……ザイン、君は間に合ったよ」
勇者ダグラスは一人受け継がれた記憶を辿り終え、静かに頬を濡らしていた。
「……ありがとう」
空には既に異常はなく、雲一つない青空が広がっている。
ダグラスは一人、振り返り、全てが始まった場所へと旅を始めた。
「……旅は終わっていない。
一人でも諦めなかったのだから、俺は行かなければならないんだ……」
野原から去っていくボロボロの勇者を誰も見届ける事はなく、しかし暖かい風が彼を向かい入れていたのであった。
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